Voice

WAVEが日頃気付いたこと、
現状報告その他

この場を借りての報告

2013-11-21 22:38:48 | Weblog
このブログはイラストレーター南姫としての活動報告や私自身の考えなどを綴る場として更新してきました。本日はいち個人としてのご報告をここにお知らせさせていただきます。私的なお知らせですのでファンの方や関係者の方にご不快にならないよう言葉を選びながら書かせていただきます。

ここ1週間ほどブログをお休みさせていただきました。ご心配いただいた方もおられるかと思いますが私自身は体調などに問題はなく、非常に健康そのものです。

と言いますのも、実は弟に不幸がありその関係でお仕事関係の皆様方に多大なご迷惑をおかけしてしまいました。本当に申し訳ありません。

私には年子の弟がおり、二人姉弟で双子のように昔から過ごしてきました。よきライバルでありお互いに支え合う仲であり、小さい頃はコブシとコブシで叩き合う大喧嘩もしました(笑)その弟が事故で亡くなり、まだ1週間も経っていません。全く実感が無い、というのが正直なところです。

このようなブログの場でご報告するには早いかと思いましたが、もし昔弟に関わった方でこのブログをたまたま見かけたなど、私達家族に連絡をとりたい方がいるんじゃないかとも思いましたのでその際はメールをいただければと思います。↓
mail@minamihime.com

今様々な事を矢継ぎ早やに考えたり、日々の処理に追われてただ時間だけが過ぎています。今週一週間はお休みをいただき、心苦しいばかりです。

ただ、本日とある方とお話をしていて思ったことがあります。このブログを見た方に少しでも伝えたいのですが、「いつでも会える」というのは誰にも当てはまらないということです。
そのうち電話をしよう、いつか会いに行こう、時間が出来たら手紙を書こう、少しでもそう思う人がいるのであれば早いうちにそれを実行して欲しいと思います。

また、人間どんな危機が突然やってくるか分かりません。自転車にしろ自動車にしろ、もちろん自分ではどうしようもない状況(飛行機に乗っている、空から何かが降ってくる)があるかもしれませんけれども、是非日常生活で気をつけて欲しいです。弟の周辺の方々、間接的に関わる方も含めてビックリさせてしまったかもしれませんけれども、弟の事を反面教師にして「自分も日々気を付けよう」と思ったり、あまり連絡を取らない親御さんに電話したり、そんな方がいてくれたら、と思います。

この度の事で様々な方にお力添えをいただいたりご尽力・ご協力いただきました、そしてご心配いただいた方々、私達家族に暖かいお言葉をいただいた方々にはどのようにお礼を申し上げたらよいのか言葉がみつかりません。

こんなとき、「自分だけが世界中で一番悲しいのだ」とか「私だけが家族を亡くして一番不幸なのだ」と思いがちです。でも私は今回、同じように家族を亡くした方々がとても暖かく言葉をかけてくださり、こんなに多くの方々が家族を亡くした経験を乗り越えているんだと知りました。
まだまだそのショックは拭えないと思いますし、これからどんどん実感が増すのかもしれませんけれども一つ言えるのは私を始め家族の周りには支えてくださる方がおり、大変ありがたいことです。

弟の冥福を祈ると共に、お気遣いいただいた周りの皆さまへ心から御礼を申し上げます。

竹下 南姫

冬の足音

2013-11-15 07:34:58 | Weblog
一気に冬が近づいてきた、そんな感じの東京です。毎年冬になると指の乾燥が激しくて指紋がなくなるのですが、今年はハンドクリームと液体絆創膏で被害を最小限に抑えようと日夜せっせと手入れしています。また、風邪を予防するためにとにかく体を冷やさないようにすること、朝起きたら歯を磨きながら足湯をすること、を徹底しています。あと自分が思っているより30分早く寝るようにすること。これだけでも大分次の日の目覚め方が違う、ということに気づきました。早寝しようと頑張りすぎても私の場合ダメみたいで、ちょっと何かを変えたり工夫するということが大事なようです

-----------------------------------------

このところドラマ「リーガルハイ」にはまっています。前回のシリーズを知らなかったので今回初めて見たのですが、主人公の毒舌が実に気持ちいい!!堺さんの演技が光る良い役ですね。周りの出演者、毎回登場するゲスト俳優さんたちも実力派ぞろいで非常に見ごたえがあります。

また、毎回のテーマが奇想天外で、あるいは現実にはありえない問題だったり、解決方法なのもとても面白いです。このドラマを観ていて気付くのは、人間が抱える様々な問題は「考え方次第」で善にも悪にもなりうる、ということです。
古美門という主人公は確かに毒舌で、むちゃくちゃな言い分を正当化し、世間的に見ればタブーとされる主張もものの見事に言いくるめて裁判に勝ってしまう非常識極まりない男、なのですが裁判で彼が言う主張には何故か首を縦に振ってしまう、「筋が通っているような気がする」のです。(もちろん最初はむちゃくちゃなのですが、話を追っていくごとに正当化しようとする理由が明らかになるのですが)
筋を通すとか、筋が違うとか、人間が思う常識などは実に曖昧で考え方と思惑によっていとも簡単に変化するものなのです。

そういう中に置いて自分が正しい、と思うことがあるならばそれを実証する力なり努力なりが必要になってきます。それが自分なりの哲学なり理想であり、理念ということになります。それは長い人生を過ごす中で色々な人にであったり、トラブルに見舞われたり、ようするに人生経験をする間に自分で掴み取る物事への対処方法の一番の基本になる考え方、ということです。
ドラマの主人公はそれが「金」と、「裁判で勝つ」ということが基盤になっていて(それだけ書くとものすごい嫌なやつですね・・・笑)主人公に対抗する若き羽生弁護士は「裁判には勝たなくても、当事者が幸せになること」という理念がぶつかり合う。
まるで主人公が善で、ライバルは悪、という常識をひっくり返したような設定なのですがこれもまた見事に絡まりながら物語を紡いでいくので目が離せません。

みんながみんな、ドラマ中の弁護士のように弁が立つ必要はありませんが、自分の主義主張をきちんと人に伝えられて始めて人として「生きていく」ということなのではないでしょうか。そのためには井の中の蛙でもいけないし、世の中についての知識もつけていかねばなりません。
論ずるということが日本ではあまり良い感じに受け取られないという風潮もあると思います。すべて丸く収まれば良い、なあなあで隣近所と折衝なく平穏無事に過ごせればそれでいいじゃないかと。小さな集落であったり狭いコミュニティの中でうまく折り合いをつけていくために必要な能力なのかもしれません。
ただ、残念ながら多くの場合もうそれではこの世の中生きていくためにはだめなんだということが、薄々どんな方でも気づき始めているんではないでしょうか。

医療機関にかかっているうつ病の患者は100万人を超え、医療機関にかかっていないうつ病の人はなんと4人に3人という統計まで出ています。自殺者が年間3万人を超えることからも、これが日本という国で「平穏無事に」生きているとはとても思えないと言わざるを得ないひとつの理由です。
精神的な疾患や病気は自分の考え方と環境とのギャップだと思います。仕事や家庭での問題、上司と部下など人間関係での問題、どの人が悪いかということではなく生活をしていく上で気持ちよく過ごすことが出来ないストレス下にあるわけです。
自分の主張をする、ということは他者を倒す、ということでは決してありません。自分の中に「これ」という何か大切な基盤があること、これがまず大事なんだと思います。それを口で、あるいは文章で主張し周りを納得させていくのか、その主張が受け入れられる場所を見つけるのか、どんな状況だろうとその根幹さえしっかり持っていられるのか、それはその人次第ですが。
ドラマを観ていて自分の考えをこれほどまで多種多様な言葉で表現できる「論じる力」があるというのは素晴らしいなあと思います。論じる、というのもまた表現の一つなのです。

さむーい

2013-11-13 10:25:12 | Weblog
12月を思わせるような寒い日が今週に入って続いています。夜の冷え込みは半端じゃない!極度の寒がりな私はヒートテ○ク、セーター、ダウンジャケット、手袋にマフラー、レッグウォーマーと、フル装備で出かけます(笑)周りからは「ちょっとやりすぎでは・・・」と半ば呆れられましたが、これで風邪をひいてはたまらないので、見た目気にせず堂々の冬仕様です!!

------------------------------------------------

福島県が、今まで原発事故後に18歳以下の子供たちを対象に甲状腺検査を行っていたのを、事故当時胎児だった子供たちも検査対象に加えると発表しました。
私は甲状腺ガンと放射線がどう影響してその発生率が高くなるとか、放射線量によっての違いなどもよくわかりませんし、通常生活していても自然界から放射線は毎日受けていることは知っています。ただ、人間はやはり不安やストレスによって体調を崩したり影響が出ると思うのです。しっかりとしたサポートと、健康を害するようなことに対して理解ができるような環境下である、ということが最も大切なのではないでしょうか。目に見えない、どうしようもない不安というのが一番いけないのだと思います。

私は、人間が生きていく上で何か問題が発生した際の解決策は「知る」「学ぶ」ということしか無いんじゃないかと思います。それか、全く問題に関して無関心か馬鹿になって何も考えないか、のどちらかです。

学ぶというのは学校の勉強ということではありません。

私は学校の勉強は全然していませんが、うちの母親からは学校の勉強はしたけりゃすればいいけど、本か新聞を読んでおきなさいとよく言われました。文字が読めれば勉強したいと思った時に参考書や教科書が読めるから、その時に勉強できるけど、文字が読めなかったり文章の理解力がなければそもそも学べない、ということです。だから私は日本語力というか読解力などの国語の勉強をもっと今の子供たちはするべきだと思います。

ですから経営者やコンサルタントに携わる著名な方で読書家の方が非常に多いのもそういう意味だと思います。自分のやり方や会社の運営にしても人に伝えるということに長けていることで人の上に立てるし、人もついてくるのです。
ところが、今教育の現場で生徒に物を教えている先生方は本を読む時間すらないそうです。これはゆゆしき問題ではないでしょうか。もちろん読書が好きな先生もいるだろうし、読書家な先生もいるとは思いますが大多数の先生はそんな余裕はありません。子供には本を読め、と言いつつ。子供も塾の勉強や習い事ばかりで本を読む時間が無い、なんて子もいるでしょう。

本が読める人は自分で調べるクセがつきます。自ら学ぼうとするクセがつけば問題が発生しても自分で解決しようとする力が養われます。自分の主張だってできるし、反対意見を提案することだってできます。単なる決まりきった小奇麗な挨拶言葉を習わせる簡単な事だけでなく、そう言った「言葉の表現力」を身につけることとても大切なのではないでしょうか。そのためには大人がまずいちから国語力を見直さなくてはいけないのではないでしょうか。

雨の日曜日

2013-11-10 12:59:09 | Weblog
フィリピンでの台風30号による大きな被害のニュースが入ってきました。これが日本にやってきていたら(台風の状況や威力に違いはあるとは思いますが)また深刻な被害が出ていたと思うとちょっとぞっとします。一刻も早い被害の全容の把握と被害に遭われた方の救助や復旧が進んで欲しいです。遠い日本から心よりお見舞いを申し上げます。

---------------------------------------

続、教育に関して。

先日の本のことで恐縮ですが、齋藤孝さんとの対談の場面で驚いたのは私も齋藤先生と同じことを思っていたのが分かりました。それはどの文章からかというと、授業や先生方の時間感覚がものすごく遅いということです。テレビの世界に置き換えたとき15秒や30秒というのはとても重たい貴重な時間です。限られた時間内に伝えたい情報、内容を届けるためにものすごく創意工夫がなされている。でも教育者は授業の中で時間というものを浪費し子供の時間を奪っているわけです。それに加え、今の子供たちは昔と比べて思考のためのスピードがとても速い。情報の処理能力に格段の差があるわけです。それはコンピューターを自在に操る環境や状況によって育まれたものなのかもしれません。それに大人は全くついていけてないのです。

私も常々それは思っていました。(確か以前ブログにも書いた気がします。)

現在の日本の子供たちは処理能力があるにも関わらず学力がそんなに向上していない。これは学校が子供たちのスピード感についていってないから、というのです。ようするに授業の内容やスピードに子供が飽きちゃう部分があるんですね。
よく、現代の子供たちはキレやすいとか、我慢が聞かない子に育っているなんていう声が聞かれますが、私は逆だと思います。大人のスピードが遅すぎて子供が飽き飽きしてしまうのです。
短い時間、短い言葉の中に必要なことを凝縮して伝える。これも一つの技術です。

学校の授業にしてもそうだと思います。先生が1時間ないし1時間半の中でムダをなるべくなくし、かつ子供たちに考える余裕を作り、スムーズにかつ効率よく教えられる授業を頭の中で構築し研究を重ねているような先生がどれくらいいるでしょうか。日々の煩雑な生活の中でいつしかただ繰り返しの業務のみを行い、決められたカリキュラムをだだ流ししてテストを行い一定のリズムの中で流されていないでしょうか?子供の習得の度合いや習熟度に注意を払うことが今の教育の中でできるでしょうか?

余裕と無駄は違うということです。一流の仕事をする人たちには無駄はありません。全ては必要不可欠。絵にしても無駄な余白なんてものは一流の絵にはありません。計算されたスペースや空間が作品となっています。下手ほど余裕がなかったり、無駄な余白があるものです。音楽でもそうです。

同じ本の巻末の対談はJAXAのはやぶさチームのプロジェクトマネージャーだった川口淳一郎さんです。川口さんは教育は技術ではなく、想像力が必要な芸術、という言い方をされています。前述した「教える技術が必要」という考えとはまた違っているような語りだしですが、読むとおっしゃっていることはとても面白いです。ようするに今の学校の教える内容は「How」であると。やり方を教え、教えられたことのみ覚えて繰り返す。これでは新しい発想は生まれません。実際変わったことをしたりはずれたような事を発想する子はいじめの対象となり、「空気の読める子」が増産されていく(川口さんは「空気を読む」という言葉は一番聞きたくない言葉だ、とおっしゃっています)。

そこで必要になってくるのは、芸術の世界で言う「他の人のしないことをする」思考、誰もやっていないことをやろうとする想像力です。絵にしても芸人にしても、誰かの真似であれば絶対に光は当たらない。人と違うことをやってやろうとする「あまのじゃく」な精神。教わる側にこのような不屈な精神が必要だということです。

そういう考えはなかなか日本のような閉鎖的な考えの人々の集まりの中では難しいかもしれませんし、特に教育現場でそういう子供がいると授業が出来ない、という屁理屈でせっかくの才能や感性を閉ざし淘汰していくような気がしてなりません。ただ、そんな時に必要になるのは「選択の自由」ではないでしょうか。子供が自分に合った教育環境を選べる。大人がその姿勢をバックアップできる環境にすることが重要なのだと思います。
教師と生徒だって対人間です。全ての子供に好かれる教師が存在しないのと同じで、全ての教師に好かれる子供もまた存在しないのです。嫌いな教師がいる、でもその教科は好きなら、自分に合う先生で同じ教科を教えている人に教えを請うことだって許されて当然です。

その中で、自然と子供たちから選ばれない先生、誰からも選択されない人は出てきます。教え方が下手なのか、分かりにくい授業なのか、やる気がないのか。自然と答えは子供たちの選択によって生まれてくる。そこで改善するかしないかはその教師次第。そんなスタイルもあってイイのでは?なんて勝手に考えてしまいます。

今の就職難の時代、無職よりかはといってやる気もないのに教職員を目指す人もいるとか。この国の未来を担う子供たちを教育する立場なんだという自覚と重荷を感じている人も多いとは思いますが、努力している先生方にさらなる援助を行い、無責任な肩書きだけで教育とは程遠い人とは一線を画すような制度がどうか迅速に整って欲しいと願ってやみません。


本を読むことの大事さ

2013-11-09 10:30:00 | Weblog
読書の秋とはよくいったもので、この時期の読書はとても集中できるしいろんなジャンルの本が本屋さんに置いてあったり、本に触れるには良い季節ですね。
先日このブログで紹介した本にも、本を読む大切さが書いてある所があります。資生堂第10代社長だった福原さんも大変な読書家でいらっしゃるそうです。でも経営についてのノウハウ本を読んでいるのかと思ったらそうではなく、古典を読んでいらっしゃったりフィクションを読んでいらっしゃりします。そういうノウハウ本が役に立つのは2、3年ぐらいで、昔から読み継がれている本の方が実は血となり肉となるんじゃないかと言うお話でした。なるほどなと思いました。

-----------------------------------

この本のテーマは「人を育てる」という観点から6人の各界のエキスパートにお話を伺うというものです。今の日本の教育というものについて色々な考えをお持ちの著名人のお話は本当に興味深いです。

そのなかで、齋藤孝さんとの対談がありました。今の学校の教師の方々は授業をする、ということについての技術を持っていないということです。教える、ということは何らかのことを子供に伝え、その子が習得していかなければなりませんが、習得するとはどういうことかと言うとひとつの授業を受けたらその内容を覚えられる、人に伝えられる、そしてあとになってそれを再現できるというところまで行って始めて習得した、ということなのですね。
でも1時間半ならその時間内に大勢の子供たちがそう出来るか。そこが技術なのですね。

黒板に先生が大量に書いた文言をノートに写させるだけ、これでは習得しないのです。でもそれが平気でまかり通っている。子供たちの学ぶ時間を奪っている。これは犯罪に等しいとまでおっしゃっています。
私もその通りだと思います。

もちろん先生によって授業スタイルはそれぞれだと思いますが、先生は常に子供たちが学び取れるよう工夫を凝らし、先生自身も向上していくべきなのです。今の学校の先生には雑用が多すぎて先生自体が学んだり向上心を持って工夫したりする時間があまりに無い。

今の教育者は教える内容や科目についての知識は持っていてそれを論じたりは出来るけど、それをいかに体を使って子供たちに浸透させるか、そういった「技術」が足りないのですね。ようするに本質を伝える技術です。

AとBというものがあります。例えばピカソとゴッホ。両者の「すごい」所をまず述べさせる。つぎに両者の「違い」を述べさせる。これがまさに本質を考えることなのだと。それって何にでも言えることなんじゃないでしょうか。今の試験制度では、両者の活躍の年号を記憶したりすることが求められる。でもその場限りの記憶力が将来何の役にたつでしょう。年号なんて大人になって必要になればネットで検索すれば一発で出ます。

今子供に何かを教える職業、あるいは役職にある人たちには齋藤先生の本をちょっと読んで欲しいです。

刺激がたくさん

2013-11-06 13:45:31 | Weblog
先日友人の出演する舞台を観に行きました。お芝居の団体に所属している彼女はこんかい準主役で今までになく多いセリフ量に苦労したとか。友人としては結構長いあいだ付き合っているのですが彼女の芝居を見るのは初めてでした。いつもは大人しい感じなのに、舞台にあがると別人のように大きな声でお芝居を堂々としていてとてもびっくりしました。関西から上京して長いこと東京でバイトをしながらこうして舞台をやり続ける姿を目の当たりにし、とても感動しました。

---------------------------------------

私の好きな孔子の言葉に
「子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」
というのがあります。

結局は「楽しむ」人には何事もかなわない、これは私の座右の銘と言っても過言ではありません。どんなに知識があっても、自分に生かされていないと意味がない。これは仕事であっても趣味であっても勉強であっても同じことなんだとおもいます。

今読んでいる本で「池上彰が聞いてみた”育てる人”からもらった6つのヒント」の中で面白いと思ったところがあります。著名人に池上彰さんがインタビューした内容が書いてある対談集です。資生堂の第10代社長を務められた福原義春さんとの対談で、ただ知識を仕入れ、情報を知っているというのは物知りなだけだ、知った情報を自分なりに考えたり咀嚼したりすることが大事なんだというようなことをおっしゃっています。

確かにその通りで、新聞や雑誌・テレビやネット、あるいは周りの人の言うことをそのまま自分の考えのようにひけらかしているだけでは「知ったかぶり」というか物覚えが良いってだけのような気がします。

数ある情報の中から自分のアンテナで感じ取ったことを基に世界の流れを読み解く、これを情報リテラシーというそうです。私たちの普段の日常生活の中でもリテラシーが必要なのではないでしょうか。

与えられた情報や課題だけをこなしていけばいい単調な仕事に何の違和感も感じないでただ日々を過ごす。あるいは世間の流行だけに重きを置いた嗜好、ファッション、それに染まっていさえすれば取り残されることもなく安心できるという心理状態。自分で考える、という人間にとって大事な能力が衰えてしまう状況ではないでしょうか。

別にそれで不自由なく過ごせれば良いという人もいますし、実際そう思っている人はそのままでいいとは思いますが、今の時代はそれだけで穏やかに死ぬまで過ごせるかというとそうもいかない厳しい時代ではないかと思います。

「プア充」という言葉をこの前ネットで知りました。不正規雇用など正社員などの仕事に就けない・あるいは就こうとせず、ボーナスなども出ないため年収は平均よりやや低いか大分低いけれど低い収入でもある程度の生活に満足して生きている人たちのことを最近こう言う事もあるとか。これにはデフレによって物価の安い物でも質のそこそこ良いものが手に入ったり、高級なものを追い求めることが幸せにつながるという考えに直結しない若者や社会人が増え、それなりに生活しうることが出来る社会環境から出来た言葉みたいです。

その社会環境の良し悪しは別として、私が今そのプア充の世代の真っ只中にあると思います。色々と思うところありました。今の自分に満足している訳ではありませんが、日本が戦後の復興、経済成長、バブルの崩壊と不況を経てきた歴史を自分なりに観察してみると「高い学歴が物を言う」「高収入を目指す」「物質を得ることが至上の幸福」「常に成長し収益を上げ続けることが正しい」という考えには無理があるのではないかと思います。というか小さい頃から無理なんじゃないかとうすうす感じ取っていたのだと思います。

だからと言ってお金を使わない自給自足の生活が善で、この社会全体が悪、みたいな極端な考えも甚だ理解しがたいものがあります(笑)

これまでには無い発想や考えがこれからもっと増え発生していくと思いますが、その中で大切なのはしっかりとした自分の考えだと思います。

デザインフェスタ無事終了!皆さまありがとう!!

2013-11-04 09:23:20 | Weblog
昨日デザインフェスタ最終日、土曜日よりもものすごい人が来場する中われらが「エポケー」ブースも予想以上の混雑となりました。そんな中友人知人も人の波をかき分けて足を運んでくれました。本当にありがとうございました!!

お隣ご近所のブースの方々もとても親切にしていただいて恐縮の限りです。うちのメンバーはデザインフェスタがほとんど初で右も左も分からない中手馴れた方のディスプレイにみんな唖然としておりました。

チームそれぞれに商品を売上げ、初めての(私にとってはものすごい久しぶり)参加にも関わらず結構な成果を上げ非常に満足でした。

それよりなにより、おもちゃ箱をひっくり返したような雑多なホールには驚愕。ほんとーに色々な作品、テーマ、材料、アイディアで満ち満ちています。今マングーやっても面白いかなあと昔を振り返りまたやってみたくなったりして・・・。というのも、確かに色々な作品があって目を奪われるのですが、いまいち真新しいアイディアや作品というのは思いのほかなかったかな・・・?という感じ。全体的にレベルが高く、いますぐ巷の店舗での販売が可能と思われる非常に綺麗な印象が強かったです。その反面、荒削りだけど今後の可能性を感じるような変わった物、というのがあまりなかった気がします。

私の商品もそういう未知なる可能性や挑戦をもっと入れていこうとその時すごく思いました。

ナミラボの商品も、売上げにつながったのはワンちゃん、猫ちゃん、レターセットで言えば青風、などのオーソドックスな商品がかなり売れましたが、まず最初に食いつかれたのは「日本の祭り」シールでした。確かにあの巨大な会場をかなり広範囲に見て回りましたがああいった作品はありませんでした。「こんなの誰が欲しがるんだろう?でもあまり他には無いし面白いよね」といったものが目を引くのかな、と。それが必ずしも売上には繋がらなくてもインパクトはたぶん大きいのだと思います。

私も今年の5月くらいからナミラボの商品を考え始め、実際販売し始めて5ヵ月が経ちました。まだまだ商品数を増やしていきたいと思いますし、もっと変わったものをやっても良いのかな、という感想を持ちました。

また、手作りということ、モノづくり、ということを改めて考えました。多分多くの方々の商品は一点一点手で作ったものから、企画やアイディアを業者に持ち込んで個人で発注したものもあるかと思います。その中で一点一点に心を込めて作ったものというのはその存在感が全然違う、ということを感じました。

もちろん大きさや細かいディティールなどにばらつきが出てしまいますが、その中でのこだわりを持って作っているかどうかはあまり多くを作ったりはできないけど物を作る人と、それを使う人との間にある大きな絆というか生命線なのだと思います。

私は今回自分の商品を作り上げる迄(包装など)も見てもらう機会があり、まず言われたのは「細かい!」ということでした(笑)レターセットはプリンターで絵をプリントするところのみ機械を使いますが、便箋はカッターで一枚一枚切りますし、封筒も一枚一枚ハサミで切り、糊付けします。シールも台紙も全て手作業です。表に張るラベルシールも印刷はプリンターですが丸くハサミで切りますし、裏面にはシールの台紙がはがれにくい場合のはがし方を明記してあります。ナミラボの連絡先を差し込んでいますし、何より水に弱いので防水用のクリアパックも用意しました。そしてクリアパックに張る宛名ラベルも用意しています。

そうしないと気が済まないのです。それを使うか使わないかは使う人次第ですが私が物を作る、というのはそういうことだと思っています。

絵にしても「何かを提供する」というのは自分の納得がいくまでやる、ということだと感じます。それは提供される方には分からないかもしれませんが、それはそれで良いのです。自分が納得できることが問題なのです。でもそういう魂がこもった作品なり商品は見る人が見ると絶対分かると思います。

その想いは間違いではないのかな、という確信を持ったのが今回のデザインフェスタの感想でしょうか。

最後になりましたがデザインフェスタ関係者の皆さま、それから重ねて近くのブースの皆さま、私たちのブースに足を運んでくださった友人知人の皆さまや一般で立ち寄ってくださった全ての方々に御礼を申し上げます。ありがとうございました!!そしてお疲れ様でした!!

デザフェス1日目の成果

2013-11-03 09:55:13 | Weblog
昨日は早朝からデザフェスでした。友人たちとブースを作り、いくつかの試行錯誤を重ねて商品を飾り、スタートしました。会場は開始前からかなりの人が並び(観覧する人だけでも行列!)そこをすりぬけて搬入すると、もうすでにたくさんの人がディスプレイに励んでいました。それよりまず会場に予想以上の驚き!とにかくその広さと展示の多さ、各ブースの質の高さと言ったら私が5、6年前に参加した比ではありません。

フェスタは11時から。時間を見て会場を練り歩きますが全然回りきれずとても一日では制覇するのは難しいです。ただ、こんなにも多くのアーティストが作品を作り、楽しんでいると思うとほんとにワクワクしますし、とても刺激になります。

我らが「エポケー」チーム(友人が参加する際に名付けた我がチームの屋号、哲学用語で頭を空っぽにする、という意味らしい)はというと、女3名、男1名の計4人。詩集、アクセサリー、私のナミラボ商品、とかなりざっくばらんとしたラインナップですが目を留めてくれる人もたくさんいました。

私が朝描いた背後のボードの絵を写真に撮って行く人もいました。さて成果は、一日目ですがなかなかに売り上げました。かなり苦戦を予想していた男性メンバーの詩集がトップバッターで売れたのを皮切りに、私のナミラボの「青風」が売り切れてしまうという快挙。アクセサリーは単価が高いこともあり売り上げにはなりませんでしたが、金属にシルク糸を巻くという非常に質の高い作品は女性のお客さんを惹きつける率はNo.1でした。

男性メンバーは仕事のため途中で抜けましたが、女3人最後までやり切りました。最後は3人とも疲労困憊(笑)睡眠時間が3人とも少なく、極限状態でしたので日高屋でセットメニューをたいらげて帰りました。

さあ、明日は最終日。私はこれでもかと営業をかけてやろうと思っております。素敵なアートとの出会いを期待しつつ全力で頑張ります!

最後になりましたが、駆けつけてくださった友人知人の皆様お越し下さって本当にありがとうございます。中には美味しい差し入れまでいただきまして感激至極でございます☆感謝申し上げます‼︎


今日から‼︎

2013-11-02 07:02:20 | Weblog
デザインフェスタ2013が今日からはじまります‼︎昨日は遅くまで作業して眠いのですが、搬入のためこれからビッグサイトに向かいます( ̄^ ̄)ゞ
どうしても日頃の作業もあるのでなかなかフェスタ用の準備に時間がさけず苦労しましたが一通りの商品は用意できました。後は現地で仲間とディスプレイをし、私自身もデザフェスを大いに楽しみたいです‼︎(^O^)/

アジア最大級のアートイベント、参加者は1万人以上の巨大芸術祭デザインフェスタ2013、是非興味のある方はいらしてみてくださいo(^▽^)o