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一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

時代小説の文章は難しい。

2007-07-29 03:17:42 | Criticism
物書きは、それぞれ独自の文体を持っています。
もちろん、内容や目的によって何種類も使い分け/書き分けはしますが、これぞという「決め玉」は必ずあるでしょう。

小生の場合では、ニュートラルな現代語に江戸下町方言をまぶしたような文体、かつ一人称の語り、ということになるのね(江戸下町方言だけだと、落語の活字化のようになってしまい、文章としてはちょっと読みにくい)。

各々の物書きの得意とする文体には、かなりの個性が現れているので、そこには読み手の趣味に合わないものもあります。
それは趣味の問題なので、よい文章か悪い文章か、ということとは関係がありません。

何で今回このようなことを書き付けているかといえば、かなり癖のある文体で書かれた小嵐九八郎『悪たれの華』を読んだからです(ああ、江戸時代の花火の話ね)。

小生、この人の作品を読むのは初めてなので、他のものがどのように書かれているかは分りませんが、少なくと、この作品は、趣味には合いませんでした。そうなると、読むのが辛くなる。必然的に読書速度も遅くなるので、読書の爽快感の一つが失われる、ということになります(一種の「ピカレスク・ロマン」なんだから、爽快感がなくっちゃね)。

さて、内容はともかくとして、「癖のある」ところを引けば、
「――一人。
年が明け、早、卯月四日。
玉屋市郎兵衛は、(中略)今は、一人歩く。」

「みんな、銭、金、銭を要する。
いや、独立しないと技は鍵屋に奪われる。独り立ちせねばなるまい。鍵屋からの独立不可は不文律、初代玉屋は泥棒のならず者の例の外だった。
銭金と、独り立ち……。
二つとも達したい、焦がれるほどに。
遠過ぎる……。」
といった具合。

また、用語にも独自の使い方があって、
「この火炙りの刑の底での、足掻きの志だ。ゆめ、忘れてはならない。」

「啖呵というのではない、この五十幾年の五助の生きてきた史(ふみ)から漏れ出る本音だろう。」
「足掻きの志」「生きてきた史」、分ったようで分らない表現ですね。

これらの特徴は、江戸時代の人間に近代意識を持たせたことによるのでしょう。つまり、状況が江戸時代なのに、主人公は近代人的な罪悪感や贖罪感などを持っている。
現代小説なら翻訳語や外来語で表せばいいところを、時代小説ということで、持って回った言い回しとなってしまう。

というのが、この文章が、小生の趣味に合わない最大の原因だと思われます。
教訓:時代小説の登場人物に近代意識を持たせたい場合には、読者に分りやすくさせる工夫が必要。「地の文」に特定の役割を与える、とかね。

小嵐九八郎
『悪たれの華』
講談社
定価:2,415 円 (税込)
ISBN978-4062135085

大岡昇平の「歴史小説論」

2007-07-02 02:05:35 | Criticism
鴎外の小説作法が、歴史小説の上でいささかの混乱を招いたのではないでしょうか。
特に、彼が「史伝」の分野に手を染めてからは、歴史其儘(実際には「史書」そのまま)が、一つの理念型となってしまった嫌いがあります。

ここでは、前回述べたように、鴎外が述べたのは彼の「歴史小説作法」の問題にしか過ぎない、と理解しておいた方がよいようです。
むしろ、歴史小説の類型として、書く側/読む側として役立つのは、以下のような大岡昇平の言説でしょう。

彼が述べたのは、次のような2類型でありました(こちらも参照)。
「A.過去の再現という、歴史の線に沿ったもの。
 この場合、近代的レアリズムは、場面と人物の再現について、歴史に協調的に働く。
 B.現代社会の諸条件では不可能な状況を、歴史をかりて設定し、人間のロマネスク衝動を満足させるもの。」

類型Aに「近代的レアリズムは、場面と人物の再現について、歴史に協調的に働く」とあることにご注意。
ここで「史書」(歴史的事実)に忠実に、という必要が出てくるわけです。
大は、事件の前後関係(因果関係も含む)から、小は、風俗のありように到るまで、「歴史に協調的に働く」のです(架空の登場人物であっても、その制約を免れない)。
また、歴史小説での「小説としての reality 」を保障するものとして、時代考証なども必然的に出てくるでしょう。

これに対して、類型Bの場合は、「人間のロマネスク衝動を満足させるもの」ですから、「史書」に忠実かどうか/どの程度忠実かは、書き手の恣意的な選択ということになります。
ただ、「小説としての reality 」を保障するものとして、特に風俗がらみの時代考証を、この類型でも大事にする書き手もいますので、その点は、読み手としても注意が必要なところでしょう。

今考えると、三田村鳶魚が『大衆文芸評判記』(1933) や『時代小説評判記』(1939) という文章を発表し、時代考証をうるさく言った時には、このような歴史小説の類型などは考慮に入れていませんでした。
まあ、三田村翁の功績はそれとして、現在では、いささか大岡の類型を知った上で時代考証も考えた方がいいでしょう。

ちなみに、類型Aに属する路線として、尾崎秀樹は「吉川英治から司馬遼太郎に至る線」(『三田村鳶魚全集 第24巻』月報、座談会「鳶魚と時代小説」尾崎秀樹発言より)を指摘し、類型Bに属するものを「ロマンいっぱいな作品」と捉え「柴田錬三郎から山田風太郎になり、あるいは半村良に至る」(同発言)としています(現在だと、誰になるのでしょうか)。

大岡昇平
『歴史小説論』
岩波書店・同時代ライブラリー
定価:各 764 円 (税込)
ISBN978-4002600475

「歴史其儘」と「歴史離れ」

2007-06-30 04:58:19 | Criticism
明治時代になって西欧化が進むと、従来の「稗史(小説)」は著しく非難の的になります。

その典型的な言説が、坪内逍遥の『小説神髄』であると言えるでしょう。
そこで彼は、「江戸時代の怪奇風で勧善懲悪式の物語作法を批判し、人間の感情や物事をありのままに描写する小説 novel を提唱」(HP「青空文庫」坪内逍遥の項目)します。

これによって、ほぼ従来の「稗史(小説)」的なものは、講釈や芝居などの民衆芸能の世界に追いやられていきます(一方で、劇場・脚本・演技のすべてに渡って、歌舞伎の近代化も進んでいく。「活歴もの」から「新歌舞伎」)。

また、次のような言説も、大正時代になると現れてくる。
「わたくしは史料を調べて見て、其中に窺はれる『自然』を尊重する念を発した。そしてそれを猥に変更するのが厭になつた。これが一つである。わたくしは又現存の人が自家の生活をありの儘に書くのを見て、現在がありの儘に書いて好いなら、過去も書いて好い筈だと思つた。」

「わたくしはおほよそ此筋(=原・伝説の『山椒大夫』)を辿つて、勝手に想像して書いた。地の文はこれまで書き慣れた口語体、対話は現代の東京語で、只山岡大夫や山椒大夫の口吻に、少し古びを附けただけである。しかし歴史上の人物を扱ふ癖の附いたわたくしは、まるで時代と云ふものを顧みずに書くことが出来ない。そこで調度やなんぞは手近にある和名抄にある名を使つた。官名なんぞも古いのを使つた。」
というのが、森鴎外の「歴史其儘と歴史離れ」に説明された2種類の小説作法です(「歴史小説」概念の2類型と見るより、鴎外の2とおりの小説作法と読んだ方が適切だと思われる)。

一方で、地下底流化していた「稗史(小説)」が、講釈の文字化という形で表面に出てくるのも、この頃です(「立川文庫」「講談倶楽部」など)。

森鴎外
『歴史其儘と歴史離れ―森鴎外全集(14)』
ちくま文庫
定価:各 1,427 円 (税込)
ISBN978-4480030948

「史伝」と「稗史(小説)」

2007-06-29 00:48:25 | Criticism
歴史を書き物にした場合、「史伝」に対して「稗史(はいし)」という二項対立する概念が伝統的にあるわけですが、この対立、今日でいうと、どういうジャンルになるのでしょうか。

「歴史」そのものを、われわれは五感で直覚的に捉えるわけにはいきませんので、普通は文字を通じて理解しようとします(ここでは「図像史料」は脇へ置いておく)。その基になるのが「史料」でしょう。
その「史料」に主観的な要素や史観が加わっているかどうかは別にして、とりあえずは、これが一番の基礎になることは間違いないところ。
ここでは、「史料」をまとめたものとして、とりあえず「史書」を扱います。

「史書」をベースにして、フィクションの要素を排除し、著者の歴史観に基づき書いたものを「史伝」、フィクションを入れて著者が再構成したものを「稗史」と呼んでいるのではないでしょうか。
また「稗史」の場合には、時によりプロットの都合で歴史的事実を改変する場合もあるので、「史伝」より一段低く見られる場合もありますが、これはプロットを重視するか、それとも歴史的事実を重視するか、という叙述における態度の違いで、そこに文学的価値の高低はありません(著者自身がコンプレックスを持つことはあるけどね)。

例を挙げれば、中国の場合でいえば、「史書」が陳寿の『三国志』、「稗史」が『三国志演義』となるでしょう。『水滸伝』も同様で、「史書」はおそらく『宋史』、しかし直接、史書からというわけではなく、説話集『大宋宣和遺事』辺りが中間項としてあるのでしょう。

日本の場合、江戸時代の読本が、代表的な稗史(小説)のジャンルで、
「時代設定と場所、そして登場人物たちの固有名詞は自在に設定できるわけではなく、演劇世界で培われた伝統的な枠組であるいわゆる〈世界〉に規制されている。つまり制度化された歴史叙述の様式的方法からいかに離れられるかが、草双紙とは異質な江戸読本にとっての一つの課題でもあったのである。」(高木元「江戸読本研究序説」
となるのでしょう。
分りやすい例では、馬琴の『椿説弓張月』。おそらく、それなりの「史書」や『保元物語』を中心とした伝説に基づいているのでしょうが、馬琴独自に描いたフィクションの要素がかなり強いものになっています。

以上のような「史伝」と「稗史」という概念を、江戸時代人は持っていたと思われるのですが、明治になり西洋風の「小説(ノヴェル)」という概念が入ってくると、また事情がいささか変化してきます。

その辺については、またの機会に。

「想像力の方向性」と「暗示」

2007-05-21 02:11:34 | Criticism
文章には「暗示」というレトリックがあります。
情報A、情報B、情報Dとはっきり示して、情報Cがあることを、それとなく伝える、という方法です。

当然、この方法を取るためには、伝え手と受け手との間に、共有する知識や心理的傾向、シチュエーションなどがなければなりません。ある場合には、これは「省略」という形になることもあります。

「省略」のいい例としては、定型としての「挨拶」というものがある。
「どうも、この度は……」
なんてえのは、結構便利でして、「……」の部分には、「おめでとうございます」という祝いのことばから、「ご愁傷さまで」という悔やみのことばまで入れることができる。
それもシチュエーションが決まっているから、このようなことばが当然入るであろう、と推測がつくわけです。

これに比べると、文章における「暗示」は、なかなか難しい。
というのは、伝え手と受け手との間で、シチュエーションがはっきりしていない場合もあるし、共有する知識においても違いがあるのが当たり前だったりするからです。

特に小説の場合、書き手の想像力によって作り出された世界での出来事ですから、現実世界で読書をしている受け手とは、相違があるのが、ある意味で当然至極。
まずは、両者の間に「お約束」などはありませんので、いかに小説世界に入ってもらうかに努力を払うわけです。
書き手独自の世界に入ってもらったとしても、その上に今度は、共有する知識の相違というものがある。ある程度は、同じ日本語の使用者ということで、暗黙の諒解を得られるとしても、ちょっと特殊な世界を描いたものとなった場合にはどうでしょうか。
また逆に、読者の常識の範囲だけに留まった小説があったとしたら、それは面白いものと感じてもらえるでしょうか。
その兼ね合いをどうするかに、書き手の苦労があると言っても過言ではありません。

ここで「想像力の方向性」ということを考えてしまいます。
というのは、「暗示」というのは、書き手が読み手に「想像力の方向性」を示すことではないか、と思えるからです。
つまり、方向性さえ出せれば、その先にあるものが、ピンポイントで示せなくともよいのではないか。つまり、書き手が「東」を示して、読み手がそれを「北東」や「南東」と受けとってくれれば、それで十分ではないか、ということです(少なくとも「西」や「北」「南」ではないからね。推理小説の「ミス・ディレクション」や「レッド・ヘリング」などは、この曖昧さを意識的に使うことがありそう)。

論文の場合だと、それでは困るでしょうが、こと小説の場合なら、それで良しとすべきでしょう。
そもそも、小説全体が与えうるものも、その程度の曖昧さがあってしかるべきでしょう。それは、読み手の程度を甘く見ているという話ではありません。
読み手には誤解する権利がある、ということばも、そういう意味なのではと思えます。
かえって、学校教育での「この書き手が言いたいことは何か」を追及する読み方は、そのような曖昧さを含んだコミュニケーションである「小説」を変に誤解させることになるのではないでしょうか。

時代小説に「いちゃもん」【その4】

2007-04-01 05:40:02 | Criticism
大島昌宏『罪なくして斬らる―小栗上野介』(学陽書房・人物文庫刊)佐藤雅美『覚悟の人ー小栗上野介忠順伝』(岩波書店刊)など、小説でも取り扱われることの多くなった小栗上野介忠順(ただまさ)です。

まあ、そのきっかけとなったのは、司馬遼太郎が『明治という国家』(NHKブックス刊。初版発行1994年)で「明治の父」と呼んで評価したことでしょうか。

それに、また1冊をつけ加えたのが本書です。
他とは異なる特徴としては、艦船についての記述が多いことも、その一つでしょう(タイトルにも「艦」とあるとおり)。
しかし、その内容が何とも「?」「!」の連続なのでありますね。

マニアックな指摘もできますが、ここでは常識的な部分から。

まずはペリー艦隊の搭載砲について。
「四隻とも船体は黒く塗られ、両舷にはそれぞれ二十門の大砲を搭載していた。」
「それぞれ」とありますから、合計で20門×2×4隻=160門の大砲があったことになります。これは完全な間違いで、4隻合計で63門が正しい。
なんで2倍以上の数が出てくるのでしょう。

次に咸臨丸について。
「咸臨丸はスクリューを装備した新型船にはちがいないが、スクリューを使うのは港の出入りだけで、あとは風まかせの帆走に頼るという中途半端な蒸汽帆船だった。」
とありますが、別に「中途半端な」艦船ではありません。
著者は、当時の他の蒸気船が、完全に蒸気動力だけで航海していたと思っているんでしょうか。ペリー艦隊の蒸気船にせよ、小栗上野介ら遣米使節団の乗った〈ポーハタン〉にせよ、出入港時や荒天時、戦闘時など特殊な場合を除いて、ほとんどの航行は帆走だったのです。

もっと驚くのが、
「タットナル提督は、砲塔から大砲をとりはずし、砲口部を板やテントでふさいで従者の部屋にあてるよう改造してくれた。」
という記述。
南北戦争当時に〈モニター〉という旋回砲塔を備えた艦はありましたが、〈ポーハタン〉のような艦には砲塔はありません。
この著者、ガン・デッキ(砲甲板)と砲塔との違いを分っていないとしか思えません。

その他、細かいところでもいろいろありますが、多少マニアックなところでは、〈グレート・イースタン〉に関する部分。
1858年に竣工、1860年に処女航海に出た全長211メートル(692フィート)、最大幅25メートル(83フィート)、1万8,915総トンの、この巨船についても「?」であります。
「一八五七年にロンドンで竣工されたもので全長二百二十三メートル、幅約二十七メートル、六本の帆柱を立て、船腹の両側にそれぞれ蒸汽外輪を二連ずつ装備し、後尾にスクリューを装備した世界最大の鋼鉄の客船である。しかも、この船は四十六門もの大砲を搭載していたから、使節団のサムライたちは、〈英国の大軍艦〉だと勘違いした。」
あっているのは、「六本の帆柱」「後尾にスクリューを装備した世界最大の客船」ということぐらいでしょうか。
しかも「四十六門もの大砲を搭載」という資料は、小生が調べた限りではどこにもありません。一体、何が出典なのでしょうか?

下巻の巻末に「主要参考文献」のリストが載っていますが、確かに艦船に関するものはありません。
著者には、せめて元綱数道著『幕末の蒸気船物語』ぐらいには目を通されることをお勧めしておきます(もう手遅れだけどね)。

吉岡道夫
『ジパングの艦(ふね) 小栗上野介・国家百年の計 上』
光人社
定価:1,995円 (税込)
ISBN9784769810223

コン・ゲーム小説と冒険小説

2007-03-29 04:58:58 | Criticism
以前に〈実践的物語論(2) -「原型」としての英雄伝説〉という記事で、英雄伝説の「骨格」は、
「「武技(あるいは智恵)に優れた主人公が、使命を与えられ(あるいは、受け/自覚し)、艱難辛苦の末に、その使命を達成する(あるいは、達成の寸前に自滅する)」
というものだ、と述べました。

同様の骨格をもっている「物語」は、今日でもあるジャンルでは主流になっているようです。

そのジャンルに、コン・ゲーム小説と冒険小説とがあります。
コン・ゲーム小説は「非合法な手段」ではありますが、
知力に優れた主人公が、使命を与えられ(あるいは、受け/自覚し)、艱難辛苦の末に、その使命を達成する(あるいは、達成の寸前に自滅する)」
というものですし、冒険小説は、
体力に優れた主人公が、(以下、同文)」
というものです。

こうして見ると、知力と体力との違いはあっても、コン・ゲーム小説と冒険小説とは類縁関係にあることがお分かりのことと思います。
したがって、両方のジャンルは、容易に融合していく。

最近では、その例を、井上尚登の『T.R.Y. トライ』に見ることができます。

内容は、
「一九一一年、上海。服役中の刑務所で暗殺者に命を狙われた日本人詐欺師、伊沢修は、同房の中国人、関に助けられる。その夜、伊沢は革命家である関からある計画への協力を要請された。それは、革命のための武器の調達、それも、騙し、奪い取る。そのターゲットは日本陸軍参謀次長。暗殺者から身を守ることを交換条件としてこの企てに加担した伊沢は、刑務所を抜け出し、執拗な暗殺者の追走を受けつつ、関たちとともに壮大な計画を進めていく。」(「BOOK」データベースより)
という、コン・ゲーム小説としての骨格を備えていますが、途中での青幇 ( チンパン) との対立や、主人公を狙う暗殺者との追っかけなどは、冒険小説の要素が強いといえるでしょう。

ちなみに、関東大震災以前の浅草を舞台にした「追っかけ」は、「十二階」や「街鉄」などを使って、文字通りの立体的なものになっているのが、なかなか面白い。

ということで、同じ骨格を持った両ジャンルを融合した「物語づくり」も可能である、というお話でした。

井上尚登(いのうえ・なおと)
『T.R.Y. トライ』
角川文庫
定価: 720円 (税込)
ISBN978-4043582013

時代小説に「いちゃもん」【その3】

2007-03-24 05:05:32 | Criticism
ごく普通の人が、毎日の暮らしの中で和服を着なくなってから、ずいぶんと時間が経っています。
戦前期には、ミドル・クラスのサラリーマンでさえ、家に帰ってからは和服に着替えていたようです。どうやら、そのような習慣さえなくなったのは、戦争があってからのことでしょう。何しろ、空襲などが日常的になると、和服では不自由でしょうがないからね。

ということで、今日のわたしたちには、和服についての知識が乏しくなっている。それは、結構年齢が上の世代でも変りがないようで、今回とりあげる『旋風時代 大隈重信と伊藤博文』の作家、南條範夫でさえ、いいかげんな描写をしています。ちなみに、南條は、1908(明治41)年の生まれです。

この小説で、大隈が初登場するシーンの服装の描写。
「黄八丈の着物に同じ羽織を着け、仙台平の袴を穿いている。」
これが明治天皇の行在所にいる三条実美を訪問した大隈なんだそうですから、噴飯物です。

まず、黄八丈を一人前の侍が着るものかどうか。
次に,黄八丈の羽織などがあるものかどうか。
それをお考えいただきたい。

小生などは、黄八丈といえば、黙阿弥の『梅雨小袖昔八丈(つゆこそでむかしはちじょう。通称「髪結新三」)』で白子屋お熊が着ているものと思っておりましたが、大隈重信がそんな縞柄の派手な服装をするものかどうか。
また、縞柄の羽織というのも見たことがない(黄八丈には無地のものもあるそうですが、それはごく稀だそうです)。

小説に戻れば、こんな恰好で、
「地方から出てきたにしては、なかなかおしゃれ」
とありますが、どこが「おしゃれ」なんでしょう。

同様の「勘違い」描写は、他の作家でも結構見かけます。
小生のような、和服音痴でさえ気づく位ですから、服装に詳しい人には、読んでいられない思いにもなってくるんじゃあないでしょうか。

また、「勘違い」描写は、日常の行動にもあります。
こちらの原因は、江戸時代の人も、現代と同じような行動をしていたと思い込んでいるからでしょうか。

こっちの例は、1953(昭和28)年生まれの鳴海風の作品「円周率を計算した男」。
「訪ないをこうと、妻女が出てきた。」

建部賢弘が、関孝和の屋敷を訪問するシーンです。この時、関は、甲府宰相徳川綱豊の臣です。
このような家の場合、「表」と「奥」とはかっきりと分けられており、「妻女」が玄関に出てくることはありえない。出てくるのは関の家来(もちろん男性)で、女性が出てくるはずがありません。

この人、その辺が分っていないので、他の作品でも、平気で男女が同席してしまう。

基本的に、小説には何でもありとは思っていますが、このような傾向の小説の場合(リアル系の時代小説)、時代考証はきちんとしていただきたいものです。

鳴海風(なるみ・ふう)
『円周率を計算した男』
新人物往来社
定価: 1,890 円 (税込)
ISBN978-4404026491

時代小説の会話文・再び

2007-03-23 05:00:07 | Criticism
前回「本邦初の縄文小説」である『秋津洲物語』をご紹介しました。

それでは、この小説での会話文はどのようなものでしょうか。
縄文時代の人びとの会話は、どう表現されているのでしょうか。

以前に「時代小説の会話文」という記事で、
「時代小説/歴史小説の会話文の扱いに関しては、2種類の方法があるようです。」
と書き、一つは時代色を感じさせるような会話文を使う方法、もう一つは現代語そのままを使う方法、があることを、芥川の作品を通じて示しました。

前回、多少の引用をしましたから、ある程度はお分かりと思いますが,この「縄文小説」は、どちらかといえば、「現代語そのままを使う方法」なんですね。

理由には、いささかの見当がつく。
まず、縄文時代のことばなんて、だれにも分らないからですね。いくら「らしく」したくとも、その根拠になるものもないし、読者にも「らしい」と感じるだけのイメージもない。

ちょっと引用してみましょうか。
「それはならねぞ、ニハキ。祭を統(す)べる者は禁欲と節制が要る。手前(てめえ)が酔っぱらってちゃ神々を酔わせることなんぞできめえが」
といった具合。
さすがに、太郎や次郎、◯◯左衛門などという名まえを、登場人物に付けていないけれど、それ以外は、「禁欲」「節制」などという今のことばをも使い、まったくの現代文です(多少、べらんめえ口調だけども)。

それでも、名まえ以外に、「らしい」感じを与えるために、著者は次のような工夫をしています。
それは、韻文に『萬葉集』あたりの雰囲気を与えていること(その他、祝詞風の祭文もあり)。
これも引用します。
「南風(はえ)吹けば 南風の吹くまま
 北風(きた)吹けば 北風の吹くまま
 波に乗り 辿る潮路に
 やがて見る 紅き夕陽の
 射し染むる 黒き陸地(くがち)を」

小生、基本的に小説には、「なんでもあり」と思っています。ですから、縄文時代の人びとが、現代語でしゃべってもいいでしょう。
問題は、その時代の雰囲気を感じさせられるかどうかです(それには、地の文での「環境づくり」も大切)。
その点、この作品は、『萬葉集』『祝詞』などのパロディーっぽい韻文を使ったりする工夫によって、雰囲気づくりには成功しているように思われます。

最後に一つだけアラを指摘しておけば、それは、登場人物が妙に内省的になること(自己分析が的確でありすぎる)。
主役のコノク爺様や、副主役級のニハキ村長が、「おおらか」な考え方をする場面がもっと多ければ、より雰囲気が出せたでしょうが、けれども、そうすると今度はストーリーが転がっていかないということもあり、「縄文小説」を書くのも、なかなか難しいもののようです。

短編小説のエンディングについて

2007-02-26 09:34:52 | Criticism
長編に比べると、短編小説の結末をどうするかには、結構難しいものがあります。

長編小説は、ストーリーや主要人物の運命なりが一先ず完了した、という時点があるのですが、短編の場合には、その一部を切り取った/クローズアップした感があるので、どこをエンディングとするかは、著者の視点がはっきりと現れてくる。
今回は、安部龍太郎の短編集『お吉写真帖』をテクストに、エンディングについて考えてみようという趣向。

古風なエンディング観だと、まるで落語のようなトゥイストの効いた終りを良しとしたようですが、さすがに現在の短編では、そのようなものはあまりありません。
しかし、そのような、ある種鮮やかな結末が上手くいった場合には、それなりのカタルシスが得られるのも確かなようです(クラシカル音楽での「終止形」のようなもの)。

テクストとした短編集には、切れ味の良いエンディングの例はありませんが、思いがけない結末として余韻を残すものとしては、集のタイトルとなった『お吉写真帖』があります。
この短編は、いわゆる「唐人お吉」と、幕末から明治にかけての写真師下岡蓮杖との知られざる交流が描かれ、幕切れは、明治になってからのお吉の生き方を「写真史」の1ページに暗示するものとなっています。

また『適塾青春期』は、長与専斎の適塾時代を描いたもので、青春の喜びと哀感が表された、なかなかの好短編です。
けれども、エンディングという点では、特に工夫があるわけではなく、まあ標準的な出来。

長編の一部としか思えないエンディングのものとしては、西周助(周)のオランダ留学への旅を描いた『オランダ水虫』、加賀の支藩大聖寺藩での幕末の贋金造りの顛末を描いた『贋金一件』があります。
これらは、結末はあってなきがごときもので、まさしくまだまだ続きがある、という感じを抱かせます。

ということで、書く側にとって、なかなかエンディングは難しいもので、上手いアイディアが浮かべば、そこからの逆算で一編が仕立て上がったも同様のところがあります。

さて、本短編集の作者は、どのような経過で、これらの短編を組み立てたのでしょうか。
そんなことも考えながら一冊を読むのも、面白いものではないでしょうか。

安部龍太郎
『お吉写真帖』
文春文庫
定価:650円 (税込)
ISBN978-4167597030