城名 |
蓮華寺城 |
住所 |
度会町棚橋 |
築城年(延元年間?) 築城者 城主 棚橋大納言僧隆経(北畠家臣) |
形式 |
山城 |
遺構 |
郭、堀切 |
規模 |
上の城 東西10m×南北80m |
下の城 東西30m×南北25m |
標高 160m 比高 90m |
書籍 追記分;北畠氏の研究(大西源一) |
環境 |
宮川に突き出た丘陵の頂にあり眼下の宮川や街道を監視するには絶好の場所である。 |
西数百メートルの所の宮川縁には牧戸城があったとされる。又眼下の棚橋の西入口辺りには棚橋城があり、東西で蓮華寺城の守りを固めていた様子も伺える。 |
現地 |
山全体がシダに覆われており遺構を確認しにくい。猪に出くわす可能性あり。 |
考察 |
蓮華寺が力を持ち外敵から身を守るために城を必要とした時代があった。戦国時代以前の城かも知れない。 |
感想 |
遺構は狭い曲輪と堀切で構成されている。古いタイプの様子である。 |
二つも持たなければならなかったことが興味を引く。寺の僧の上下階層から必然的にできたものかも知れない。 |
地図 追記 北畠氏の研究(大西源一著)によると、 延元二年(1337)足利尊氏が伊勢に兵を進め、4月1日は東黒部の浜で北畠軍・加藤定有と戦い、同2日は大口浜に進出している。これに対峙して北畠軍は愛洲氏棚橋大納言僧都ら数千の兵を率いて大口浜や、法田、立利縄手に進軍した。 棚橋大納言僧都とは僧隆経で北畠親房と通謀し醍醐三宝院末寺である蓮華寺(大神宮寺法楽寺)を占領し、そこに城を構えていたのである。 と書かれている。 以上から築城時期と城主が浮かび上がってくる。
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