城名 |
宮山城 |
読み |
みややまじょう |
住所 |
津市久居戸木町(へきちょう)敏太(とした) |
築城年 |
天文年間(1532~1554) 1554頃か |
築城者・城主 |
木造具正(具政) |
形式 |
平山城 |
遺構 |
曲輪、土塁、空堀 |
規模 |
50×70m |
標高 |
42~46m |
比高 |
20m |
歴史 |
戸木本城と同時期、出城(北の備え)として天文年間(1554頃か)に築城された。 |
小牧長久手の戦いの時、敵・羽柴秀吉側の家所帯刀隊が風早池の西に陣を構えた。 |
織田信雄側の木造方(柘植彦次郎ら)は城の西へ打って出て戦ったが敗れて5月20日、宮山城は落城し600m~800m南の戸木本城へ引き揚げた。 |
その後、帯刀は宮山城に陣取り、城を増強しながら眼下の戸木城を攻撃した。 |
書籍 |
三重の中世城館 木造軍記 上野遺跡だより まいぶん津 |
一族 |
木造一族 |
家臣 |
木造家臣(柘植彦次郎、田中道京、海津、川原田ら) |
環境 |
北から西へ深い谷が巡り大谷川に繋がる。南から西にかけては崖が続く。東、南は平坦地で比高20mの低丘陵に城はある。 |
現地 |
周囲の中で一番の平坦地にある敏太(とした)神社の裏山となる。かつて周辺は谷が深かったようだが現在は埋め立てられて想像もできない。 |
考察 |
家所帯刀が宮山城を乗っ取った後、戸木城攻めのため城は増強された。 |
このタイミングでの城山城との関連は定かではない。 |
感想 |
推定される歴史から宮山城は(城山城も)当初、戸木城の出城という位置づけから「砦」的存在だったと思われる。両城ともコンパクトな城だ。北からの敵をいち早く察知することや短時間引き留めるくらいのものではないだろうか。 |
その後、羽柴秀吉側の隊によって現在見られるような縄張に増強された。宮山城と城山城は縄張の特徴から同じ時期に増強されたと考えられる。 |
そして、南1kmにある上野遺跡の南東隅の遺構は戸木城攻めのため羽柴秀吉側、榊原刑部少輔隊によって、もともとの居館を巨大な堀や土塁で増強して砦にしたという可能性が指摘されている。 |
地図 |
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