ラティハン日記

ラティハンと人生の散歩道

人間は死んだらどうなるか

2012-12-28 | 日記
かつてそのようなタイトルの本があったような気がします。

古今東西、肌の色に関係なく全ての人の関心事のように思います。

なにせ気がついたらここにいたというのが全ての人の実状ですからね。


今になっても死の向こう側は神秘に包まれたままです。

向こう側にいって帰ってきた人の話が本になっていますが、所詮その人は「死んでない」訳ですからやっぱり本当の事はわかりません。

科学がどれほど進歩しても、というよりは科学は「自己認識は頭脳がつくりだすもの」というのが常識になってますから、探求そのものが始まりません。

「灰白色のしわくちゃな物体が活動をやめればそれでおしまい」という訳です。

それ以上はまじめな顔をして話すと「トンデモ科学だ」と言われてしまいます。


それで心が落ち着くならばたいしたものですね。

そうでないからいろいろ探求が始まります。

古今東西そうやって人々はすごしてきましたし、いろいろな神話や宗教もそこから誕生してきました。


「それであなたはどうするの?」というのが後生の一大事です。

浄土宗ではそういいますね。

後生の一大事と。

あるいは一休さんに言わせれば「ご用心、ご用心」となります。

正月にどくろの提灯をぶらさげて家々の門口で言いまわるのですから一休さんもぶっそうなものです。


それでも「それであなたはどうするの?」という問いはずうっと生きています。

それぞれの人がそれぞれの答えをださないといけません。

今地球上で人として生きているということは、なかなかできがたいことの様です。

生まれてしまった我々には既得権益と例の健忘症でそのありがたみがまるで
分かりませんがね。


与えられたチャンスは生かさねばなりません。

「見て見ぬふりをする」から「自分に合った宗教を信仰する」まで道はさまざまです。

選択をしないということはできません。

「何もしない」は結局のところ「見て見ぬふりをする」と同じ事になりますからね。


さあラティハンも回答を与えるものの一つです。

選択肢のひとつにとっておいてくださいませ。



63ADL3.4(アデレード)
63SYD3・17(シドニー)


PS

生まれ変わりについてはこちらから入れます。<--リンク




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