先日実家に帰り、久しぶりに母の手料理を食べてまったりしてきました。夏のフェスで使う備品を借りてきたり、商品について色々話したり。そのお陰で私の中でのイメージも膨らみ、ワクワクが増えてきました。とてもありがたいです。
「白鵬のメンタル」を読んでいても思うのですが、家族を大事に出来る人は精神的にもものすごく強いのではないかと思います。もちろん自分自身を大切にすることは大事ですが、自分のことと家族の大事さ、ありがたさを分かっている人は他人に対しても暴力をふるったり、ひどいことを言ったりしないのではないかと思います。逆に人に対しての温情に欠けていたり、自分のことを棚に上げて周囲に気の使えない自分勝手で傲慢な人は、家族関係に何か問題のあるケースが多いような気がします。
家族に大切にされたり、反対に自分が家族のためにカラダを張ったりした経験が無いか、少ないために「大事にされてない」「もっと自分は大切にされてもいいのに誰も相手にしてくれない」と思い、大人になって「かまって、かまって」という未発達な子供じみた気持ちから人をいじめたり、傲慢になってしまうのではと思います。
そう思うと、世の中で時々見かけるそういった自己中心的な人たちって、報われない子供時代や青春時代を生きていたんじゃないかと思い、可哀想な気もします。ニュースになる凶悪な事件や子供が巻き添えを食う不幸な事件・事故もそういった不遇な人達が犯人となるケースは多々あるんじゃないでしょうか。そういう事件を起こす犯人の中で世の中に対する不満や「自分は世間からひどいことをされた、その仕返しに」凶行に至るには、
「自分が何をしたって言うんだ」
という気持ちが読み取れます。つまり、自分に身に覚えが無いのに嫌なことをされた、だから世間に対して報復をする、罪のない子供や人を傷つけても良い、という発想です。普段の生活でも「何かイライラする」「むしゃくしゃする」ときの感情ですね。その感情が先に立ってしまうと、「いらいらする」→「責められていると思う」→「自分は悪くない」→「誰かに当たる」→「また嫌な気持ちになる」を繰り返してしまいます。その繰り返しをどこかで断たなければなりません。でも自分が何故そんな気持ちになっているのか、冷静に分析出来る人は中々いませんよね。
こういう場合は、イライラすることでひどくその人は傷ついている訳です。罪悪感を起こしたり自分を責めているのは実は自分自身。誰もその人のことを責めてない、というのがミソですね。「勝手に責められているような気がする」だけ。
イライラする、むしゃくしゃするときは無意識に自分が自分を傷つけている。そう思うと不思議ではないでしょうか。その自分さえコントロール出来れば傷つくことも、イライラすることも無いわけですから。
「自分は何もしてないのに」
そう思ったときは、他人は確かに何もしていないんです。「あなた自身が妄想によって一人で勝手に傷ついているだけ」ということを小池龍之介さんの本で知りましたが、あながち嘘ではないな、と思います。
その反対に、家族や周囲の人から愛されている、守られている、という安心感を持っている人は「家族を守ろう」とか「ありがたいな」というポジティブな感情が湧いてきますよね。子供を守ろうとするお母さんには独身の女性にはない強さ、があります。忘れてはいけないのはそういう目に見えない絆や愛情を感じられるかどうか、だと思います。自己中な人は多分そういったアンテナが錆びているかなんかで感受性が鈍っているはずです。
最近白鵬関が優勝後の会見を中止し、話題になりましたが、私は家族の心情を考えて会見をしなかったその思いやりはとても大事なことだと思います。高い地位にある人の行動は常に色々な人から見られているし、お手本とされるわけですからプレッシャーもあると思いますが、横綱のような人が一人の人間として家族を大事にする姿を私たちに見せてくれた勇気は素晴らしいと思います。日本人はもう少し「人への思いやり」について考えなければいけないのではないでしょうか。
「白鵬のメンタル」を読んでいても思うのですが、家族を大事に出来る人は精神的にもものすごく強いのではないかと思います。もちろん自分自身を大切にすることは大事ですが、自分のことと家族の大事さ、ありがたさを分かっている人は他人に対しても暴力をふるったり、ひどいことを言ったりしないのではないかと思います。逆に人に対しての温情に欠けていたり、自分のことを棚に上げて周囲に気の使えない自分勝手で傲慢な人は、家族関係に何か問題のあるケースが多いような気がします。
家族に大切にされたり、反対に自分が家族のためにカラダを張ったりした経験が無いか、少ないために「大事にされてない」「もっと自分は大切にされてもいいのに誰も相手にしてくれない」と思い、大人になって「かまって、かまって」という未発達な子供じみた気持ちから人をいじめたり、傲慢になってしまうのではと思います。
そう思うと、世の中で時々見かけるそういった自己中心的な人たちって、報われない子供時代や青春時代を生きていたんじゃないかと思い、可哀想な気もします。ニュースになる凶悪な事件や子供が巻き添えを食う不幸な事件・事故もそういった不遇な人達が犯人となるケースは多々あるんじゃないでしょうか。そういう事件を起こす犯人の中で世の中に対する不満や「自分は世間からひどいことをされた、その仕返しに」凶行に至るには、
「自分が何をしたって言うんだ」
という気持ちが読み取れます。つまり、自分に身に覚えが無いのに嫌なことをされた、だから世間に対して報復をする、罪のない子供や人を傷つけても良い、という発想です。普段の生活でも「何かイライラする」「むしゃくしゃする」ときの感情ですね。その感情が先に立ってしまうと、「いらいらする」→「責められていると思う」→「自分は悪くない」→「誰かに当たる」→「また嫌な気持ちになる」を繰り返してしまいます。その繰り返しをどこかで断たなければなりません。でも自分が何故そんな気持ちになっているのか、冷静に分析出来る人は中々いませんよね。
こういう場合は、イライラすることでひどくその人は傷ついている訳です。罪悪感を起こしたり自分を責めているのは実は自分自身。誰もその人のことを責めてない、というのがミソですね。「勝手に責められているような気がする」だけ。
イライラする、むしゃくしゃするときは無意識に自分が自分を傷つけている。そう思うと不思議ではないでしょうか。その自分さえコントロール出来れば傷つくことも、イライラすることも無いわけですから。
「自分は何もしてないのに」
そう思ったときは、他人は確かに何もしていないんです。「あなた自身が妄想によって一人で勝手に傷ついているだけ」ということを小池龍之介さんの本で知りましたが、あながち嘘ではないな、と思います。
その反対に、家族や周囲の人から愛されている、守られている、という安心感を持っている人は「家族を守ろう」とか「ありがたいな」というポジティブな感情が湧いてきますよね。子供を守ろうとするお母さんには独身の女性にはない強さ、があります。忘れてはいけないのはそういう目に見えない絆や愛情を感じられるかどうか、だと思います。自己中な人は多分そういったアンテナが錆びているかなんかで感受性が鈍っているはずです。
最近白鵬関が優勝後の会見を中止し、話題になりましたが、私は家族の心情を考えて会見をしなかったその思いやりはとても大事なことだと思います。高い地位にある人の行動は常に色々な人から見られているし、お手本とされるわけですからプレッシャーもあると思いますが、横綱のような人が一人の人間として家族を大事にする姿を私たちに見せてくれた勇気は素晴らしいと思います。日本人はもう少し「人への思いやり」について考えなければいけないのではないでしょうか。
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