goo blog サービス終了のお知らせ 

京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その535)久しぶりに初心に帰って、平安京(1) 

2013-07-08 00:33:29 | 京の話題

「祇園祭」も七月一日の「吉符入」から7日は「綾傘鉾・稚児社参」まで進んで盛り上がっています。

 ところで久しぶりに「平安京」のこと。真面目に。(いつも真面目ですが)

 「奈良仏教」の象徴である、法相宗の僧「道鏡」が失脚後、第38代「天智天皇」の孫にあたる第49第「光仁天皇」が即位し、さらにその後即位した、有名な第50代「桓武天皇」は、奈良時代末期の仏教が政治と深く結びつて生じた腐敗を改めるために、「寺院勢力」を排除し政治刷新をはかるために、「長岡京」に遷都しました。

しかし「長岡京」はわずか10年で挫折しましたが、794年、「桓武天皇」の最高のブレーン「和気清麻呂」(わけのきよまろ)の建議により「平安京」へ遷都し、「政教分離」のために、「奈良」から「寺院」の移転を認めませんでした。

京都の「護王神社」の祭神「和気清麻呂」像(平成24年12月28日の冬に撮影)

Dsc09619

 以後、1200年にわたる、京都が都(天皇の御所・すめらぎの御居所)となりました。

 京都に最初、遷都された「大内裏」(御所)跡

Dsc07147

Dsc07131

Dsc07124

「中京区」の現在の「二条城」の少し北に、石碑があります。

 京都に遷都された、初期の平安京地図。中国の「長安」に摸して造られました。

Heiannkyou

現在の、「京都御所」はその後、移転されたものです。中央のメンストリートである「朱雀大路」は巾120mあったと言われています。(現在の“千本通り”)

平安京の遷都を建議した「和気清麻呂」は、祭神が「護王神社」で有名です。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111009

先日、参議員議員の選挙が公示されました。ネット選挙の解禁です。それが影響するか、楽しみです。


京の話題 (平安京その534)密教寺院に見られる「釈尊」の若き王子の姿・大日如来像のこと

2013-05-29 00:26:10 | 京の話題

「大日如来像」は密教では、「諸仏の王」とされる仏さまです。宇宙の真理を象徴するものとも言われています。

密教では、あらゆる如来も菩薩も、「大日如来」から出たもどであると説いています。「釈尊」(お釈迦さま)までも「大日如来」という真理の仏のひとつの姿にすぎないと説いています。

「京都将軍塚・青蓮院門跡別院」(大日如来像)・見晴らし(京都市内一望)のお寺で、心がなごむ気持ちのいい、お奨めのお寺です)http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120514

Dsc03007

日本の「密教寺院」にみられる「大日如来」は「釈尊」の王子であったお姿をかたどったものとされています。よって「大日如来像」は、若々しい・美しい男の顔をしています。密教ではこの像について以下のように説かれています。

 「大日如来はすでに悟りをひらいた仏であるが、その像は、釈尊が悟りにいたりながら自らは俗世間にあって人々を教え導く姿をあらわすものである。ゆえに大日如来は如来であっても菩薩の姿をとる」

 以上の考え方から、「大日如来」は、宝冠・胸飾などをつけた美しいお姿をしています。

 空海が創建した有名な「東寺・経王護国寺」(大日如来像)

Photo_2

有名な「東寺」と「平安京」の詳細は、本ブログの初期から数回に分けて、克明に記載しています。 http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20110913

 


京の話題(平安京その533)浄土三部経で重んじられる「阿弥陀如来像」のこと

2013-05-27 20:58:54 | 京の話題

「阿弥陀如来」は、浄土三部経(大乗仏教の教えで、無量寿経・阿弥陀経・観無量寿経)で重んじられた仏さまで、人々を極楽往生に導くものとされています。この「阿弥陀如来」は「釈尊」(お釈迦様)そのものではなく、「釈尊」の教えをわかりやすく人々につたえるために「人格化」された仏さまとされています。

 「阿弥陀如来」とは「仏法」そのものであり、それを信仰するすべての仏教徒が「阿弥陀仏」だとすることになります。「浄土真宗」の祖「親鸞」、「時宗」をひらいた「一遍」は、この説にもとずいてすべての人間がすでに「阿弥陀仏」に救われているとの主張をしました。

 「阿弥陀如来像」は、古代インドのひとりの国王の姿をかたどって造られたとされています。これは「浄土三部経」の一つの「無量寿経」の以下の話にもとずくものです。

 「はるか昔に王位を捨てて、世自在王如来(せじざいおう)の教えをうけて四十八の誓願をたてて修業した者がいた。かれはその修業のおかげで極楽往生したのちに、あらゆる人々を救う仏である阿弥陀如来になった」

 「浄瑠璃寺」(国宝・阿弥陀如来像)

 1

「浄瑠璃寺」(国宝・九体仏)

Photo

「阿弥陀如来」の「阿弥陀」は、「あらゆるものを照らす光」をあらわします。この名前にあらわされるように、「阿弥陀如来」はすべての人を助けるとされました。 

「誓願寺」(浄土宗西山深草派総本山)京都新京極通りから拝める、巨大な「阿弥陀如来像」です。

Dsc00734_2

Dsc00864

日本で「浄土信仰」がさかんになると、雲に乗って死者を迎えに来る「阿弥陀如来図」が多く描かれるようになりました。

「古知谷・阿弥陀寺」(京都大原・浄土宗一流本山i)阿弥陀如来図

Dsc06923

 「阿弥陀如来」は多くの「菩薩」と「聖者」を引き連れて、極楽から迎えに来ますが、「如来」に従う「菩薩」たちも、もとは「阿弥陀信仰」によって「極楽往生」した人々だとされています。この「阿弥陀信仰」が、貧困・戦乱・天災に苦しむ中世の日本の庶民の大きな救いになり、日本全国に広まりました。


京の話題(平安京その532)釈迦如来像につづく、薬師如来像のこと

2013-05-26 21:04:57 | 京の話題

如来像に順位を付けるのは真に罰あたりですが前記「釈迦如来像」が「釈尊」(お釈迦様)のお姿を借りて造られた仏像は、「上座部仏教」や「大乗仏教」においても間違いのないことです。

 では「薬師如来像」の事を。

 「東寺”経王護国寺”」(薬師如来像)

Dsc09925_2

奈良の薬師寺などで祀られている「薬師如来」は正式には「薬師瑠璃光如来」といいます。この仏さまは主に体の病を治してくれる仏像として信仰されてきました。

 「薬師如来」は人々を救いたいとする「修業中の釈尊」(お釈迦様)の現世的な御利益を象徴するものとされています。「薬師如来」(お釈迦様)が修業中の菩薩であったときに十二の大願をたてました。このなかに「除病安楽」がありました。それは、以下のものです。

 「体が不自由であったり、重い病に悩む者が、私の名を聞けば必ず体がよくなり、病がなおるようにしよう。名医や妙薬のなおせない病を私の力で退散させよう」

 以上の話にもとずいて「釈尊」の病人を救う機能が「薬師如来像」として信仰されるようになりました。

 京都で有名な「因幡薬師・平等寺」京都市下京区(私の、お奨めのお寺です)http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20120708が自由に、御本尊を参拝することが出来ます。