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「東大卒の天皇陛下」にこだわる必要があるのか…悠仁さまの「大学進学論争」に学習院OG抱く"強烈な違和感"

2024年09月16日 13時05分18秒 | 皇室のこと








「東大卒の天皇陛下」にこだわる必要があるのか…悠仁さまの「大学進学論争」に学習院OG抱く"強烈な違和感"





8/3(土) 8:17配信



プレジデントオンライン
全国高校総合体育大会(高校総体)の自転車競技を観戦される秋篠宮ご夫妻=2024年7月26日、福岡県北九州市の北九州メディアドーム[代表撮影] - 写真=時事通信フォト


■相次いで報じられる「東大推薦入学」に思うこと


 秋篠宮家の悠仁さまが筑波大附属高3年となられ、大学の進学先に注目が集まっています。お母様の紀子さまが東大への推薦入試に熱心でらっしゃるとされ、さまざまな意見が国民の間から出ています。


【写真】学習院大学正門


 ですが学習院出身の私は思います。東大推薦入学を狙うより、海外の名門大学を目指されたほうがよろしいのでは、と。


 これは学習院で紀子さまの1年後輩、秋篠宮さまの2年後輩に当たり、『学習院女子と皇室』(新潮新書、2023)を書いた私から、僭越ながら紀子さまへのお手紙です。


■「国母」としての責任感


 紀子さまは学習院が「お好き」~女子中・高等科に下賜された「御歌」


 紀子さま、私は学習院女子中・高等科および大学と、あなた様の1年後輩におりました。学内では福祉活動に従事する厚生委員会に所属され、微笑みを絶やさず共同募金の呼びかけをされていたお姿を覚えています。


 学習院大学で私は、法学部政治学科に進み、同じ学科の秋篠宮さま(当時は礼宮さま)の2年後輩であり、お二人が所属していらしたサークル「自然文化研究会」のご様子も垣間見ておりました。学習院生にとって皇族方は学内でよくお見かけする身近な存在で、当時は天皇陛下(当時は浩宮さま)のお姿もよく拝見しました。


 「キャンパスの恋」を実らせて紀子さまは幸せな結婚をされ、眞子さま、佳子さまとお二人の内親王に恵まれたご一家のご様子は、報道を通じてお見かけするだけになりましたが、紀子さまはお幸せそうに見えました。


 それが変わられてきたのは、悠仁さまがお生まれになってからでしょうか。未来の天皇をお育てになる「国母」としての責任感を持たれたのでしょう。大変な重責、プレッシャーであろうとご推察申し上げます。


■「学習院に進むべき」とは思わないけれど…


 ただ私には、その重責がなぜ「東大」に結びつくのかがよく分からないのです。さまざまな国民の声を振り切って、推薦入学に邁進されているように見えますが、これは何のためなのでしょうか。


 悠仁さまが過去の皇族方の慣例を破り、学習院に進学されなかったのは、それほどおかしなことではありません。戦前の学習院は宮内省の傘下にあり、皇族の進学が義務付けられていました。


 ですが戦後は一般の私立学校となり、皇族に進学の義務はなくなりました。それでも皇族が学習院に進む慣習は残っていたわけですが、悠仁さまのこれまでの進路は、それを破った「英断」でもありました。


 もしかしたら、秋篠宮さまのお決めになったことでしたでしょうか。私は紀子さまご自身が、今も学習院を「お好き」で、大切にしていらっしゃると信じています。学習院女子中・高等科の施設内で私は、紀子さまが下賜された和歌が掲示されているのを拝見しました。


 一般の方が入れない場所ですので詳細は申し上げませんが、色紙に達筆な毛筆で書かれた、女性皇族らしい目線でお謡いになられた内容に感銘を受けました。


■学習院と雅子さまのご縁


 そして学習院大学において、実は皇后の雅子さまも深いご縁があったことはご存じでしょうか。


 1986~87年頃、私が在籍していた法学部の国際法の教授(故人)が、東大法学部在学中だった雅子さま(当時は小和田雅子さん)をお招きした学生向けの講演会があったのです。


 文学部でいらした紀子さまはご存じなかったかもしれませんが、教授が雅子さまのお父様で、外交官でいらした小和田恒氏と親しく、雅子さまをご幼少時から見てこられた、というご縁からでした。会場は国際関係の仕事を志す学生たちでいっぱいでした。


 雅子さまは当時、外務省入省が決まったばかりでした。聞けば米国の著名なアイビーリーグの大学複数に合格され、その中からハーバード大を選び、国際経済学を学ばれ、卒論が優等賞を得るほど優秀な成績でご卒業。外交官を目指すために東大3年次に編入されました。この編入試験も相当な倍率だったと伺います。


 そして外交官試験に合格。ちょうど男女雇用機会均等法が施行された時期でもあり、雅子さまは美人でバリバリのキャリアウーマン、外交官としての将来を語られるお姿には、眩しい位の存在感がありました。


 私たち学生の拙い質問に分かり易く答えて下さり「本当に優秀な女性は違うなあ」と感じたことを覚えています。


■彬子さまとオックスフォード大学「博士号」


 そして三笠宮家の彬子さまは、学習院大学文学部在学中に交換留学でオックスフォード大学に留学され、大学卒業後に再度渡英、大英博物館における日本美術の研究のために5年間を費やし、博士号を取得されました。


 その手記『赤と青のガウン』(PHP文庫)を拝読しますと、海外で日本のように護衛がつかない中、一人で生活を切り盛りし、少しずつ研究の道を切り拓かれていかれた様子がユーモア溢れる筆致で描かれ、読者をひきつけます。

 ネット上で話題になったことによる復刊だそうですが、女性皇族による瑞々しい青春の記録は、多くの人々の共感を呼び、ベストセラーとなっているのはご存じのとおりです。


 彬子さまが留学記を書かれたのは、本書によれば寛仁親王のご指示だったそうです。


 当初は修士を取るための2年間の留学予定が、指導教授の勧めにより博士号取得の5年間に延ばすにあたり、「長期間海外に出て公務をしない以上、それを支えてくださった国民の皆さまに対して、皇族としてきちんとその成果を報告する義務があると考えておられた」(本書から)ことでお許しを頂けたそうです。寛仁親王ご自身もオックスフォード大に留学され、その手記を出版されていた、というご縁もあったのでしょう。


 結果として『赤と青のガウン』を通じ、国民は皇族を身近な存在に感じ、そのイメージを大きくアップされることになったのは間違いありません。


 彬子さまは現在、大学で教鞭を取られながら公務に励まれており、ご留学の成果を存分に発揮されておられます。


■東大ではなく、海外の大学を検討されてはいかがか


 つらつらと書いて参りましたが、申し上げたいのは、悠仁さまには東大ではなく、海外の大学を目指されるという選択肢もおありではないか、ということです。


 雅子さまのキャリアと比較するのは酷かとは思います。ですが東大は、やはり明治時代の旧帝大時代までさかのぼれば、近代国家を創るための人材、官僚を中心に要請する大学だったルーツがあり、雅子さまは外交官試験を受けるために編入されました。


 今は多岐にわたる学びが得られる名門大学ですが、果たして悠仁さまはそこで何を学び、そこで得た知識何に生かそうとされておられるのでしょうか。研究者との共著で書かれたという「トンボ論文」の今後は、東大でなければならない学びなのでしょうか。


 「トンボ論文」は素晴らしい実績ですが、皇族でいらしたからこそ成しえた「特権」ではないでしょうか。一般人が立ち入れない赤坂御用地で、研究者を2人も従え、学術雑誌に掲載もされましたが、普通の高校生にはまず出せない実績でしょう。


 果たしてお一人の力でどこまで貢献されたのか。おそらく推薦入試で面接があるならば、担当教授はどこまでがご本人の貢献によるものなのか、すぐに見抜いてしまうでしょう。


■皇族の「特権」と見られても仕方がない


 そもそも入試は試験であれ推薦であれ、個人の力で挑むものです。近年は裕福な家庭の子女ほど教育にお金をかけ、推薦入試でも家族ぐるみでスポーツや音楽など課外活動の実績作りに励む、という家庭も多くみられます。


 いっぽう金銭的に余裕がない家庭の子女は不利という状況も生まれてしまいます。


 こうした生徒たちは国公立大を目指すのが一般的です。私は、貧しい母子家庭で苦学して東大に入学し、奨学金を得てアルバイトで生活費を稼いで卒業、今は社会人として成功している卒業生を知っています。


 できればそうした志願者、そして普通の家庭からも来る志願者たちの入学機会を「特権」を使うことで奪わないでいただきたい、と失礼ながら考えてしまいます。入試には定員があり、1人が入れば誰かが落ちてしまうからです。


■静かな環境で学ぶことの重要性


 そして海外の大学です。雅子さまはハーバード大ご卒業、彬子さまはオックスフォード大博士です。


 最近では進学校から海外の大学に進学する生徒たちも増えつつあります。『赤と青のガウン』によれば、彬子さまは英国では、日本のように常に誰かが傍にいる、という生活ではなく、基本的に研究、自炊や旅行の手配など全てお一人でされておられました。女王殿下と将来の天皇である親王殿下は違うかもしれませんが、海外では国際性を身に付けるとともに一人で物事を行う自立心が養われるように思います。そうした環境にこそ、悠仁さまは置かれるべきではないのでしょうか。


 おりしも天皇・皇后両陛下が英国をご訪問されたばかりです。もし英国の名門大に進まれたら「ウィンザー城構内に生息するトンボ研究」といった、日本の皇族の悠仁さまにしかできそうにない研究も、実現するかもしれません。米国ならば「ホワイトハウス敷地内に生息するトンボ研究」でしょうか。彬子さまのように、英語で、独力で論文を書かれるのならば、真に立派な成果となるでしょう。


■悠仁さまのお気持ちを、どうか大切にしてほしい


 そして、もしかしたら海外の大学の方が「入り易い」という側面があるかもしれません。「海外の大学入試の方が、学力そのものより個人の成果を見てくれる。“未来の天皇”である悠仁さまならば、どこでも入れるのでは」(米アイビーリーグ大学の卒業生)といった見方もあります。私が客員研究員として在籍していた米コロンビア大学には「世界各国の王族や有力者、政治家の子女が在籍している」という未確認の噂がたくさんありました。ですから、この卒業生の言うことも一理あるのかもしれません。


 上記のことから、悠仁さまに海外の大学に進むという選択肢はあるような気がするのです。


 来年ご入学にはもう準備が間に合わないかもしれません。ですが再来年に挑戦することでもよいのではないでしょうか。できればその場合、寛仁親王が彬子さまに仰ったように「それを支えてくださった国民の皆さまに対して、皇族としてきちんとその成果を報告する義務がある」と思います。


 何も無理をして東大にこだわる必要はありません。視野を広くお持ちになり、悠仁さまが何をされたいのか、その成果を国民にどう報告し、還元されるかをお考えになって頂くのが「国母」のお役目と私は考えています。






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藤澤 志穂子(ふじさわ・しほこ)
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員
昭和女子大学現代ビジネス研究所研究員。元全国紙経済記者。早稲田大学大学院文学研究科演劇専攻中退。米コロンビア大学大学院客員研究員、放送大学非常勤講師(メディア論)、秋田テレビ(フジテレビ系)コメンテーターなどを歴任。著書に『出世と肩書』(新潮新書)『釣りキチ三平の夢 矢口高雄外伝』(世界文化社) がある。
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国民は悠仁天皇より愛子天皇を望んでいる…宗教学者「日本社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか」

2024年09月10日 15時05分04秒 | 皇室のこと


国民は悠仁天皇より愛子天皇を望んでいる…宗教学者「日本社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか」



8/25(日) 9:17配信







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プレジデントオンライン
上皇ご夫妻への新年のあいさつのため、仙洞御所に入られる天皇、皇后両陛下の長女愛子さま=2024年1月1日午後、東京・元赤坂(代表撮影) - 写真提供=共同通信社


愛子内親王への注目が高まっているのはなぜか。宗教学者の島田裕巳さんは「室町時代の公卿・一条兼良が現代にあらわれれば、『愛子天皇』待望論を声高に主張したに違いない。愛子内親王には国民をひきつける天性のカリスマ性がある」という――。


【写真】神功皇后〔一猛斎芳虎(歌川芳虎)作〕


■秋篠宮家に対する根強い不信感


 2023年6月に、小林よしのり氏が『愛子天皇論 ゴーマニズム宣言SPECIAL』(扶桑社)を刊行して以来、愛子天皇待望論が活況を呈している。


 しかも、今年度前半のNHK朝ドラ「虎に翼」は、日本の歴史上はじめて法曹界に入った女性が主人公のドラマであり、そこでは、男女の平等をうたった憲法第14条がクローズアップされている。『愛子天皇論』でも、男系男子しか認めない現在の皇位継承のシステムが女性差別だと糾弾されている。


 小林氏は、男系男子の継承にこだわる保守派は、80パーセントが女性・女系天皇を容認する国民の声を無視しており、このままでいけば、皇室制度そのものの存続が難しくなると警告している。


 もう一つ、愛子天皇待望論が盛り上がる背景には、現在、皇嗣(こうし)(皇位継承順位第1位の皇族)と位置づけられている秋篠宮とその一家に対する根強い不信感がある。いったいどれだけの国民が、そうした感覚を抱いているかは定かではないが、週刊誌などでは、秋篠宮家を批判する記事が数多く掲載されてきた。


 現時点で、次の天皇になる可能性が高いのは秋篠宮家の悠仁親王である。秋篠宮家の即位を好まない人たちが愛子天皇を待望している面もある。


■史実に見る皇位継承の危機


 実際、皇室制度が危機に瀕していることは間違いない。


 先の天皇が高齢であることを理由に譲位したことで、現在の天皇が即位したわけだが、59歳での即位は、歴代の天皇のなかで第2位にあたる高齢である。第1位は770年、62歳で即位した光仁天皇で、平安京遷都を実現した桓武天皇の父にあたる。


 なぜ光仁天皇がそれほどの高齢で即位したかといえば、先代の称徳天皇が女帝で、後継者を定めないまま亡くなってしまったからである。


 称徳天皇は寵愛した僧侶の道鏡を次の天皇にしようとしたとも言われるが、天皇が亡くなった後、道鏡は左遷され、その野望はついえた。そこで、称徳天皇と男系では8親等も離れた光仁天皇に白羽の矢が立った。このときも、皇位継承は危機的な状況にあったと言える。


 現状において皇位継承の資格を有するのは、皇嗣の秋篠宮、その息子である悠仁親王、そして、上皇の弟である常陸宮しかいない。常陸宮は88歳で、天皇に即位する可能性はほとんどない。今上天皇と秋篠宮は5歳しか離れておらず、現在の上皇のように高齢で譲位して、秋篠宮が天皇に即位しても、その在位期間はそれほど長くは続かないはずだ。その点では、悠仁親王しか、実質的な皇位継承の資格者はいないことになる。




■非現実的になる男性の皇位継承者


 男性の皇族自体、皇位継承者の3人と現在の天皇を含め4人しかいない。新たに男性の皇族が誕生するとしたら、悠仁親王が結婚し、男子をもうけたときに限られる。


 果たして悠仁親王と結婚する女性は現れるのだろうか。それはかなりハードルが高いのではないか。


 現在の皇后が、精神的に長く苦しんできたという事実もある。天皇になる皇族と結婚することは重大な決断を要するし、家族や親族は、それを簡単には許さないだろう。


 なにしろ、「小室さん」をめぐる騒動があった。皇室とかかわれば、どれだけの誹謗(ひぼう)中傷を受けるか分からない。そう簡単に、悠仁親王の結婚相手が現れるとも思えない。結婚がかなったとしても、そこに男子が生まれる保障もまったくないのである。


■華族制度廃止と近代意識がもたらした危機


 実は、皇位継承が危ぶまれる事態が訪れるのは必然的なことである。近代の日本社会は、その方向に動いてきたからである。


 最初は、岩倉具視が「万世一系」というとらえ方を打ち出したことで、それをもとに、旧皇室典範では、男子しか天皇になれないと定められ、併せて養子が禁止された。ここで女性天皇が封じられてしまったのだ。


 戦後になると、華族制度が廃止された。これは、憲法第14条が社会的身分又は門地による差別を禁じたからである。華族が「皇室の藩塀(はんぺい)」と呼ばれたのは、皇族に対する結婚相手の供給源になっていたからで、側室も華族の子女だった。


 また戦後は、旧皇族が皇籍を離脱し、皇族の数は一挙に減少した。新しい皇室典範では、皇位継承は嫡出の男子に限定され、庶子はそこから排除された。つまり、側室が認められなくなったのだ。


 戦後は、復員という流れもあり、ベビーブームが訪れた。人口は増え続け、むしろ、それをいかに抑制するかが課題になった。その時代には、将来において深刻な少子化が起こるとは、誰も予想しなかった。


 しかし、社会全体で考えれば、農家や商家といった家の重要性が低下し、家を継承していかなければならないという感覚自体が希薄になった。天皇家の存続が危うくなるのも、そうした社会の変化と関係する。


■愛子内親王の天性のカリスマ性


 こうした状況のなか、国会ではこの点については議論され、皇族女子を結婚後も皇室に残す案(いわゆる女性宮家)と、旧皇族の男系男子を養子縁組で皇籍に復帰させる案が出されているものの、いずれも有効な策とは思えない。それに、これはあくまで皇族の数の確保であり、皇位継承の安定化に直接結びつくものではない。


 もちろん、愛子天皇が誕生したからといって、それがそのまま皇位の安定的な継承に結びつくわけではない。それでも、小林氏などが、愛子天皇待望論を展開するのは、秋篠宮家に対する不信の念があるとともに、愛子内親王が、悠仁親王のように天皇の傍流ではなく、直系だからである。


 ただ、先代の直系であることが、これまでの天皇の必須の条件になってきたわけではなく、光仁天皇のように傍系の即位はいくらでもあった。


 それでも、愛子天皇待望論が主張されるのは、カリスマ性の問題がかかわっているからではないだろうか。


 現代はポピュリズムの時代であり、天皇には、国民をひきつけるだけの魅力が求められる。


 人をひきつける能力は、カリスマ性とも言えるし、スター性と言うことができるが、それは天性のものである。たんにその地位にあるからといって、カリスマ性が発揮されるわけではない。悠仁親王からは、そうしたカリスマ性を感じられないが、愛子内親王にはそれがある。それこそが、国民の一致した見方ではないだろうか。


■日本の国は「女の治め侍るべき国なり」


 しかもそこには、女性であることが深くかかわっている。


 平成の時代に、象徴天皇制が国民のあいだに深く浸透していくにあたって、美智子上皇后の果たした役割は大きい。現在の雅子皇后も、それに近い役割を果たしてきた。愛子内親王がこの二人の血を受け継いでいることが、そのカリスマ性を高めることに貢献している。


 天皇はむしろ女性であるべきだという議論は、実は過去にあった。


 それを主張したのが、室町時代に摂政関白をつとめた一条兼良である。


 兼良は、日本の国は「女の治め侍るべき国なり」と主張し、その根拠として天照大神のことと、神功皇后のことを挙げていた。


 天皇家の祖神とされる天照大神は女神である。『日本書紀』では、神功皇后に1巻が割かれているのだが、それも摂政であった期間が69年にも及んだからである。大正時代になるまで、神功皇后は第15代の神功天皇とされていた。


 兼良が現代にあらわれれば、愛子天皇待望論を声高に主張したに違いない。


 そのとき、日本の社会は皇室典範の改正に踏み込めるのか。さらには、将来の天皇不在を見通し、憲法を改正して共和制に移行できるのか。


 それこそ、これまで果たせなかった民主主義の革命となるはずだ。


 兼良の時代に、日本が女性の治める国になっていたとしたら、その後の日本の歴史は大きく変わっていたのではないだろうか。愛子天皇の登場も、日本の歴史を変えていくかもしれないのだ。






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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。
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反対署名が1万2000筆超…なぜ悠仁さまの「東大推薦入学説」に逆風が吹くのか 専門家が明かす「学習院の特別扱い」との決定的な違い

2024年08月30日 20時08分54秒 | 皇室のこと





反対署名が1万2000筆超…なぜ悠仁さまの「東大推薦入学説」に逆風が吹くのか 専門家が明かす「学習院の特別扱い」との決定的な違い
8/30(金) 11:12配信




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デイリー新潮
9月6日に18歳となり、ご成年を迎えられる悠仁さま


 秋篠宮家の長男・悠仁さまは、どこの大学に進学されるのが皇族の伝統に照らし合わせてふさわしいのだろうか──。この点を巡って今、ネット上では広範な議論が巻き起こっている。何しろ「未来の天皇陛下たる悠仁さまが東大に、しかも推薦入試で進学されるべきではない」という署名活動も行われたほどなのだ。


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 ***


 悠仁さまは2006年9月にお生まれになり、現在は17歳の高校3年生。全国屈指の進学高として知られる筑波大学附属高校に通われている。担当記者が言う。


「筑波大学付属高校は東京大学へ進学する生徒が多いことでも知られています。悠仁さまは大学進学を間近に迎えているということもあり、これまでに様々な大学が候補として報じられてきました。そして最近になって『悠仁さまは推薦制度を使って東京大学の農学部に進まれるのではないか』という報道が目立つようになったのです」


 当然ながら、これが普通の高校生の話なら何の問題もない。だが悠仁さまとなると話は別だ。何しろ現状のままであれば、悠仁さまが皇位を継承される可能性は高い。そして、上皇さまも天皇陛下も、そして秋篠宮さまも学習院大学に進まれた。学習院は明治時代に皇族や華族の子弟に対する教育を目的に、旧宮内省の外局として設置された歴史を持つ。


「たとえ未来の天皇陛下であっても、一般の国民と同じように“自分の進路は自分でお決めできる環境が重要”という意見も決して少なくありません。その一方で、伝統を重視して『悠仁さまは学習院に進まれるべき』とネット上で訴える人も相当な数に達します。さらに『東大に進まれたいのなら、推薦ではなく一般入試を選んでいただきたい』という論調も目立ちます。

皇族の方々には何よりも公正・公平性が求められ、推薦入試の場合は悠仁さまに対する東大側の“忖度”が議論されてしまう危険性があります。たとえ悠仁さまが実力で推薦入試に合格されたとしても、SNSなどで『東大が特別扱いした』と虚偽の投稿が行われる可能性はあります。その際、やはり国民は不信感を抱いてしまうだろうと憂慮する声も多いのです」(同・記者)

東大における「熾烈な競争」
 こうした様々な世論を背景として、「悠仁さまの東大進学はお止めいただきたい」という署名活動さえ行われたというわけだ。この活動はメディア側も詳報を行っている。例えば女性自身の電子版は8月27日、「『象徴天皇制も根底から揺るがす』悠仁さま 東大推薦入学への反対署名が1万2千筆超え…“特別扱い”への強まる逆風」との記事を配信し、活動の詳細を報じた。


「署名活動は8月からインターネット上で行われました。ところが、その主旨を説明する文書の一部に事実誤認や誹謗中傷が含まれていることなどを署名サイト側が指摘し、その事も含めてXなどネット上では話題を集めました。こうした経緯を踏まえ、女性自身は皇室担当記者の《2週間ほどで署名活動は終了しています》とのコメントを掲載しています」(同・記者)


 確かに問題のある箇所も少なくないようだが、中には「その通り」と多くの賛同を集めた文章もある。特に“東大独特の校風”を指摘した部分は話題となり、ネット上で拡散している。その一部をご紹介しよう。


《紀子様とその周囲にいる人間たちが知らないことは、東大に入るまでも激しい競争があるが、東大に入ってからはもっと熾烈な競争が待ち受けているということである》


東大と学習院の違い
《いかに自分が洒脱で頭が良い事をひけらかすことが出来るか。これが東大に入ってから待ち受けている競争である。東大生だ、というプライドは、東大生になるともはや通用しなくなる。なぜなら、周囲にいるのは自分と同じ東大生ばかりになるからである。そこで生じるのは、東大生相互の頭の良さを巡る潰し合いである》


 そしてこの文章は、悠仁さまを《この熾烈な潰し合いの世界に投げ込んでいいのであろうか? 》と疑問を投げかけて終わっている。


「この説明文には様々な意見があるとは思います。とはいえ、やはり今の東大、かつての東京帝大は欧米列強にキャッチアップするため、エリート官僚を養成するための教育機関だったという事実は大きいのではないでしょうか。大日本帝国憲法下なら、天皇陛下の“臣下”を育てるための大学だとも言え、少なくとも“帝王学”とは無縁でした。まして学習院大学の教育姿勢に深刻な問題が指摘されているのなら別ですが、天皇陛下も学習院大学を卒業され、国民の敬愛を集めているのはご存知の通りです」(同・記者)


 実は秋篠宮家の長女、小室眞子さんも学習院ではなくICUを卒業している。次女の佳子さまも学習院大学へ入学されるも中退し、再度、ICUに進まれた。「秋篠宮家は学習院を嫌っておられるのか?」という観点の記事も、一時期は相当な数が配信された。


簡単には消えない伝統
 デイリー新潮も2021年10月25日、「眞子さまがICUではなく学習院大に通われていたなら…日本人の皇室観の揺らぎと密接に関係する問題」との記事を配信した。


 記事では皇室ジャーナリストの神田秀一氏が取材に応じ、「皇族が学習院大学に進学する意味と価値」について分かりやすい解説を行っている。そしてICUを東大に置き換えると、悠仁さまの問題とぴったり合致するのだ。


 しかも神田氏は2006年から15年まで学習院女子大学の非常勤講師を務めていた。皇室記者として“外から見た学習院”だけでなく、内側も把握していたわけだ。それでは記事から、神田氏の指摘をご紹介しよう。


《「改めて申し上げますと、今の学習院は皇族や華族の教育機関ではありません。出願して入試に合格すれば、誰でも入学できます。ただ、私が勤務をスタートさせた時、関係者から『1868年の東京遷都から150年以上が経過しましたが、依然として京都には天皇家がお住まいになっておられた雰囲気が残っていると思います』と言われました。学習院は戦後、一般に開かれたとはいえ、かつての伝統はそう簡単には消えないというわけです」》


 神田氏は「学習院の伝統」を様々な場面で感じ取ったというが、特に印象に残っているのは警備面だという。


「学習院なら起きない不祥事」
《「学習院大学も学習院女子大学も、キャンパスを歩くと『あそこなら私服の警察官が隠れやすいだろうな』という場所がいくつもありました。実際、不審者の情報共有などは徹底していました。皇族が通われたことで対応策が構築され、そのノウハウの積み重ねが、一般の学生を守るために活用されていました」》(同・神田氏)


 学習院大学は危機管理の意識が高い。この一言に尽きるだろう。担当記者のコメントをご紹介する。


《「警察関係者に取材したことがあるのですが、学習院大学のキャンパスはSPの導線が確保されているなど、警備に配慮した設計になっているそうです。一方、19年5月、悠仁さまが通われるお茶の水女子大附属中学校に男が侵入し、悠仁さまの机に刃物を置くという事件が発生しました。発生当初から『学習院なら起きない不祥事』と言われていました」》


 警備という観点からも悠仁さまのお名前が出てくるのは非常に興味深い。それでは再び神田氏の指摘に戻ろう。


《「今の学習院大学に皇族の方は通われておりません。しかし、上皇さまや天皇陛下が学ばれた記憶を持つ職員は健在ですし、そのことについては教授も学生に、ことあるごとに言及しています。伝統は簡単に消えないだけでなく、学習院の中で伝統を残していこうという意識も高いのです」》(同・神田氏)


伝統の力
 神田氏は記者として、学習院の初等科を取材した経験も持つ。その際、在学中の皇族への対応が強く印象に残ったという。


《「皇族の方が登校されると、さりげない雰囲気ではあるのですが、校長や教頭がお出迎えに出るのです。普通の児童には、そのような“特別待遇”は行われませんでした。これ見よがしのVIP待遇ではないものの、全ての児童を平等に扱うわけでもないことが垣間見えました。そのさじ加減というのが絶妙で、『なるほどこれが伝統の力か』と感心したことがあります」》


 伝統を守っていただきたいという国民の願いは聞き入れられるのだろうか──? 


デイリー新潮編集部
















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「大学側に不合格にする選択肢はない」悠仁さまの進学先、大本命は紀子さま悲願の「東大農学部」か 

2024年08月30日 11時05分17秒 | 皇室のこと



悠仁さまの進学先、大本命は紀子さま悲願の「東大農学部」か 
「大学側に不合格にする選択肢はない」
(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース 






悠仁さまの進学先、大本命は紀子さま悲願の「東大農学部」か 「大学側に不合格にする選択肢はない」

8/7(水) 11:41配信




デイリー新潮
東大農学部が大本命か
悠仁さま


 秋篠宮家の長男・悠仁さま(17)は現在、高校生活最後の夏休みのただ中にあられる。受験生ながら先日は地方ご公務にご臨席、ほどなく「国際学会デビュー」も控えており、来月には晴れて成年を迎えられる。そんな中、いよいよ東大合格への“お膳立て”も整って──。


【独占入手 写真46枚】「パーティーにお出かけ?」色気あふれるドレッシーな眞子さんと、笑顔で手をつなぐ圭さん 小室夫妻のNY生活の現在の様子を見る


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 肝心の進学先としては目下、紀子妃が切望なさっているという東大をはじめ、筑波大や京大、またご自身の関心分野から東京農大や玉川大といった名も挙がっている。


 その中でも、


「悠仁さまは、東大が2016年度から実施している『学校推薦型選抜』を活用なさり、農学部を目指されるとみられています」


 とは、大学受験に詳しいジャーナリストである。この推薦入試は、高校の課外活動などで優れた実績を有する生徒を総合的に評価するもので、教養課程(2年間)を経て進学する3年次以降の学部を、あらかじめ指定して出願する。東大は先月中旬、25年度の募集要項を発表。それによれば、


「出願は11月6日に締め切られ、提出書類による第1次選考の結果は12月2日に発表されます。通過者は、同月中旬に面接試験に臨みます」(同)


国際学会デビューも間近
 年明け1月18日から2日間は大学入学共通テストが実施され、推薦出願者にも1000点満点の試験が課されている。最終合格発表は、来年2月12日の予定である。


「農学部は受験生に対し、『研究成果あるいは論文』『活動実績等の資料』『各種コンテスト参加者はその成績』のうち、少なくとも一つの提出を求めています。実際の願書には、志望理由や自己の将来像などを800字程度で記すほか、学内での成果や学外での顕著な活動などの記録を示す欄がある。そこでは、論文や学会での発表、そして農業実体験や国際会議への参加記録をアピールすることもできるのです」(同)


 この点、悠仁さまには強いアピール材料がある。というのも、


「悠仁さまは昨年11月、赤坂御用地に生息するトンボの生態をまとめられた論文を、国立科学博物館の研究主幹らとの共同執筆で発表なさっています。また今月25日から京都で開かれる『第27回国際昆虫学会議』でも、『皇居の動物相モニタリング調査』という研究をポスター形式で発表なさるご予定なのです」(宮内庁担当記者)


 さらには、


「幼少時から農業に親しまれてきた悠仁さまは、お住まいの宮邸の庭で稲作や野菜作りを続けておられます。昨年4月には、熊本県の山里で焼き畑農業も体験されました」(同)



「不合格にする選択肢はない」
 とはいえ、一流の学者との論文執筆や国際学会への参加など、一般的な高校生にはおよそ縁遠い世界である。精神科医で受験アドバイザーの和田秀樹氏が言う。


「学校推薦型入試は高校の先生の評価も加味されます。内申書には学力だけでなく、学習意欲や態度といった先生の主観も反映され、特に悠仁さまのようなお立場であれば、高校側は配慮せざるを得ない。ご本人が希望なされば高校は推薦するでしょうし、大学側にとっても、不合格にするという選択肢はないのです



 論文執筆に豊かな農業体験、加えて“決定打”となる月末の国際学会デビュー。東大への道のりは、この夏で十分整ったといえよう。8月8日発売の「週刊新潮」では、秋篠宮家への逆風がいっそう吹き荒れそうな、新たな“火種”についても詳しく報じている。


「週刊新潮」2024年8月15・22日号 掲載







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「象徴天皇制も根底から揺るがす」悠仁さま 東大推薦入学への反対署名が1万2千筆超え…“特別扱い”への強まる逆風(女性自身)

2024年08月29日 22時06分37秒 | 皇室のこと
>本誌編集部に分厚い封筒が郵送されてきたのは、8月中旬のことだった。中には《悠仁様が東大の推薦入試を悪用し、将来の天皇として「特別扱い」で入学されることは、象徴天皇制を根底から揺るがすこととなるため反対します》という見出しの、署名を求める運動についての日本語と英文による概要が入っていた。

>静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。
「東大推薦入試に反対する署名活動が始まっていたことについては、“ここまで来てしまったのか”というのが率直な感想です。



「象徴天皇制も根底から揺るがす」悠仁さま 東大推薦入学への反対署名が1万2千筆超え…“特別扱い”への強まる逆風(女性自身) - Yahoo!ニュース 








「象徴天皇制も根底から揺るがす」悠仁さま 東大推薦入学への反対署名が1万2千筆超え…“特別扱い”への強まる逆風
8/27(火) 6:00配信




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女性自身
8月中旬、ご友人たちとお話しされた直後は、輝くような笑顔をお見せになった悠仁さま/Copyright (C) 2024 Kobunsha Co.,Ltd. All Rights Reserved.


東京都内にある筑波大学附属高等学校の校門から出てきた3人の男子生徒たち。そのなかのお一人が、秋篠宮家の長男・悠仁さまだった。


【写真あり】8月中旬、ご友人たちと別れた後、物憂げな表情で送迎車に向かわれる悠仁さま


“表情に乏しい”などとSNSに声が上がることもある悠仁さまだが、ご友人たちには、いきいきとした笑顔を見せながら、積極的に話しかけられていたのが印象的だった。


だが交差点でご友人たちと別れて、付近で待機している送迎車に向かって歩きだすと、みるみるうちに笑みが消え、物憂げなご表情に……。


本誌が、悠仁さまのご様子をお見かけしたのは8月中旬のこと。実はこのとき、悠仁さまはあるお悩みを抱えていらしたのだ。


「8月25日、秋篠宮さまと紀子さまは京都を訪問し、『第27回国際昆虫学会議』の開会式に臨席されました。世界中から昆虫学者が集い、4年に1度開催されることから、“昆虫学者のオリンピック”とも呼ばれており、日本で開催されるのは44年ぶりです。


しかしこの会議が日本で注目されることになったのは、会議の重要性もさることながら、悠仁さまと共同研究者たちの研究成果が26日に“ポスター発表”という形式で発表されるためでした。宮内庁内では『秋篠宮ご夫妻も京都で1泊されて、翌日の悠仁さまの晴れ舞台をご覧になるのではないか』という見方もあったのです」(皇室担当記者)


だが結局、秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、その日のうちに帰京された。


「悠仁さまは主催者側の招待を受けて私的に参加されました。しかし開会式では、秋篠宮ご夫妻とは同席されず、会場の客席に座られたのです。開会式後、悠仁さまは秋篠宮ご夫妻とともに、ポスターの展示会場に足を運ばれ、ドイツの研究者からトンボのはねについての説明を受けられたりしました。


しかし、こうした形に落ち着くまでには、紆余曲折があったようです。宮内記者会も事前に悠仁さまの学会へのお出ましについて確認しようとしたのですが、皇嗣職も言葉を濁すばかりだったのです。悠仁さまの開会式へのお出ましを皇嗣職がようやく認めたのは、わずか3日前のことでした」(前出・皇室担当記者)

編集部送られてきた分厚い封筒の中には……
高校3年生で世界的な学会にご参加という快挙でありながら、皇嗣職が悠仁さまの京都ご訪問の有無すら明かそうとしなかった背景について、前出の皇室担当記者はこう続ける。


「たとえば8月8日発売の『週刊新潮』が、《「余裕の地方ご公務」「国際学会デビュー」 夏休み“大人のお膳立て”で整った悠仁さま「東大合格」》というタイトルの記事を掲載しています。昨年11月の共同執筆による初めての学術論文発表について、東京大学の『学校推薦型選抜』のための実績作りではないか、という声が上がるようにもなりました。


そうした声は、今回の国際的な学会へのご参加や、ご両親も臨席されることなどが判明したことでより強まったのです。


国際昆虫学会議の組織委員会の委員長を務めているのは、玉川大学学術研究所所長の小野正人教授で、秋篠宮さまとは古くから交流があります。また、今年4月に悠仁さまが玉川大学の研究施設を見学された際には、ご案内役を務めています。そういったことからも、“東大ご入学へのシナリオができあがっているのでは”という疑問を抱いている人がいるのでしょう。


宮内庁内にも、『悠仁さまの大学ご進学のために、秋篠宮さまと紀子さまは、そこまでゴリ押しされるのか』と嘆息する職員がいます。皇嗣職も批判が強まることを恐れて、公表を渋っていたのでしょうか……」


そんななか本誌編集部に分厚い封筒が郵送されてきたのは、8月中旬のことだった。中には《悠仁様が東大の推薦入試を悪用し、将来の天皇として「特別扱い」で入学されることは、象徴天皇制を根底から揺るがすこととなるため反対します》という見出しの、署名を求める運動についての日本語と英文による概要が入っていた。


提携校制度を利用した筑波大学附属高校ご入学への疑問、悠仁さまが共同発表した論文の不備な点への指摘などが記載されており、“不正な手段を用いて東京大学に合格すれば、天皇として国民の尊敬と思慕の念を得ることはできない”といった厳しい論調で締めくくられているのだ。


署名活動は8月10日からインターネット上で展開されており、本誌が確認したところ、8月24日時点で1万2千筆を超える署名が集まっていた。


「署名を求める文書には中傷ともいえる表現や、事実関係が確認されていない文章もあり、プラットフォームの主宰者から、ガイドライン違反として一部修正・削除を求められていたようです。そのためか2週間ほどで署名活動も終了しています」(前出・皇室担当記者)



宮内庁総務課報道室にオンライン署名活動について把握しているかについて質問をしたところ、《個別の署名活動についてコメントすることは差し控えさせていただきます》との回答があった。


だが、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。


「東大推薦入試に反対する署名活動が始まっていたことについては、“ここまで来てしまったのか”というのが率直な感想です。


将来の天皇として高い学歴は必ずしも求められていないにもかかわらず、悠仁さまは特別入園制度によりお茶の水女子大学附属幼稚園へご入園し、さらに提携校進学制度により筑波大学附属高等学校へ入学されました。


国民から見て公平とは思えない制度を用いて、高学歴を求めているように捉えられる状況がこれ以上続けば、皇族としての特権を濫用しているとみなされてしまい、将来の天皇が持つべき“徳”の存在が疑われてしまう事態にもなりかねません」


実は大学ご進学にまつわる逆風を、いちばん強く感じておられるのが悠仁さまご自身だという。


「これまで紀子さまが敷かれたレールの上を歩まれてきた悠仁さまですが、来月には18歳の誕生日を迎え、成年皇族となられます。近ごろは、ご自分に注がれている周囲からの“微妙な視線”をお感じになっているようなのです。


特に国際昆虫学会議に対しては悩まれていたようです。幼いころからコツコツと採集や観察を続けてきたトンボ研究の論文が、“ご両親のお力によって、特別扱いされたもの”と世間から思われてしまうことは耐えがたかったのではないでしょうか」(宮内庁関係者)


本誌が目撃した、いきいきとした笑顔から、ご帰宅を厭うような物憂げなご表情への変化。あくまでも高学歴を願う紀子さまへ、悠仁さまは違和感を抱かれているのだろうか。


■地方で目撃された“母子の軋み”


秋篠宮ご夫妻と悠仁さまは、7月31日から岐阜県で「全国高等学校総合文化祭」の開会式などに臨席されたが、現場でも周囲が驚くシーンが目撃されていた。


「2日目の8月1日、ご一家は岐阜県立美術館を訪れられ、高校生による絵画や陶芸作品を鑑賞されました。


陶芸作品をご覧になっていたとき、悠仁さまが紀子さまの脚を押され、紀子さまが慌てたご様子で場所を譲られたのです。悠仁さまがそのとき何と言われたのかは不明ですが、紀子さまのお顔がとても驚いたご表情だったことが印象的でした。


ご公務は1泊2日でしたが、紀子さまは悠仁さまを席に誘導されたりと、こまかくお世話されていました。それが悠仁さまにとっては干渉と感じられ、ストレスになっていたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)


大学受験に向けて募る憂慮が、さらに母と子の間に軋みを生じさせるのか――。


「女性自身」2024年9月10日号
























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