「祇園祭」も七月一日の「吉符入」から7日は「綾傘鉾・稚児社参」まで進んで盛り上がっています。
ところで久しぶりに「平安京」のこと。真面目に。(いつも真面目ですが)
「奈良仏教」の象徴である、法相宗の僧「道鏡」が失脚後、第38代「天智天皇」の孫にあたる第49第「光仁天皇」が即位し、さらにその後即位した、有名な第50代「桓武天皇」は、奈良時代末期の仏教が政治と深く結びつて生じた腐敗を改めるために、「寺院勢力」を排除し政治刷新をはかるために、「長岡京」に遷都しました。
しかし「長岡京」はわずか10年で挫折しましたが、794年、「桓武天皇」の最高のブレーン「和気清麻呂」(わけのきよまろ)の建議により「平安京」へ遷都し、「政教分離」のために、「奈良」から「寺院」の移転を認めませんでした。
京都の「護王神社」の祭神「和気清麻呂」像(平成24年12月28日の冬に撮影)
以後、1200年にわたる、京都が都(天皇の御所・すめらぎの御居所)となりました。
京都に最初、遷都された「大内裏」(御所)跡
「中京区」の現在の「二条城」の少し北に、石碑があります。
京都に遷都された、初期の平安京地図。中国の「長安」に摸して造られました。
現在の、「京都御所」はその後、移転されたものです。中央のメンストリートである「朱雀大路」は巾120mあったと言われています。(現在の“千本通り”)
平安京の遷都を建議した「和気清麻呂」は、祭神が「護王神社」で有名です。http://blog.goo.ne.jp/itodoya/d/20111009
先日、参議員議員の選挙が公示されました。ネット選挙の解禁です。それが影響するか、楽しみです。