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一風斎の趣味的生活/もっと活字を!

新刊、旧刊とりまぜて
読んだ本の書評をお送りいたします。
活字中毒者のアナタのためのブログです。

今日のことば(10) ― C. レヴィ-ストロース

2005-10-28 00:00:30 | Quotation
「一つの民族の習俗の総体には常に、或る様式を認めることができる。すなわち、習俗は幾つかの体系を形作っている。私は、こうした体系は無数に存在していないものであり、人間の社会は個人と同じく、遊びにおいても夢においても、さらには錯乱においてさえも、決して完全に新しい創造を行うことはないのだということを教えられた。」
(『悲しき熱帯』)

C. レヴィ-ストロース(Claude Levi-Strauss. 1908 - )
ベルギー、ブリュッセル生れ、フランスの文化人類学者。F. de ソシュール、R. ヤコブソンなどの構造言語学や、M. モースなどのフランス社会学の影響を受ける。ブラジル、アメリカで民族学を研究後、1949年に帰国。社会人類学研究所を創設し、『親族の基本構造』" Les Structures elentaires de la parent?"(1949)などで、「文化の厳密な構造分析方法たる構造主義」の旗手となる。
『悲しき熱帯』"Tristes Tropiques"(1955) は、1930年代に彼がブラジルに滞在し、フィールド・ワークを行なった記録をまとめたもの。

参考資料 C. レヴィ-ストロース、川田順造訳『悲しき熱帯』(中央公論社)

今日のことば(9) ― E. フロム

2005-10-27 00:00:43 | Quotation
「権威主義的性格にとっては、すべての存在は二つにわかれる。力をもつものと、もたないものと、それが人物の力によろうと、制度の力によろうと、服従への愛、賞賛、準備は、力によって自動的にひきおこされる。。力は、その力が守ろうとする価値のゆえにではなく、それが力であるという理由によって、彼を夢中にする。かれの『愛』が力によって自動的にひきおこされるように、無力な人間や制度は自動的に彼の軽蔑をよびおこす。無力な人間をみると、かれを攻撃し、支配し、絶滅したくなる。」
(『自由からの逃走』)

E. フロム(Erich Fromm. 1900 - 80)
ドイツ、フランクフルト生れの社会心理学者。ハイデルベルク、フランクフルトなどの大学で、心理学と社会学を専攻。ベルリン大学で精神分析学を学び、精神分析を社会現象に適用する新フロイト主義の立場に立つ。
1933年、ナチに追われてアメリカに移住、後に帰化する。
このような経歴を持つフロムが『自由からの逃走』(1941) で述べているのは、現代において個人の自由が、政治的全体主義などの社会的圧力によって脅かされているだけではなく、人々が自由な状態から逃れ出たいとのぞむような「呪詛」にもなりうる、ということである。

参考資料 エーリッヒ・フロム、日高六郎訳『自由からの逃走』(東京創元社)

今日のことば(8) ― M. エリアーデ

2005-10-26 00:00:18 | Quotation
「空間と同様に、宗教的人間にとっては時間も均質恒常ではない。一方には聖なる時の期間、祭の時(大部分は周期的な祭である)があり、他方には俗なる時、つまり宗教的な意味のない出来事が行なわれる通常の時間持続がある。」
(『聖と俗―宗教的なるものの本質について』)

M. エリアーデ(Mircea Eliade. 1907 - 86)
ルーマニア、ブカレスト生れの宗教史学・宗教現象学者。
「聖なるものは遠い人類の神話時代に発し、古代社会および原始社会における人類の生存全般にわたって顕現した宗教的価値であり、やがて歴史時代の進展と共に衰退し、近代の工業社会に至ってほとんどその影を没しようとしているものである。本書はこの聖なるものの現象形態全般とそのなか生きる人間の状況とを叙述し、現代社会に代表される俗なる世界との対比により、いわゆる宗教的人間(homo religiosus) のあり方を出来るだけ明らかにしようとしたもの」。(「現代と東洋の宗教(訳者あとがきに代えて)」より)

参考資料 M. エリアーデ、風間敏夫訳『聖と俗―宗教的なるものの本質について』(叢書・ウニベルシタス、法政大学出版局)

今日のことば(7) ― 上田敏

2005-10-25 00:24:38 | Quotation
「自我を没することなく、例へば音響が自個の性を失はず洋々たる諧音(ハルモニイ)を組立て組成して行くやうなのが、文明の大勢である。」
(「新婦人」大正2年)

上田敏(うえだ・びん。1874 - 1916)
号は柳村。明治時代の詩人、外国文学者。東京帝国大学文科大学、同大学院在学中から西欧音楽に興味を抱き、演奏会評、音楽評論、外国音楽家の紹介などを執筆する。彼の周辺には、大学院時代の恩師ケーベル博士(哲学科教師として来日したが、モスクワ音楽院卒業の音楽家でもある)、平田禿木、島崎藤村、星野夕影などの西欧音楽愛好家がいた。
著書『海潮音』(明治38年)は、ボードレール、マラルメなどフランス象徴詩、イタリア、イギリス、ドイツなどの詩をも収録した訳詩集で、明治文学界に大きな影響を与えた。
「『海潮音』なり『牧羊神』なりを、つぶさに読みほぐすと、訳者である上田敏博士独特の音楽感覚が、到るところに生きいきとしている。」(内藤濯)

参考資料 中村洪介『西洋の音、日本の耳ー近代日本文学と西洋音楽』(春秋社)

今日のことば(6) ― E. シュタイガー

2005-10-24 00:14:22 | Quotation
「彼(大バッハ)の知っていたものは音楽の偉大さであり、また音楽が個々のいかなる想像する人間よりも偉大であるということでありました。自分の書きつける小節の一つ一つが古い伝統の上に立つものであり、この奥ぶかい背景なしにはおそらく不可能だっただろうということを、彼は知っていたのです。」
(『音楽と文学』芦津丈夫訳、白水社)

エミール・シュタイガー(Emil Staiger. 1908 - 1987)
スイスのクロイツリンゲン生れ。1943年から1976年までチューリッヒ大学ドイツ文学科正教授の職に就く。文学研究において、新しい意味での「解釈学」を打ち出したことで知られる。これは、「作品解釈とはあくまで作品そのものに即し、『事象それ自体から』(フッサール)なされるべきである」としたもので、現象学の影響を多分に受けている。主著には『詩人の構想力としての時間』"Die Zeit als Einbildungskraft des Dichters"(1939)『詩学の根本概念』"Grundbegriffe der Poetik" (1946) などがある。
音楽にも造詣が深く、チューリッヒのある公開演奏会では、モーツァルトのピアノ協奏曲でピアノ独奏をつとめたこともある。
この『音楽と文学』"Musik und Dichtung" は、音楽に関する論文、講演記録、祝辞を集めたもので、1947年チューリッヒで刊行されたもの。
目次は、
 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
 グルックの舞台芸術
 ゲーテとモーツァルト
 ドイツ・ロマン主義の文学と音楽
 『ばらの騎士』への考察
 オトマー・シェック
 アルテュール・オネゲル
となっている。

今日のことば(5) ― C. G. ユング

2005-10-23 00:06:45 | Quotation
「意識は、ある瞬間、同時に存在する内容をきわめて僅かしか保持できません。その時点で保持されないものはすべて無意識であり、われわれはその時々の意識の継続性*を通して、意識世界についてのある種の連続性や、全般的な理解や気づいているという状態**を獲得しているにすぎないのです。」
(『分析心理学』小川捷之訳、みすず書房)
継続性:succession
**気づいているという状態:awareness


C. G. ユング(Carl Gustav Jung. 1875 - 1961)
スイスの心理学・精神医学者。フロイトとともに初期の精神分析の発展に寄与するが、1913年フロイトと訣別、独自の分析心理学を創始する。訣別の理由は、フロイトの決定論に対してユングが反撥したためとも、ユングのオカルト的な興味を科学主義のフロイトが認めなかったためとも言われている。しかし、人間の心理には、無意識という広大な領域が広がっているという認識は、2人とも共有している。ただ、フロイトがその領域に見たものは、人間の暗部であり、意識の間隙であるのに対し、ユングは、そこにある可能性を見出していたことは否定できない。
この『分析心理学』"Analytical Psychology: Its Theory and Practice" の内容は、ロンドンの医学心理学研究所において、ユングが1935年9月30日から10月4日の間行なった一連の講義を記録したもので、講義の場所の名前を取って "The Tavistock Lecutre" として広く知られている。

今日のことば(4) ― スタンダール

2005-10-22 00:00:00 | Quotation
「イタリアの政治状態には、羨ましい点は一つもない。しかしながら、数世紀このかた世界中に喜びをもたらした偉大な人物のすべてが、このイタリア文明の〈総体〉から出現した。ラファエロからカノーヴァ*まで、ペルゴレージからヴィガノ**に至る、藝術によって世界を魅了したあらゆる天才が、愛を知る人たちの国で生まれた。」(『ロッシーニ伝』)
カノーヴァ:アントニオ・カノーヴァ(1757 - 1822)。新古典主義を代表する彫刻家。
**ヴィガノ:サルバトーレ・ヴィガノ (1769 - 1821)。ボッケリーニの甥に当たる作曲家。作品には、バレエ『巫女』など。ベートーヴェンに『〈ヴィガノのメヌエット〉の主題による12の変奏曲』がある。

スタンダール(1783 - 1842)
本名、アンリ・べール (Henri Beyle)。グルノーブルに生れ、17歳の時にナポレオン遠征軍とともにミラノに入城、ここでイタリアを「発見」、終生変らぬイタリア讃美者になる。『ロッシーニ伝』"Vie de Rossini" は、1823年秋の刊行。この時、ロッシーニは『セヴィリャの理髪師』(1816年初演)を始め、有名な作品の大部分を発表しており、ヨーロッパ中に名が轟いていた。
「ナポレオンは死んだが、また別の男が出現して、モスクワでもナポリでも、ロンドンでもウィーンでも、パリでもカルカッタでも、連日話題になっている。」
というのが『ロッシーニ伝』の書き出し。
一方、スタンダールは、まだ『赤と黒』(1830) 『パルムの僧院』(1839) などの代表作を書いておらず、音楽家の伝記やエッセーを出版しただけの無名の作家であった。

参考資料 スタンダール、山辺雅彦訳『ロッシーニ伝』(みすず書房)

今日のことば(3) ー 石川啄木

2005-10-21 00:05:14 | Quotation
「見よ、今日も、かの蒼空に
 飛行機の高く飛べるを。」
(石川啄木「飛行機」、大正2年『啄木遺稿』)

石川啄木(1886 - 1912)
啄木石川一(はじめ)は、20歳の時に刊行した詩集『あこがれ』で、天才詩人として注目されたが、職を求めて北海道各地を転々とした。その後、上京し、明治42(1909)年、東京朝日新聞社の校正係として就職した。
「飛行機」には "1911・6・27・TOKYO" と記されているから、日本で飛行機が初めて空を飛んだ翌年、ということになる(明治43年12月19日、徳川好敏大尉が〈アンリ・ファルマン式複葉機〉で、代々木練兵場上空を飛行した)。
明治44(1911)年4月4日には、所沢飛行場が完成し練習飛行を始めたので、その後、東京市内でも飛行機を見掛ける機会があった。啄木が詠った飛行機は、この練習飛行中の機体であったものと思われる。
詩は、この後、「給仕づとめの少年が/たまに非番の日曜日、/肺病やみの母親とたった二人の家にゐて、/ひとりせっせとリイダアの独学をする眼の疲れ……/ /見よ、今日も、かの蒼空に/飛行機の高く飛べるを。」と続く。

参考資料 和田博文『飛行の夢 1783 - 1945』(藤原書店)

今日のことば(2) ― 森鴎外

2005-10-20 09:52:44 | Quotation
「歌劇は亡国の美術など云ふ人さへあるほどなれば、よろづに贅沢なること云ふも愚かなり、唯見る人の目くるめき気もそゞろなるほどなり、げに歌劇は美術中の最も贅沢なるものなるべし」(森鴎外「歌劇のことども」、明治39年11月「音楽新報」歌劇号)

森鴎外(1862 - 1922)
鴎外森林太郎は、明治17(1884)年から陸軍軍医としてドイツに留学、衛生学などを学ぶかたわら文学、美術、音楽などにも親しんだ。足掛け5年の留学中には、オペラ劇場へも数十回通っている。鴎外が生前に所有していたオペラ台本は15冊あり、『タンホイザー』『さまよえるオランダ人』『フィガロの結婚』などには、余白への書込みも残されている。中でも、明治18(1885)年6月21日、ライプツィヒ市立劇場で観た『オルフェオとエウリディーチェ』(C. W. グルック作曲)の台本の余白には漢文体のメモが記されており、観劇の30年後の大正3(1914)年には、「国民歌劇会」〈音楽顧問:本居長世)から依頼され、『オルフエウス』というタイトルで翻訳した。

参考資料 瀧井敬子『漱石が聴いたベートーヴェン』(中公新書)
     中村洪介『西洋の音、日本の耳』(春秋社)

今日のことば(1) ー 伊沢修二

2005-10-19 13:08:07 | Quotation
「今日世界に於て、最高の発達を遂げたる西洋音楽の理法に依り、我国粋を発揮するが如き楽風に依らざるを得ず」(伊沢修二「音楽と最大快楽」明治32年4月「太陽」掲載)

伊沢修二(1851 - 1917)
明治12(1879)年、唱歌の作成・編纂と教師の養成機関である「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)」が文部省に設置され、御用掛(後、初代掛長)となる。翌明治13(1880)年、米国留学中に音楽教育の師であった L. W. メイソン (Luther Whiting Mason. 1818 - 96) を招き、明治14(1881)年に日本初の官製唱歌集『小学唱歌集』を完成させる。取調掛は明治18(1885)年に音楽取調所に昇格し、さらに明治21(1887)年には東京音楽学校(現・東京芸大音楽学部)となり、伊沢は初代校長を務めたのち、貴族院議員にもなった。
ちなみに、伊沢修二の弟、伊沢多喜男(貴族院議員・枢密顧問官)の次男が劇作家飯沢匡(いいざわ・ただす)。

参考資料 伊沢修二、校注:山住 正己『洋楽事始 音楽取調成績申報書』(平凡社・東洋文庫)