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WAVEが日頃気付いたこと、
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ゲリラに遭遇

2014-06-30 07:33:34 | Weblog
ゲリラ、といってもゲリラ豪雨の話。

昨日の午後、たまたま渋谷区のあたりから新宿区を目指して友人と歩いていると、雷の音とともに猛烈な雨が降ってきました。最寄駅までは持つかなあと思っていたら、雨足がどんどんひどくなってきて、雨宿りのために歩道橋の下に逃げ込みました。よくある通り雨かと思いきや、巻き上がる突風に激しい雨が加わり、あたり一面真っ白な嵐!!足元は濁流のように水が流れていきます。雨宿りとは言い難い状態で、友人女子とふたりで傘をさしながら歩道橋のしたでただただ驚くばかりです。

数メートル先も見えないぐらいの嵐の中、ビカビカ稲妻が見えた瞬間ドッカンドッカン雷鳴がなるものですからそのたびに「ぎゃー」とか言っていました。東京のあんな都心でありえない!!

やっと雨が収まってきて、最寄駅まで歩き始めたときは全身ずぶ濡れ。と同時に道路を消防車と救急車が一目散に走っていくのを見てどこか水没しているのは明らかでした。

帰宅してニュースになっているのを見てまたビックリ。地下鉄には雨水は流れ込んでいるわ、冠水しているところはあるわ、都心の弱さがまた浮き彫りに。これからまだ少し続くであろう雨季、大きい事故にならなければ良いのですが・・・。

これが「ゲリラ豪雨」か、と初めて体験しましたが本当にすごいですね。小学校では「黒い雲が見えたら避難してください」というプリントまで配ったりしてるところもあるとか(一緒に雨宿りした友人は学校の先生なので)。まさにサバイバルですね!

まあ、タイとかインドネシアなどの東南アジアならしょっちゅうだろうし、以前タイに行ったときも午後は必ずこういう大雨が降ってました。街自体もそれに対応し、水はけもよく現地の人も当たり前の風景として受け入れているのでなんら問題はないのですが、水の行き場がない東京であんなにいきなり降っちゃうとひとたまりもありませんね。

こういう自然現象の場合(ひどい時は災害ですが)自然に抗ってもしょうがないので、雨雲が立ち去るまでじっと事の成り行きを見守るしかありませんよね。それが出先で移動中なら安全な場所に一時避難し、身の安全を第一に考えてその時の最善な方法で身を守りましょう。
自分が今いる場所が、こういう自然現象に見舞われた時に対応できる土地なのか、それをとっさに判断することが重要でしょう。私は環八道路沿いを歩いていたので、雷が落ちてくる可能性はないとは思いますが(高速道路も上にありますし、高い建物が乱立)、風によってモノが飛んでくる可能性と、足元が冠水する恐れだけを考えていました。幸い警察署の前だったので、浸水したら逃げ込んで上層階に避難させてもらおう、とか思ってました。

なので楽観的になることと、注意力が散漫になることは違います。

まだまだゲリラ豪雨が続く天気だそうですので、皆様もどうぞお気を付けください。

グランブルー

2014-06-29 09:19:01 | Weblog
タイトルの名前に懐かしさを感じたら、世代が分かってしまいそうですが(笑)言わずと知れた世界のリュックベッソン氏がメガホンを取った海洋ロマンの映画。あのジャックマイヨールが協力し、フランスとイタリアの共同制作で撮影され、主役の名前もジャックマイヨールとなっていますね。エンゾ役には日本でお馴染みのジャン・レノ氏。

なぜこの映画を思い出したかというとNHKの番組でフリーダイバーの篠宮龍三さんが登山家の竹内洋岳さんと対談していたからです。篠宮さんがジャックマイヨールに魅せられ、憧れ、水深100mを目指す件で久しぶりにその単語を聞いて思い出しました。

山を目指す気持ちはちょっと想像が難しいのですが、海の深いところを目指す感じにすごく共鳴したというか、篠宮さんが水深ごとにどんな風景になるのか語る場面で息をのみました。

お二人共やはり「何かを目指す」という意味ではアスリートですので、その発言にはとっても刺激を受けました。特に竹内さんが篠宮さんに「引退」ということについてのイメージを聞いたときの場面。篠宮さんは、アスリートとして若いうちにがむしゃらにトレーニングし、自分の目標に向かって上っている時と同じ気持ちで、下る時も精一杯取り組みながら下る、そしてその途中で誰かにそのバトンを渡せたらいい、というようなことをおっしゃってました。

アスリートによって選手を引退するということはひとつの時代が終わるということを意味します。選手だったら誰しもいつかは引退する時が訪れる。「終わり」を感じることってすごくネガティブなイメージですけど、前述の言葉にはすごくプラスな要素を感じるんですよね。そんな風に考えたことなかったんで目からウロコでした。

人の生活の中にも色々な「引退」が含まれていると思うんです。学生時代の「引退」があって社会人になったり、子育ての「引退」があって自由な時間が生まれたり、会社勤めの「引退」があって定年になったりなど、様々な終わりと始まりを私たちは繰り返して人生を送っていきますよね。もちろん生きるのを「引退」する時もいずれはやってきます。
そういった中にあって、引退を目指して一生懸命取り組むのも、とても重要なんだと思いました。人生や「選手」としての一番の盛り上がりの前後だけではなくて、終わりに向かっても精一杯にやり切ると。
そう考えると「引退」の時期を怖がらなくなるというか、逆にワクワクした気持ちで過ごせるような気がしてきます。

「自分はもう、一番の盛り上がりを過ぎているから」と言い訳してなげやりな気持ちで仕事などをしてはいけない、ということですね。そんな中途半端なら今すぐ辞めた方がいい。常に今の自分が出来る精一杯をやり続ける。時代、時代によって自分が出来ることって変わっていくけど、現在の時点でのMAXを追い求めて行く、という姿勢が大事なんだと、対談を聞いて教えてもらったような気がします。

心気体

2014-06-28 10:01:55 | Weblog
本を読んでいて、ストレスマネージメントについての記述のある部分がありました。精神的調子と身体的調子は一対なので、どちらかが不調だともう片方にも影響を及ぼすというのですが確かにその通りだと思います。
そして自分の周辺に関する様々なこともストレスになれば体には如実にその影響が現れると思います。私は実はここ3年くらいかなり身の周りのことに関して整理をしたり、仕事や活動の波を変化させたりして激動と言ってもいいくらい変化の激しい環境になっていたのですが、今現在の私の仕事・ワイフワークはここ数年間で一番良い環境だと思っています。別に大儲けしたとか(笑)そういう類の話ではなくて、自分が素直にワクワクできることに没頭できる、精神的にも肉体的にもすごく恵まれている環境がこの一年くらいの間に整ってきたような気がします。

それまでが恵まれていなかったとは言いませんが、自分の意志でこういうクリエイティブに過ごせる環境を選び取ったという自負がありそれに対する満足度が高いです。

それには、私の身の回りにクリエイティブで素晴らしい仕事をする人たちが大勢いて、その人たちに刺激を受けることが出来る、という環境が由来していますので本当に感謝、という言葉が出てきます。

誤解を恐れず言えば、クリエイティブとは程遠い人達と敢えて距離を置いたことで純粋な自分のやりたいことがものすごくクリアになってきたという事が言えます。一番分かりやすいのは、使う店を変えたりしました。
前はよく言っていたカフェがありました。打ち合わせなどでよく行っていたんですが、そこの店員さんの雰囲気がよくありません。特に下品な言葉や態度が悪いということではないのですがお客さんに対する「心」が無い。お客さんの目を見てモノが言えない。自然とそこで飲むコーヒーも美味しく無い。
ちょっとした違和感、嫌悪感は運気を下げます。もうそこを使わなくなって1年以上が経過します。そしてこの前久しぶりにその店に行く機会がありましたが、もっと雰囲気が悪くなってました。多分一回にその店にいる時間て30分とかぐらいなんでしょうけど、つもり積もれば悪い気が浸透していき、自分の気持ちにも影響するでしょう。

食べ物と同じで、少量でも毒が入っていればいつかは健康被害を引き起こす。空気・気・というのも同じことじゃないでしょうか。

私が今心身ともに健康で、前向きにやっていけているのは、そういう悪い気を放つ人や場所から離れ、良い気の人達と過ごせているからにほかならないと思います。改めて今現在周りにいる人たちには感謝です。

一足先に

2014-06-27 19:03:23 | Weblog
ブログのテンプレートを「海」にして、夏を先取りしちゃいました。山も好きだけど、やっぱり海はいいですねぇ( ´∀`)本当の海にも今年は行ける時は行きたいものです。

HMJ(ハンドメイドインジャパン)から参加者用セットが届きました!入場者パスや貸出有料備品の説明書、当日の流れや一連の説明が入っている封筒が届きました。これで更に気分がワクワク( ´ ▽ ` )ノ
当日に向けての準備に余念がありません。7月に入ったら商品のリストを公開します。只今せっせと製作中。ひとつひとつ心を込めて作っています。

私が南姫ラボをやりたくなった時の気持ちを改めて感じるというか、初心を見つめ直している感じです。そしてその方向は間違ってないんじゃないかと。雑貨、物というのは使うのが自分であれ、誰であれ、使う人とその周りの人たちの気持ちを和やかにしたり、使う楽しさや素敵な雰囲気までも演出したりすると思うのです。私の作る雑貨で少しでも生活に潤いが出たり、疲れる仕事の合間にホッとしたり、
楽しい気持ちになっていただけたら嬉しいです。


着眼点

2014-06-26 07:45:03 | Weblog
ニュースを見ていると色々なことを思います。例えば少子高齢化と、それに伴う人口減少。若者の雇用の問題、日本は豊かに見えて実にバラエティー豊かな問題に取り囲まれています。

でも人口が少なくなり、将来の働き手が少なくなり、国の力が衰えたりするからって、急に女性の子育てや子供を作ることを奨励しまーすって言ったって、それは単なる自己保身の為言っているようにしか聞こえません。大体子供を産む、子供を育てるってそんなに計画的なものだと、簡単なものだと思ってるから「産めないのか」とか言っちゃったりするわけで(笑)

大人は少し冷静になって、この国で子供が豊かに育まれるためにはという事にちゃんと正面から向き合って真面目に考えた方が良いような気がします。目先の数字や成果だけを見て発言したり物事を推し進めるのはほんとにやめてほしい。

自分が子供を産めないからってそのへんをないがしろにして、表面上は「子供大好き」「日本の未来の子供たちのために」とか言っても全然説得力ないし・・・。

最近、「リーガルハイ」というドラマの10話のクライマックスの映像を見返す事があって、そこでは主人公が長々演説する場面があるんですね。そこで問われるのは「民意」です。民意がそうだからって全て正しいのか?舞台が法廷ですから、裁判で争われるのは様々な証拠や証言から浮かび上がるひとつの真実であって、決して国民アンケートなんかじゃない、と述べる訳です。

この話の流れが分かっていない方にはなんのことやら、でしょうがようするに大多数の人が思うことが全て正しいわけじゃないということをこのドラマでは言いたいわけです。
でも、少数派の意見の者がそれを主張するにはあまりにもリスクがあって、いつそういう意見が多数意見によって袋叩きに合うか。それを恐れて反対意見を述べられない人もいる。でもごくまれに、自分が正しいと思う少数意見を言う人や、自分も袋叩きに合う覚悟で応援する人もいる。

正しいか正しくないかといった問題ではなく、反対意見や少数意見、民意とは違った方向性を暴力によってねじ伏せたりしない、冷静に物を言い合える世の中というのが本来のあるべき形なんではないでしょうか。

折しも都議会のヤジの話になりますけど、別に言われた方も言った人たちも私は好きではないしちょっとどうでも良い話題かな、とも思いますが、低レベルだなーと言うか、都議会そのものがダメダメなんだと言う事が改めてわかった気がします。ああいう知事が出るのもしょうがないというか・・・。
都民としてこういう話題が全国放送で伝えられることも恥ずかしいし、結局都政にとってマイナスな議論に税金が使われるのも腹立たしい・・・。議員の人たちは議論する、議会のようなところでどう言う風にふるまうべきなのか、イギリスでも行って(自費で)マナー講座でも受けてくればイイんじゃないかと思うんですが・・・。

ヒョウが降る日もある

2014-06-26 07:44:14 | Weblog
何故か昨日はブログがアップできず、日が空いてしまいましたが、仕事の方もなんとか先週、今週のバタバタからは抜け出せたような気がします。天気は相変わらずグズグズですが気持ちを切り替えて生き生きと活動していきたいものです。

なんと言ってもこの前のヒョウ。私は見ていなかったのですが、一昨日東京でヒョウが降ったとか。積もった所もあったようでびっくりでした。ヒョウ、豪雨、竜巻、とかく変わった天候が多くもはや何があってもおかしくなはい、といった感じです。人間の適応力、対応力といったものが問われているのかなとさえ思う今日この頃です。

最近夏バテ対策になる食品を摂取することを心がけています。本格的な夏がやってくる前に、体調を整えておくことはとても大切です。まず麦茶。汗とともに流れてしまうミネラルを補給し、疲労回復に良いみたいですね。腸内環境を整えるのに引き続きヨーグルトも採っています。それからグレープフルーツ。クエン酸などを補給して元気を回復します。実家からもらっている三温糖をかけて食べると甘酸っぱさがクセになります。

夏の終わりになってからは、夏の疲れを癒すのに旬の桃をよく食べます。桃は疲労回復にとてもいい食材みたいです、のどごしもいいので疲れた体にはピッタリです。

このところ運動したりするとたくさん汗をかくのですが、急にたくさんの汗をかくと回復するのに時間がかかります。喉が渇いているからと言って急にたくさんの水を飲んでも体がだるくなり、頭もぼーっとしてしまいます。若い時みたいにはいかない、とはこういうことかと(笑)今の自分に合った水分補給と栄養補給をしなくちゃなあと思います。


しばしのほっこりタイム

2014-06-23 08:28:54 | Weblog
先日実家に帰り、久しぶりに母の手料理を食べてまったりしてきました。夏のフェスで使う備品を借りてきたり、商品について色々話したり。そのお陰で私の中でのイメージも膨らみ、ワクワクが増えてきました。とてもありがたいです。

「白鵬のメンタル」を読んでいても思うのですが、家族を大事に出来る人は精神的にもものすごく強いのではないかと思います。もちろん自分自身を大切にすることは大事ですが、自分のことと家族の大事さ、ありがたさを分かっている人は他人に対しても暴力をふるったり、ひどいことを言ったりしないのではないかと思います。逆に人に対しての温情に欠けていたり、自分のことを棚に上げて周囲に気の使えない自分勝手で傲慢な人は、家族関係に何か問題のあるケースが多いような気がします。

家族に大切にされたり、反対に自分が家族のためにカラダを張ったりした経験が無いか、少ないために「大事にされてない」「もっと自分は大切にされてもいいのに誰も相手にしてくれない」と思い、大人になって「かまって、かまって」という未発達な子供じみた気持ちから人をいじめたり、傲慢になってしまうのではと思います。

そう思うと、世の中で時々見かけるそういった自己中心的な人たちって、報われない子供時代や青春時代を生きていたんじゃないかと思い、可哀想な気もします。ニュースになる凶悪な事件や子供が巻き添えを食う不幸な事件・事故もそういった不遇な人達が犯人となるケースは多々あるんじゃないでしょうか。そういう事件を起こす犯人の中で世の中に対する不満や「自分は世間からひどいことをされた、その仕返しに」凶行に至るには、

「自分が何をしたって言うんだ」

という気持ちが読み取れます。つまり、自分に身に覚えが無いのに嫌なことをされた、だから世間に対して報復をする、罪のない子供や人を傷つけても良い、という発想です。普段の生活でも「何かイライラする」「むしゃくしゃする」ときの感情ですね。その感情が先に立ってしまうと、「いらいらする」→「責められていると思う」→「自分は悪くない」→「誰かに当たる」→「また嫌な気持ちになる」を繰り返してしまいます。その繰り返しをどこかで断たなければなりません。でも自分が何故そんな気持ちになっているのか、冷静に分析出来る人は中々いませんよね。

こういう場合は、イライラすることでひどくその人は傷ついている訳です。罪悪感を起こしたり自分を責めているのは実は自分自身。誰もその人のことを責めてない、というのがミソですね。「勝手に責められているような気がする」だけ。

イライラする、むしゃくしゃするときは無意識に自分が自分を傷つけている。そう思うと不思議ではないでしょうか。その自分さえコントロール出来れば傷つくことも、イライラすることも無いわけですから。

「自分は何もしてないのに」

そう思ったときは、他人は確かに何もしていないんです。「あなた自身が妄想によって一人で勝手に傷ついているだけ」ということを小池龍之介さんの本で知りましたが、あながち嘘ではないな、と思います。

その反対に、家族や周囲の人から愛されている、守られている、という安心感を持っている人は「家族を守ろう」とか「ありがたいな」というポジティブな感情が湧いてきますよね。子供を守ろうとするお母さんには独身の女性にはない強さ、があります。忘れてはいけないのはそういう目に見えない絆や愛情を感じられるかどうか、だと思います。自己中な人は多分そういったアンテナが錆びているかなんかで感受性が鈍っているはずです。

最近白鵬関が優勝後の会見を中止し、話題になりましたが、私は家族の心情を考えて会見をしなかったその思いやりはとても大事なことだと思います。高い地位にある人の行動は常に色々な人から見られているし、お手本とされるわけですからプレッシャーもあると思いますが、横綱のような人が一人の人間として家族を大事にする姿を私たちに見せてくれた勇気は素晴らしいと思います。日本人はもう少し「人への思いやり」について考えなければいけないのではないでしょうか。

モグラ作業中

2014-06-21 12:21:20 | Weblog
今週、来週にかけての締め切りや山場が多く、更に緊急の作業が重なってモグラとなってゴソゴソやっております。集中力を切らさないよう、適度に外に出る用事を作っては息抜きしています。
本を読むのも継続中。引き続き白鵬のメンタルを付箋でマークしたり気になる分をメモに取ったりしています。

何かを成し遂げる(仕事で何かをする、スポーツをする、イベントをする、など)ことは「何かを作り上げる」作業とよく似ていますね。ということはつまり、何かを成し遂げることに関してのコツを→何かを作り上げることに生かせる、ということ。その逆もまた然りです。

何かを成し遂げる上でこの本の中で気になったのは白鵬の素直さを説いた場面。同じ素直と言っても、ベクトルが違うと、人のアドバイスに対しよく理解してないのに「はい!」とか「分かりました!」と、右から左へ聞き流すだけの「考える力の無い素直さ」では上手く行かないようです。体育会系に多いと思うのですが、「アドバイスの意味がよく分からない」ことに対して恥ずかしいと思う、プライドが先に立ってしまい、理解してないのに分かったような事を言ってしまう。これでは進歩が無いと言う事が本に書いてあります。本当の素直さとは分からない事に対して素直に「なぜ?」と言えるか。謙虚に耳を傾けられるかどうか、ということみたいです。

これはすごく大事な事ですよね。

相撲だけじゃなく、仕事や、私にとっての絵や芸術に関しても同じ事が言える気がします。いつもそんな謙虚になれるかは自信ありませんが、心がけてみよう、と思いました。

私のDNA

2014-06-20 11:49:01 | Weblog
渋谷Bunkamuraミュージアムにて開催されている【デュフィ展】に行ってきました。何度かブログにも登場していますが、フランスの画家ラウル・デュフィが私は大好きです。高校くらいの時、NHKの新日曜美術館という番組で一目みてからずっと好きです。デュフィは日本では比較的人気があるみたいで時々展示会がやっていたり、画集も色々出ています。デュフィはまずその色の鮮やかさに目を奪われます。絶妙なバランスで配色される色使い。また、主線と塗り色をずらすことで対象物に動きをもたらす手法。色と動き、という私にとって多分一生のテーマをデュフィも描いていることがたまらなく心地いいし刺激になります。

そして今回とても嬉しかったのは、この度の展示会の目玉である絵を長年見たくて探し続けてきたということです。デュフィに出会った番組で、目を奪われた一枚の絵。とある家族の肖像画で、家族が皆騎乗し、その背後には眩しく鮮やかな緑の木々。今まで何冊も画集を買い、展示会に行き、ネットで探してもついに会えないままだったその絵。私の勘違いだったのか、とさえ思うほどでしたが記憶の中で鮮明に残るその絵はボストンにあるテート美術館所蔵の一枚だったようです。
会場でその絵を前にして、不覚にも涙してしまうほど、「やっと会えたー!」という感じでした。また、アニメの専門時代、学校の関係者に頼み込んで譲ってもらったポスター(当時箱根の美術館の広告にデュフィの絵が使われていたので)を今も部屋に飾って毎日眺めている「パリ」の原画にも数年ぶりに会えました。毎日見ている絵を今度は生で美術館で観る、というのはなんとも不思議な感覚。

デュフィの存在は私の中で血肉となり流れている、そんな感じがしました。例えば親や祖父母のDNAが自分にも受け継がれているのを実感したような変な感じ、とでもいうんでしょうか。デュフィは絵画の他にも木版画やデザインにも力を入れていることはファンの方ならご存知の方も多いと思いますが、今私が南姫ラボを通して自分の絵をパターンに起こすことも、もしかしたら無意識の中でデュフィの影響なのかな、と思いました。デュフィのことを師だと言ったらおこがましいかも、ですがインスパイアされているのは間違いないと感じました。


本気を出したら

2014-06-16 13:33:44 | Weblog
ここ数日、7月のフェスに向けて商品の制作に拍車がかかっています。左手を使いすぎたのか、軽く腱鞘炎?というぐらいで、バンテリンを塗ったらすぐ良くなりましたが楽しすぎて歯止めが効きません(笑)きっと参加している他の方々の本気度に比べたらまだまだなんでしょうが、とても良いものがたくさん出来ています。私は凝り始めると「とことん」な性格なので、こうしたらもっと良い、というのがわかってしまうとどうしてもそれを実現しないと気が済みません。「これでよし」ではなく「これがよし!」になるまで追求してしまうのです。
それから、一度良いものができたぞ~と思ってしばらく置いてみると「これをプラスアルファしてみようか」というアイディアが勝手に出てきてしまいます。時々それで「完成しないんじゃないか」と思うこともあるのですが、なんとか落ち着くところに落ち着きます。そこに至るまで改良を重ねるということも楽しいひと時なのです。

今のところ、これまでのナミラボのステーショナリーである「レターセット」「シール」「付箋(ポストイット)」「ポストカード」の他に今回フェス特別品を作りました。まず「オリジナルトートバック」「Tシャツ」、そして「アクセサリー」です。南姫イラストを使用した商品で、近日そのラインナップを一部公開したいと思います。アクセサリーは前々から作ってみたかった商品のひとつでした。好評なようでしたらネットでも本格的に販売したいのでこの度のフェスの評判を元に検討します。とてもいい出来栄えです。今のところピアスとペンダントトップを用意する予定です。敢えてネックレスを付けずに、購入した人が自分のチェーンを通してネックレスにしてもよし、ストラップを付けて携帯かバックに付けてもよし、という形にしてみようと思います。ネックレスパーツを付けない分コストを抑え、購入しやすい価格に設定するつもりです。せっかくのお祭りなので幅広い人に購入していただき、楽しんでもらいたいと思っています。

残すところ約一ヶ月!!準備に余念がありません。