ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

K-J Trip 2008 (その8:韓国での再会)

2008年03月29日 | Korea-Japan Trip

 

 という訳で時計の針をぐぐーっと1か月半ほど元に戻して、Korea-Japan Trip 2008における韓国での経験・出来事を綴っていきたいと思います。随分と時間がたち、大学に戻ってからも引き続き非日常的な日常の連続なのですが、あの時の写真たちや色々なメモがびっしり書かれた「Information Packet」を開くと、不思議とあっという間にタイムスリップができてしまうから不思議です。

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3月26日(水) Korea-Japan Trip 4日目 -ソウルでの要人訪問-
 ☆ お昼の飛行機で羽田からソウルへ移動 
 ☆ 大使公邸でVershbow駐韓アメリカ大使とお茶:16:30-17:30 
 ☆ 外交通商大臣公邸で韓国の
副大臣・外務省高官との夕食会:18:30-21:30

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  前日は日本での最後の夜を満喫しようと、皆で六本木のカラオケで明け方3:00過ぎまで大騒ぎをしており、中にはその後、好奇心に任せて六本木通り沿いの「ドンキホーテ」を朝まで散策していた輩もおり、飛行機の中では皆そろって大いびき。

   

  こちらが、試行錯誤の上落ち着いた最も寝心地のよい体勢のようで彼女はこのまま2時間動きませんでした・・・

 ともあれ約40名のケネディスクール一行はソウルへ到着。空港では今回航空機の遅延等様々な理由で日本に来ることができなかった懐かしい韓国人オーガナイザー達の笑顔と再開します。そして僕にとっては、とうとう仕事もそして勉強のこともしばし忘れて仲間と共に120%韓国ビジットを楽しむ時間がやってきました!

 と言ってもなかなか身に付いた習性は抜けないもの。空港で思わず全員そろっているか人数を数えてしまっている自分がいます。

 「Yoichiro!お前はもう働かなくていいから。俺らと一緒にバカになること、それがこれから先のお前のしごと!」

とマックスに叱られてしまいます。

 韓国での最初の訪問先は、2005年10月から大使の任にあるアメリカのAlexander Vershbow大使との面会。昨日、東京のアメリカ大使館で駐日大使のSchieffer氏と対話の時間を持ちましたが、日韓両国で駐日大使との面会の時間を持つ背景には、

 「東アジアの国際情勢を多面的に理解する機会を提供する」

という本トリップの意図があります。しかし、この企画がスペシャルなのは単に大使と面会するだけでなく、大使の家、つまり公邸で大使夫妻とお茶をしながら皆でざっくばらんに話すというその雰囲気です。これもケネディスクールの韓国人学生が持っている人脈の広さ・太さが持てる技です。

       

 3月末ですがソウルはまだ冬模様。皆でコートのポケットに手を突っ込みながら、広く静かな大使公邸の庭を横切り、韓国情緒溢れる美しい公邸へと入っていきます。

     

 婦人とともに一人一人を握手で出迎えてくれたVershbow大使。美味しいクッキーとお茶を振舞ってくれました。

 その後はリビングルームに移り、皆で大使を囲み最近の韓国の外交事情や国際関係、例えば在韓米軍の今後や北朝鮮の核を巡る6者協議の状況、米韓間のFTA交渉等について大使と非常にフランクな議論の場を持つことができました。ちなみに僕からは、こんな質問を投げかけてみました。

僕 「大使、このKorea-Japan Tripの参加者の多くは東アジアを訪問するのが初めてであり、今回の旅で既に様々な“Culture Shock”を受けているようです。大使は2005年に着任されるまでは主として東ヨーロッパをご専門にされ東アジアで仕事をされるのは今回が初めてだったと伺いましたが、大使ご自身がご経験された韓国でのCulture Shockを我々とシェアをしていただけませんか?」

 リビングルームは笑いに包まれます。大使も「これは面白い質問だ」と前置きしてこんな風に語ってくださいました。

大使 「そうですね。私の韓国人の印象は、韓国料理と一緒というか、直接的(Direct)で率直(Flank)だという感じですね。その点は、見かけは似ているけども日本人と大分違うように思えます(笑)。

 ただ、こちらに来てすぐに気がついたのは、韓国人が、政府高官もそれ以外の人々も、非常に国の尊厳(National Pride)ということに敏感であるということです。これは恐らく、韓国がその歴史の中で大国の挟間で長きにわたり不遇な状況にあったことと関係していると私は考えています。ですから、韓国人が如何にフランクだといっても、この当たりの事情を弁えずに変にジョークを言ったりすると、アメリカ人の感覚だと冗談で済まされることが、ひどい侮辱と受け止められてしまうとことがある。こうしたことには注意が必要だということを学びましたね。」

 確かに僕の中の良い韓国人の友人たちも非常に熱くて、フランクなヤツらばかりですが、韓国人としてのプライドや歴史を大切にしていると感じます。日韓関係に今なお影を落とす様々な歴史問題-従軍慰安婦問題や日本の植民地時代についての歴史的評価等-を考える上でも、「長年不遇の身にあっただけに、国家や民族のプライドについて殊更敏感になりがちである」との大使のコメントは非常に示唆的ではないでしょうか。 

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 大使夫妻の温かい笑顔に見送られながら僕たちが向かった先はまたまた一般観光客として韓国を訪問したのでは決して入ることのできないスペシャルな場所、外務大臣の公邸です。

     

 何とも豪華な大臣公邸。外交通商大臣は先ほど議論になった米韓のFTA交渉のため、正にワシントンに出張中とのことで、今晩のホストは副大臣。その他、外交通商部の高官たちが勢ぞろいで出迎えてくれます。一学生である僕たちのために政府高官がこれだけ大勢長時間を割いて夕食会を企画してくれているとは・・・何んとも驚きです。これも韓国の友人たちやOB・OGの人脈があるからこそ可能なのでしょう。

 しかも、広々としたダイニングをぐるりと取り囲むように並べられた食事の豪華さにも驚かされます。この食事は韓国の超一流ホテルであり僕たちの宿泊先にもあるロッテホテルからの無料の差し入れというのだからまたまたビックリ!

 韓国人オーガナイザーの一人のお父様がロッテグループ会長と「仲良し」だから、とのこと。ケネディスクールの韓国人たちがこれほど「やんごとなき方々」とは露知りませんでした・・・

 夕食会の前に、副大臣による韓国外交の課題に関するプレゼンテーション。現在の韓国の3つの主要外交課題、即ち 

 ◆ Strengthen National Security (安全保障の強化)
 ◆ Facilitate revitalization of economy (経済活性化の推進) 
 ◆ Contribute to the world and enhance national prestige (世界への貢献と国威の向上)

について、それぞれ韓国外交通商部の現在の取組と課題が紹介されました。

 対日関係では正に訪日された(この時点では訪日していませんが・・・)李明博大統領が日韓首脳会談の折に表明していた両国首脳間のシャトル外交の推進や日本、韓国、そして中国も巻き込んだFTAの実現等がForward-looking(未来志向の)関係を築いていく上での強い足がかりにあるとのお話がありました。

 質疑応答が終わって、いよいよロッテホテル差し入れの豪華韓国料理を食べ放題!と思いきや、何やら見たような顔を発見。

 なんと、昨年ケネディスクールを卒業していったMPPプログラムの一つ上の先輩、ソンフンさんではないですか!

 キム・ソンフンさんは実はこのブログにも登場しています(2006年11月19日付「韓国人と日本人」)。一年目のミクロ経済学のCA(Course Assistant)を務めていた彼には本当にお世話になり、また食事にいたりラウンジで語り合ったりと色々時間を共にしました。

 駆け寄っていくと、向こうもすぐに気付いてくれました。あの時は「Harvard」と胸にプリントが付いたジャージに白いズック、教科書でパンパになったバックパックと学生臭い格好でキャパスを闊歩していたソンフンさんですが、今では襟だけ白い水色のワイシャツ、金ぶちの眼鏡をキラリと光らせ、ボサボサだった髪はキレイに分けられて、何やらエリート外交官そのまんま。

 でも、握手をして昔話に花を咲かせながらこぼれる笑顔は昔のままです。もらった名刺の裏を見ると何とアラビア語!

 「今は中東関係の仕事をしているんだよ。なかなか家に帰れなくて奥さんと赤ちゃんの機嫌が悪くてね・・・ケネディスクール時代が懐かしいなぁ」

とこぼすサンフンさん。

 「日本のことももっと勉強したいから、洋一郎が日本の政府に早く帰らないか、待っているんだよ。何しろ、韓国政府が何か検討する時はまず「日本はどうやっているんだ?」から入るからな~。」

 再会を祝って2人で外務大臣公邸で記念撮影。

    

  席に戻ってワインを飲もうとグラスをかたむけると、

 「となり、空いているかい?」

というどこかで聞き馴染みのある声。振り返るとまたまた懐かしい顔。やはり昨年ケネディスクールのMPPを卒業していったサンミンでした。サンミンと初めて会ったのは実は僕がケネディスクールに入学する前。2006年の3月に企画された第1回のKorea-Japan Tripの東京でのレセプション・パーティの時でした。当時僕はケネディスクールから合格通知を頂いたばかりでしたが、OB/OGの方からパーティへの招待状を頂き、ケネディスクールの雰囲気を少しでも知るために緊張しながら参加していたのです。

 そんな時に、中々皆の会話の輪に入っていけなかった僕を見付けてケネディスクールでの様子を語ってくれたのがサンミンでした。その時の

 「いやー、本当に日本人ってケネディスクールの中で一番一緒にいてほっとするんだよなー。何というか、ほら、まず、英語で苦しんでいるのって日本人と韓国人だよね。この辺の痛みを共有できるのが先ず最高なんだよね。」

と屈託のない笑顔で語ってくれたのは今でも鮮明に覚えています。その事を彼に言うと、

 「それがさー、韓国戻ってくきたら中々英語を使う機会がなくて、元の木阿弥になりつつあるんだよねー。」

とまたまた、思わず「ウンウン」と強く頷きたくなってしまうコメントが返ってくるから最高です。サンミンとは、人気もまばらになった明け方のラモント図書館(24時間営業)で最もよく顔を合わせた友人の一人でした。お互い「リーディング・レポートがおわらないー」と嘆きつつ、カフェテリアのソファに座ってケネディスクールでの経験や日韓関係等、マブシイ朝日と鳥の声を聞きながら実に色々な話をしたものでした。

   

 「Yoichiroが次にソウルに来るときには俺の「公邸」に泊めてやる!狭くてボロイ官舎だけどね・・・」

と相変わらず冗談を連発するサンミン。こんな卒業後も続く学生時代からの友情が国境を越えて培われていること・・・

 これこそKorea-Japan Tripの、そしてケネディスクールで人生の2年間を過ごすことの醍醐味かもしれません。


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