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Korea-Japan Trip 7日目(東京)のスケジュール
☆ 国会議事堂見学(午前中)
☆ 塩崎恭久官房長官との面会(14:00~15:00)
☆ 麻生太郎外務大臣との面会(15:30~16:30)
☆ Farewell Party (18:30~20:30)
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Korea Japan Trip 2007の公式スケジュールとしてはいよいよ最終日となった今日。まずは、京都や豊田を訪問していたグループと一日ぶりに東京駅で再会しました。京都では宿坊や友禅染の体験、豊田ではトヨタ自動車の工場見学や猿投温泉(+カラオケ)と、日本の魅力を心行くまで満喫してきた参加者達は、寝不足続きの日々の中、未だ興奮が衰える様子が全く見えないはしゃぎよう。
そして今日は、ハーバード大学ケネディスクール同窓会(KSG Club of Japan)という強固なネットワークの下、各分野で活躍するケネディスクールのOB・OGの皆さんの幅広い人脈と温かい協力によって、日本を代表する二人の政治リーダーとの面会、そして、Tripの最後を飾るイベント、Farewell Partyが実現しました。
昼食後、興奮状態の参加者をたしなめつつバスが向かった先は総理大臣官邸。2002年4月に使用が開始されたばかりの美しい官邸の姿に皆の視線が集中します。
官邸の3階にある大ホールで私達一行を歓迎してくれたのが、ケネディスクールのOB、しかも僕が所属するMPPプログラムを2005年6月に卒業されたばかりの大塚拓衆議院議員。珍しく緊張した面持ちの一行でしたが、まだ若く、そして参加者との共通の話題も多い大塚議員の登場と、
「みんな、トリップは楽しんでいるかい?日本人の幹事はいい働きをしているかな?」
というフレンドリーな問いかけに緊張がほぐれた様子。いつもどおり、次々と質問の手が上がりはじめました。
「ケネディスクールで一番多くを学んだ授業は何ですか?」という質問に対して、大塚議員は
「それはJapan Tripだな!」
と即答。まだ今年のトリップのまとめに入るのには早すぎますが、確かにTripの企画と実行は、Japan Caucus内のチームワークやリーダーシップ、そして韓国Caucusとの連携、あるいは様々なイベントが競合する中で十分な参加者を集めるためのマーケティングや広報戦略、寄付金の募集を含めた財務戦略などなど、ケネディスクールで学び、そして現実社会で直面する様々な課題がちりばめられているように思います。
20分ほど、大塚議員との会院を話を楽しんだ後、ついに塩崎官房長官が登場。塩崎長官も1982年にMPAプログラムを卒業されたケネディスクールのOB。現在はケネディスクール同窓会の会長も務められています。ちなみに、現在国会議員として活躍されているケネディスクールのOB・OGはこのお二方だけではありません。上川陽子衆議院議員、林芳正参議院議員、藤末健三参議院議員、宮沢洋一衆議院議員、茂木敏充衆議院議員と大勢の皆さんが活躍されています。
塩崎長官からの温かい歓迎のメッセージの後に続く質疑応答では、日韓関係の今後や中国人民元の変動相場制移行の是非についての問題、日本の少子高齢化の現状と解決策、そして日本とラテンアメリカ諸国との関係についてなど、多岐に渡る質問が出されました。塩崎長官の巧みな英語でのクリアで丁寧な回答には、皆、強く印象付けられていたようです。
質疑応答終了後は皆で官邸大ホール前の階段で記念撮影。
続いて一行は美しい桜に囲まれた外務省へ移動し、麻生太郎外務大臣と面会しました。
漫画通として知られる麻生大臣だけあり、「日本が得意なのは電気製品や車といったHard Wareだけじゃないよ。ドラえもんとかポケモンなどのアニメや日本の映画・ドラマも各国で高いに人気を得ている。こういう日本のソフトパワーの使って国際社会に貢献していく方法を我々も考えているところなんだ」という発言が。
質問が拉致問題に及ぶと、これまでの経緯や六者協議に臨むにあたっての日本政府のスタンス、そして米国による金融制裁解除を巡る最新の動向について、丁寧に回答されていました。
質疑応答の後は、ツーショットを含む参加者との個別の写真撮影に快く応じて頂きました。
日本を代表する政治リーダーとの面会も終わり、いよいよKorea Japan Trip2007の最後を飾るイベント、Farewell Partyへと移ります。パーティーの仕切りを担当している僕にとってはここが最後の勝負どころ。早めに会場に到着すべく皆といったん離れて、外務省から直接パーティー会場となる新宿のこの建物へ・・・
このブログを読まれている僕の友人の中には、「あー、やっぱりikeikeはここを選んだのか!」と思われる方も多いと思います。この新宿住友ビル47階のスカイルームは僕にとってシンボリックな意味を持っているんです。
国家公務員という職業を選択する際に生まれ、そして仕事を続ける中で強くなっていった自分の問題意識。
「政府と納税者、政府と地域社会、政府と市場との間のコミュニケーション・ギャップを埋め、それぞれの立場を理解しながら問題を共有し、ともに解決に向けて協働するために、何が出来るだろうか。」
この問題意識を行動に移すべく、仲間とともに5年前に立ち上げた官民協働ネットワークCrossover21。毎年春に、ビジネスパーソン、ベンチャー企業家、NPO職員、学生、主婦、学者、医者、官僚、政治家、学校の先生などなど様々な分野から200人近い人を集めて企画するCrossover21の政策ディスカッション大会と交流会の会場が、正にこの新宿住友ビルのスカイルームなのです。
激務が続く本業の中で、仲間とともに企画するイベントの集大成が結晶となるその場所に、今年も僕は、嵐のような過密スケジュールの中、ひどい寝不足の頭と、しかし、なぜか燃え上がるような気持ちで、ドタバタと乗り込んでいきました。
Farewell Partyには、平日の夜早い時間にも関わらず、大勢のOB・OGの方々も駆けつけてくれ、準備の段階から当日の受付まで、至らない僕たち現役学生をフォローすべく色々と手を貸して下さいました。
さらに、会場についてみて驚いたのは、演壇の真ん中に置かれた「開運」という巨大な酒樽。何でも、OB・OGの皆さんがお金を出し合ってこの日のために用意して下さったとのこと。今更ながら、ケネディスクールの人脈の強さ、太さを実感させられます。
パーティーでは、トリップの途中で取った写真をスライドで流しながら、参加者一人ひとりから、その時の感想や想いについて語ってもらった他、参加した皆の“Good Luck”を祈って頂いた「開運」の鏡割りをしました。
苦労して準備した割にはあっという間に終わってしまうのがイベントの常。パーティーの、そしてKorea Japan Tripの終わりにあたり、日本Caucus、韓国Caucusの代表からそれぞれトリップに参加してくれた友人達、そしてトリップを支えてくれた先輩方とCaucusの仲間達に感謝のメッセージが送られました。
そして、Farewell Party、Korea Japan Trip2007の最後の最後の締め括りとして会場に流れたのがU.S.A Africaの"We are the World"。参加者皆で肩を組み、この名曲を熱唱しました。
トリップがはじまる前から、あるいはトリップ中も、Farewell Partyの終わりに皆で歌える曲はないか、と思いあぐねていたのですが、
"We can't go on,
Pretending day by day
That someone, somewhere will soon make a change"
"We are the world
We are the children
We are the ones who make a brighter day "
という歌詞は、正に"Make this world better place"という共通の目的のために世界中から集まったケネディスクールの学生達がKorea Japan Tripの最後の夜に皆で歌うにふさわしい歌だと思い、昨日の夜、急遽CDを調達したのです。OB・OGの皆さんの温かい協力もあり、僕にとっては最後の大仕事となったFarewell Partyは大成功に終わりました。
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ところで、Farewell Partyの最中、思いがけない嬉しい出来事が二つ起こりました。
一つはモルドバ共和国からやってきた家族の飛び入りの参加。何でも、ご主人はケネディスクール出身で、2005年のJapan Tripに参加者であったとのこと。その時の思い出が余りに素晴らしかったため、卒業後2年がたった今年、桜の美しいこの時期に、今度は家族を連れて日本に再び観光旅行にやってきたところ、偶然にも今日、Korea Japan TripのFarewell Partyが企画されている事を知って、急遽駆けつけてくれたのです。
今回の参加者の皆も、口々に「また日本に来たい!」と叫んでいますが、毎年トリップを続けることで、日本ファンのネットワークを世界に広げることができたなら、日本人学生が一丸となって必死になって汗をかいた甲斐もあったというものです。
二つ目は、参加者の一人であるアメリカ人のショービックが会の後半に突然、僕を壇上に引っ張り出し、マイクを握って皆に語りかけたスピーチでした。
「みんな、聞いてくれ。昨晩、ちゃんこ鍋を食べながら、Ikeikeからこんな話を聞いたんだ。彼は、ケネディスクールが始まった当初、初めてのアメリカでの留学生活に圧倒されて、精神的にも相当参っていた時期があったらしい。例えば、僕達アメリカ人が何の気なしに大うけしているジョークがクラスの中でただ一人理解できなくて、孤独感を味わったり、勇気を出してフォーラムで質問をした後に、その内容について別の参加者に誤解されて非難され、ひどく落ち込んだりしたこともあったらしい。」
「でも、今の彼を見てくれ。半年たった今、こうして僕達に素晴らしいTripを提供し、リーダーシップを発揮して僕達を引っ張ってくれている。本当に印象的だよ。彼に心から拍手を送りたい。」
全く予想外でした。そう、確かに僕は半年前、もがいていました。このブログでも例えば「Matsuzakaの挑戦」等の記事で触れたとおり、悩んでいました。一歩前進、一歩後退の繰り返しのような日々でした。それでもこの半年間、走り続けてきた。
そんな色々な想いやシーンがショービックの突然のスピーチで色々と蘇り、そして本当に嬉しい、そして爽やかな気持ちになりました。
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僕は、自分は“機関車”のようなヤツだと思っています。周りの友人達は、皆新幹線や、あるいはリニアモーターカーのように、スムーズに、そしてすごいスピードで走れるヤツラばかり。
そんな中、僕は煤だらけになって、モクモク煙を上げながらシュッポシュッポと走る機関車。要領は悪く、地頭も良くないけれど、とにかく一生懸命走ることと、そして、煤だらけになってもそれ程苦に感じない“鈍感さ”だけが取り得のヤツ・・・
そんな“機関車野郎”でも、走り続ければ大きな喜びを得ることが出来る、大きな感動を与えることが出来る、そして何より一緒に走り、支えてくれる大勢の仲間がいる。
毎年春、大きなイベントの終わりに疲労感と達成感に満ちた想いで拝む住友ビルの47階からの美しい夜景と、お酒をがぶ飲みして大騒ぎしている、あるいは時間を忘れて熱い議論を続けている仲間達は、この“不器用な機関車”が走り続けるために欠かせない、熱い気持ちの源となってくれる、僕にとっての宝物です。