ハーバード・ケネディスクールからのメッセージ

2006年9月より、米国のハーバード大学ケネディスクールに留学中の筆者が、日々の思いや経験を綴っていきます。

Korea-Japan Trip 2008 一参加者の視点から(その2)

2008年05月10日 | Korea-Japan Trip

 今日は前回に引き続き、Korea-Japan Trip参加者からのエッセーをお届けしていきます。

 韓国について

  この冬、ケネディスクールでロナルド・ハイフェッツ教授による"Leadership on the line (最前線のリーダーシップ)”のクラスにおいて私たちが「適応を要する課題(Adaptive Challenge)」の一つとして議論したのが、日韓間の歴史認識問題であった。その時私は、このトリップを通じて知った歴史の一面について何の知識も持っていなかった。その歴史の一面とは、私たちがこのトリップで出会った元従軍慰安婦について、日韓の複雑な歴史の挟間を生き延びてきた数少ないおばあちゃんについてである。従軍慰安婦とは、旧日本軍の兵士たちに性的に服することを強いられた女性たちのことだ。“ハルモニ(朝鮮語でおばあちゃんの意味)”の話に耳を傾けながら、私は自分の目が涙であふれていることに気がついた。彼女の想いは日本が歴史の教科書等で過去としっかりと向き合って欲しいという、シンプルでまた前向きなものだった。ハルモニはこの件についての韓国の想いを代表しているかのようだった。

 一方で、日本にとって、彼女の心を癒すことは自らの歴史を書き換える、つまり、日本人としての内なるアイデンティティを再定義するという、勇気と共感とが求められる作為であろう。

 ハルモニは私たちに他人を思いやる気持ちの大切さをメッセージとして託し、それは私たちの祖父・祖母のことを思い出させるものだった。同時に、彼女のメッセージはケネディスクールのモットーである"Ask what you can do? (君にできることは何か?)" について私たちに内省を促すものだった。

 私は、他の多くの参加者と同じように、ハルモニがいつの日か心安らかに眠れる日が来ることを、そして日韓両国が複雑な歴史認識問題から自らを解き放ち、素晴らしい同士として未来に向けて歩んでいけるような、そんな日がくることを信じてやまない。

 南北朝鮮の国境沿いに広がる非武装地帯で、私はもう一つの複雑な歴史のことを、つまり、インドとパキスタンの関係について思いを致していた。その日は雨が静かに降っていたが、非武装地帯の雰囲気は緊張感に満ちたものだった。私は遠く北朝鮮を見つめながら、分断された両国が統一される日が来るのだろうかと自問自答を続けていたのだった。

 ソウル郊外の民俗村を歩きながら、母のことを思い出していた。民俗村とその背景にあるテーマはまた、インドの村々のことやそこでの生活について思い出させるものでもあった。民俗伝承、民族の生活、そして民族の歌にどっぷりと身をひたすのは実に素晴らしい。私は、この美しく、そして飾らない瞬間をしっかりと掴もうと、思わずシャッターを切り続けていたのだ。

 江南区でのE-governance(電子政府)の取組みは示唆的であった。市長は明らかに世界の各都市が続くべき高いゴールを設定していた。IT関連のフィールドで働いてきた技術屋として、私はこの取り組みは非常に価値のあるものだと考える。そして、江南区のモデルが世界の他の都市に適用可能なものなのかについて思いを巡らし、そしてこの取組みがハーバードのケーススタディとして取り上げられれば、と考えていたのだ。なぜなら江南区のストーリーは政府の機能を高めそして変革するために共有されるべきものだと考えたからだ。しかし、ソウルのホテルで部屋をシェアしていたルームメイトはこうした考えに懐疑的であった。彼はこの取組みによって得られる効果が莫大なコストに見合うかどうか批判的だったのだ。まずはパイロットプロジェクトとして試験的に始めてはどうか、と私が主張すると彼は納得をしていたようであったが。

 韓国では又、日本と同様、外務省の高官や駐韓大使との会話を通じて、アメリカの高いプレゼンスに驚かされた。こうした経験によって、米韓の2国間外交がどのように展開されているのか、そして韓国がどのように外交政策を組み立てているのか、新たな視点を持つことができた。

 私たちは、青瓦台(大統領府)を訪問する幸運にも恵まれた。新たな政権が立ち上がったばかりで、私たちが最初の訪問客だったのだ。私たちは夢中になってシャッターを切っていた。学生がこんな場所に入れるなんてことが二度とあるだろうか。

 
 幹事・そして支援者の皆さんへ

 このトリップについて思いをめぐらすたびに、旅を創ってくれた幹事の努力が目に浮かんでくる。

  このトリップのもっとも大切なポイントは私たちが経験した素晴らしい日韓の歓迎であった。私が思い出す幾つかの特別な思い出をシェアしたい。

  一つはアメリカから日本への飛行機が遅れ、トリップの旅行日程に大きな影響が出たときの事。私は、日本人の幹事の皆が夜を徹して、私たちが当初どおり素晴らしいトリップを経験できるよう努力してくれた様子を目の当たりにした。彼らは、私たち一人一人が短くなってしまった日本での滞在期間を十分に楽しめるよう、必死の努力をしてくれていた。

  また韓国で、幹事のお母さんたちから受けた素晴らしい愛は忘れることができない。異国にいながらまるで自分の家にいるような、そんな気持ちにさせてくれた幹事の皆さんにお礼が尽きない。

 ベジタリアンである自分にとって、日本・韓国は食生活において難しい地域でもある。それでも、私は日本のお煎餅をデパートの試食コーナーで楽しんだり、またスパイシーなキムチを韓国で楽しんだりと、9日間を大きな問題なく乗り切ることができた。
 

  このトリップは本当に素晴らしいものであったが、これは共に過ごす中で友情を培ったハーバード・ケネディスクールの仲間たち、そして非常に手の込んだ計画で最高のトリップを創ってくれた日韓幹事の皆の超人的な努力のおかげである。余談であるが、自分は一度東京で道に迷って皆から逸れてしまった。日本語がわからないまま色々と彷徨った時間は、振り返ってみると最もエキサイティングな経験だったといえるだろう。

 太平洋を越えて大学に戻った今、私はこのトリップの幹事の皆、そしてスポンサーとなって下さった方々への感謝の念が絶えない。何よりもまず、経済的に困難な自分にとって、このトリップへの参加は両国の皆さんから頂いた寄付による「Korea-Japan Friendship Fund」なくしては実現不可能だった。日本・韓国へと旅することを夢見てきたケネディスクールからの参加者は皆、日韓幹事の努力とスポンサーの皆様からのご支援によって、その夢をかなえることができた。心を込めて、お礼を申し上げるとともに、誰かの夢をサポートするというこの素晴らしい伝統が続いていくことを願っている。

 私は、このトリップを通じて、素晴らしい友人を作ることができ、そして母国インドのために幾つもの新しいアイディアを得ることができた。本当にありがとうございました。


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (hiro)
2009-01-22 00:04:03
日本は韓国に経済的援助をしすぎているのだと思います。日本側としては謝罪の念を込めてのものかもしれませんが、援助よりも、声を大にして謝るべきことはきちんと謝ってケリをつけてしまうべきなのでしょうね。
ただ韓国も韓国で反日ブームや対馬にまで及ぶ領土問題などもあり、日韓関係はますます厳しくなりそうです。
非常に浅学な意見で申し訳ございません。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。