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京の話題

12000年以上続いた「平安京」の文化・寺社仏閣・お祭り等を紹介します。

京の話題(平安京その546)本格的な、院政の始まり

2013-07-28 00:03:46 | 京の話題

十一世紀の半ば過ぎに即位した、第71代「後三条天皇」は、「藤原氏」と血縁関係が薄かったこともあり、「藤原氏」との政治をはなれ、自ら政治を行い、「摂関家」の力を抑えようとしました。

祭71代「後三条天皇」

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「後三条天皇」のあと、「白河天皇」も摂関家を抑えて「天皇親政」を行い、位を譲り「上皇」となってからも政治を行いました。

第72代「白河天皇」

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「上皇」の御所を「院」と言った為、この政治は「院政」と呼ばれました。

「上皇」は源氏と平氏の武士に身辺の警護をさせ、「荘園」の寄進を受けた貴族や武士に、「不輸」(ふゆ)、「不入」(ふにゅう)の権与を与え保護しました。

その0結果荘園は「上皇」のもとに集まり、「上皇」の力は独裁的なものとなりました。また、、「上皇」があつく信仰した寺社にも荘園が寄進されたため、寺社の勢力も増大しました。


京の話題(平安京その545)そして、武士の発生-1。しかし朝廷は揺らぐことはありませんでした

2013-07-27 11:52:34 | 京の話題

十世紀の中頃、武士の棟梁による反乱が起こりました。

一つは関東の「平将門の乱」(承平5~天慶3年・935~940)で、もう一つは瀬戸内海の「藤原純友の乱」(承平5~天慶4年・935~941)です。

「藤原純友」

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この二つの乱は「承平・天慶の乱」と呼ばれ、周辺の武士を率いて起こした反乱であり、「朝廷」はやはり武士の力を借りて、ようやく抑えました。

十一世紀後半には東北地方で、「前九年の役」(天喜3~承平5年・1051~106年)に、また「後三年の役」(応徳2~~寛治元年・1083~1087年)とよばれる二度にわたる戦乱がおこりました。

この戦乱を鎮めた源氏の「源義家」は、私財で賞を与えたことで関東の武士の信望を高め、東国に勢いを伸ばしました。「源義家」が引きあげたあとの「東北地方」には豪族の「藤原氏」が栄えました。

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この後に、いよいよ「院政」時代が始まりが始まります。


京の話題(平安京その544)武士の台頭でもなんら揺らぐこと無い、平安京の朝低・と帝ー1

2013-07-24 00:04:27 | 京の話題

「律令政治」が乱れ、十世紀になって地方絵自自が乱れると、各地に」成長した」「豪族」や「荘官」などの有力農民は、「荘園」を他の「豪族」や受領から守るために武装しました。闘争を繰り返しては勢力を拡大していきました。

これが「武士」の発生です。

「武士」は「家子」(いえこ)と呼ばれる一族や「郎党」と呼ばれる従者を従え、「武士団」をつくりました。中でも「関東地方」は良馬を産することもあり、武士の成長が目立ちました。

それがさらに統合され、十一世紀には「国司」(こくじ)として地方に上がり、土着しました。

「中央貴族」やその子孫を「棟梁」(とうりょう)としました。そして、「大武士団」となりました。

特に第50代「桓武天皇」と第56代「清和天皇」からの血をひいいた、「平氏」と「源氏」が台頭しました。その他、第52代「嵯峨天皇」から血をひいた、「嵯峨源氏」が有名です。

第50代「桓武天皇」・・・・「桓武平氏」

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第56代「清和天皇」・・・・「清和源氏」

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第52代「嵯峨天皇」・・・・・源綱・源融・渡辺綱、などなど有名な人物を、輩出しています。(一般的に、嵯峨源氏は名前は一字です)

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「摂関政治」から、「武士政治」に変わりつつありますが、京の「朝廷」の権限は揺るがすものではありませんでした。


京の話題(平安京」その543)完璧に唐の文化から独立した、「国風文化」その(3)

2013-07-22 00:01:43 | 京の話題

中国(唐)からの影響が、一切に亡くなると和の国、日本の独自の文化が花咲きました。(良かった、良かった)

日本独自の「ひらがな」が全国に広がり、「和歌」が「漢詩」と並んで公の場でもてはやされました。九世紀の後半には「六歌仙」と呼ばれる歌人がうまれました。

平安期の六歌仙

「僧喜撰」(きせん)

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「在原業平」

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「僧正遍照」

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「小野小町」

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「文屋秀康」

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「祇園祭・黒主山の祭神」の「大伴黒主」

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以上のような「六歌仙」が出ました。

前記、「紀貫之」らの編集による「勅撰和歌集」「古今和歌集」が作られました。「古今調」と呼ばれる繊細で技巧的な和風は長い間、和歌の模範とされました。これは、世界に例のない、独自の1「日本国風文化」です。

他にも漆器に金・銀をまきつける「蒔絵」や柔和な書道が発達し、「三蹟」(さんせき)と呼ばれる者が、出ました。

平安時代の「三蹟」(さんせき)

「小野道風」

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「藤原佐里」(すけまさ)

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「藤原行成」(こうせい)

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まさに、「平安時代・藤原時代」の全盛期でした。


京の話題(平安京その542)雅やかな、平安文化の開化(2)

2013-07-20 03:02:10 | 京の話題

平安期に中国(唐)との国交が断絶して、日本独自の文化が発展しました。もしかしたらこの事が無ければ現在でも日本独自の「ひらがな文化」は無かったかもしれません。

日本独自の「国風文化」の特徴の一つは「仮名文字」があります。九世紀頃から「表音文字」として仮名文字が使われるよおうになると、日本人特有の感情を生き生きと伝えることができました。

国文学が発達したし、十世紀には「紀貫之」が最初の仮名書き日記「土佐日記」を著しました。

「紀貫之」

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生き生きと著した「紀貫之」の「土佐日記」(絶対、中国では著わせられない、日本文化です)

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他の日記文字には、「藤原道綱」の母の「蜻蛉日記」(かげろう)、「紫式部」の「紫式部日記」、「和泉式部」の「和泉式部日記」

「和泉式部」

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その他「菅原孝標女」(たかすのむすめ)の「更科日記」があります。

随筆では「清少納言」が「枕草子」を書き、

「清少納言」

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物語では、「紫式部」の有名な「源氏物語」や「伊勢物語」「竹取物語」「宇津保物語」」「落窪物語」(おちくぼ)などが書かれました。

日本文学の、まさに花が開いた時代です。