ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

ラティハンだけよくすることはできない

2011-12-02 | 日記
ラティハンのやっかいなところは、ごまかしがきかないところ。

ラティハンの時だけ取り繕うことはできない。

ラティハンにテクニックがないということは、ラティハンそのものは難しくないということ。

こちらで「ああして、こうして。」がないのだからそうなる。

しかし、うらがえすと「ごまかしようがない。」となってしまう。


1回のラティハンでは、たいていほんのわずかな「修正」があるだけ。

そのわずかな「修正」を大事にして、次のラティハンにつなげる。

そういうことがわかってくると、「うーん、こいつはあなどれん。」とこうなる。


わずかづつの修正の積み重ねが、その人を運んでいく。

あんまり早く修正しすぎると、バランスをくずしてろくな事がない。

そのあたりは、ちゃんとラティハンが面倒みてくれる。


頭で考えると、「これでは遅くて大変だ。」となるが、そこは「頭」の言う事を聞かずに
ラティハンのいうことを聞く。

まあそうやって、一歩一歩前に進む。

そうやって歩いてゆくのがこの道の歩き方になる。


すぐに「成果」を求める今時の人にはそこが難しい。

しかし、故人も言ってます、「急がばまわれ」と。