ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

K-J Trip 2008 (その12:憎しみと葛藤を超えて②)

2008年04月02日 | Korea-Japan Trip

 

 濃い紫色のチャイナ・ドレスを身にまとってゆっくりと部屋に入ってきたのは李玉善さん。今年で82歳になるそうです。通訳役を務めるドンウーの説明では、金さんは戦後長らく中国で暮らしていたため、今でも中国の服を着ることが多いほか、韓国語、中国語に加えて、日本語も少し話せるということでした。

 静かにソファーに腰を下ろすと李さんは、

 「遠くからはるばるようこそ。あなた方のようなよく勉強されている皆さんに、私のような無学な者から今さら何を申し上げることもありません。それに、私はお国の歴史等も良く知りません。お話できるのは自分が体験したことだけ。今日は少しの時間ですが、皆さんからご質問があれば、それにお答えしたいと思います。」

とだけ呟くようにおっしゃって、だまってしまいました。

 最初、戸惑っていたケネディスクールの学生たちでしたが、少しずつ手が挙がり始めました。印象的だったのは、「今、一番幸せなこと、そしてつらい事って何でしょうか?」という質問に対する李さんのお話でした。

 「そうですね。毎日ご飯があって散歩をして、そんな静かな暮らしができることが幸せです。辛いことは、何度も何度も、同じことをしゃべらなければならない、ということですね。

 私は若いころの思い出といったら、あの事しかない訳です。人から聞かれたり、話を聞かせてくれと言われるのも、全部慰安婦のこと。それが辛いです。辛いですが、私が話をすることで、少しでも世の中がよくなればと思って、それで続けているのですけれどね。」

 10分ほどの質疑応答の最後に、僕は手を上げ、こんなことを尋ねてみました。

 「もしも、このシェアハウスに日本の総理大臣がやってきたら、あなたはどんなことを言いたいですか?」

 李さんの答えは、実にシンプルで、しかし強いものでした。

 「ただ、謝ってほしい。私の目を見て、過去の過ちを認めて謝ってほしい。それだけです。お金なんか要りません。お金を受け取ったらまるでお金ほしさに色々と訴えているみたいで、それこそ売春婦みたいではないですか。

 横に寄り添っていたドンウーが、僕が日本人であることを李さんに告げると、彼女はさらに次のように続けました。

 「あぁ、あなたが日本人だったら是非伝えておきたいことがあります。私は、私たち元慰安婦は、日本人を恨んでいる訳でも日本人に謝れと言っている訳ではないんです。事実、私たちによくしてくる日本人はとても多い。私たちが色々と活動をしたりできるのも、日本の方々の助けや協力があってこそで、とても感謝しているんですよ。 

 私たちはただ、日本政府に、政府が過去に関わったこと、それによって私たちの人生が台無しになってしまったことをしっかりと受け止めて謝罪してもらいたい。それでけなんですけどね・・・」

    *                     *                   * 

 李さんからのメッセージは僕のケネディスクールでの一番の親友であるドンウーの通訳によって伝えられました。李さんの言葉を一生懸命メモを取っている間、汗っかきの彼の額からは汗の粒が零れ落ちます。そして、彼が英語で金さんの言葉を僕に伝えているあいだ、僕らの視線は全く逸れることはありませんでした。

 思えば、彼とは色々と議論をしてきました。

 靖国神社のこと、A級戦犯のこと、原爆のこと、慰安婦のこと、そして植民地支配のこと・・・

 お互いがこれまでどういう思考の葛藤を経てきたか、教育やマスコミの現状やあり方など、腹を割って話をする中で共感することもあれば、感情的になってつい声が大きくなることもありました。 

 また、お互い日本人会、韓国人会の代表として、双方のメンバーの意見を取りまとめて議論する過程で、お互いの個人的な思いは横において、組織の代表として意見を戦わさざるを得ない時もありました。

 そんな二人が、国家と時代の波にもまれてきた82歳のおばあちゃんの言葉を、お互いの強い視線で受け止めたこの瞬間、僕は、まるでこの小さな部屋に僕ら二人しかいないような、そんな不思議な感覚に襲われたのを覚えています。

    *                     *                   * 

 李さんとの時間も終わりに近づき、僕たちケネディスクール一行の代表となる一名が李さんにお礼のメッセージと皆から募った寄付をお渡しする段になりました。

 そして、それは僕の役だったのです。

 小さな李さんの前に座った僕は一瞬頭の中が真っ白になってしまいました。ただ、横に通訳役としてドンウーが座ると、不思議と言葉が出てきました。

 「今日は、私たちのため時間を作って、そしてご自身のご経験や思いを共有してくださって、本当にありがとうございました。先ほど、日本人を責めているんじゃない、日本人は謝らなくてよいんだ、という優しい言葉を頂きましたが、僕は、日本人として、金さんから頂いたメッセージと、このシェアハウスで暮らし、すでに亡くなられた皆さんの人生を心に刻み、二度とこのような悲惨なことが起こらないよう、しっかりと次世代に受け継いで生きたいと思っています。

 こちらは、僕たち一人一人からの寄付です。お金の形をしていますが、お金ではなく、皆さんに楽しく長生きをしてもらいたい、という僕たちの思いだと思って受け取って下さい。」

 李さんは頷きながら、

 「ありがとう。昔はもっと日本語しゃべれたのだけれど、もう大分忘れてしまってね・・・」

 と小さく日本語で僕に伝えてくれました。

 会場から去る直前、李さんは皆に最後のメッセージと言うことで次のようにおっしゃっていました。

 「今日は、女性の方が大勢いらっしゃるけれど、皆さんも、こうした問題の潜在的な被害者だということを忘れてはいけません。しっかり自分の身は自分で守ってください。それから、それぞれお国に帰ったら、皆さんのおじいさん、おばあさんとお話をしてあげてくださいね。」

    *                     *                   * 

 きっと、李さんは戦後からこれまで憎しみと思考の葛藤を超えてこられたのでしょう。彼女の人生の旅路を僕たちはどう受け止めるべきなのか。 

 僕自身、短い期間ですが、日中・日韓の歴史認識問題について、学部時代から色々と考えをめぐらせてきました。

 思考は右に言ったり左に行ったり・・・、例えば、池田信夫氏、あるいは「新しい歴史教科書を作る会」のメンバーである西尾幹二氏や小林よしのり氏等、いわゆる「保守」・「右」と言われる人々の主張に耳を傾けたり、いわゆる「反韓」「反中」ブログやサイトを読み込んだりもした一方で、朝鮮日報や中央日報の日本語版や、朝日新聞系の論壇など、「革新」・「左」と考えられる情報ソースにも当たってきました。

 かたや慰安婦問題を完全否定する立場から、「人類史上最大の犯罪」とする意見まで触れてきたわけで、その都度「そうだ!そうだ!」と思ったり混乱したりの繰り返しでした。

 そのような思考の葛藤に好き好んで心を砕いてきたのは、日中間、日韓間に暗い影を落とす歴史認識問題について、一日本人として、過去と向き合い、未来に向けて歩いていく上で必要な、本質的に重要なポイントはどこにあるのかを見極める、しっかりとした思考の軸を自分の中に確立したかったからです。

 自分が今、そのような「悟りの境地」にたどり着いたとは勿論言えませんが、しかし、いわゆる「右」にせよ「左」にせよ、自分たちの信じるストーリーをけんか腰に語る人々は得てして、自己や自国を客観視する努力を怠っているように思えます。

 いつか、ドンウーと色々と語り合っていた際、

 「History(歴史)ってさ、結局His Story(誰かの物語)なんだよね。事実をどう認識・解釈するかに関する唯一絶対の解なんてありっこない。

 そんな中で物語をシェアしていくために必要なことって、自分の信じているのが「ひょっとしたらただの物語にすぎないかもしれない」って少し距離をおくことができるかどうか。そして、他の誰かの物語に真摯に耳を傾ける努力をできるか、これに尽きると思う。難しいけどね。自分一人や似たような人達と一緒につるんでいる限り、できないからね。」

と彼が言っていたのを思い出します。

 従軍慰安婦問題、まさに事実認識・解釈に大きな議論がある問題ではありますが、日韓間でひとつだけ、議論の余地のない真実があるでしょう。

 それは、

  お互い「お隣さん」だということ。

 自分が信じるストーリを吼えるのは結構。ただ、それで隣国との関係はいつまでたっても真に建設的なものにはならない。お隣との関係がぎくしゃくしてたら、毎日イライラして幸せでないのは、国と国との関係でも日常生活でも同じこと。

 まずはお互い直接会って時間を共にすること。そして、一方的に相手を説得・納得させようとMy Storyをまくしたてるのではなく、お互い、相手が本当に言おうとしていること、望んでいることは何なのか、その言葉の裏にある長いストーリーにも耳を傾けながら対話をしていく、そんなプロセスが、ハッピーな隣人関係を築いて行くために欠かせないステップではないでしょうか。

 Korea-Japan Trip。

   両国の間にある「ハイフン」はまるで橋のよう。

 2年間のケネディスクールでの学び、そしてこのトリップを2回に渡って創り上げた経験から得た最大の糧の一つは、卒業後も、この「ハイフン」を太く、しなやかな橋としていくために一緒に汗をかいていける友人を得たことなのだ。

 ホテルに向かうバスの中で、明日の予定について皆に一生懸命説明をする韓国の友人たちを見つめながら、僕はそんなことを考えていました。


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