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京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その531)釈迦如来像は如来像を代表します

2013-05-25 20:05:08 | 京の話題

久しぶりに、本題に戻ります。

 以下の、記載を御覧頂く前に、かなり以前に記載した、記事を参照頂ければ幸いです。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130208

 悟りをひらいて如来となった「釈尊」(お釈迦様)をまつるために造られたのが、「釈迦如来像」です。

 鎌倉仏教は大きく「阿弥陀信仰」と「釈迦信仰」の宗派に分けられます。「法然」の「浄土宗」、「親鸞」の「浄土真宗」、「一遍」の「時宗」などが「阿弥陀信仰」の宗派で、いずれも念仏を唱えることで阿弥陀の極楽浄土に往生できると説きました。また「日蓮」の「日蓮宗」や禅宗の「栄西」の「臨済宗」、「道元」の「曹洞宗」そして同じ禅宗の江戸期の禅宗に改革を促した、「臨済禅」の教えを日本でひろめた「隠元禅師」の「黄檗宗」が「釈迦信仰」の宗派です。

 そのなかで「釈迦如来像」の事を。

「如来像」は、基本的には、ほかの仏像と異なり質素な姿をして、体に装飾品がまったくみられず、出家者が用いる衲衣(のうえ)という粗末な衣服だけをつけています。後期の「釈迦如来像」は少し装飾が施されてきましたが。

 「釈迦如来像」は悟りをひらいた者は一切の欲をはなれた境遇にあるという主張をあらわしたものです。仏教には、「釈迦」だけがこのような「如来」になれるとする説と、そうではないとする説があります。

「釈迦如来像」(東福寺・臨済宗)京都市http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120208

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 「釈迦如来像」(黄檗山万福寺)宇治市http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120608

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「釈迦如来像」(黄檗宗・仏国寺)京都市http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120802

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「仏教には八万四千の法門がある」といわれています。これは、仏教が多様な教義のものに分かれたことをあらわすものであるとともに、仏教はどこから入っても最終的には悟りに行き着ける寛容さをもつことを示す言葉です。

 仏教の様々な信仰は、現身説(釈尊一人だけが仏法を説く主体である仏とする)、法身説(釈尊は仏法の象徴的存在であり、仏の教えである仏法が仏そのものである)、応身説(仏法が仏であるが、仏は必要に応じて人間の世界にさまざまな人間の姿であらわれるとする)に分かれています。

 前記に記載した「上座部仏教」は「釈尊」(お釈迦様)だけを「仏陀」とする「現身説」にたつので、「上座部仏教」の広まった地域では「釈迦如来像」だけがつくられました。それに対して、日本に渡来した「大乗仏教」では多種多様な「如来像」がつくられました。

 「上座部仏教」は前記に詳細を記載しています。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130118 参照願います。


京の話題(平安京その529)堀尾吉晴の菩提を弔うために建立された・妙心寺塔頭・春光院

2013-04-25 08:09:22 | 京の話題

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「臨済宗・妙心寺・大本山」は前記にて詳細に記載しました。参照願います。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120129

春の良い天気に、ふらりと参拝した「妙心寺」。「妙心寺」は以前に「妙心寺」詳細を記載しました。普通は南の「三門」から入山しますが、今回は北の門からの入山です。ちゃんと、無料の駐車場も有ります。

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また、北から入山するのも趣きが有ります。春の観光シーズンでも参拝者はまばらです。;

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静かな、境内を楽しみながら、闊歩です。すぐ右に「春光院」が有ります。

「臨済宗妙心寺」の塔頭寺院で、もとは「俊厳院」称しました。

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「豊臣秀吉」の家臣で、後に初代松江城主となった「堀尾吉晴」が、長男の金助の菩提を弔うために、天正18年(1590年)に建立しました。

堀尾家三代目の「堀尾忠晴」が病死し、間もなくして断絶しましたが、「忠晴」の息女が「石川家」に嫁いでいたことから、「石川憲之」が代わって檀越となり、中興して寺名も「春光院」と改めました。

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方丈西庭の「常盤の庭」は「堀尾吉晴」の作庭といわれます。また、さざれ石の庭と呼ばれれる方丈前庭は、伊勢神宮崇拝の厚さをとく表しています。

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方丈東にある胴鐘は、表面に1577年の西暦とIHS(イエズスス会の紋章)が鋳出されたヨーロッパ風の鐘で、寺伝によると、もとは四条姥柳町に有った南蛮寺ののとといわれています。、このお寺は寛永7年(1854年)に移されたといわれています。

初期キリスト教を今に伝える貴重なお寺です。残念ながら、このお寺は一般公開されていません。

右京区花園妙心寺町


京の話題(平安京その567)春の特別、妙心字、塔頭寺院・退蔵院

2013-04-23 13:58:37 | 京の話題

「臨済宗・妙心寺・大本山」は前記にて詳細に記載しました。参照願います。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120129

しかし、その「塔頭寺院」には素晴らしい、お寺がります。春の緑の爽やかな気候にさそわれて、「春の特別公開」の妙心寺の塔頭のお寺を、参詣・拝観しました。

「退蔵院」は約600年前、応永11年(1404年)「波多野出雲守」が妙心字第三世「無因禅師」に帰依して県立したお寺です。

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今は春の特別拝観でした。

妙心寺の山内院40余りの中で、屈指にお古刹で有名です」。中興の祖「亀年禅輪」は第105第「後奈良天皇」の帰依深く、特に「天照祖鑑」の国師を賜りました。

まずは、特別拝観の庭園からです。

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この「退蔵院」で有名な物は、「瓢鮎図」(ひょうねんず)です。人がナマズを捕まえようとしている描写です。中国では「鮎」と書き、ナマズをさすそうです。「香魚」と書き、中国では「アユ」となります。蛇足ながら。

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この絵は山水画の祖といわれている「如拙」(にょせつ)の作、「足利義持」の命により心血を注いで描き、現存する作品中唯一の傑作言われています。後にこの絵の影響で「雪舟」や「狩野元信」等が、狩野派に大きな影響を与えています。

広々とした、お茶室で、お茶とお菓子を。

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お菓子も「瓢鮎図」の模様になっています。

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人間、気を張ってばかりでなく、適当にナマズのごとく「のらりくらり」と生きるのが一番です。

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可愛らしい、猫ちゃんが、椿の花の中から、そっと見送ってくれました。

右京区花園妙心寺35


京の話題(平安京その526)久しぶりに、晴明神社、ひつこくも未だ立て看板が有る・晴明神社

2013-04-15 00:05:20 | 京の話題

春の晴天の日曜日に、久しぶりに「晴明神社」がどうなっているかと、参詣です。なんぼなんでもあの「立て看板」は撤去と思いましたが。有りました、ビックリです。

以前に、「晴明神社」の記載をしました。「晴明神社」と近所の「土産物屋さん」の事です。とりあえず、かなり前記に記載した記事を御覧頂いた上、以下の記載を御覧頂ければ、話はてっとり早いです。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120131http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120322この記事を御覧頂ければと。

久しぶりにに、「晴明神社」に訪れました。

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春の天気が良い日曜日ですが、境内は閑散としています。問題が発生する前は、堀川通りに観光バスや自動車が一杯で、若いカップルや参詣者で賑わっいましたが・・・・・。

 

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まばらな、参詣者です。ひつこくも、未だこのような「立て看板」が堂々と有りました。

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この、看板にはもうつっこみません。全ては、以前に記載した、記事を閲覧して下さいました「コメント」をご覧ください。(祭神の”安倍晴明”の最後の、位は、10位30階で上から八番目の、たかだか”従四位下”止まり、祇園祭のお稚児さんの位の一つ上位、ここだけの話ですョ)深刻な事態にしているのは、神社側かも?「憲法20条は無視」はこの神社では通用しない?治外法権の境内?いまだに、ここは寺社奉行の配下?

近くの「お土産物屋」さんは、以前と変わらなく、お商売されていました。

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時間が有りましたので、問題の「お土産物屋」さんに訪れて、お店の責任者の方と、一時間位お話をたっぷりと聞きました。

「晴明神社」の先代の「宮司」とはこの「お土産物」さんとの仲は、至って良好なものだったようです。もちろん、隣でお店を出しているからには、お祭りには数十万円もの寄進や時期にはお供物の献上をして、お互いに持ちつ持たれつの間柄。

昔の「晴明神社」は有名になるまでは、小さな祠だけで、名前の命名の費用で細々との神社(正確には神社では無かったようです。映画・マンガ等で有名になってから、伏見稲荷から、稲荷大明神の祭神を賜り、宗教法人になったらしいです?)勿論、先代の「宮司」から承諾を得て、「土産物屋」さんも、晴明グッズも商売されていました。お互いに、持ちつ持たれつです。

ところが、大学卒業した世間知らずが、先代に代わり「宮司」になり、とある「土産物」業者と共同でお商売。神社の維持は大変と、私でも良く分かります。収入は、「お札」「お守り」「お賽銭」「たまのお祓い」。しかし、歴史の浅い神社は大変です。「晴明神社」は第60」代「醍醐天皇」が「藤原時平」に命じて編纂した神社の格式「延喜式」いわいる「式内」に当然、列せられていません。

※延喜式:延喜5年(905年)第60代「醍醐天皇」が「藤原時平」(菅原道真”天神さん”を陰謀で大宰府に流罪した張本人)に命じて、寺社の格式を編纂したもので、完成は、延長5年(927年)、他に「弘仁式」と「貞観式」が存在しましたが、現存するのは、写本で「東京国立博物館」と他に一つ有るだけで、古代史の研究に貴重な文献です。京都の神社には、数えきれない「延喜式・式内」の神社が有り、有名な神社はほとんどこの「延喜式」に列せられています。(あくまでも、参考に)

さあ、それからです、あの未曾有の大震災後、参拝者の数が一気に減少しました。、「晴明神社」の収入は減少です。突如、お隣の「お土産屋」さんに、販売の差し止めを着きつけました。「お土産屋」さんは寝耳に水。最終的には裁判沙汰。しかし、「裁判所」は困りましたョ。裁判になりませんから。何にも「お土産屋」さんは法律に抵触することはしていませんから。裁判所は、当時者どうしで穏便に和解をすすめました。

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「お土産屋」さんは堂々と、お商売を続けています。なんら、やましい事は有りません。「晴明神社」は参詣者の数が激減(イメージダウンですから)売り上げも激減の様子。「お土産屋」さんは、穏便にすれば、売り上げの数パーセントでも、神社に寄進はするつもりです。しかし、「晴明神社」は振り上げた拳を下ろすわけにいかず、硬直状態のままです。

「武田信玄」の言葉にも有ります。「戦(いくさ)は五分勝ちがいい」少しでも多く勝利すると、後で遺恨が残り、思わぬしっぺ返しが来ます。五分五分が一番です。

何事も、穏便が肝心です。私、記念に、「合格祈願」のペンを「お土産屋」さんで買ってきました。(320円也)

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これで「合格」すれば、全ての人が苦労しないで合格です。人間、努力した後の結果ですから。

今日は、ものすごい、(たわごと)でした。

上京区堀川通一条上ル晴明町806


京の話題(平安京その525)京の西京区に有る、天皇御陵・墓地

2013-04-14 00:28:25 | 京の話題

右京区「花園」近辺には、天皇の皇女の「陵」が多く有ります。春というのに、「陵」内は桜の木は一本も無いのが特徴です。

最初は、第74代「鳥羽天皇」(在位:嘉承2年・ 1107~保安4年・1123年、父は、堀河天皇、母は藤原苡子で、次の天皇はこの記事によく記載する”崇徳天皇”)皇女「尊称・皇后統子内親王」・「花園東陵」

平安期「藤原時代」全盛の時代の時です。

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西に行くと、「鳥羽天皇皇后璋子」(しょうこ)・「花園西陵」

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「藤原時代」の全盛が偲ばれます。

すぐ、左には、「仁和寺宮墓地」

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全て「宮内庁」所轄のために、撮影は、ここまでです。

このような「宮内庁」の「御陵」等は一般的な地図にはあまり、記載されていません。

JR花園駅近く、西京区花園宮ノ上町近辺