北海道北見市上常呂 |



歴史[編集]

- 1911年(明治44年)
- 9月25日 - 鉄道院網走線の淕別駅 - 野付牛駅延伸に伴い開業[3]。一般駅。
- 11月18日 線名改称。池田 - 網走間を網走本線とする。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1957年(昭和32年)10月10日 - 芝浦製糖(後の北海道糖業)北見製糖所操業開始に伴い専用線使用開始。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 網走本線のうち、池田 - 北見間を池北線に改称。同線所属となる。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物取扱い廃止。製糖工場専用線廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道に継承。
- 1989年(平成元年)6月4日 - 北海道ちほく高原鉄道に転換。
- 1994年(平成6年)9月25日 - コミュニティプラザ併設の駅舎へ改築[1]。
- 1995年(平成7年)12月20日 - 無人化[4]。
- 2006年(平成18年)4月21日 - ふるさと銀河線廃線により廃止。
「無断欠勤OK」「出勤時間自由」新たな働き方&仕事の効率化で業績伸ばす水産加工会社
5/6(火) 15:54配信2025
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbcb3cbf72f3cde489b0dd88b14836aec948b3cd
639
コメント639件
テレビ朝日系(ANN)
「無断欠勤OK」「出勤時間自由」新たな働き方&仕事の効率化で業績伸ばす水産加工会社
「出勤の時間は自由」「欠勤の連絡は不要」。そんな一風変わったルールを導入して、業績を伸ばしている水産加工会社がある。雇う側と働く側、双方にメリットがあるというこの働き方を取材した。
【画像】「無断欠勤OK」「出勤時間自由」新たな働き方&仕事の効率化で業績伸ばす水産加工会社
■「無断欠勤」義務化背景に相次いだ離職者
大阪のエビ加工会社。午前8時40分、始業の時刻だが、社員・パート合わせて22人のうち、この時働いていたのはわずか3人。一体これは?
パプアニューギニア海産 武藤北斗工場長
「きょうはかなり少なそうな雰囲気が。金曜日で雨が降って、こういう日もある」
雨が降ったらお休み?
武藤工場長
「休む理由ですか?正直、僕聞いていないんですよ」
なんとこの会社では、休む時は「無断欠勤」がルール!出勤時間も自由なのだという。
そのため、雨が上がると、従業員が徐々に出勤し、昼過ぎには6人になった。
勤務歴10年 3人の子を育てている40代
「(Q.過去の欠勤理由は?)子どもの行事だったり、自分の体調が悪い時とかに休ませてもらいました」
勤務歴4年 前職では働きすぎで体調を崩した40代
「(Q.これまでの欠勤理由は?)雨の日、あとは二日酔いですね」
それにしても、なぜ「無断欠勤」をルール化しているのか?
武藤工場長
「どうにか会社を変えなきゃいけないという思いがめちゃくちゃ強かったので」
武藤さんは従業員を管理することが、売り上げアップにつながると考えていた。厳しい管理のもと、従業員を縛ってきたという。そのため、離職者は少なくなかった。
元々、宮城県石巻市にあった会社は、東日本大震災で被災。拠点を大阪に移し事業を再開して、従業員の管理を続けていたが、県民性の違いからかそれまで以上に離職者が相次ぎ、倒産の危機に瀕(ひん)した。
そこで、何がいけないのかと従業員に話を聞いたという。
武藤工場長
「当時、小さいお子さんを育てているお母さんたちが多くて、働きやすい会社にするには、休みやすい会社がいいとみんなが言うので」
会社を休みやすくする…結果たどり着いたのが「無断欠勤」の義務化だったという。
任意にすると連絡をする人が増え、無断では休みにくい雰囲気ができてしまうと考え、あえて義務にした。
■不満ゼロへ「嫌いな業務はしなくて良い」
さらに、働きやすい会社にするため、武藤さんが考えたルールがある。それが「嫌いな仕事はしない」だ。
武藤工場長
「毎月アンケートを取って、嫌いと申告した作業に関しては、やってはいけないっていうルールですね」
工場での仕事は、エビの大きさ分けや下ごしらえ、計量、パック詰め、洗い物や掃除などさまざまな仕事があり、その中で嫌いな仕事はやらせないという。
業務だけではなく、「あいさつが嫌い」という人も…。
勤務歴1年 織田さん(20)
「自分自身、吃音(きつおん)があるんですけど、あいさつをしたり、お疲れ様を言うのがスッと出なくて、うまく説明できないことのストレスがかなりありましたね」
コミュニケーションがうまく取れず職場で孤立。1年間で2度、転職した織田さんにとって、この会社の魅力とは…。
織田さん
「心に負担がないことが長続きする理由です」
従業員たちのモチベーションアップにつながった結果、この5年間、仕事や会社への不満で仕事を辞めた人はいない。
武藤工場長
「会社の利益を出さなきゃいけないからこそ、みんなが働きやすい職場にする必要がある。ここは連結しているんですよね」
■新たな働き方 なぜ経営が成り立つ?
パプアニューギニア海産の武藤工場長は、働きやすい環境を追求しながらも、経営を維持するため、「2週間で20時間以上働いてもらうこと」というルールを設けているそうだ。
このルールによって、出荷する必要最低限のエビの加工品を確保できるという。これまでに欠品が原因で、取引先に迷惑をかけたことは一度もないそうだ。
では、逆に出勤する従業員が多くて、商品を作りすぎた場合はどのように対応するのか。
エビを加工した商品は、ある程度冷凍保存ができるという利点があるが、それでも出荷する量を増やさなければならない場合は、卸値を割引いて取引先に通常よりも多く買ってもらうそうだ。
さらに、今年の夏には作りすぎたエビの加工品を活用するため、エビフライをメインにした飲食店のオープンも計画しているという。
従業員ファーストの職場作りを進めてきたことで、会社の売り上げアップにつながっているそうだ。
無断欠勤をルール化したことで、従業員の仕事の効率が上がって、ルール化前と比べて1年間の利益がおよそ400万円アップしたという。
武藤さんは「休むことは働くモチベーション。この点を雇う側も理解して、従業員が休むことに抵抗ができるだけ少ない職場作りが、雇う側と働く側がウィンウィンの関係になれるのでは」と話していた。
こうした取り組みで離職する人が少なくなったことから、現在は従業員の募集は行っていないということだ。
(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年5月6日放送分より)
「美人とイケメンは得」という事実が、教師400人の実験で明らかに! なぜ「容姿がよければ頭もいい」と評価されるのか(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/b119ff339c4c1256152fa2595b74172b3bc5a21c
「美人とイケメンは得」という事実が、教師400人の実験で明らかに! なぜ「容姿がよければ頭もいい」と評価されるのか
3/24(月) 7:01配信
12
コメント12件
現代ビジネス
Photo by iStock
人間の社会にはびこる咒(まじない)の正体とは? それは「言葉の隠された力」であったり「美醜に囚われる脳」であったりします。中野信子さんの『咒の脳科学』では、人間の脳にかけられた咒のような影響とはどういうものかわかります。
【写真】男性が、命がけで助けられるのは“美人”だけという現実
今ますますルッキズムへの批判が強くなり、人も口では「自分は見た目で人を判断しない」と言います。しかし、実際はこの言葉を裏切っているという多くの実験結果があるのでご紹介します。脳の掟を知ることは仕事や人生にとって非常に重要だとわかるのではないでしょうか。
「あの人には見る目がある」を裏返すと
前記事< 「美人は本当に得か」研究の驚くべき結果とは? 男性が、命がけで助られるのは“美人”だけという現実 >で述べたとおり、人間は一般に、口では「自分は見た目で人を判断しない」と言うが、実際の行為はこの言葉を裏切っているものだ。この言葉に反論したいという気持ちを持たれた方は、ぜひ自分自身の行動を観察する自身の観察眼が不十分である可能性について時間をかけて冷静に吟味し、十分な数の客観的な証拠をご準備いただいてから反論なさるほうがよさそうである。
前述の実験に限らず、実際、容貌の魅力度と、何らかの行動変容について調べると、統計的な有意差が出やすいという。すでに多くの研究結果が蓄積されてもいる。
おおむね、外見が魅力的な者がそうではない者よりも好まれ、対人関係上、好意的な扱いを受ける、という結果になっている。
またこのことが自己成就予言的な機能を果たし、容姿の魅力度の高い者は、そうでない者と比べて、より他人の助力を得やすいことも手伝って、目的を達成しやすくなり、さらに自己肯定感が高まっていくと考察されている。
あの人には見る目がある、という言い回しがある。この言葉は「誉め言葉」であるというのがトリッキーである。普通の人間には見る目がないものだ、という事実が暗黙の前提として厳然と存在するということになる。それを、私たちは半ば自覚的でないながらも認めているということでもある。
教師400人の下した評価
容姿で判断してはならない、が厳密に守られるべきだと考えられている最たる場所の例のひとつは教育現場であろうが、残念ながらそこでも外見の効果は如何なく発揮されているようだ。
アメリカのある小学校で、教師400人に5年生のある生徒の成績表を与えて評価を依頼するというかたちで実験が行われた。実は、そこにはまったく同じ試験の成績、操行、学習態度、出席率が記入されているのだが、貼ってある生徒の写真はそれぞれ違い、容姿、性別はばらばらである。驚くべきことに、教師たちは容姿のよい子のほうが頭がよく、友だちも多く、人気があるとして評点をつけたのである。
実際に、容姿のよい子は本当にいい成績をつけられてしまうことが多いこともわかっている。生徒の評価に主観的な要素が入る評点と、シンプルにテストの結果だけに基づいた評点とでは、成績に乖離が生じてしまうという。
これらの研究結果を信頼するなら、米国型のAO入試を採用する際には、容姿による選抜の要素が入ってしまうことを考慮しておくべきかもしれない。日本でも同方式で入試を行う大学が増えているが、AO入試では容姿の効果が無視できないため、容姿はよいものの実力のともなわない学生を、従来より多く合格させることになるだろう。
念のためだが、それがよいか悪いかについては特にここでは問題にするつもりはなく、私はどちらでもよいと考えている。が、多くの読者がどう感じるかについては興味がある。おそらく、正しくないと感じる人が相当数出るのではないか。自らも相手の容姿によって無自覚に態度を決定しているという現実は、そのとき省みられることはあるのだろうか。
アーティストも容姿で仕事の評価が変わる
性別によらず、容姿のよい人のほうが頭がよいとみなされやすいというのは、子どもばかりでなく成人に対してもそうであることがわかっている。女性よりも男性で容姿のよい人に対してその傾向が顕著である。
画家、アーティストなど、基準のはっきりしない職業についている人に対しては特に、容姿がよいほどその仕事が高く評価されるという結果が出ている。そして、容姿のよさは仕事のできがよくないときにその不足分を補う役割を果たすが、仕事のできがよいときにもより多くの称賛をもたらすということもわかった。
前項で再犯率と整形手術について述べたが、容姿のよい人は情状酌量されやすいということも明らかにされている。
7歳の子どもが犬の尻尾を踏んづけた、もしくは他の子どもの頭に雪玉を投げつけたと仮定して、これらの行為を容姿のよい子がした場合には、大人たちは、「その子はその日何か不愉快なことがあったのだ」「何かそんなことをさせてしまう事情があったのだろう」と理解を示した。さらには、その子がそんなことをするのははじめてで、「もう二度とこんなことはしないだろう」と好意的に考えた。一方、容姿のよくない子の場合は、「この子はゆくゆくは非行に走るだろう」などと冷ややかな目で見られてしまったのである。
もちろん、子どもに対してばかりでなく、大人に対しても同様である。容姿のよい人は、万引きから凶悪犯罪まで、どんな悪行を犯したとしても「何か事情があったのだ」「もう二度とこんなことはしないだろう」と思ってもらいやすい。もちろん、嫌疑をかけられることも少なく、取り調べを受けても、告訴されて有罪になる率はより少ない。警察官も弁護士も裁判官も人間である。時には客観的な事実を覆い隠してしまう容姿の効果がどれほど大きいものか、ご理解いただけるだろうか。
まったく同じ成績表を見ていながら、教師たる人々が、生徒の容姿によって異なった評点をつけてしまった実験と同じことが現実に起きているのである。容姿をよりよく整形された囚人たちは、釈放されたのち、自分たちに向けられる目が収監前とは異なることにおそらく気づいただろう。
中野 信子(脳科学者)

園田寿甲南大学名誉教授、弁護士
5/12(日) 9:31 2024
(c) sonoda
はじめに
子どもに対する性犯罪を予防するために、性犯罪前科で人を選別し、教育や保育の現場での就業を制限しようとする「日本版DBS」の国会審議が始まっている。
子どもに対する性犯罪の卑劣さ、被害の重大さは言うまでもないことであるが、それを予防するための「日本版DBS」はいわば劇薬のようなもので、その副作用はどこまで広がるか分からない。そんな怖ろしい法案である。以下、いくつかの問題点を指摘しておきたい。
犯罪が起きないような環境づくりこそが重要
教育や保育の現場で起こっている性犯罪の圧倒的大多数は、実は前科のない「初犯」である。前科がないから、DBSは使いようがない。
前科情報はもっとも慎重かつ厳格に国が管理してきた個人情報であるが、その縛りを解いて民間に流し、それを犯罪予防に使おうという発想じたいに、許容しがたい無理がある。
そこで、対象を広げて、前科がつかない少年時代の性犯罪や成人であっても示談などで不起訴になった事案も対象に含めるべきであるという意見がすでに出されていて、(予想どおりだが)止めどなく悪い方向に向かっている。むしろ、初犯や再犯にかかわらず、犯罪が起きないような環境づくりこそが重要であって、ここに社会の知恵を絞るべきである。
今問題なく働いている人も職場を追われる
この制度は、今働いている人たちにも適用がある。この点も重大だ。
過去に過ちを犯したものの、治療を受けたり、また本人も努力したりして、何年も問題を起こさず真面目に働いている人もいるだろう。にもかかわらず「日本版DBS」は、その人の過去を詮索し、ほじくり返して職場から排除しようとする制度である。
刑法では禁錮刑(拘禁刑)以上の執行後10年、罰金や執行猶予の場合は5年で「刑が消滅」する。つまり前科がリセットされ、刑の言渡しがなかったことになる(刑法第34条の2)。
だれでも不本意ながら恥とスティグマ(烙印)を抱えて生きているが、中でも前科はもっとも生きづらさの原因になるスティグマの一つであり、人生のやり直しを難しくする。刑法は、一度罪を犯して躓いた者に更生のチャンスを与えるために、このスティグマを消すのである。
しかし法案は、この刑罰制度の根幹を軽んじて、禁錮刑以上の重い場合は執行後20年前まで、軽い犯罪で罰金刑の場合や執行猶予の場合は10年前まで遡って前科(前歴)情報を照会し、利用できることにしている。
かりに10年前に事件を起こして罰金刑に処せられたが、その後反省して何も問題を起こさず真面目に働いている人もいるだろう。そのどこに「危険性」があるのだろうか。
更生に向けて努力するのは本人だけではない。家族や友人、周囲の人びと、あるいは官民で犯罪者の更生保護に携わっている人びとがいる。一度躓いた人たちの社会復帰を支え、社会へ後押しする、これら関係者の献身的な努力を法案はどのように評価しているのであろうか。
無実の人にも前科は残っている
えん罪の問題も無視できない。法案では、都道府県の迷惑防止条例違反、とくに痴漢などの前科も対象になっている。
通勤通学途中などで痴漢に間違われ、無実なのに、しぶしぶ示談に応じたり、罰金を支払うケースなどが、実態としてどれくらいあるかは分からないが、大きな社会問題になっているほどである。この人たちにも「前科」は残っている。しかも、異議申し立てはできず、かりにできたとしてもどのような資料(証拠)にもとづいて、だれに向かって、どのように無実を証明すればよいのか。
教育現場で働いている人は約140万人ほどいるといわれているが、DBSが実施されれば現場はパニックになるだろう。もしも前科が発覚すれば、そのまま働き続けることはできなくなる。二重三重にもスティグマが押されることになる。本人はもとより、家族や友人、職場、地域社会は大混乱になるだろう。
結語
法案が成立すれば、さらに職域が拡大されるおそれもある。それが社会全体に及ぼす影響は、想像以上に大きいだろう。
何度でもいうが、重要なことは、初犯や再犯に関係なく、犯罪を行いにくい環境をどのようにつくるのかということである。過去の前科情報に頼り、それに基づいて人の選別を行なう犯罪予防策は、刑事政策的にも間違っている。
「日本版DBS」は、真実の石に刻まれた言葉ではない。百害あって一利なしである。(了)