前記にて「空也寺」を記載しました。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130309この地にも「空也上人」ゆかりのお寺が有ります。
「空也上人」を本尊とするために、このお寺「空也堂」と呼ばれていいますが、正式には「紫雲山光勝寺極楽院」と号し、「天台宗」のお寺です。
天慶2年(てんぎょう)(935年)、「空也上人」の開祖といわれ、このお寺は、三条櫛笥にあったために「櫛笥道場」とも「市中道場」とも呼ばれました。「応仁の乱」(分かりやすい説明は、読めばすぐに解かるhttp://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20130130を参照下さい。一読で、応仁の乱が分かります)で焼亡しましたが、寛永年間(1624~1644年・寛永14年島原の乱)に現在の地に再建されました。
「空也上人」は鐘を叩き念仏を唱えて全国行脚し、仏教の庶民階層への布教に尽力する傍ら、橋を架け、道路や井戸を整備し、野に有る死骸を火葬して荼毘に付すなど社会事業も行いました。そのため、「空也上人」は「市聖」や「阿弥陀聖」と称され、その後の「一遍」をはじめとする布教僧に大きな影響を与えました。
本堂の左には「地蔵堂」があります。
「空也上人」のお墓もその左手に有ります。
毎年11月の第二日曜日に、「空也上人」を偲んで、開山忌(空也忌)の法要が営まれます。「王服茶」の献茶式の後、空也僧による「歓喜踊躍念仏」(かんぎゆやくねんぶつ)と重要無形文化財の「六斎念仏焼香式」が奉納されます。
中京区蛸薬師通油小路亀屋町