「http://www.subud.com/spiritual.html」よりの翻訳・引用です。
・「http://www.subud.com/spiritual.html」<--リンク
『ラティハン クジワアンとして知られているスブドの霊的修練は、生命の神聖な力との新たな接触の結果です。
それはそれを求めるすべての人の中に発生する自然なプロセスで、彼または彼女自身の性質に応じて、彼または彼女自身のペースで行われます。
時々、我々はひっそりと静かな時、または意識の普通ではない高まり状態にある時に、私達はこの深い生命が継続していることに突然気付くことができます。
ラティハンのプロセス(過程、経過)は、自分自身よりも大きな何かを私たちに再接続し、そしてこの特別な意識を生命を持った活動的な状態で保持します。
ラティハンは、プロセス(過程)であり、受けることであり、教えではありません。
誰も何かを信じることは期待されていません。
ただ彼または彼女が経験するものを認識し信頼するだけです。
異なる宗教の人々はそれぞれ自分たちの信仰が深まることを見出し、そして特定の宗教的な相性というものなしでお互いに調和したままラティハンを練習することができます。
ラティハンの本質は、内からの自発的な内部の動きを許し認め、従うことです。
それは取扱い説明書(ノウハウ集)や儀式とは関係ありません。
それは各人各様に異なっています。
多くの人々は穏やかな感覚を感じ、その人が好む用語に応じて、たとえば知恵、より高い自己、聖なるもの、あるいは神との自然なつながりが深まるのを感じます。
ラティハンは、自分の個性(あるいは性格)の発達を導き、それがその人の日常生活を導くことができる、そうなる為の触媒です。
それは、直感や内部にある人を導くもの(内部の先生)につながる感覚を強化することができます。
通常、変化のこのプロセス(進行)は漸進的で自分の人生の実用的な要件に統合されていきます。
(訳注:要するに自分の人生で次第に役に立つようになる、、、と言いたいらしい)
スブドという名前は三つのサンスクリット語:スシラ ブディ そしてダルマ:を短くしたものです。
スシラ ブディ ダルマ(スブド)というコトバは、内部の聖なる力が真の人間の資質につながるような内部の変化をもたらすできるように、内部の聖なる力に譲り任せる(全托する)という人間の可能性を表しています。
協会が寄付に依存して(運営されて)いるもののラティハンは、無料でご利用いただけます。
一般的に、入会前までの3ヶ月の待機期間があります。
この期間はラティハンで人々が経験することになること、そして手順についての情報を得るための機会になります。
スブドはインドネシアのムハンマドスブーSumohadiwidjojoによって設立されました。
彼は通常、尊敬する年上の男性のためのインドネシア語の「Bapak バパ」としてスブド会員によって呼ばれています。
ラティハンは突然予期せず、啓示として彼に来ました。
彼は他の人にそれを渡すことができ、(訳注:そして渡された人はまた次の人に渡す事ができ、そうやって)それは今では83カ国で何千人もの人々によって実践されています。
スブド組織は世界的です。
国内および国際役員や委員会があり、人々が一緒にラティハンの練習ができる為に、地元のグループがあります。(訳注:日本ではそれなりに各地に支部があります。)
協会は1947年に東洋で設立され、1957年に西洋でも設立、そうしてポジティブな利益のために世界の中で働いています。
究極のビジョンは、世界に広がった文化を思いながら、人々の心を開くことに貢献することであります。
World Subud Association(WSA)は、ワシントンD.C.(USA)に本部を置く非営利団体です。
Subudの会員は、現在世界中に普及しているインドネシア発祥の修練である「latihan kejiwaan」ラティハン クジワアンと呼ばれる、無宗派の霊的修練を行っています。(注1)
(訳注:latihan kejiwaanというのは直訳では「Jiwaに関連した訓練」という事になります。
Jiwaというのは何であるのか、英訳では一応Soul(魂)となっていますが、実際はそれを超える概念です。
それで仕方ないので一般に「Jiwaに関連した」という所の和訳を「霊的」と表現しています。)
17歳以上の新しいメンバーを歓迎します。
(訳注:英文は18歳以上となっていますが、現在では17歳に変更されています。)
私たちの組織は、国籍、性別、人種、年齢、性的指向など、いかなる理由でも(人を)差別しません。
Subudは宗教ではなく、すべての宗教を奉ずる者とそのようないずれの宗教にも従わない者(つまり全ての人)に開放されています。
WSAおよびその他のSubud組織は、Subudの会員である、なしに関わらず、すべての人々に対して各自が住んでいる国の法律や各自の奉ずる宗教と一致した宗教的信念や慣習、性的指向、あるいはそのような主題に関する意見を述べる権利のいずれに対しても、それらを変更させるような方針を持つ事やそのような実践をする、ということはありません。
(訳注:それらの事はすべては我々一人一人の自由であり、そして当然ながらその事による責任は各人に帰属する、という事になります。
つまりは世の中の常識に従って会は運営され、そこにはどのような強制もないですよ、という事です。
しかしながら、それでは会の中で自分勝手に主張し行動して良いのか、といえば、当然ながらそのような事が許される訳でもありません。
自分の自由が尊重される様に他の人の自由もまた同様に尊重される必要があるからであります。)』
注1:無宗派の霊的修練
ラティハンは「バパが創設した新しい宗教に属する宗教的な修練」ではありません。
そうではなく、宗教として言語化される前のより初源的な状況に人を連れてゆく手段、方法であります。
それゆえに「無宗派」と言い、それは今ある宗教を奉ずる方々が実行されても、ラティハンのプロセスは各自の持つ宗教にそった、各自にあった形式、内容で進んで行くからです。
他方で特定の宗教を持たない方についても状況は同じであって、各自の内部状況にあった形式、内容で進んで行きます。
以上の様な状況を意味するコトバとして「無宗派」というコトバを使っています。
PS
以下、ご参考までに。
4月18日1963年 バパ@ボゴタ
『・・・・・
このように、信仰のあらゆる種類の人々、そしてこの地上に存在するすべての国の人々は、ラティハンに従うことができます。
それは彼らがさまざまな宗教で経験したことを拒否したり、怒らせたりすることはありません。
例えば、インドを例にとりましょう。
インドでは多くの人々が仏教の宗教に従いますが、また多くはヒンドゥー教徒です。
しかしながら、すべての信念と宗教を包み込んで包み込むことができるので、ヒンドゥー教徒であるインドのメンバーは、彼らの宗教で経験したことに沿ってラティハンを受け取ることができると、Subudはあなたがそのように言うことができるものです、
そこにはクリスチャンとイスラム教徒もいます。
彼らは彼らの宗教で受けたことに基づいてラティハンでも経験します。
したがって、彼らはお互いに嫉妬を感じることはなく、彼らの間に争いはありません。
そして、つまりムスリム、キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒、または他の宗教の人々の視点から見ると、スブドのラティハンはすべての人に非常に適しています。
それで、Subudは宗教や信念でもなく、教えや理論でもないが、霊的な生活の真の現実である技法を神から受け取ることができる人々の協会であることは明らかです。
あなたが受け取る方法は、あなたの宗教だけでなく、あなたの国籍、行動、またはあなたが必要とするものにも適しています。
したがって、Subud のラティハンlatihanは、あなたの宗教、あなたの国籍、またはあなたの必要事や慣習を害することはありません。
・・・・・
(訳注:しかしながら、好ましくない習慣はラティハンによって自覚するようにうながされ、それを当人の自由意思によって修正していく事は必要な事であり、そのようにして人は進歩というものを自分の上に表現し、そしてまたそれを実感していく事になります。<--リンク)』(2018年10月・記)
PS
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『ラティハン クジワアンとして知られているスブドの霊的修練は、生命の神聖な力との新たな接触の結果です。
それはそれを求めるすべての人の中に発生する自然なプロセスで、彼または彼女自身の性質に応じて、彼または彼女自身のペースで行われます。
時々、我々はひっそりと静かな時、または意識の普通ではない高まり状態にある時に、私達はこの深い生命が継続していることに突然気付くことができます。
ラティハンのプロセス(過程、経過)は、自分自身よりも大きな何かを私たちに再接続し、そしてこの特別な意識を生命を持った活動的な状態で保持します。
ラティハンは、プロセス(過程)であり、受けることであり、教えではありません。
誰も何かを信じることは期待されていません。
ただ彼または彼女が経験するものを認識し信頼するだけです。
異なる宗教の人々はそれぞれ自分たちの信仰が深まることを見出し、そして特定の宗教的な相性というものなしでお互いに調和したままラティハンを練習することができます。
ラティハンの本質は、内からの自発的な内部の動きを許し認め、従うことです。
それは取扱い説明書(ノウハウ集)や儀式とは関係ありません。
それは各人各様に異なっています。
多くの人々は穏やかな感覚を感じ、その人が好む用語に応じて、たとえば知恵、より高い自己、聖なるもの、あるいは神との自然なつながりが深まるのを感じます。
ラティハンは、自分の個性(あるいは性格)の発達を導き、それがその人の日常生活を導くことができる、そうなる為の触媒です。
それは、直感や内部にある人を導くもの(内部の先生)につながる感覚を強化することができます。
通常、変化のこのプロセス(進行)は漸進的で自分の人生の実用的な要件に統合されていきます。
(訳注:要するに自分の人生で次第に役に立つようになる、、、と言いたいらしい)
スブドという名前は三つのサンスクリット語:スシラ ブディ そしてダルマ:を短くしたものです。
スシラ ブディ ダルマ(スブド)というコトバは、内部の聖なる力が真の人間の資質につながるような内部の変化をもたらすできるように、内部の聖なる力に譲り任せる(全托する)という人間の可能性を表しています。
協会が寄付に依存して(運営されて)いるもののラティハンは、無料でご利用いただけます。
一般的に、入会前までの3ヶ月の待機期間があります。
この期間はラティハンで人々が経験することになること、そして手順についての情報を得るための機会になります。
スブドはインドネシアのムハンマドスブーSumohadiwidjojoによって設立されました。
彼は通常、尊敬する年上の男性のためのインドネシア語の「Bapak バパ」としてスブド会員によって呼ばれています。
ラティハンは突然予期せず、啓示として彼に来ました。
彼は他の人にそれを渡すことができ、(訳注:そして渡された人はまた次の人に渡す事ができ、そうやって)それは今では83カ国で何千人もの人々によって実践されています。
スブド組織は世界的です。
国内および国際役員や委員会があり、人々が一緒にラティハンの練習ができる為に、地元のグループがあります。(訳注:日本ではそれなりに各地に支部があります。)
協会は1947年に東洋で設立され、1957年に西洋でも設立、そうしてポジティブな利益のために世界の中で働いています。
究極のビジョンは、世界に広がった文化を思いながら、人々の心を開くことに貢献することであります。
World Subud Association(WSA)は、ワシントンD.C.(USA)に本部を置く非営利団体です。
Subudの会員は、現在世界中に普及しているインドネシア発祥の修練である「latihan kejiwaan」ラティハン クジワアンと呼ばれる、無宗派の霊的修練を行っています。(注1)
(訳注:latihan kejiwaanというのは直訳では「Jiwaに関連した訓練」という事になります。
Jiwaというのは何であるのか、英訳では一応Soul(魂)となっていますが、実際はそれを超える概念です。
それで仕方ないので一般に「Jiwaに関連した」という所の和訳を「霊的」と表現しています。)
17歳以上の新しいメンバーを歓迎します。
(訳注:英文は18歳以上となっていますが、現在では17歳に変更されています。)
私たちの組織は、国籍、性別、人種、年齢、性的指向など、いかなる理由でも(人を)差別しません。
Subudは宗教ではなく、すべての宗教を奉ずる者とそのようないずれの宗教にも従わない者(つまり全ての人)に開放されています。
WSAおよびその他のSubud組織は、Subudの会員である、なしに関わらず、すべての人々に対して各自が住んでいる国の法律や各自の奉ずる宗教と一致した宗教的信念や慣習、性的指向、あるいはそのような主題に関する意見を述べる権利のいずれに対しても、それらを変更させるような方針を持つ事やそのような実践をする、ということはありません。
(訳注:それらの事はすべては我々一人一人の自由であり、そして当然ながらその事による責任は各人に帰属する、という事になります。
つまりは世の中の常識に従って会は運営され、そこにはどのような強制もないですよ、という事です。
しかしながら、それでは会の中で自分勝手に主張し行動して良いのか、といえば、当然ながらそのような事が許される訳でもありません。
自分の自由が尊重される様に他の人の自由もまた同様に尊重される必要があるからであります。)』
注1:無宗派の霊的修練
ラティハンは「バパが創設した新しい宗教に属する宗教的な修練」ではありません。
そうではなく、宗教として言語化される前のより初源的な状況に人を連れてゆく手段、方法であります。
それゆえに「無宗派」と言い、それは今ある宗教を奉ずる方々が実行されても、ラティハンのプロセスは各自の持つ宗教にそった、各自にあった形式、内容で進んで行くからです。
他方で特定の宗教を持たない方についても状況は同じであって、各自の内部状況にあった形式、内容で進んで行きます。
以上の様な状況を意味するコトバとして「無宗派」というコトバを使っています。
PS
以下、ご参考までに。
4月18日1963年 バパ@ボゴタ
『・・・・・
このように、信仰のあらゆる種類の人々、そしてこの地上に存在するすべての国の人々は、ラティハンに従うことができます。
それは彼らがさまざまな宗教で経験したことを拒否したり、怒らせたりすることはありません。
例えば、インドを例にとりましょう。
インドでは多くの人々が仏教の宗教に従いますが、また多くはヒンドゥー教徒です。
しかしながら、すべての信念と宗教を包み込んで包み込むことができるので、ヒンドゥー教徒であるインドのメンバーは、彼らの宗教で経験したことに沿ってラティハンを受け取ることができると、Subudはあなたがそのように言うことができるものです、
そこにはクリスチャンとイスラム教徒もいます。
彼らは彼らの宗教で受けたことに基づいてラティハンでも経験します。
したがって、彼らはお互いに嫉妬を感じることはなく、彼らの間に争いはありません。
そして、つまりムスリム、キリスト教徒、仏教徒、ヒンズー教徒、または他の宗教の人々の視点から見ると、スブドのラティハンはすべての人に非常に適しています。
それで、Subudは宗教や信念でもなく、教えや理論でもないが、霊的な生活の真の現実である技法を神から受け取ることができる人々の協会であることは明らかです。
あなたが受け取る方法は、あなたの宗教だけでなく、あなたの国籍、行動、またはあなたが必要とするものにも適しています。
したがって、Subud のラティハンlatihanは、あなたの宗教、あなたの国籍、またはあなたの必要事や慣習を害することはありません。
・・・・・
(訳注:しかしながら、好ましくない習慣はラティハンによって自覚するようにうながされ、それを当人の自由意思によって修正していく事は必要な事であり、そのようにして人は進歩というものを自分の上に表現し、そしてまたそれを実感していく事になります。<--リンク)』(2018年10月・記)
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