醉蝗茶房

80's&水滸&異常な日常

思えども 豈図らんや 我が半生(爆)

2010年01月18日 15時52分50秒 | つれづれ
何でも世間の女性には”カツマー”が大増殖中だそうで。
あたしゃ読んでないけど、エラいブームみたいね。
で、反”カツマー”本も出てるとか(笑)

まぁ、この手の本の特色として、どうしても断言口調が多くなるので、目次見ただけでも「極論かな?」と思っちゃう箇所がないでもないけど。
寨主に言わせれば、どっちも所詮人の書いた本。
書かれてることを全部覚えて全部実行できたからと言って、著者と同じ境遇を得られるかってーと、そんなことあるわきゃない。
共感できる部分を如何に自分でカスタマイズするか、ってのがこの手の本の読み方じゃないかね。
とは言え、反”カツマー”本の極論の方が寨主的には驚いちゃうんだな、これが。読んでないけど(笑)
「努力したって成功するとは限らない。なら、努力しない方が幸せじゃね?」
とゆーのが主旨ならば、だけども(笑)
確かに、努力したから100%結果が出るわけじゃない。
が、何もしないで宝くじ当たってラッキーみたいな人がどれだけいるか、ってー話じゃない?
例えば、何か目標、人でも状態でも良いけど、こうなりたい!ってもんがあれば、その人なりに何かするのが至極当然。
達成できないかも知れないけど、何もしなけりゃ近付かないのも当たり前。
宝くじ買わないと当たらないのと同じよね。
で、問題はきっと達成できなかった時にどう思うかって一点じゃないか?
多分、アンチの方はネガティブに考えてるんだろうね。
「やったけどダメだった。これならやらない方が良かった」って。
でも、達成できなかった状態と、何もやらない状態がイコールかってーと、少なくとも何かやった方がステージは上がってる筈。
可能性の比較で言えば、統計的に言っても勝敗は恐らく明白だよね。

と、寨主は思う(笑)
まぁ、所詮自分の人生なので、やるもやらぬも決めるのは自分。
結果、どうなろうと、100%自分の責任なので、自分で決めれば良い。
愚痴聞かされる周りは迷惑かも知れないけどね(笑)
つか、改めて何かをする努力って奴を寨主は否定しないけど、そもそも努力ってのは一概にそう言うもんではないんでない?
例えばね、風呂入ってる時、「俺ならどうするかな?」とか、他人の状況を自分に置き換えて考えてみることだって、余分に頭使ってる分、努力と言えば努力だと思ってるし(笑)
寨主の例で言えば、IT業界入った当初、特に本なんか読んで勉強しなかった(笑)
その代わり、コンビニでレジ打ってるの見て、「どう言うシステムになってるのかな?」とか思ってみたり、不便なことがあると、「こんなシステム入れれば良いのに」とか思ってみたり。
で、考えるのはタダなんで、あれこれ想像するわけっす。
するてーと、所詮新人の考えることなんで、そのうち自分の想像したイメージに色々問題点が出て来る。
それをクリアするにはどーすれば良いかなー?なんて、またボーっと考えてたり。
意識してそんなことしてたわけじゃないから、努力してるつもりなんかなかったけど、結果的にそれが後々役に立ってるのを現在実感してる。
人生なんて、そんなもんよ(笑)
このblog読んでる人は、過去の寨主の数々のエピソードを知ってる人もいるだろうけど、同じ人生歩んだって、楽しいと感じるか辛いと感じるかは人それぞれだよね。
少なくとも、成功も失敗も、良いことも悪いことも、今となってはブログネタになってるわけで、楽しい思い出なのよ(笑)
要すれば、本人の気持ち次第、他人の書いた本に左右されることないんじゃね?

ん~、最初と最後で全然違う方向に行ってる気がしないでもない...
ま、それも良いんじゃね?(爆)

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