一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
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歴史書の文体と小説の文体 その4

2007-11-05 04:34:13 | Criticism
事実の記述で押し通したような作品に、書き手の意思が現われた、もっとも簡単な例としては、次のようなものがあります。
「ついでながら筆者は、この蒲生の地に二度行った。地図で見る印象よりも、ずっと平坦な土地だった。蒲生の武家屋敷の一角にある小学校から野をのぞむと、野のかなたに隆起している山があり、樹木が鬱蒼としている。たわしでも置いたようなかたちをしている。」(司馬遼太郎『翔ぶが如く』)
という具合に、突如、筆者が顔を出す。

しかし、司馬の場合、この作品のような形になるには、いくつかのステップを踏んでいることも確かです。
「千代の小袖を聚楽第に展観したのは、北政所が秀吉にそうすすめたからである。
 余談だが、一種の個展といっていい。美術や工芸品の作品展の最初ともいうべきことではあるまいか。」

「筆者、註。
『桃山』
 とは、つややかな地名である。いま城が築かれようとしている伏見山の別称と心得ていい。」
はともに『功名が辻』の例。
このような手法を小説に導入するのは、別に司馬に限られたことではありません。
「だがこの話は真実だろうか。実は私は長いこと疑っていた。確かに成貞はかなりの美青年だったらしいことは、後年の様々な逸話で明らかだし、男色、衆道は当時はなんら背徳的な匂いを持たず、ごく普通の性の形式にすぎなかったが、私の考える成貞の勁烈そのものの行動と男色という事実がなんとなく合わないのである。」(隆慶一郎『かぶいて候』)
小説内の小随筆であり、注であるような位置づけになるのでしょうか。
いずれにしても、読み手にとって、小説の本文とは画然と分れていることが明らかです。

司馬の場合、この境界は、徐々にあいまいな場合が多くなっていきます(本人にとっては明確であるが、読み手に境界を意識させないようにする)。
以下は『坂の上の雲』「大諜報」の章から。
「またポーランド関係の諸党のうちには、
『そういう大会をひらくことはかえって危険ではないか』
 と、ためらう空気があった。
 ポーランド人は、歴史的にロシアの武力弾圧をもっともつよくうけてきたため、あらゆる反抗運動において消極的もしくは細心であり、用心ぶかかった。」
〈ここまでが「本文」。以下「小随筆」「注」の部分〉
「ロシアとポーランドの関係は、歴史時代における日本と朝鮮の関係にやや似ている。(中略)
 そのポーランドが、ロシアの属領になってしまっているため、壮丁が大量に徴兵され、極東の戦線で斃れつつあり、かれらの死は民族のためまったく無意味であるばかりか、帝政ロシアを倒してくれるかもしれない日本人を殺すことは民族のために有害でさえあった。そのことはポーランドにおけるすべて反露運動家がそう信じていた。」
〈「小随筆」「注」の部分が、ここで終わって〉「明石は、そいういう背景のもとに、……」
と、本文にすぐにつながっていきます。