日本のイスラーム (Islam in Japan)

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イマーム(指導者)たちの言葉 『神助受けし明証』より

2010年03月01日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第4項目「イマーム(指導者)たちの言葉」についての拙訳です。


             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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أقوال الأئمة
イマーム(指導者)たちの言葉

سأل رجلٌ الإمام مالك بن أنس رضي الله عنه عن قوله تعالى: ﴿الرَّحْمنُ عَلَى الْعَرْشِ اسْتَوَى﴾(طه: 5) فقال: "الاستواءُ غيرُ مجهول، والكيفُ غيرُ معقول، والإيمانُ به واجب، والسؤالُ عنه بدعة، وما أراك إلا مبتدعا"، وأمر به أن يُخرَج
ある人がイマーム・マーリク・ブン・アナス(アッラーのご満悦あれ)に、『慈愛あまねき御方は、玉座に着座された。(アッラハマーヌ アラルアルシスタワー)』という至高なる御方の御言葉について尋ねた。
すると曰く、「イスティワーゥ(水平着座)は知られていないわけではなく、どのようにかは考えられず、それを信じることは義務であり、それについて質問することはビドア(逸脱行為)である。
お主は逸脱の徒(ムブタディウ)にしか見えないのだが…。」
そしてその人を追い出すよう命じられたという。

وقال إمامنا الشافعي رضي الله عنه لما سئل عن ذلك: "آمنت بلا تشبيه، وصدقت بلا تمثيل، واتهمت نفسي في الإدراك، وأمسكت عن الخوض فيه كل الإمساك
我らがイマーム(指導者)・アッシャーフィイー(アッラーのご満悦あれ《訳注》)は、それについて尋ねられると、次のように言われたという。
「私はタシュビーフ(物理的比喩)」なしで信じ、タムスィール(概念的比喩)なしで真実とみなし、
『お前には理解し切れない』と自分に言い聞かせ(直訳-把握理解において自らを糾弾し)、それを掘り下げて議論するのを全力で制御しよう。」

وقال الإمام أبو حنيفة رضي الله عنه: "من قال لا أعرف الله أ في السماء هو أم في الأرض فقد كفر، لأن هذا القول يوهم أن للحق مكانا، ومن توهم أن للحق مكانا فهو مشبه
イマーム・アブー・ハニーファ(アッラーのご満悦あれ)が言われたのはこうだ。
「『アッラーは天空にいるのか、地上にいるのか私にはわからない』と言った者は、不信仰に陥ったに等しい。
なぜならこの言葉は真理なる御方に場所があると思わせるからであり、真理なる御方に場所があると思い込んだ者はムシャッビフ(アッラーに物理的な比喩をあてがう人)だからである。」

وسئل الإمام أحمد رضي الله عنه عن الاستواء فقال: استوى كما أخبر، لا كما يخطر للبشر
イマーム・アハマド(アッラーのご満悦あれ)は、イスティワーゥ(水平着座)について尋ねられると、次のように言われたという。
「かの御方が告げられたようにイスタワー(水平着座)されたのであって、人間が思い浮かべるようにではない。」

وقال الإمام ابن الإمام جعفر الصادق عليه السلام: "من زعم أن الله في شيء، أو من شيء، فقد أشرك. إذ لو كان على شيء لكان محمولا، ولو كان في شيء لكان محصورا، ولو كان من شيء لكان محدَثا
イマームのご子息であられるイマーム・ジャアファル・アッサーディク(かの人に平安あれ)が言われるには、「アッラーがなにかの中にあるとか、なにかから生じたと主張する者は、多神教信仰に陥ったに等しい。
万一かの御方がなにかの上にあったならばマフムール(担がれしもの)となってしまい、なにかの中にあったならばマフスール(囲われしもの)となってしまい、なにかから生じたのであればムフダス(生起物)となってしまうからである。」とのことである。

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《訳注》 伝統イスラーム学で大切にされる先達への敬意・敬愛の念は、呼び名一つにも明確に示されております。
今回はスンナ派4大正統学派の始祖たるイマームそれぞれに「アッラーのご満悦あれ」というドゥアー(祈願)が添えられ、イマーム・ジャアファルについては「平安あれ」という祈りが添えられています。
中庸のイスラームを生きる、心の広いムスリムであれば、あくまでも一つの祈りとして自然に受け入れられるのですが、
中には唯我独尊を地で行く反省知らずの警察ごっこ好きムスリムもいますので、
そういった同胞に「ビドア(逸脱)だ!ダラール(迷妄)だ!」と非難されても驚かないで済むよう、故人への祈り文句について一般的に基準とされているものを補足いたします。

預言者さまや使徒さまたち 
→《単数》アライヒッサラーム(かの人に平安あれ) 
عليه السلام
《複数》アライヒムッサラーム
عليهم السلام

預言者ムハンマドさま  
→サッラッラーホ アライヒ ワサッラム
صلى الله عليه وسلم
(アッラーがかの人に祝福と平安をお恵みくださいますように)
→アライヒッサラートゥ ワッサラーム
عليه الصلاة والسلام
(かの人に祝福と平安あれ)

サハーバ(教友・直弟子)たち 
→《単数》ラディヤッラーホ アンホ
رضي الله عنه
(アッラーが彼につきご満足くださいますように、アッラーのご満悦あれ)
《複数》ラディヤッラーホ アンホム
رضي الله عنهم

上記の方々以外のすべての信徒 
→《単・男》ラヒマホッラー
رحمه الله
(アッラーが彼に慈悲をかけてくださいまように、アッラーのお慈悲あれ)
《単・女》ラヒマハッラー
رحمها الله
《複》ラヒマホムッラー
رحمهم الله

それから一連のイマームたちの言葉を受けて、伝統イスラーム神学における
「アッラーはどこにおられるのか?」という問いへの回答をご紹介いたします。

アッラーこそが時と場所の創造者であって、特定の場所に縛られたり、特定の場所を必要としたりすることはない。
至高のアッラーはその御力と知識、お慈悲などの完全無欠な属性によってあらゆるところにおられるのである。

以上、ご参考まで。アッラーフ アァラム。

それでは、皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム