
ドナルド・キーン先生の本、やっと最終巻読了しました。おいら読むの遅いんすよ。まあ、他にも2~3冊併読してるということもあるんですが・・・。w それにマンガも読めば、英語の論文も読む。それから今のうちに後期の講義が出来るようにちょろちょろと数式たっぷりの御本(教科書)をば。今度のは専門外のフィールドばっかしなのだよ。
それでいて、読まないモードに入ったらパタッと本読まなくなります。それもちょっとじゃなくて数年単位で本から離れたり・・・。
四巻は日露戦争日本海海戦から明治天皇崩御。
日本の作家と違って、欧米各国の状況もよく描かれています。当然、彼の国々にはキリスト教が普及していないアジアの有色人種の小国日本に対する蔑視の意識があったのですが、ロシアと同盟を結んでいたフランスはロシアが負けそうだと読んでいて、あんましこの戦争に関わりたがってませんでした。勝ってる状況でさっさと終戦するようにロシアに示唆してたほどでした。名高いバルチック艦隊でさえ、雑多な混成部隊で経験豊富な士官は皆無で水兵の大半は軍事訓練を受けておらず質が悪いという評価だったそうな。
終戦交渉はもっとも高度な外交です。日露戦争では日本が勝ったのですが、極東から遥か遠くのサンクトペテルスベルクの宮殿にいたロシア皇帝をはじめとする彼の政府には敗戦の実感がなく、敗戦国とは言えない態度で交渉に臨んできました。彼らには朝鮮半島や満州での兵達の血の匂いが届かなかった。同じ皇帝でも皇居を離れ広島の大本営に赴き、極寒の戦地のことを思い部屋に暖房を入れさせなかった日本の天皇とはエライ違いだったのです。
中国の旅順とか奉天とかを奪われただけでモスクワやサンクトペテルスベルクが包囲されたわけではないロシアは、負けたくせに賠償金を払う気もなければ、支配地を1メートルも譲る気がなかったという状況でした。しかし、日本もさらにハルビンからウラジオストックまで戦線を拡大できる財政状況にありませんでした。できたとしてもロシアの息の根を止めることにはならなかった。あの時、そういう計算が出来たのになんで太平洋戦争ではアホな戦線拡大を繰り広げて兵士の半分以上を戦いではなく飢餓と傷病で死なせるようなことをしたんでしょうか・・・同じ国とは思えん。
この交渉ではアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介が大きな役割を果たしました。最初、アメリカにはロシア贔屓の態度を取られるか心配されてたんですが、彼は新渡戸稲造の「武士道」を愛読書として何冊も仕入れて周囲のスタッフに配っちまうほどの親日でした。もちろん、彼のハーバード大時代の旧友金子堅太郎が米国に派遣されていたことが大きかった。同じいきさつでケンブリッジ大を出ていた末松謙澄が英国にも派遣されていました。明治政府の国際エリート育成に対するとりくみが功を奏したのです。そういう意味で、今の日本の状況はお寒い限りですなぁ。変な政治塾を日本のあちこちで作るより、これはという若者をどんどん海外にやらないと・・・・。
幸い、ロシア全権代表ウィッテは戦前から日本とは戦争ではなく外交交渉で解決すべきだという立場の人でした。しかし、8月28日ポーツマスでウィッテはロシア皇帝から日本の寛大な譲歩を待つくらいなら交渉を打ち切り戦争を続けた方がましとの電報をとうとう受け取ります。小村寿太郎は日本政府から樺太占領を認めさせて賠償金要求は撤回、もしそれさえロシアが飲まないならルーズベルトに樺太割譲撤回を勧告してもらい、「平和と人道のために日本がそれを受け入れる」というほとんど『負け』を意味する指示を受けました。結局、ウィッテはロシア皇帝の指示を無視し交渉を継続、小村は樺太全島を諦め北緯50度線で二分することを「平和と人道のために」受け入れました。条約締結を聞いてロシア皇帝は驚き茫然自失。ロシアも日本も国民はこの講和条約には全否定で怒ってました。日本では暴動を抑えるために軍まで出さなきゃいけなかった。この交渉の唯一の勝者はルーズベルト大統領だったとキーンさんは書いています。この業績で彼はノーベル平和賞を受賞しました。
さて、こっから後は韓国併合の物語が始まるんですが省略~。長くなるし、いろいろと整理がたいへん。1点だけ。伊藤博文をハルビンで暗殺した安重根に対する研究はかなり深い。韓国民族の英雄として描かれている彼の姿とは全く違うものです。東アジアの三大国、清国、日本、韓国の同盟を望み、西洋列強からの脅威に対抗すること。反日というより、むしろ、ロシアに対する宣戦布告書で天皇の東アジアに対する意志を知り、ロシアに対する日本の勝利をワガコトのように喜んでいたらしい。詳しくは本を読んでくだされ。
1000年近く御所を中心とした京都の限られた範囲でのみ生きてきた日本の皇室と貴族達は、外国人を忌み嫌いそれ故に国内で攘夷派と開国派による血みどろのテロの応酬を引き起こしてしまいましたが、乗馬を好み酒に強くてやたらに記憶力が良く、皇室の禁を破って牛乳を飲んで肉を食べ、倹約家で継ぎのあたった軍服を身に着け、ろくな交通インフラもないのに日本中を行幸して周り、外国の要人と外交交渉をこなしもすれば、財政上の政策決定を大臣達に任され、辞めると言い出した総理大臣を説得し、戦で手足を失った兵士の傷に手を差し伸べ労る天皇を欧米列強の勢力が東アジアに届いた19世紀後半に日本が得たことは歴史的な奇跡と言えると思います。維新をなした偉人達は彼らの実力で生き残り、命がけでことを成したのですが、どのタイミングでどのような方が皇位に就くかは日本にとって完全に運なのです。もちろん、他の誰一人がかけても明治維新はならず、清国とロシアを倒し、英国と対等の同盟を結び、米国大統領に愛される国にはならなかったでしょうが、日本の作家はどうしても天皇を避けてるとこがあってバランスを欠いてます。ま、こういうことにうるさい人間がいるからねぇ。ドナルド・キーンさんも安部公房氏に明治天皇について執筆することを伝えたら、書けば右翼から脅迫に遭うだろうと忠告されたそうです。実際書いてみると、どこからも脅迫されず彼は意気消沈したそうな。w
それでいて、読まないモードに入ったらパタッと本読まなくなります。それもちょっとじゃなくて数年単位で本から離れたり・・・。
四巻は日露戦争日本海海戦から明治天皇崩御。
日本の作家と違って、欧米各国の状況もよく描かれています。当然、彼の国々にはキリスト教が普及していないアジアの有色人種の小国日本に対する蔑視の意識があったのですが、ロシアと同盟を結んでいたフランスはロシアが負けそうだと読んでいて、あんましこの戦争に関わりたがってませんでした。勝ってる状況でさっさと終戦するようにロシアに示唆してたほどでした。名高いバルチック艦隊でさえ、雑多な混成部隊で経験豊富な士官は皆無で水兵の大半は軍事訓練を受けておらず質が悪いという評価だったそうな。
終戦交渉はもっとも高度な外交です。日露戦争では日本が勝ったのですが、極東から遥か遠くのサンクトペテルスベルクの宮殿にいたロシア皇帝をはじめとする彼の政府には敗戦の実感がなく、敗戦国とは言えない態度で交渉に臨んできました。彼らには朝鮮半島や満州での兵達の血の匂いが届かなかった。同じ皇帝でも皇居を離れ広島の大本営に赴き、極寒の戦地のことを思い部屋に暖房を入れさせなかった日本の天皇とはエライ違いだったのです。
中国の旅順とか奉天とかを奪われただけでモスクワやサンクトペテルスベルクが包囲されたわけではないロシアは、負けたくせに賠償金を払う気もなければ、支配地を1メートルも譲る気がなかったという状況でした。しかし、日本もさらにハルビンからウラジオストックまで戦線を拡大できる財政状況にありませんでした。できたとしてもロシアの息の根を止めることにはならなかった。あの時、そういう計算が出来たのになんで太平洋戦争ではアホな戦線拡大を繰り広げて兵士の半分以上を戦いではなく飢餓と傷病で死なせるようなことをしたんでしょうか・・・同じ国とは思えん。
この交渉ではアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの仲介が大きな役割を果たしました。最初、アメリカにはロシア贔屓の態度を取られるか心配されてたんですが、彼は新渡戸稲造の「武士道」を愛読書として何冊も仕入れて周囲のスタッフに配っちまうほどの親日でした。もちろん、彼のハーバード大時代の旧友金子堅太郎が米国に派遣されていたことが大きかった。同じいきさつでケンブリッジ大を出ていた末松謙澄が英国にも派遣されていました。明治政府の国際エリート育成に対するとりくみが功を奏したのです。そういう意味で、今の日本の状況はお寒い限りですなぁ。変な政治塾を日本のあちこちで作るより、これはという若者をどんどん海外にやらないと・・・・。
幸い、ロシア全権代表ウィッテは戦前から日本とは戦争ではなく外交交渉で解決すべきだという立場の人でした。しかし、8月28日ポーツマスでウィッテはロシア皇帝から日本の寛大な譲歩を待つくらいなら交渉を打ち切り戦争を続けた方がましとの電報をとうとう受け取ります。小村寿太郎は日本政府から樺太占領を認めさせて賠償金要求は撤回、もしそれさえロシアが飲まないならルーズベルトに樺太割譲撤回を勧告してもらい、「平和と人道のために日本がそれを受け入れる」というほとんど『負け』を意味する指示を受けました。結局、ウィッテはロシア皇帝の指示を無視し交渉を継続、小村は樺太全島を諦め北緯50度線で二分することを「平和と人道のために」受け入れました。条約締結を聞いてロシア皇帝は驚き茫然自失。ロシアも日本も国民はこの講和条約には全否定で怒ってました。日本では暴動を抑えるために軍まで出さなきゃいけなかった。この交渉の唯一の勝者はルーズベルト大統領だったとキーンさんは書いています。この業績で彼はノーベル平和賞を受賞しました。
さて、こっから後は韓国併合の物語が始まるんですが省略~。長くなるし、いろいろと整理がたいへん。1点だけ。伊藤博文をハルビンで暗殺した安重根に対する研究はかなり深い。韓国民族の英雄として描かれている彼の姿とは全く違うものです。東アジアの三大国、清国、日本、韓国の同盟を望み、西洋列強からの脅威に対抗すること。反日というより、むしろ、ロシアに対する宣戦布告書で天皇の東アジアに対する意志を知り、ロシアに対する日本の勝利をワガコトのように喜んでいたらしい。詳しくは本を読んでくだされ。
1000年近く御所を中心とした京都の限られた範囲でのみ生きてきた日本の皇室と貴族達は、外国人を忌み嫌いそれ故に国内で攘夷派と開国派による血みどろのテロの応酬を引き起こしてしまいましたが、乗馬を好み酒に強くてやたらに記憶力が良く、皇室の禁を破って牛乳を飲んで肉を食べ、倹約家で継ぎのあたった軍服を身に着け、ろくな交通インフラもないのに日本中を行幸して周り、外国の要人と外交交渉をこなしもすれば、財政上の政策決定を大臣達に任され、辞めると言い出した総理大臣を説得し、戦で手足を失った兵士の傷に手を差し伸べ労る天皇を欧米列強の勢力が東アジアに届いた19世紀後半に日本が得たことは歴史的な奇跡と言えると思います。維新をなした偉人達は彼らの実力で生き残り、命がけでことを成したのですが、どのタイミングでどのような方が皇位に就くかは日本にとって完全に運なのです。もちろん、他の誰一人がかけても明治維新はならず、清国とロシアを倒し、英国と対等の同盟を結び、米国大統領に愛される国にはならなかったでしょうが、日本の作家はどうしても天皇を避けてるとこがあってバランスを欠いてます。ま、こういうことにうるさい人間がいるからねぇ。ドナルド・キーンさんも安部公房氏に明治天皇について執筆することを伝えたら、書けば右翼から脅迫に遭うだろうと忠告されたそうです。実際書いてみると、どこからも脅迫されず彼は意気消沈したそうな。w
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