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誰も指摘しない教育のタブー「子供の格差」を引き起こす親の経済力以外の"ある要素"

2023年10月04日 22時03分42秒 | 教育のこと
誰も指摘しない教育のタブー「子供の格差」を引き起こす親の経済力以外の"ある要素"



なぜ、教育格差はいつまで経っても解消されないのか。格差は一般的に親の年収の差=家庭の貧富の差と見る向きもあるが、文筆家の御田寺圭さんは「教育格差の真因は親の所得格差ではなく“別の理由”がある。そのことをSNS上で述べると、『不道徳でただしくない発言だ』と大勢で寄ってたかって非難するコミュニケーションが、核心に迫る議論を委縮させている」という――。



<略>


 ■「教育格差=経済格差」では見えなくなってしまうもの  しかしながら、教育格差の問題について考えるとき、「親の経済力によって受けられる教育投資の差によって生じたものだ」というわかりやすい物語だけでは見えない部分があまりにも多い。 

 結論を述べれば、「貧しい家庭は十分な教育投資が受けられない」だけではなくて、「貧しい家庭には、貧しさと同じかそれ以上に受けられる教育が乏しくなる“べつの理由”がたくさんある」からこそ、結果的に教育格差が発生してしまうのだ。 

 あまり声を大にして言いたいことではないのだが、幼いころの私は諸事情により、貧しくなおかつ学歴の乏しい人が多く暮らす街で長い時間を過ごしてきた。幸いにも、当時の貧しさがつらかったとかそんな記憶は私にはない。そこで私は多くの友人に恵まれたからだ。

  その街でできた友人たちの家にしばしば遊びに行くこともあった。その経験則からいえば、貧しい街の貧しい家のほとんどでは、まず机がない。冗談で言っているわけではない。家のなかに「机」と呼ばれる家具が存在しないのである。言うまでもないが、勉強するための静かで落ち着いた部屋もないし。

<略>

家に机がない、周囲の人間には集中して勉強するという概念がない、YouTubeは娯楽のツール――そうした「前提」が広く共有されているような場所では、エリート層が考えるような「塾に行かなくても効率的に学習できるやり方」を実践するような土壌がない。 

<略>

貧しい暮らしのなかに根深く共有されている習慣や文化や価値観こそが、そこで暮らす子供たちが得られる教育の質的・量的な乏しさをつくりだしている。国や自治体から「子育て世帯の(教育費)支援」の名目で多少のお金が入っても、それでは「貧しさをもたらす慣習や文化」そのものを変えることはできない。  

しかしながら「貧しさはカネがないことと同じかそれ以上に、貧困層に共有される慣習や文化こそが原因だ」

――と述べることは、現代社会では差別主義者として非難されるリスクをともなう。そのため「教育格差」の問題の核心部を理解している人も、自身の社会生活を危うくしかねない不名誉なレッテルが貼られるのを恐れて「各家庭の経済格差や貧困をなんとかしなければいけませんね」とお茶を濁す。

全文はリンクで、


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「法律で禁じる必要ある」 立憲・岡田幹事長>国会議員の世襲で“政治資金引き継ぎ規制法案”を臨時国会提出へ

2023年10月04日 15時03分16秒 | 政治のこと


立憲・岡田幹事長「法律で禁じる必要ある」 国会議員の世襲で“政治資金引き継ぎ規制法案”を臨時国会提出へ 

10/4/2023


立憲民主党は8日、国会議員が死亡や引退をした場合の世襲について、配偶者や親族への政治資金の引き継ぎを規制する政治資金規正法の改正案を、次の臨時国会に提出すると明らかにした。立憲民主党の岡田幹事長が、3日の会見で表明した。


具体的には、国会議員が死亡や引退で選挙の候補者でなくなった場合、配偶者や3親等以内の親族が、死亡した議員の政治団体の代表になることができなくするもの。


岡田氏は会見で、「何億ものお金が政治団体に残されたまま、親族に代表者が変わって選挙に出るとなると、一般の候補者と比べ、バランスがおかしい。法律で禁じる必要がある」と強調した。
さらに岡田氏は、「先代が集めた政治資金は、寄付する人が先代を応援しようと思って寄付しているはずで、それを横流しして世襲の候補が使ってしまうということは、基本的におかしい」とも述べた。



GARMIN JP
岡田氏は、今回の法案には、自民党の小渕優子選対委員長が要職に起用されたことなどが念頭にあるのかと記者に問われ「それも当然念頭にある」と述べた。
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ノーベル生理学・医学賞受賞!ワクチン開発の立役者カタリン・カリコ氏。母国では正規雇用されず失職、テディベアにお金を隠して出国…。

2023年10月04日 09時03分29秒 | 科学のはなし

ノーベル生理学・医学賞受賞!ワクチン開発の立役者カタリン・カリコ氏。母国では正規雇用されず失職、テディベアにお金を隠して出国…。それでもなぜ<世紀の発見>を成し遂げられたのか?(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース 




ノーベル生理学・医学賞受賞!ワクチン開発の立役者カタリン・カリコ氏。母国では正規雇用されず失職、テディベアにお金を隠して出国…。それでもなぜ<世紀の発見>を成し遂げられたのか?
10/3(火) 12:02配信


婦人公論.jp
新型コロナワクチン開発の立役者はハンガリー人の女性だった(写真提供:写真AC)


10月2日に2023年のノーベル生理学・医学賞の受賞者が発表され、アメリカ・ペンシルベニア大のカタリン・カリコ特任教授と、ドリュー・ワイスマン教授に授与されることが決まりました。カリコ氏は新型コロナウイルスに対するmRNAワクチン開発の中心人物ですが、その生涯を振り返れば、母国・ハンガリーでは研究者として正規雇用されずに失職。やむなくアメリカに渡ることになるなど、苦労の連続だったそうで――。


【写真】カリコさんの長女スーザンさんと、1000ドルを隠したテディベア


* * * * * * *


◆研究費の打ち切り、新天地アメリカへ


1985年1月17日。


30歳の誕生日に、当時在籍していたハンガリー有数の研究機関であるセゲド生物学研究所を辞めなければならないと知らされたカタリン・カリコ氏。


RNAに関して、思わしい研究成果があげられなかったから研究費が打ち切られた、というのも理由のひとつだったが、どれだけ優秀であっても、若い人材を正規雇用することはできなかったのだ。社会主義の国では珍しいことだが、ハンガリーの景気が低迷し、研究資金を出せなくなっていたことがその背景にあった。それほど当時の経済状況が不安定だったのだ。


それでも、カリコ氏は研究を続けることを諦めたくなかった。


「ハンガリーで仕事を探したけれど、申請したところはどこも返事をくれなかったの」


「ヨーロッパの名門大学でも探したわ。理学部も医学部もあって、私たちが研究をしていたRNAも扱っていた大学を調べて連絡をしたのよ。でも無理だった」


まだEUなども存在せず、ハンガリーを援助したり、行き場を失った学者に国境を超えて職を提供したりするような仕組みはなかった。結局、オファーが来たのは、アメリカ東部フィラデルフィアにあるテンプル大学からだった。


「テンプル大学に手紙を書いたのです。自分が何者で、どんなことができるのか、ということを書きました。その手紙を同じ分野で活躍する先生が読んでくれて、研究所に私を呼んでくれたのです」

◆娘のテディベアにお金をしのばせて渡米


テンプル大学の生化学科が、ポスドク(博士課程修了後の任期付き研究職)として正式に職と研究の場を与えてくれるという、嬉しい知らせだった。とはいえ、当時のカリコ氏にとって、アメリカはまだ見ぬ未知の国。しかも、エンジニアの夫と2歳の娘という家族がいたし、設備の整った新しいマンションに引っ越したばかりというタイミングだった。


それでも、カリコ氏はアメリカに渡ることを即決した。


「かつてのハンガリーでは、より自分が成功できる環境を求めて、多くの優秀な人材が海外に出ていきました。私自身は家族と離れるつもりはなかったですし、母や姉もいましたから、帰りたいと思ったときにいつでもハンガリーに帰れる状態でいたかったんです」


「海外で生活をするには、パスポート(旅券)やビザ(査証)などの書類が必要になりますよね。当時のハンガリーは自由に海外渡航ができる国ではありませんでしたから、パスポートやビザをとるには、それなりの理由が必要でした。ソ連の影響下にありましたし、しかも行き先はソ連と対立関係にあるアメリカ。でも、大学で研究をするという正式なオファーですから、家族も一緒に出国許可を得ることができたんです」


行き先は決まった。正式に出国許可もおりた。次なる課題は資金をどうするか、ということだった。当時のハンガリーでは、個人が所持できる外貨は100ドルまでと制限されていた。つまり、それ以上は換金できないし、持ち出すこともできない。


100ドルといったら、日本円にして(当時)およそ2万円。家族3人でアメリカに渡るにはいくらなんでも少なすぎる金額だ。


「闇で車を売ったりして何とかお金を集めたものの、換金が認められてなかったのでとても苦労しました。実際には100ドルでなく、1000ドルを持っていきました。でも、見つかったら一巻の終わりです。そこで、お金をビニール袋に入れて、それをテディベアの背中を切ってしのばせました。そのテディベアを娘に渡して出国したわ。だから、実際にお金を密輸したのは私の娘であって、私たちではないのよ。今だから笑って話せるけれど、本当に怖かった。アメリカに到着するまで、娘とテディベアから目を離さなかったわ」(カリコ氏)


こうして、テンプル大学のあるフィラデルフィアに移住したカリコ氏一家。提示された年俸は1万7千ドルだった。当時の日本円にすると340万円。


「年俸1万7千ドルなんて、家族で何とか食べていける程度の額でしかない。チケットは片道しかありません。研究を続け、生き残っていくためには、アメリカ社会にできるだけ早く溶け込まなければならなかった。ドルで食べるものを買わなきゃならない。クレジットカードだって持っていないし、(1985年当時は)携帯電話なんてなかった。しかも、誰も知っている人はいない。私を雇ってくれた大学の人すら知らなかったのですから。その後、私の母もアメリカに来ることになるのですが、ハンガリーでエンジニアだった夫は、まさにゼロからのスタート。清掃などの仕事から始めました」

◆「何もなければ失うものはない」


アメリカに到着した翌日から働き始めたカリコ氏。最初の1週間で逃げ出したいと思ったそうだ。


「(大学では)みんなドアの開閉は乱暴だし、大声でしゃべる。実験室はセゲドの研究室の方が、よっぽど設備が整っていた。ハンガリーの自宅には、洗濯機がありましたが、アメリカではコインランドリーに行くしかない。生活レベルは下がりましたね」


それでも熱心でひたむきな彼女は「ベンチのために」生きてきたという。ベンチとは、研究室の実験器具が並ぶ場所に置いてある椅子のこと。つまり、彼女の仕事場のことだ。


「研究室のベンチに腰掛けて、ああやって、こうやって、と試験管を振ったり、顕微鏡をのぞいたり、そんなことをしながら、ひとつひとつ実験を積み重ねていくだけでいいの。それが科学者というものだから、あとのことはどうでもいいわ」


「私のモットーは『何もなければ、失うものはない』ということ」(カリコ氏)


カリコ氏にとっての日常は、研究室で過ごす時間だ。


夫のベーラ・フランシアは、「君は仕事に行くんじゃない。楽しいことをしに行くんだよな」と日夜研究室に通い詰めるカリコ氏をそんな風にからかった。あるときは「君の労働時間を時給で換算したら、1時間1ドルだ。マクドナルドで働いた方がずっと時給が高いぞ」と笑いながら言ったりした。カリコ氏にとって、昔も今も、夫は一番の理解者であり、夫の全面的なバックアップがあったからこそ、今日のカリコ氏がある。


「わが家では、夫がもっとも多くの犠牲を払ったことは言うまでもありません。朝5時に研究室に出かけていく私や、学校に通う娘のために、車で送り迎えをしてくれましたし、子育てに支障が出ないようにと、自分は夜間の肉体労働などの仕事をしながら家族を支えてくれました。週末でさえも、私がラボから壊れた試験機器を持ち帰って修理するのを手伝ってくれましたし、食事の支度ができないときには、彼が料理をしてくれました。でも、夫は一度たりとも文句を言ったことはなかったのです」

◆信頼していた上司からの「嫉妬」


ポスドクとしてテンプル大学で働いていた1988年。カリコ氏の元にジョンズ・ホプキンス大学から仕事のオファーが舞い込んだ。


ジョンズ・ホプキンス大学といえば、世界屈指の医学部を有し、アメリカでも最難関の大学のひとつだと評判も高い。公衆衛生部門の研究でも有名で、今回の新型コロナウイルスのパンデミックに関する研究やデータ分析・発表なども行っている。


このオファーの話を知ったカリコ氏の上司が「ここ(テンプル大学)に残るか、それともハンガリーに帰るか」という二者択一の選択を彼女に迫った。明らかに同じ研究者としての嫉妬である。「何でそんなことを言われるのか。信頼していた上司だっただけに、とても落ち込んだ」とカリコ氏も言っているが、実際、彼女の元には国外退去の通知まで届いたという。しかも、その間、上司はジョンズ・ホプキンス大学に対して、カリコ氏への仕事のオファーを取り下げるよう手をまわしていたのだ。


「彼は教授で、私は何の地位もない人間でしたから、仕事もすべて失って、とても困難な状況に陥りました。でも、その上司にも敵(ライバル)がいることがわかったので、その人たちのところに駆け込んで、助けてもらったのです。人生は想定外なことばかりですよね」


やむなくテンプル大学を辞したカリコ氏を救ってくれたのは、日本の防衛医科大学校のような組織の病理学科だった。B型肝炎の治療に必要なインターフェロン・シグナルの研究をはじめ、ここで1年間、分子生物学の最新技術など多くのことを学んだ。


その後、1989年、ペンシルベニア大学の医学部に移籍し、心臓外科医エリオット・バーナサンのもとで働くことになった。この時の彼女のポジションは、研究助教で、非正規雇用の不安定な立場だった。そのうえ、もらえるはずだった助成金ももらえなかった。


「決して条件のいい移籍じゃなかったわ。翌1990年の私の年俸は4万ドル(当時のレートでは、日本円で約640万円)。20年経っても、6万ドル程度でした」


「だから、娘には、『あなたが進学するには、ペンシルベニア大学に行ってもらうしかない』と言ったのよ。なぜって、教員の子どもは学費が75%引きになるから」(カリコ氏)。研究が続けられれば、それでいい。カリコ氏の考え方は一貫している。


「自分のやっている研究は、とても重要なことなんだと信じていました。たとえどんなことがあっても『人の命がかかっている、とても大事なこと』と思っていたのです」

◆mRNAの研究で新しいタンパク質の生成に成功


そもそもカリコ氏がmRNAに興味をもったきっかけは、ハンガリー時代にさかのぼる。博士課程の担当教官から、RNAの存在と量などを明らかにするためのシーケンシング(遺伝子の正確な配列を調べること)を依頼するために、アメリカ・ニュージャージー州にある研究室に生体サンプルを送ってくれと頼まれたことだった。カリコ氏はこの種のRNAが薬として使用できるかもしれない、という可能性にひかれたのだ。


カリコ氏はペンシルベニア大学のバーナサン氏のチームで、mRNAを細胞に挿入して新しいタンパク質を生成させようとしていた。実験のひとつは、タンパク質分解酵素のウロキナーゼを作らせようとしたこと。もし、成功すれば、放射性物質である新しいタンパク質は受容体に引き寄せられる。放射性物質の有無を測定することで、特定のmRNAから狙ったタンパク質を作り、そのタンパク質が機能を有するか評価できるのだ。


「ほとんどの人はわれわれを馬鹿にした」(バーナサン氏)


ある日、長い廊下の端においてあるドットマトリックスのプリンターをふたりの科学者が食い入るように見つめていた。放射線が測定できるガンマカウンターの結果が、プリンターから吐き出される。


結果は……その細胞が作るはずのない、新しいタンパク質が作られていた。


つまり、mRNAを使えば、いかなるタンパク質をも作らせることができる、ということを意味していたのだ。


「神になった気分だった」カリコ氏はそのときのことを思い返す。


「mRNAを使って、心臓バイパス手術のために血管を強くすることができるかもしれない」「もしかしたら、人間の寿命を延ばすことだって可能になるかもしれない」


興奮したふたりは、そんなことを語り合った。


つまりこれが、ワクチン開発の肝となる、mRNAに特定のタンパク質を作る指令を出させる、という最初の発見だったのだ。


以下はリンクで





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鎌倉の観光客密集度、京都・奈良の約10倍と「圧倒」

2023年10月04日 06時03分03秒 | 事件と事故
神奈川県 鎌倉の観光客密集度、京都・奈良の約10倍と「圧倒」
社会



速報
毎日新聞 2023/8/13 09:00(最終更新 8/13 09:00) 742文字
鎌倉文華館鶴岡ミュージアムに設置された「大河ドラマ館」=鎌倉市雪ノ下で、田中成之撮影

 コロナ対策から事実上解放されて初めての夏。久しぶりの帰省や旅行を楽しむ予定の方々も多いのでは。そこで、地元の人しか知らない47都道府県の『トリビア』を紹介します。家族や旧友、旅先の人たちとの話題にチェックしてみてください。13日は首都圏・北関東の7都県です。


 「鎌倉は面積あたりの観光客が多い」。鎌倉市観光課がこんな資料をまとめたのは2019年。鎌倉市と同様に「歴史」を観光資産とする京都市、奈良市の15年の「1平方キロあたり」の観光客数を比較している。




 それによると面積約40平方キロの鎌倉市への観光客数は1平方キロあたり57万3000人。これに対して京都市(約828平方キロ)は6万9000人、奈良市(約277平方キロ)は5万4000人で、鎌倉市の観光客の密集度は10倍前後に達するとしている。


 こんな資料をまとめたのは、当時の鎌倉市が「オーバーツーリズム」に苦しんでいたからだ。観光客数が過剰になることで交通機関や商業施設が大混雑してしまう現象を指す。実際、コロナ禍前の鎌倉市への観光客数は、毎年2000万人前後で推移してきた。感染が拡大した20年でも6割減ながらも約740万人が来訪するなど「ブランド力」は健在だ。今年の流行が落ち着いた時期には、江の島付近の人波が連日テレビで流れた。




 さらに22年はNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が人気を博した。登場人物ゆかりの地を訪れる人も多く、鶴岡八幡宮の境内に設置された「大河ドラマ館」(23年1月9日まで)の入場者は10月27日に20万人に達している。


 鶴岡八幡宮から鎌倉の大仏まで徒歩で40~50分で移動できることが示すように、日帰りでも多くの観光地を見られることも鎌倉の魅力となっている。



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水商売の女性たちがOLになるまで…SMの女王様がSEになるケースも

2023年10月04日 03時03分25秒 | 雇用と職のこと
水商売の女性たちがOLになるまで…SMの女王様がSEになるケースも

外出自粛要請が出され、そして緊急事態宣言が発令されてから、飲食店をはじめとするサービス業が業務縮小や休業を余儀なくされ、大打撃を受けている。サービス業から転職を希望する人たちが求人サイトに殺到しているという話しも聞くが、中でも今、キャバクラやスナックなど、夜の世界で働く女性たちの悩みは深刻だ。 

5・18・2020

写真はイメージです(以下同じ)
 そんな彼女たちに昼の仕事を紹介する『昼職コレクション』代表の日詰宣仁氏は、「夜の世界で培ったコミュニケーション能力など優れたスキルを持つ女性たちが昼の仕事でも活躍しています。コロナ禍の今こそ即戦力になるはず」と力説する。夜の世界で働いていた女性たちの現状を、転職という視点から追ってみた。 


外出自粛要請で問い合わせが増加
 前出した日詰氏が運営する『昼職コレクション』。小池百合子都知事が『外出自粛』を強く訴えた3月25日の会見翌日から、問い合わせや相談が増大したそうだ。 「通常時ですと、相談から実際に転職エントリーに進む率は60%ほどですが、4月に入ってからは80%と、大幅にアップしました。コロナの収束を待ちたいという人を含むと9割ぐらい。女性たちの危機感が表れています」  相談者の割合は、20代が60%、30代が30%、40代が10%。内訳は水商売80%、風俗20%。水商売のうち7割がキャバクラで、風俗はデリヘル勤務が7割だという。 「特にコロナショックが大きいのが、20代前半のトップクラスの売り上げを誇る女性たちです。売り上げが通常の3分の1、4分の1とダウンしていますね」  

彼女たちの大きな悩みは、店側の営業再開のメドがたっていないため、貯金を切り崩しながら生活するしかないなど、将来に対する不安だ。中には「国からの援助をもらえる自信がない」と嘆く女性も少なくないとか。だが貯金がある女性はまだマシ。夜の世界で月額50万~60万円稼いでいた女性でも貯金がゼロの人は、1か月後の生活のメドが立たない状況なのである。 「夜の仕事の女性たちのほとんどが、昼の仕事の収入の希望を月額25万円と挙げていますが、『昼間の手取りは、SEなら20万円弱で、スキルアップすれば25万円以上は可能。営業職もスタートが20万円前後でインセンティブがあれば希望の手取りも可能ですよ』と現状をストレートに伝えています。夜の仕事の収入が月額50万~60万円で、家賃が15万~20万円の女性は、『考えてみます』といったん保留にする人が多いですが、その後転職を希望するのは、現実を受け入れて腹をくくったと捉えています」  一般的な仕事よりも高給な夜の仕事。つまり、腹をくくることが昼職へ転職する第一歩といえるだろう。 


 腹をくくったキャバクラやスナックなど接客業を生業とする水商売の女性たちは、集客のスキルを活かして営業職で活躍している。そして近年、SEのニーズも高まっているのだとか。これはどういうことだのだろう? 「SEは研修から丁寧に指導してくれる企業が多いのです。なので女性も安心して就職ができるんです

 日詰氏に、コロナ禍の4月に決まった、女性たちの就職案件をいくつか挙げてもらった。 ①不動産の営業職を得た34歳の女性。キャバクラで10年勤務してきただけあり、抜群の話術と人脈(営業力)を持つ強みが活かされた ②リサイクルショップの事務員の職を得た22歳の女性は、元銀座のクラブホステスで、営業力プラス外見の良さが功を奏した ③さらにSE職に内定した31歳の女性  ③の女性はなんと、6~7年もの間、某SM店の女王様として君臨していたというのだから驚く。礼儀正しく、しっかりしていること、そして向上心にあふれていることが、入社の決め手だったそうだが、これは夜の世界での経歴というより、彼女の元来の能力が評価されたケースなのかもしれない。

 「昼職コレクション」は、2016年の9月にスタートした。当初から「夜の世界を卒業したい」という理念を掲げ、これまで約200社の企業に求職者を紹介してきたそう。日々、「昼の世界の仕事に向いているかどうかわからない」「PCなどのスキルがない」という不安を持つ夜の女性たちを支援している。  

コロナ禍で女性たちが路頭に迷わないように、日詰氏をはじめスタッフらが、全力でサポートしているのだ。


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