伊勢ー白山 道

集団では無く、社会の中で心身の健康を正しく個人で目指します

命がけは、情熱です

2007-09-07 18:37:53 | Weblog
読者より :
職場で、どうしても許せない相手がいました。
私は、最初はとにかく、誰とでも低い物腰から始めるので、そうトラブルになる
こともないのですが、その相手だけは年下なのに最初から傲慢で、上から物を
言うような態度で、仕事上のつながりもあって何度かこちらからお願い事をする
ような立場なのですが、そのせいかますます傲慢の念を返してくるような感じで、言い方ももっと普通の言い方があるだろうに、という感じの言い方で返してくるような人でした。理不尽の限りを尽くしたような人だったこと、職場の同僚にも同じ
態度だったことから、これ以上この人には愛のエネルギーは通用しないと思い、
ある古神道の呪文を使いました。
どんなに正のエネルギーを送っても相手にそれを受ける気持ちがないとき、
そしてその相手を無視して仕事できないとき、多少は相手を懲らしめる事も
必要ではないかと思うのですが、みなさんはどう思いますか?
返答 :
そのような、弱きを叩き、強きにコビル人は、何所にでも居
そうですね。私なら、そのような人を怨む事はしません。
気の毒な人だと、むしろ心配します。
よほど、自身が満たされていない、不満な生活をしている
のでしょう。こんな人は、電車に乗るだけでもストレスを感じて
います。まことに、つまらない人生です。太陽霊光により、
内心で思っている事が、表面化する時代に入っています。
このような人の先行きは、自滅です。自己破壊を自らして
いるのです。私には、時間を掛けた自殺を実行していると
観えるので、本当に気の毒に思います。
まして、この人に対して、呪詛をする必要は無いです。
自ら、相手のレベルに落ちて、同類にまみれる行為をする
ことは、駄目です。
このような人のパターンは、怒りやストレス・不満の波動により
自分の肉体へストレスを絶えず掛けているので、癌病になり
易いです。このような自己勝手な人ほど、死の恐怖は格別
です。また、自身と似た同質の人間を引き寄せる縁を、毎日
作っているので、同類どうしで傷害事件にも会い易いです。
ナマ暖かく、見て居れば良いです。

生かして頂いて ありがとう御座います は、自然と生死
と向き合う訓練をしている事になります。
人生が有限であるから、が大切だと明るく生きようと
出来ます。悩んだり、怨んでいる時間が勿体無いです。
生かして頂いて ありがとう御座います の心境は、物事に
生死を賭けて対することです。
一生懸命、命を懸けて物事に当たることが大切で、結果は
二の次で良いです。
いよいよ、人生の最後を迎える時に、自分は生き切ったと
思えるように成りたいものです。普段から、生死を意識して
物事を一生懸命にしていると、中身の濃い人生に成り、
大往生間違いなしです。

今日も 生かして頂いて ありがとうございます

  
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48 コメント

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Unknown (ひょうたんなまず)
2007-09-07 19:05:57
リーマンさんこんばんは。

今日みたいに励まされたコメントってないです!!

今から仕事頑張ってきます!
Unknown (ばんぞう)
2007-09-07 19:06:50
いや~! 生きる! って、ムツカシイですね~!
自滅しないように、寿命まで生き抜きたいと思います。
ひょうたんなまず さんへ (リーマン)
2007-09-07 19:09:08
お仕事、がんばって~~~。
Unknown (Unknown)
2007-09-07 19:15:33
あの台風には意思があるのですか?今来てる台風の進路はわざわざ日本に沿って進んでるようです
生き切ること (ケセラセラ)
2007-09-07 19:33:59
私も今まで、相手を恨みそうになったことは
正直あります。
でも、そういう感情はだんだんと、
虚しくなってきますね。

私は15のときに妹を亡くしたので
死というものに恐怖心を抱きつつも
妹の分まで精一杯生きなければと思ってきました。

でもどうすればいいのかなんて、誰も教えてくれないし
自分自身わからないまま、これまで過ごしてきました。

だから、リーマンさんの「生き切る」という言葉に出会って
本当にそうだな、と思いました。

妹はとても短い生涯ながら、
きっと生き切ったのだから、自分もそれに恥じぬよう
何もかもを乗り越えて、生き切ることだ、と感じました。

私にとって、とても大きな大きな気づきでした。
同レベル (みか)
2007-09-07 20:04:05
自分が正しいのだから懲らしめるのは正しい、と
決めてる時点で、既にその困った方と
同レベルなのかも。
実際呪詛かけちゃったし。

その、ちんぴらまがいな事をする人も
自分が正しいから、それに合わない奴には
益々暴れてやろうとしてるわけで。

チンピラな行為と呪詛は同レベルなのかも。
Unknown (ワカ)
2007-09-07 20:24:52
リーマンさん いつも、ありがとうございます。
みなさんのコメントは奥が深く、勉強になります。今日いつもの様に、お仏壇に手を合わせて眼を閉じて、今日も生かしていただいて ありがとうございます。とお祈りしましたら、暗いなかに明りが点と見えました(仏像のように感じました)、何だろうと思いながら何回も見ようと眼を閉じながらしてるのですが、消えてしまいました、その後は眼を閉じても明りは見えませんでした。私の気のせいでしょうか?でも、なにか嬉しい気分です。生かしていただいて ありがとうございます。 
Unknown (9981)
2007-09-07 20:38:36
生きるとは楽しむ、喜ぶことですょ。

小さいころは、いつも、今、今、いまも、なんとなく楽しく喜びがあったけど。 今は腐ってしまってね。







本題ですけど 親切とお節介との差ですね。 まだ依存心が残っているのかも。
神と魔は表と裏 (小心者)
2007-09-07 20:45:04
コメントありがとうございました。

実はある程度答えはわかってて、問いかけをしたわけですが・・・

実生活において、たとえば私の出した例のような場面に出くわしたとき、そしてそれが何度も続いたとき、どうしても人は魔に陥りがちです。
古い仏典であるマハーバーラタなどでも、徳の高い僧侶、いやそれどころか神々自体が、相手を呪う場面が出てきます。
それも、どうみても呪う側が理不尽であるようなかたちで。

ましてや私のような凡人など、その心の弱さから、簡単に人を呪ったりできるのでしょうね。

みかさん、人に対するカウンセリングというのは、そんな簡単なものではないし、正論だけで納まるものでもないですよ。

私自身のことを言わせてもらえば、一度自分自身で痛い目にあって、よく考えなさいという指示があったのかな、と考えています。

痛い目に合わないとわからない人もいますからね。
(^_^;

Unknown (Unknown)
2007-09-07 20:48:22
今を生ききります 生かしていただいてありがとうございます。

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