ここで唐突に,「丸の内」ということばが何の説明もなく放り出されているのは、現実の人物「夏目漱石」の意識/無意識が働いてしまっている、という気が小生にはしてなりません。
もし、これが「三四郎」の意見だとすれば、何らかの説明が加えられていたはずです。「こんなことに驚いたんですよ」という提示が、読者の共感を生むことを作者は計算していた。そして、それが「都市小説」としての「問題提示」にもなっているのですから、余計説明が必要なのです。
「都市小説」としての骨格が揺るがないとすれば、この部分は漱石個人のタブーに触れるものがあったに違いありません。
にもかかわらず、小説作者・漱石としては、「丸の内」に言及せざるをえなかった。
なぜなら、登場人物「三四郎」は絶対に驚く情景であるし、都市小説としては扱わざるをえない場所だったからです。
このようなアンビバレンツな反応を起こさせるもの、それは何だったのでしょうか。
遠回りになりますが、「丸の内」の明治になってからの歴史を、次回でたどってみましょう。
もし、これが「三四郎」の意見だとすれば、何らかの説明が加えられていたはずです。「こんなことに驚いたんですよ」という提示が、読者の共感を生むことを作者は計算していた。そして、それが「都市小説」としての「問題提示」にもなっているのですから、余計説明が必要なのです。
「都市小説」としての骨格が揺るがないとすれば、この部分は漱石個人のタブーに触れるものがあったに違いありません。
にもかかわらず、小説作者・漱石としては、「丸の内」に言及せざるをえなかった。
なぜなら、登場人物「三四郎」は絶対に驚く情景であるし、都市小説としては扱わざるをえない場所だったからです。
このようなアンビバレンツな反応を起こさせるもの、それは何だったのでしょうか。
遠回りになりますが、「丸の内」の明治になってからの歴史を、次回でたどってみましょう。