ラティハン日記2

ラティハンと人生の散歩道

誤解されたら訂正が必要です。

2013-08-24 | 日記
「多くの人々は・・・新しい宗教だと考えるので、当然のことながら
まだそれを受け入れることができません。・・・それが歴史です。」

これ、2代目のトークです。  (12TKL12.8(ルンガンサリ))

1963年に誤解されて2012年になっても誤解はそのまま
ということですね。<-ーリンク

50年間、誤解はそのまま放置され、もはやだれも誤解を解こうとは
しません。


誤解している方はどうなるのでしょうか?

その誤解が邪魔をしてラティハンを受けることができません。

それはやっぱりまずいですよねえ、二代目さん。

第三者的に「それが歴史です。」といって済ましている場合では
ありませんよ。

それではあまりにも「当事者感がない」というものです。


それに、まことに残念ではありますが、誤解された方にしか
誤解をとくことはできません。

つまり「我々にしか誤解はとけない」のですよ。

「勝手に誤解した方が悪い。」ではねえ、「相手の立つ瀬がない」
というものです。

そして、そのような態度では何時までたっても誤解をとくことはできません。


これは言葉を変えると「相手を無視している。」ことと同じです。

我々にとって相手は透明になりますが、相手にとっても我々は存在しない
のと同じことになります。

これではねえ、相手にラティハンの事が伝わる訳がありませんね。


それで「誤解を解く」ことは宣伝ではありませんよ、二代目さん。

「コミュニケーションの状態を正常に戻す」だけです。

ですからバパのトークと衝突することはありません。

安心して「訂正情報を発信」していいのです。

そうして「世間とコミュニケーションをとる。」という事は、「世間を無視しない。」という事は
「誤解されたら誤解を解く努力をする。」ということですよね、やっぱり。