ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

K-J Trip 2008 (その11:憎しみと葛藤を超えて①)

2008年04月01日 | Korea-Japan Trip

 

  銃剣に体を貫かれ涙する老婆を描いたレリーフ。

 ここはソウルからバスで1時間半ほど移動したところにある京幾道広州市。遠くに山々を臨む穏やかな田園風景の中に何気なく佇む「ナヌムの家」と呼ばれる小さな施設の入り口です。韓国語で「分かち合い」を意味するこの家では9人のおばあちゃん達が静かに暮らしているのです。

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 Korea-Japan Trip 2008もいよいよ終盤となった今日(3月29日)、午前中に韓国の伝統的な暮らしぶりを今に伝える民俗村を見学し、午後は代表的な韓国企業でありグローバル企業として存在感を強めるサムソン電子を訪問。その後僕たちがやってきたのがこの小さな社会福祉法人「ナヌムの家」でした。

 日本人としてこの場所に身をおくのは複雑な心境です。

 というのは、この家で暮らしているのは、冒頭のレリーフがそれを強烈に物語っているとおり、日本の植民地支配及びそれに続く太平洋戦争中に旧日本軍の銃剣によって、その身を、人生を貫かれ、破壊されてしまった経験を持つ人々だから。

 日本・韓国は隣国として、地理的にも文化的にも非常に近しい間柄である一方で、20世紀前半の歴史により、今なお感情的なしこりが他の問題とも複雑に絡み合って両者の間に暗い影を落としています。

 今回のトリップでは、将来各国のリーダーとなるであろう参加者たちが東アジアの複雑な状況をより多面的に理解する機会を用意するとともに、何より日本人・韓国人幹事一人一人が、難しい問題と向き合い、お互いの見方や考え方に触れ合うことを通じて、真の理解と信頼に基づく未来志向の関係をつくる礎を築いて行こう、という思いで日韓間の難しい側面にも敢えて光を当てることにしたのです。

 しかし、「ナヌムの家」を日韓トリップの公式の日程に載せることは簡単ではありませんでした。「日韓友好」、「お互いの国のファンを一人でも多く作ろう!」という掛け声の元、一生懸命トリップを作ってきた日本人幹事の中には、

 「なんで日韓で論争中の問題をトリップのスケジュールに敢えて入れなければらないのか?」

 「日本が一方的に非難されている話を、予備知識も何もない参加者と共有することで、一体何が得られるのか?日本のイメージを徒に損ねるだけではないか?」

という強い反対意見があったのも事実です。韓国側の事情でトリップの直前になってこの論争的な話が持ち上がってきたことも話を拗れさせた背景の一つにもなっていました。

 そこで、トリップが一週間前に迫った週末、何とかお互いが納得できる形で事を納められないか日本人・韓国人の幹事が一堂に会してこのテーマを議論した経緯がありました。結果、韓国側はこのイベントを可能な限り「政治的な」あるいは「反日的な」ものにしないよう最大限かつ具体的な配慮・工夫をするということで、「ナヌムの家」訪問と、そこで暮らす元従軍慰安婦の方との面会が今年のスケジュールに組み込まれることとなったのです。

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 「ナヌムの家」は身寄りもなく生計手段も乏しい元従軍慰安婦だった老婦人たちに生活の場を提供するために1992年に民間からの寄付によって設立された社会福祉法人です。

      

 太平洋戦争中にいわゆる従軍慰安婦として従事していた女性は韓国人・中国人・日本人・フィリピン人・オランダ人など20万人と言われていますが、そのうち、韓国政府に正式に「元従軍慰安婦」として申請した韓国人の数は234人。ただ多くの方々が高齢のため亡くなられており、現在の生存者数は114人。うち9名がこの施設に住んでいるのです。

 こうした説明をしてくれたのは、この家で住み込みで働いているボランティア・スタッフの方。実に流暢な韓国語で話されるし、施設が施設だけに当然韓国人かと思っていたところ、なんとこのボランティアの方は日本人でした。

 また、その後慰安婦問題に関するビデオを見ることになりましたが、このビデオも日本の市民団体が作ったビデオで、日本人の若者と元従軍慰安婦のおばあちゃんたちとの対話によって構成されているもの。「一方的な韓国側からの宣伝にしない」という韓国人幹事の配慮が感じられます。

 また、併設されている「日本軍慰安婦資料館」の記述を見てもその内容は、少なくとも僕の視点からは大分中立的に感じられました。

    

 例えば日本の一部の識者が問題視している連行に当たっての「狭義の強制性」について、アメリカ下院決議121への支持を広げるために昨年5月にケネディスクールで開かれた政治色の強い集会では、

 「20万人ものアジア人女性が、日本軍によって組織的に強制連行されて性奴隷として働くことを強いられた」 

と極めて強い調子で書かれたビラが配布されていたのに対し、こちらの資料館では、

 「従軍慰安婦として働いていた女性は、朝鮮人・中国人・日本人・フィリピン人等様々で、その数は20万人と言われているが正確な数字はわかっていない。その中には、売春斡旋業者に騙されて連れてこられた者、貧困のため親に売られた者、そして日本軍の関係者によって連行された者等様々なケースがあったが、慰安所での生活は総じて悲惨を極めるものであった」

と不確かなことは不確かと書き、また一部が全体のような一方的な書き方はされていませんでした。

 資料館には、慰安所の様子や悲惨な生活、既に亡くなられた方々のお写真とメッセージや絵等とあわせて、日本の歴史教科書も展示されており、横には

 「日本の教科書では慰安婦問題は教えられていない。先の大戦についても侵略戦争としての位置づけはされておらず戦争を美化する記述が目立つ」

という説明が付されています。「これはさすがに・・・」と思わず傍にいた韓国人の友人ソンジュに水を向けてしまいました。

僕: 「この教科書とその横の記述はちょっと実態と違うよ。僕の高校時代に使っていた日本史の教科書(山川出版)はスタンダードな教科書だと思うけれど、慰安婦問題について、量は少ないければちゃんと触れていたし、戦争美化で埋められているなんてことはない。この教科書は少し古いのではないの?」

ソンジュ:「そうなの?でも、最近また一冊、新しい歴史教科書が出てきたでしょう。慰安婦問題や植民地支配の負の側面を完全に否定しているやつ。あの問題は韓国で相当程度報道されていて、多くの韓国人が「やっぱり日本は・・・」と苛立つ要因になっていると思う。」

僕:「あぁ、あの教科書は日本でもかなり論争的なんだよ。検定は通ったし、本屋で買うこともできるけれど、日本の中学・高校であの教科書を採用しているところは現時点ではないと思うよ。」

ソンジュ:「なるほどね。韓国のほうも、どうしても「日本は全部、全員こうだ!」という決め付けで議論したり報道したりする傾向があるから、その辺は気をつけないといけないよね。」

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 なんともいえない気分で資料館を出ると、先ほど説明をしてくれた日本人のボランティアスタッフの方が目に止まりました。

 「一体どういう経緯・思いでここで働いているのだろう?」

 湧き上がる疑問を抑えきれず、思わず彼のほうに向かって歩みを進めていました。

僕:「こんにちは。先程はご説明ありがとうございました。あまりにも韓国語が流暢なので最初韓国人の方と思ってしまいまいた。」

彼:「5年前ソウルの延世大学に留学していまして、その時に大分鍛えられましたね。今日は来て頂いて有難うございました。」

僕:「この「ナヌムの家」でボランティアをしようと思ったのはどうしてなんでしょうか?」

彼:「大学時代から日韓関係に興味を持ち始めて、慰安婦問題や植民地支配に関する議論について色々と研究をしてたんですよ。それで、やはり問題を解決するには実際に人に会って話を聞くのが一番だと思い、韓国に留学した訳です。

 慰安婦問題については、日本国内でも問題そのものの存在を否定する人たちや、元慰安婦のおばあちゃん達が、嘘八百を言っていると批判する人たちもいる。批判や否定をする前に、まず実際に会って、話を直接聞きたい。こんな思いでここにやってきたんです。」

僕:「なるほど。それで、こちらに来て如何ですか?」

彼:「いや、別に。大したことは無いですよ。毎日食事を作って、おばあちゃん達の話し相手になって、一緒に散歩をして・・・老人ホームでボランティアをしているようなものです。皆さん植民地時代を経験しているので、日本語もできるんですよ。

 「従軍慰安婦問題」とフレームしてしまうと、色々な政治的な思惑等も錯綜して事が複雑になるんですけれど、実際に一人一人の被害者の方々と向き合って寝食をともにしていると、本当に、一老人なんですよ。僕たちのおばあちゃんと同じ。ただ、若い頃に、そしてその後の人生を時代と国家によって人生を踏み躙られたそんな弱い小さな老人たちなんです。」

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 資料館の見学を終えてミーティングルームに戻って来たケネディスクールの仲間たち。そして、僕の親友ドンウーに手を引かれながらゆっくりと部屋に入ってきたのは、紫色のチャイナ・ドレスに身を包んだ、小さなおばあちゃんでした。(つづく) 


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