散日拾遺

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年賀状について / ブリの荘厳 ~ エラと視神経

2015-12-30 23:32:52 | 日記

2015年12月30日(水)

 クリスマスが終わるとようやく年賀状を書く段取りになる。例年通り、図案を決めたら先に表書きをしてしまう。ヒマを見ながらこれに足かけ三日かかった。昨夜から通信面にとりかかり、今朝からかかりきりで午後2時に完了。喪中の連絡のあったところを除いて全86枚。学生さんは別枠で、これは元旦から受け取った順に返事を出すようにしている。 

 表書きと通信面と、両方手書きだと一人あたり5分やそこらはすぐに経ってしまう。時間を節約するために印刷するのがアタリマエになり、僕も自分の住所・電話番号などは印字するが、それ以上PCの厄介になるつもりはない。時間を節約するなら年賀状の意味はない、かける時間が貴重なのだ。

 年賀状だけのつきあいになった人々も多く、そういう場合はなおさらである。年賀状を書く間だけは、世間のことも生活のことも忘れて当の相手のことを考える。思いがけず古い記憶がよみがえったり、伝えたいことが浮かんだりする。一年に5分間だけ、しかし排他的にその相手に捧げる時間、それが年賀状に意味を与えている。両面印刷済みのものをPCに登録済みの住所録に従ってプリントし、そのままポストに放り込むなら数百枚を分単位で片付けられるが、自分が誰に出したかすら意識せずに過ぎてしまう。おおかたそんな事情で、当方の名前の間違いが何年経っても修正されなかったりする。そんなことなら、年が改まる瞬間に「アケオメ」メールを一斉送信する今どき流のほうが、まだしもよっぽど heartwarming だ。

(かける時間が貴重というのは、プレゼント選びと通じるところがある。何を贈ったら喜ばれるか、役に立つかと考えめぐらしながら右往左往する、その時間が見えないプレゼントなんだよね。そういうのは、どこか伝わるものだ。)

 年賀状をやめる人が増えていると、今更らしくどこかが記事にしていたが、年の変わり目にお互いを想起する習慣を別の形式に移し替えるというのだったら、まことに自然で結構な流れである。両面印刷方式をべんべんと続けている方こそ、いささか見識を問われるだろう。僕は紙に文字を書くことが好きだから、当分のあいだ年賀状を続けるつもりである。ただその趣旨からして、表にも裏にも肉筆が一字もないものは、特段の事情(たとえば御高齢)のない限り、受け取らなかったものとして扱う。先方が「想起の時間」を全く使っていないのに、こちらだけがそれを捧げるほど人間ができてないのでね。

***

 年賀状を書き終える寸前、宇和島の叔父さんから恒例のブリが届いた。全長70cm弱、みっちり太った堂々たる姿である。これをさばくのは僕の仕事だったが、昨年教えるつもりで長男にやらせたら、初めての彼の方がよっぽど上手いことが判明した。よってめでたく世代交代、今年は祖母の監督下に長男が出刃を振るい、ついでに弟たちに講釈を垂れている。カブトの内側に顕わになったエラの構造を見て、高2の三男が賛嘆の声を上げた。表面積を最大化する微細な凹凸構造、堅牢な枠としなやかな組織のコンビネーション、頭部の大半を占めるその大きさなど、陸生脊椎動物の肺と好一対の酸素獲得器官が、好奇心のツボを刺激したらしい。

 肺とエラにはいろいろな対比のポイントがあるだろうが、その一つは、前者では酸素の供給源(=空気)と栄養のそれ(=飲食物)が別の素材であって、別々のルートから入ってくるうえ、相互に隔絶している必要がある(すくなくとも飲食物が肺に入るのは厳禁)のに対して、後者では酸素も栄養も同じ海水からもたらされ、従って通過ルートを兼用できることだ。口から吸い込まれた海水は、まず口・喉で食物を濾し取った上でエラに送られ、今度はそこで酸素が吸収される。同一マテリアルを直列系で活用するから、構造は単純になり誤嚥性肺炎型のリスクが減る。魚類・両生類(の一部)がエラを使い、両生類(の一部)・は虫類・ほ乳類が肺を使うので、何となく肺呼吸の方がエラ呼吸よりエラい(^o^)ような気がしていたが、そういうことではなかったようだ。エラ呼吸は水から酸素を取り出すシステム、肺呼吸は空気から酸素を取り込むシステムであって、両システムそのものの間には高等も下等もない。システムの効率から見たら、案外エラの方がエラい(^o^)かもしれない。

 そんなことを考えながら三男の手許を見ていると、でっかい魚の眼がふと気になった。

 「視神経の走行を追ってみたらどうかな?」

 人間の眼は非常な発達を遂げた感覚器官で、その入力を伝える視神経は出雲大社のしめ縄になぞらえたいような巨大な繊維束である。魚の眼なら視神経の太さも知れているかと思われるが、しかしこのギョロ目なら案外な逸物かもしれない。三男は昆虫恐怖症でホラー恐怖症だが、生き物一般との距離は決して遠くないし解剖実習も苦にならないらしい。今日も直ちに乗ってきて、小要塞のようなブリの頑丈な頭部と格闘を始める。長男ものぞき込んで小一時間、見事にエラの奥から目玉の内側に到達した。ピンセット(もとは電子顕微鏡のセクション作成用)で持ち上げられた視神経は、径5~6mmほどもある白々とした太い束だ。眼球後面には他に複数の肉色の束も付着しており、これは目玉を動かすための外眼筋と思われる。6本ずつの外眼筋と、これを動かすための3対の脳神経(12対のうちの3対!)、目という情報収集器官を制御するためにこれほどの内的資源が動員されている。そしてその構造は、魚も人も基本的に変わらない。

 荘厳の気が一瞬背中を走る。息子たちが片づけをしながら、カブトに向かって一礼した。

(良い局所写真がとれているんですが、ドン引きされそうなので自粛。かわりに以下)

    もう一枚は家人のクレームにより削除・・・(T_T)