日本のイスラーム (Islam in Japan)

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断固とした真知普及~「神助受けし明証」より 

2010年05月19日 | ウラマーゥ(学者先生たち)に学ぶ
アッサラーム アライクム。

皆さんに平安あれ。


さて、アハマド・アッリファーイー師(ヒジュラ歴578年/西暦1181年没、アッラーのお慈悲あれ)の
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』より、
第15項目「断固とした真知普及」についての拙訳です。

             ☆   ☆   ☆   ☆   ☆

慈愛あまねく慈悲深きアッラーの御名において
我らが主アッラーにこそすべての称讃あれ。
我らが指導者ムハンマドさまとそのご家族、ご教友全員に最高の祝福と平安がありますように。

筆者たるアハマド・アッリファーイー師(アッラーのお慈悲あれ)は、
『アルブルハーン・アルムアイヤド(神助受けし明証)』という著作の中で言われました。
願わくは至高のアッラーがかの先生を通して私たちにとって役立つものをお恵みくださいますように。
そして学びの友として共に学ぶ皆さんを通しても、役立つものをお恵みくださいますように。アーミーン。

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حتمية نشر العلم
أي أخي، أنت أحسن مني، زحمتك ذلة التلقي، وأنا أخذتني سكرة التعليم. أي أخي، إن أنا غلبت نفسي المسكينة، وقلت لها: علّمك الله وأوجب عليك تعليم الإخوان، وكاتم العلم يلجم بلجام من نار فتعبك لك، قفي عند حدك، ربما كان فيهم من هو عند الله أجل منك، أخفاه عنك ليختبرك، وبعد ذلك سكنت ثائرتها الكاذبة، وعرفت قدرها، ووقفت عند طورها، فلها الحظ الأوفر، وكذلك أنت.
أي سادة، إن غلبت نفسك وألزمتها التعليم، وذبحت الهوى بسكين الاقتداء، وأخذت الحكمة غاضا طرفك عن شرفك وعلمك وحسبك وأبيك ومالك وحالك فقد فزت فوزا عظيما، ومن لم يحاسب نفسه عن كل نفس ويتهمها لم يثبت عندنا في ديوان الرجال.


「断固とした真知普及」

わが兄弟よ、君は私より素晴らしいのだ。
貴兄はタラッキー(口頭での学問修得)の服従で無理をし、私は教育の陶酔に夢中になってしまった。

わが兄弟よ、もし私が哀れな自我に打ち勝つことができ、
「アッラーがお前に教えてくれ、同胞への教育を義務付けられたのだ。
知識を隠す者は火獄の手綱で打たれてしまう。
だからお前の疲労はお前自身のためにあるのだ。
己の分をわきまえよ(自らの限界で立ち止まれ)。
お前が教える人たちの中には、
アッラーの御許ではお前より立派な人もいるかもしれない。
アッラーはそうした人を、お前を試すためにあえて秘められたのだ。」
と言い聞かせ、偽りのわめき声が落ち着いて己の分を知り、
己の限界で留まったならば、私の自我にも十二分の幸運があろう。
それは貴兄も同じことだ。

諸君、もし君が自分の自我に打ち勝ち、
学問に(己の自我を)従事させられたなら、
そして従順さのナイフで欲望を屠り、
自分の名誉や知識、地位や家柄、
財産や境遇に目を瞑って叡智を得られたならば、
君は偉大な勝利(成功)を得たことになるであろう。
一息吐くたびに己を省みて咎めない者は、
我々のもとでは名士録には載らないのである
(直訳-我々のもとでは男たちの名簿〔記録文書〕に定着しない)。



【訳者のつぶやき】
スブハーナッラー、「一息吐くたびに己を省みて咎めない者は、
我々のもとでは名士録には載らない」
…つまり心の浄化の道を歩む者の一人には数えてもらえないとは、
至極名言かと思います。

冒頭の「貴兄はタラッキー(口頭での学問修得)の服従で無理をし」とは、
直訳すれば「口頭での学問修得の服従が貴兄に無理をさせた」となります。
つまり本やインターネットではなく
口頭での学問修得(それがイスラーム学の本道であり、王道です)には
他人を師と仰ぐ謙虚さが必要であり、
それは時として「服従、従属、卑屈」の意を持つ
「ズッラ/Dhullah(ذلة)」に身を任せ、
プライドをもって威厳を持ちたがる己の自我(ナフス)が嫌がるのを
多少無理強いするぐらいでなくては、
真知探求の道は進めないというわけです。

日本語でのイスラーム学関連の書籍の充実、
今後であれば電子書籍やインターネット情報の充実というのは、
副教材、補助教材としては大いに喜ばしいものですが、
「独学で事足れり」とする傾向が生まれてきては
その当人にとっても、日本のウンマ(信仰共同体)にとっても不幸だと思います。
独断と偏見を承知で言えば、
「生身の先生から受け継がない独学情報は
情報のまま知識に発展することはなく、
魂を伴った本物の知識にはなり得ない」からです。
特に私たちのこのナフスというシロモノは厄介で、
学問にしろ、技術にしろ、天賦の才にしろ、
高まれば高まるほど誇大化して偉そうに振る舞いたがります。
これを躾けるには、身近なところで「先生をいただく」しかないのではないか、
あるいは少なくとも「先生をいただくこと」は
効果的なナフスの躾方法に数えられると私自身は思っております。
ラスールッラー(アッラーの祝福と平安あれ)を先生として仰ぐ、
歴史上の偉人を先生として仰ぐ、それはそれで正しく立派なことですが、
それを「日常生活で生かす」には、
かなりナフスがすでに礼儀正しくなっておらねばならず、
そこまでもっていくにはやはり段階的に身近なところで
生身の先生をいただくのがよいと思うわけです。
(想像上の先生では、
ナフスが気ままなうちは自分勝手な師弟関係を思い描きやすいですから)
アッラーフ アァラム(より善くはアッラーが知っておられます)。

いずれにしても、アルハムドゥリッラー、
「一息吐くたびの反省と叱咤激励」…これは大きな教訓となりました。

皆さんにアッラーのご加護と祝福を。
アブー・ハキーム

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2 コメント

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むむむ…深い (Yu-ki)
2010-05-20 00:01:30
アライクッサラーム

”お前が教える人たちの中には、
アッラーの御許ではお前より立派な人もいるかもしれない”確かに、時に人は何でも知ってるかの様に奢り高ぶった言動をしている事があるかもしれません。でもムスリムに大切な事は預言者様も言われてるように謙虚さを常に忘れないことですね。
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謙虚さのすすめ (Abu Hakeem)
2010-05-22 01:42:39
アッサラーム アライクム。
Yu-kiさん、貴重なコメントありがとうございました。バーラカッラーフ フィークム。
ご共感いただけて何よりです。
言うは易く、行うは難しの「謙虚であること」ですが、自戒と励ましに思い出す預言者ムハンマドさま(アッラーの祝福と平安あれ)のお言葉に、「マン タワーダア リッラーヒ ラファアフッラー(アッラーのために謙虚に腰を低くする人は、アッラーが高めてくれるでしょう)」といったこれまた含蓄の深いものがあります。
من تواضع لله رفعه الله
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