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犬には幽霊が見える』って本当?そう言われている理由とは?

2023年10月22日 22時03分06秒 | 医学と生物学の研究のこと

犬には幽霊が見える』って本当?そう言われている理由とは?


犬は鬼が見え、鬼は犬を嫌う


8・15・2022

日本では古くから「犬は鬼が見える」「鬼を祓う力がある」と言い伝えられ、そのため鬼は犬を嫌うとされてきました。「鬼」とは幽霊であったり、伝染病をまき散らす疫鬼であったりさまざまな「悪いもの」を指します。
一部地域では現代でも赤ちゃんが生まれると額に「犬」の字を書いて神社にお参りする「アヤツコ」の風習が残っていますが、これは赤ちゃんを「犬」に見立てることで鬼を遠ざけようとしたという説があります。それほど昔から犬は「人間には見えない何かが見える」と考えられてきたのです。

いわゆる「霊感」?犬が感知できるもの


犬に本当に鬼や幽霊が見えているのか――。そもそも鬼や幽霊の存在すら科学的に解明されてはいませんし、その答えはいまだ謎に包まれています。
ですが、犬が人間には「見えない」「聞こえない」ものを感知できるのは事実。もしかしたらその感知能力こそが「霊感」と言われるものなのかもしれません。では犬はどんなものを感知しているのでしょうか。

1.UV波

UV波とは「Ultra Violet」すなわち紫外線のこと。近年ではUVケア用品への需要が特に高まっていますが、人間は降り注ぐ紫外線を目で確認することはできませんよね。ところが犬は紫外線を視覚的に見ている可能性が高いということが科学的にも証明されています。
人間の目では何もないように見える部屋の隅や壁にも、もしかしたらUV波によって何らかの模様や形が映し出されていて、犬はそれを見て吠えているのかもしれません。…というのが科学的な仮説ですが、実はこのUV波が持つ波長エネルギーは、幽霊の持つエネルギーと同じであるという説もあります。
犬が見ているのはただの光線なのかやはり幽霊なのか、謎は深まるばかりです。

2.電磁波・磁気

犬が微弱な電磁波を感知できるということも科学的に証明されています。電磁波と聞くと電化製品をイメージするかもしれませんが、実は人間も歩く際に電磁波を発しています。
犬は人体が発する電磁波を「気配」として感知しているため、私たちが目で見て確認する前から「何らかの存在」に敏感に反応している可能性があるのです。また電磁波は電気と磁気が合わさったものですが、この磁気、更には地球が発する「地磁気」についても犬は感知していると言われています。
犬がうんちの際にくるくる回るのは地磁気を探っているからで、更にはうんちをするときには、体は方位磁針のように必ず南北のどちらかを指しているというのは有名な話です。

3.超音波

犬の聴覚が人間より遥かに優れているということは周知の事実です。人間が感知できる周波数が16~2万ヘルツであるのに対し、犬は65~5万ヘルツまで感知することができると言われています。
すなわち犬は人間が感知することのできない高周波音、いわゆる超音波まで聴くことができるのです。この原理を利用したのが「犬笛」です。吹いてみても人間の耳には笛の音はまるで聞き取れませんが、犬にはしっかり聞こえているため指示に従うことができます。

まとめ

犬が人間には見えない「何か」を見て感じているのはほぼ間違いないでしょう。ただその正体については「見えない」だけに謎が多いのです。ですが最初にご紹介したように、犬は悪いものを追い払ってくれると言われています。
もし本当に「幽霊」が見えていたのだとしても、それが悪いものであれば愛犬が追い払ってくれるはずですから、安心していいのではないでしょうか?
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芙蓉の季節ですね⭐

2023年10月22日 18時03分16秒 | 日々の出来事
紅葉の前、芙蓉が主役のようです


10・21・2023
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横浜みなとみらい出張、最終日です>BioJapan 2023、バイオ産業の展示会です

2023年10月22日 17時03分26秒 | 日々の出来事

Bio Japan 2023、ファイザーやアステラスも出展の展示会、盛況です。
バイオ産業は、元気です!



10/13/2023
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命を賭してA級順位戦に…死の4カ月前、不屈の大名人・大山康晴が挑んだ“最後の大勝負”「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」

2023年10月22日 15時03分15秒 | 文化と芸能
命を賭してA級順位戦に…死の4カ月前、不屈の大名人・大山康晴が挑んだ“最後の大勝負”「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」


10/15(日) 17:02配信


Number Web
1992年3月、大山康晴はがんと闘いながら名人挑戦権を争う順位戦A級プレーオフに進出。同年7月、A級在籍のまま69歳でこの世を去った photograph by Masaru Tsurumaki


昭和に一時代を築いた巨星が、棋士人生最後の大勝負に臨んだ。この世を去る4カ月前、名人挑戦を懸けた第50期順位戦A級プレーオフ。誰もが驚いた一手詰めはなぜ生じたのか。60歳を超えた今も戦い続ける当時の対局者、高橋道雄が真相を語った。
※初出は2022年1月20日発売Number1044号掲載 [大名人の“絶局”]大山康晴「不屈の王の最後の呟き」 年齢、肩書はすべて掲載当時


【貴重写真】ゴルフでも超真剣…あの大名人・大山康晴がバンカーショットを放つ貴重な姿。呉清源、井伏鱒二、大宅壮一ら「各界の大物」との交遊録も見る


 凍てつく寒さの朝も、大山康晴はコートを着なかった。


 冬の対局日。JR千駄ケ谷駅を出て、将棋会館へと足早に向かう。急ぐ人が横を通り過ぎて自らの前に出ると必ず抜き返したという負けず嫌いの逸話は、いかにも作り話のようだが複数の目撃談が残っている。


 ところが、最後の冬だけは丈の長い外套を羽織っていた。あの朝もポケットに手を入れ、穏やかな足取りで戦いの現場に向かった。


「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だった」
 1992年3月9日、第50期順位戦A級プレーオフ。名人挑戦を目指して68歳の大山と激突した高橋道雄にとって、生涯忘れ得ぬ一局となった。


「あのプレーオフこそ大山先生の絶局だったと当事者として実感してます。最後に心の底から勝とうとした一局だったと思うので。対局者として大山先生と向き合えたことはとても幸福なことでした。自分にとって雲の上の上。遠すぎる存在ですから」


 通算1433勝、タイトル獲得通算80期、棋戦優勝44回。昭和の大名人が残した数字はどれも偉大だが、最も語られ続けている記録は名人在位18期を含めて順位戦A級に44期も君臨し続けたことだろう。


 太平洋戦争勃発前の'40年に16歳で四段に昇段。戦後の'52年に29歳で名人位に就いた棋士が高度成長期から長い王朝を築き、平成期に突入してもなお名人挑戦権を争う十傑に名を連ねたのは神の成す業と表してもいい。'84年春、結腸がんの判明によって同年の順位戦を休場する窮地に陥ったが、復帰した翌年度のA級を制し、63歳にして名人挑戦を果たしている。


 '91年10月、胸の奥にあった不安は現実になる。今度は肝臓がんを告げられたのだ。


 12月5日に手術を受け、同23日に退院。年明けの20日には早くも公式戦に復帰した。強行日程の理由はひとつ。入院時に3勝3敗だったA級は残り3局を不戦敗とすれば危機に瀕する。命を賭してでも死守しようとした。


 入院と手術、闘病と奮闘が伝えられる度に「大山頑張れ」の声は棋界の範疇を超え、社会的な拡がりを見せていった。

がんと闘いながら名人挑戦権を争うプレーオフに進出
 '70年代から棋士を撮り続け、大山とも懇意にしていた写真家の弦巻勝は、がんが判明した後の十五世名人と東北を旅している。


「朝の5時半頃、宿の僕の部屋に大山先生から電話が入るんだ。『あんた、何してるのよ』『……寝てました』『寝てなんていないで、お風呂にいらっしゃい』って。で、一緒に湯船につかりながら、大山先生は腹のがんのところを触れさせるんだよ。『ここなのよ。ね、固くなってるでしょ』って……。温泉から上がったら、6時から麻雀。抜け番の時、大山先生はみんなの灰皿を洗いにいくんだ。もちろん僕らは『先生やめてください』って言うんだけど『こんなの誰がやっても一緒よ』ってね。究極の合理主義者だよ。でも、もう宴会では酒を呑めなかったし、柔らかいものだけ口にしていた。だから僕は八百屋でバナナを買ってきたんだ。本当に喜んで、美味そうに食べてくれたよ」


 病と闘いながら、A級で高橋、米長邦雄、谷川浩司に3連勝する。降級を免れるどころか、6勝3敗で首位に並び、4人で名人挑戦権を争うプレーオフへと進出した。


 前年順位の下位者から勝ち上がりを狙うパラマス方式のトーナメント初戦が高橋との再戦だった。20代でタイトル5期を重ね、31歳の指し盛りを迎えていた青年には初の名人挑戦への強烈な野心があった。


「あの年は調子が良くて、今の勢いならいけると思っていたんです。誰にでもそんな時はあって、千載一遇のチャンスを掴めるかどうかで人生は分かれてしまうものです。乗り切らなくちゃと思ってました」


 勝負に臨む上での雑念などなかった。


「むしろ、ご病気のことを思いながら指すのは失礼じゃないかと考えていました。プロですからね。ひたすら盤上没我でした」


 将棋会館特別対局室で始まった一局。先手の高橋は王将を最深部で囲う「居飛車穴熊」に組み、大山は飛車と二枚の銀で中央からの侵略を謀る「ツノ銀中飛車」に構える。


 互いの駒がぶつかって戦いが始まる。主導権を握ったのは後手だった。高橋の構想は理想から乖離し、穴熊の生命線である守備駒の金が中央に上ずる展開を強いられる。


観戦記者に「名人戦の日程、教えといてね」
 形勢良しと判断したのか、大山は対局室で観戦記者と言葉を交わす余裕も見せた。


「名人戦の日程、教えといてね」


「3回も勝たなくちゃいけないから大変」


 勝負が変調したのは、夕食休憩が終わって夜戦に突入した頃だった。大山には自陣の左辺最下段の飛車を右辺へ大転回させ、一気に高橋陣への成り込みを実現させる必勝の手順があったが、逸してしまう。


「指していれば決め手になっていたと思います。大山先生も私も錯覚していた手でした。でも、あの手順を逃しても依然として形勢は後手良しです。むしろ問題はそれから。人間同士の戦いにおける本当の勝負になってからでした」


 夜戦直前の勝負所では30分以上の考慮を3度も続けた大山だが、夜が深まるにつれ指し手のペースを速めていく。持ち時間を1時間以上残しているにもかかわらず。高橋は微妙な違和感を覚えていた。


「まだ決めに行ける局面ではないのに、もう将棋を決めに掛かっているようでした」


 わずか1分の考慮の後、歩を突いて穴熊の破壊を直線的に目指した大山の選択を見て、高橋が抱いた感覚は確信に変わる。


「大山先生の指し手は前のめりになっていました。いつもなら石橋を叩いても渡らないのが大山将棋です。勝ちにいくのではなく、丁寧に負けない手を優先し続けることで相手を辟易させ、手出しできなくさせる。でも、あの終盤は駒を前に出して自分が勝ちに出ていく指し方でした。負けまいとするのでなく、勝とうとしていた」


 一瞬の隙に反撃に転じた高橋は、直接王手の銀を打ち込んで後手の飛車を捕獲する。戦況は逆転へと傾いていく。


「今にして思うと、大山先生が攻め急いだように見えたのは体力的な不安もあったのかもしれません。深夜まで長手数の将棋を指せば、苦しくなる。ならば……と」


「あ、詰みか…」高橋にだけ聞こえた呟き
 大山の王将は、生存のために切なく盤上の海を泳ぎ始める。安全な対岸には辿り着かず、万策尽きて一分将棋の秒読みにも追われた局面で指されたのが▲3七角成。一手詰めが生じる信じ難い一手だった。


 駒台の飛車を打ち込む最終手△1六飛を指した数秒後、高橋は将棋盤の向こうから小さな声を聞いた。大いなる山のような男の消え入りそうな呟きだった。


「あ、詰みか……」


 深夜11時35分、指し手を失った大山が投了した。


「とても小さな声でした。観戦記者も記録係にも届かないくらいで。私だけに聞こえた声でした」


 最後までA級を守り、最後まで名人挑戦を目指し、最後まで名人位に戻る夢を生きた大山の46年間の順位戦が終焉した瞬間だった。


「あの一局について、いろんな方が書いてきました。勝ち将棋を逃して負けて、悔しいから最後の一手詰めまで指したと脚色されることが多いですけど、実際には違います。うっかり(錯覚)だったんです。色を付けた方が面白いのかもしれませんけど、現実ってもっとシンプルだったりする。詰み上がりまで指したりはしません。通常なら直前の局面が投了図になりますけど、まだ続くと思って指しているんです。感想戦での大山先生はとても淡々としておられました」

大山先生の年齢に近づくほど、信じられないなと思う
 高橋は続いて南芳一、谷川浩司も連破して名人挑戦者となったが、名人戦七番勝負では中原誠に3勝4敗と惜敗した。


 高橋戦の後の4カ月間で7局を指した大山は、生涯最後の対局から12日後の7月7日に再入院。26日、真夏日の夜に旅立った。参院選が投開票され、バルセロナ五輪が開幕した熱帯夜のことだった。


 4年後に降級の憂き目に遭う高橋だったが、3度もA級への返り咲きを果たして52歳まで通算13期も務めた。61歳の今もC級1組で長い夜の戦いを続けている。


「私は研究に全くAIを用いていなくて、自分が修業時代から培ってきた将棋観を頼りに指していこうと決めました。最後まで自分で戦って負けたのなら仕方ない。時代遅れかもしれませんけど。人生の機微はほんの1勝で反転すると思って戦ってます」


 今期、昇級争いを演じている。B級2組に復帰すれば、全階級を通した史上最年長昇級記録を樹立する。80年に及ぶ順位戦の歴史に名を刻むことになる。


 還暦を過ぎてからも勝つために生きる高橋は、先人の偉大さを深く実感するようになった。


「勝つことを正義とした大山先生は、マンガ的に言うと騎士ではなく軍人なんです。勝てば官軍という軍人として時代を築いて、相手の感情も支配しながら戦うのが大山将棋でした。時として最善手の追求より、相手が嫌がる次善手を指すこともあった。私も人間同士の戦いを徹底して続けていきたい。大山先生の年齢に近づけば近づくほど、本当にすごい方だったんだなあ、信じられないなあ、と思うようになりました」


大山の不屈は、高橋の魂に宿っていた
 2022年1月11日の夜、高橋道雄は将棋会館4階の対局室で真田圭一との順位戦C級1組を戦っていた。


「できるだけ現役を長く続けたいし、棋士である以上、まだ何かしら爪痕を残せたら」


 決着は30年前と似ていた。上部への逃走を図る後手の王将を、高橋は正確に討ち取った。6勝2敗で5位。3つの昇級枠を争い、残り2局を戦うことになった。


 感想戦は全て口頭で行われ、駒音は鳴らない。あの夜、大山が漏らした声も聞き取れるであろう静寂が広がっていた。


 41年目、409戦目の順位戦を終えた男は廊下に出ると、全対局の結果を示すボードを眺めた。昇級を狙う棋士たちの勝敗を確かめる61歳の眼光には、勝負に生きる者しか持ち得ない冷徹さがあった。


 大山の生涯を貫いた不屈は今、高橋の魂に宿っていた。


大山康晴Yasuharu Oyama


1923年3月13日、岡山県生まれ。木見金治郎九段門下。'40年四段。タイトル戦登場112回。獲得は名人18期(十五世名人)など計80期。'76年から日本将棋連盟会長として東西の将棋会館建設に尽力。晩年はがんと闘いながら棋士生活を続け、A級現役のまま'92年没。享年69。




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制服の女性遺体は千葉の15歳高校生か…首や体に複数のあざ>埼玉の無職男28、死体遺棄で逮捕!

2023年10月22日 10時03分37秒 | 事件と事故
後部座席の女性遺体は千葉の15歳高校生か…首や体に複数のあざ、死後数日か(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース 



後部座席の女性遺体は千葉の15歳高校生か…首や体に複数のあざ、死後数日か
10/20(金) 5:20配信


読売新聞オンライン
(写真:読売新聞)


 少女の遺体を車内に放置したとして、栃木県警は19日、埼玉県熊谷市、無職の男(28)を死体遺棄容疑で現行犯逮捕した。捜査関係者によると、少女は千葉県内に住む15歳の高校生とみられ、栃木県警が確認を進めている。遺体には首や体に複数のあざがあり、県警は男が死亡の経緯についても知っているとみて捜査する。


 発表では、男は19日午前3時15分頃、栃木県上三川町坂上の路上で、少女の遺体をレンタカーの車内に放置した疑い。「遺棄したのは間違いない」と容疑を認めているという。


 パトロール中の警察官が、田園地帯の道路で動いては止まってを繰り返す不審なレンタカーを発見。運転していた男に職務質問し、後部座席を倒したスペースで、全身に布をかけられて横たわる遺体を見つけた。遺体には首のほか、体にもあざが点在しており、死後数日以内とみられる。


 少女は学校の制服のような服装で、ブラウスに紺色のVネックセーター、緑色のチェック柄のプリーツスカートを身に着けていた。紺色の靴下をはいていたが、靴はなかった。遺体の隣に黒いスーツケースがあり、名前が書かれた所持品もあったという。


 現場はJR東北線自治医大駅から北東約6キロの田園地帯。男の自宅からは直線距離で約60キロ離れている。

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