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WAVEが日頃気付いたこと、
現状報告その他

おすすめハンドクリーム

2013-09-29 09:23:28 | Weblog
乾燥が気になる季節になってきました。
以前ブログにも書いたかもしれないのですが私は万年手荒れで、今までたくさんのハンドクリームを買って試しては満足のいく効果が得られずにいました。たまに「合うな」と思って使い続けてもいいのは最初だけで、段々付けても荒れが収まらなかったりします。真冬の時期はたっぷりクリームを塗りこんで手袋をして寝ていましたがそれでも日中は皮がむけて指紋が無くなって、また皮が生えてきてはむける、をひと冬で何回も繰り返し、出血を日々しながら液体絆創膏を塗ってその痛みにひーひー言う日常でした。

ところが、あるとき友人と新大久保の韓国街を巡っていて一本のチューブタイプハンドクリームを見つけました。話題のヘビ毒エキスが入ったハンドクリームで、パッケージがものすごく可愛いのです。いわゆるパッケージ買いというやつで、4本買うと1000円だというので(1本450円)二人で分けっこして買い、使ってみたところものすごく私に合う事が分かりました。つけた瞬間から違うというか・・・しっとりしているし塗り込んでからしばらく経つとサラサラになって、作業するにもベタベタしないのでしょっちゅう使えます。一日に何度も塗っていたらあっとうまに手荒れが治ってしまいました!!衝撃というか感動というか。

そして1週間ぐらい前にそのクリームが無くなったので買いに行きたかったのですが中々時間が取れず買いに行けなかったところ最近手がまた荒れ始めていよいよまずいと思い仕事のついでに新大久保に立ち寄って買ってきたのですが、久しぶりにつけたら「これこれ!!」という感じ(笑)もう手放せない、とはこのことです。自分に合うモノ、というのを見つけられるようになったのはとても良いことだなと思います。

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自分に合うものを選ぶのもそうですが逆に自分に合わないものというのも選ぶことはとても重要だと思います。日本人は自分に合わないことを感じ取って敢えて選ばない、という作業が苦手なような気がします。何にでも対応できるということがさも良いことなのだと言う風潮があると思います。それがすなわち「和」だと。丸く収める為には良い悪いという評価をしてはいけないということです。もちろんそれは私から言わせれば愚の骨頂です。

いじめ防止対策推進法が28日に施工されましたが未だに基本方針が間に合っていないそうで・・・大人はなにをやるにも遅いですね。本当に重要なのは子供を守ることなのに。昔はいじめというととても軽いもの(実際死に追いやるとかまではいかないものも多かったのは事実ですが)のように思われて、教師もいじめられる側にも問題があるとしてその子供たちが数年して学校を卒業してしまうまでうやむやにしておけば良い、という誤った対応があったと思うのです。それこそ職務放棄もいいところですが、この法律の骨子を見ると実に当たり前のことが書かれています。こうして法律にして目に見える形で位置づけしないとそれが出来なかった学校や教育に携わる大人たちが情けなくなってきますけれども、大いにこの法律を活用していじめがなくなるように、あるいはいじめという悪の所業に苦しむ子供がそこから逃れられるよう仕向けて欲しいものです。

大義名分という言葉があります。私はこの言葉自体は別に良いとおもうのですが、使用する情景や人を思い浮かべるとなんともきな臭いというか嘘くさい言葉としてイメージしてしまいます。大義名分が無いと動けない人がいるのは嘆かわしいことです。また、「これは大義である」と言って会社などの組織において比較的下に属する階級の人たちに無理を押し付けたり死ぬまで働かせたりすることは今の時代において許されるものではありません。ハラキリを美徳だと思っている人が現在にいたら殺人者か精神異常者ですよね。

明らかにいじめが理由と思われる要因で自殺をしてしまった子供がいる学校で「いじめは無かった」と断言してしまう学校には自分たちを正当化する自分たちなりの正義に基づいてそういう発言をしているのだと思います。教育には力を入れているし、指導も徹底しているし、校風は「和を持って尊し」とする立派な理念を掲げ、青少年育成に取り組んでいるのだからいじめなんてない、と。それは自分たちが思っているだけであり現場をよくみていない、あるいはいじめなんてあって欲しくない、と半ばこじつける気持ちや希望があるから「いじめはない(であってほしい)」と言ってしまうのでしょう。

だけど実際苦しんでいる子供がいるのは事実なのですから、教育者としてそこに目をつぶったらそれこそ指導者ではありません。苦しんでいる子供は常に罪悪感をもっていると思います。それが明るみになることで親や数少ない友達に迷惑がかかるとか、いじめを発覚させることで問題提起するわけですから和を乱すことになります。それだけでも十分罪の意識に苛まれると思います。
でもいじめを明るみに出すということがどれほど勇気のいることか、周りの大人は考えてあげて欲しい。そしてその子が最悪の選択をする前に周りに打ち明けて自分自身を守ったことを喜んであげるべきなのです。

義務教育というのは大人が子供に対して教育を受けさせてあげる義務があるだけで、子供が学校に通う義務があるわけではないのです。その子供がある一定の学校で問題を抱えてしまったら、また別の形で教育をさせてあげられるよう環境を整えるとか努力する義務は大人の側にあるのに、大人はその学校に通わせなきゃいけないと誤った考えを起こします。大人の側が知識がないからそうなるのです。アフリカなどの貧しい国に生きる母子のために粉ミルクを援助して、母親への教育が無いばかりに泥水で粉ミルクを溶かし赤ん坊に与えて疫病で死なせるのと基本的には一緒です。知識が無いからそうなるのです。

「逃げるな、戦え」と勇ましい大人は言いますが、じゃあ大地震のあと大津波がやってきて「逃げるな、戦え」といって波にのまれて死にますか?バカも休み休み言って欲しいものです。まず一番に考えなければならないのは人命です。子供にとっていじめとはそのくらい深刻なものなのです。その痛みや恐怖が分からなければ震災を一度体験してみろ、というのと一緒だと思います。
震災の復興が著しく遅く、未だに大勢の人が苦しんでいるのと一緒で全国にいじめに苦しんでいる子供がたくさんいると思いますが、国や自治体の整備を待っていたら遅いのかもしれません。まずは意識の改革と柔軟な発想が大事かもしれません。

日本の四季

2013-09-28 07:23:05 | Weblog
このところ朝晩めっきり涼しくなり、夜は上着がないと風邪をひきそうなぐらいの気温に感じます。この前旧友と電話で話していて、彼女は長野に住んでいるのですがもうストーブを炊いているそうです(笑)あと一ヶ月ぐらいして会いに行く予定なのですが、その頃は気温が5度とかだそうで・・・真冬の格好をして行かなくてはと、近々冬物の衣料を出す手はずになっています。昔ながらの友人に会えるというのはとても楽しみです。特にその友人とは小学校の頃からのつながりでお互いに手紙でよくやり取りしていました。今でも電話やメールではほとんど連絡を取らずもっぱら手紙を送り合っています。彼女は携帯も持ってないしメールもしない、山奥に旦那さんと暮らす仙人のような暮らし(笑)でも私もできることならそういう暮らしをして生きていたい気がするので、本当に素敵だなあと思います。

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日本には四季があります。そして地域によって独特な文化が存在しています。日本という国が島国で、南北に大きく伸びていることでこれが一つの国?!というぐらい北と南では全然違う風土が展開されています。それが日本の面白い所であり魅力の一つだと思います。そして季節ごとに天気も食べ物も大いにバリエーションが豊かで海の幸山の幸に恵まれた食文化、目で楽しめる四季折々の自然と景観によって他の国の人たちを多く惹きつけている魅力あふれる国なのですね。

それでも最近は自然の方もかなり変わってきて冬はいつまでも寒いと思ったら突然暖かくなったり、豪雨に見舞われるかと思えば夏場は暑く水不足になったり、竜巻などの突発的な災害まで生まれる。そして何より地震大国であるというのは昔からですが、色々と異常気象が重なり合っているような気がしてなりません。

それが温暖化を増長する人間の生活のせいなのか、それとも一説によると地球の周期的な問題で元々気温が高くなるという時期にあるせいだという考えもあるようなのでそのせいなのか・・・。いずれにしても人間は自分勝手に自然を操作して自分たちに都合の良いように生きすぎているような気がします。自分たちの身の丈に合っただけの生活をしていれば良いものを、原子力を制御してエネルギーを生み出そうとしたり、どんな影響が出るかも考えないで大量に森林を伐採したり。

中東で民主化が進んでいると言いますが、その弊害のひとつに、例えばイスラムの今まで独裁的だった国が民主化されるとそれまで抑圧されてきたイスラム原理主義勢力が台頭してくるというのが多いそうです。一部の権力者が独裁していた時は親米派で、テロ組織などを抑え込んでいた側面がある一方、民主主義になった途端に反米になり争いが増えアメリカに対するテロが増えたりすることもある、民主主義になるからと言って平和な世の中になるとは限らないのですね。それも教育や若者に雇用を生み出す仕組みがきちんと整っていないからなんでしょうけど、人間て愚かだなあとふと思ってしまいます。

独裁政治というのはメリットデメリットがあって、例えば急速に経済発展したご近所の国もそうですけど、経済発展の為に生産性を上げるため工場を建設するという国の方針があって、でもその建設予定地に人が住んでいた場合民主主義だと立ち退きが嫌だとか、自然を守ったり景観を守るために反対運動を起こしたりできます。でもそれが独裁制だったらトップダウンですから従わざるを得ない。だから急速に発展するんですね。(それが良いか悪いかはともかく)

あらゆる人の意見を聞いていたら話が進まない、でもよく人の話を聞きもしないで物事を進めるのはやっぱり文化的な人間のすることではないと思うのです。時間が少しかかっても良いから、あらゆる方面から見て妥協策をさぐる。その中で折り合いをつけたり交渉したりすることだって必要になってきます。そこが脳みそのある人と無い人の違いなのです。わがままばかりで自分の都合の良いことばかり言うお年寄りや子供のような事ばかり言っていたら物事は前に進みません。

ナミラボ作品がtetoteで紹介されました

2013-09-25 23:57:40 | Weblog
tetote(テトテ)というハンドメイド商品、アーティストの活動の場である大手サイトでナミラボの作品が紹介されました!!「ピックアップシャッフル」と言うtetoteのスタッフの方が選んだ40作品が選ばれているそうで、たくさんの方に見ていただけるチャンスをいただいて大変嬉しく思います(´∀`*)しかも比較的ページの上の方にあるので見つけやすいかな?
このtetoteというサイトも含め、ハンドメイドの作品サイトはいくつかありますが、モノづくりをしたいと思う方々の楽しむ気持ちが溢れているようで本当にどの作品も素敵ですよね。大好きな作家さんの作品を見ていると負けてられないなあ~と闘志も湧いてきます(笑)

是非ご覧ください↓
ピックアップ作品→絞込み>>「文具・ペーパークラフト」選択、で出てくるみたいです
http://tetote-market.jp/search/pickup/
※時間が経つごとに下に埋もれていくみたいです(^_^;)

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先日長年慕っている女性の先輩に連れられてフェイシャルケアを受けてきました。大手お化粧品会社がやっているそのサロンではお化粧品の販売とエステをやっているそうで、体験ができるから一度連れて行きたいと言われていました。はっきり言って私はあんまり美容というものに興味がなく、毎日のお化粧も必要最小限だしエステなんて生まれてこのかた行ったことが無かったので正直びびっていたのですが(色々化粧品をつけられて、挙げ句の果てには欲しくもないものを無理やり売りつけられるというイメージが強かったので・・・エステの方ごめんなさい)。でも行ってみたら体験そのものも非常に気持ちよくてすごく良いリフレッシュになりました。本当におしゃれだ、というのは「引き算」だ、なんてよく言いますが、お化粧をするならちゃんとした方法で洗顔をする、というコンセプトは非常にわかりやすくて納得でした。

あと、マッサージやケアをする美容の方々の手仕事というのは本当に繊細ですごいなあと思いました。人を癒す職業はあまたありますが、実際に手で肌に触れることで人を癒す仕事というのは技術もそうだしなにより「癒す」という意識がなければ成り立ちませんので、それによってストレスも色々あるんじゃないかとは思いつつ、素晴らしい仕事だなあと感心しました。と、最後にお店の人に言ったら普通そういう言い方する人がいないのか、びっくりされてましたけど・・・。
そんなに何回も行けるものじゃありませんが、食事をしに行ったり買い物をして楽しんだりリフレッシュしたりするのと同じように、自分に対して気を配るということもすごく癒しになるんだなあと色々な事を思いました。




チラシが出来ました

2013-09-24 09:45:03 | Weblog
南姫工房(ナミラボ)のチラシがようやく出来上がりました。これでようやく色々なところにアプローチしていける!ということでこちらでもお披露目です。第一弾のチラシなので色合いや写真などがまだ全然検討の余地アリですがとりあえずチラシが無いと何も始まらないのでまた次回作るときには改善していこうと言う部分が多々ありますが・・・。それでもやっぱり嬉しいものです。
また、近々お知らせしますが、とあるイベントに参加するのでそこでもバンバンこれを配ろうと思っています。思えば5年前マングー(路上漫画制作)をやり始めた頃一回参加して色々な方と知り合うことができたいい思い出のイベントです。詳細は近日このブログと公式サイトの方でお知らせします。あと現在また新しい商品のアイディアがあって試行錯誤しています。芸術の秋、ということで新作を2種類ぐらいはできるんではなかろうかと思っています。


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時間がない、とよく言いますが時間は全人類に平等に流れているので誰に短く誰に長く与えられているものではありません。であれば、早いとか遅いとか思っている人間の方の気持ちの問題な訳です。充実したゆったりとした気持ちで日々を過ごしている人には十分な時間に感じられ、いつもせかせかしていて追い詰められている人にとっては常に不足しているように感じられると思います。

同じ時間なのにどうしてそういう感じ方の違いが出てくるのか。

日々行う作業や仕事の量が多すぎてその人自身がパンク状態でいくらやっても追いつかないのかもしれません。自分自身がそういう風になるよう抱え込んでしまい自分がこなせる量というものが分からなくなっているのではないでしょうか。

人間はコンピューターではないので、容量を追加すれば許容量が増えるかといえばそうでもない。ましてや古くなったパソコンにいくらハードを追加しても遅いものは遅い。であれば新しくて動作の早いパソコンで行う作業を配分して負担を軽くしたり、データをHDに移したりして操作性を向上させたほうがより作業は効率化できます。人間もそうです。そして人間の場合効率が良いかどうかだけではなく精神的にその方が楽であったり自身の健康のためにも無理はやはりいけないのです。

そのためには自分でこれぐらいの期間があればここまでできる、という基準を設けるのが良いと思います。実際私には締切や納期があります。大抵はその納期は自分が思っているより短いものだったりするのですが(笑)自分の許容範囲を越えての納期を受けることはありません。無理して受けてギリギリに納品したっていい仕事はできないし、その次の仕事に支障が出るからです。
人間疲れたら休まなければならないのです。無理したら回復しなければならない。回復もしてないのにすぐまた仕事を重ねて無理に無理が重なればいつか失敗します。取り返しがつくならイイのですが、私のように一人で仕事していると、一回でも納期を怠ったり締切に間に合わなくて原稿を落としたら私だけの責任ではなくなります。そして信用を失い、二度とその仕事は来ません。趣味でやっているわけではないので。

そして楽しみながらやる、というのも大切な要素です。楽しむということは積極性も生まれます。誰かにやらされている、というのは一番モチベーションが下がります(少なくとも私は)。

いつも時間が無い無い、余裕が無くて追い詰められてばかり、なんていうかたは少し立ち止まって自分の許容範囲を見直してみてはどうですか?そして自分の仕事をもっと楽しんでみてはどうでしょう。きっと仕事に対する時間が「消費」ではなくなり「充実」となりますよ。是非お試しあれ( ´ ▽ ` )

バックアップの大事さ

2013-09-23 08:33:24 | Weblog
うちのiPhoneちゃんが動かなくなりました。実は新しいOSにバージョンアップしようと、iTunesにつなげた状態で更新作業をしようとしたその時、iPhoneが再起動のため電源が落ち真っ暗なままフリーズ・・・。はい、実は更新作業はインターネット環境においてやらないといけないのですがうちの場合iPhoneのWi-Fi機能のみで、有線のネット環境が無いため途中でネット環境が落ちてしまいました。しかも当のiPhoneちゃんがうんともすんとも言わなくなり、「ひぇ~~~」という訳です。夜だったのですがギリギリ近くのソフトバンクが開いている時間だったのが不幸中の幸い。ただ、お店で初期化できないので後日アップルストアに持っていかなくちゃいけなくなりました!万事休す・・・。私が頭悪いからとはいえ、バージョンアップに際して注意を促す何かがあってもよかったんでは?!まあ、ソフトバンクショップの店員さん達の応対がすごく良かった(コーヒーまで出してくれた)し、代替機で最低限の連絡と仕事には影響が無かったのでよしとしますか・・・。

ただ、アイクラウドでバックアップをとっていたため、今までの機能をほとんどそのまま代替機で使えます。目覚まし時計の設定までデータとして残せていました。便利だけどある意味怖いくらい情報って残るんだなあと改めて思いました。

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昨日は珍しく早く家に帰って来れていたので作業をしながらテレビをつけていたのですが、丁度例の大ヒットドラマの最終回ということで、そのクライマックスを偶然目にしました。主人公が銀行の取締役会議みたいな場所で宿敵を土下座させるうんぬんの部分(ごめんなさい、これってネタバレですか)を見ていたんですが明らかに主人公が言うセリフというのは社会や人々に対して、あるいは公然と不正が行われている会社組織や腐敗をしている企業などへのメッセージですよね。あぁ、だから皆はまるんだなと納得しました。最近ドラマでさえも単なる惚れたはれただの成功ストーリーを描いているだけでは売れない、数字が取れないのはそういうメッセージというか信念みたいなものを織り込む必要があるからなんですね。

堺雅人さんが主人公を演じる中で皆が日頃思っているようなことを堂々と言ってくれる。「そう、そうなんだよ!」という共感を得る。そこにこのドラマの大ヒットがあるんでしょう。
確かドラマの中で“不正をしている重役を他の重役たちも黙認し、企業は腐敗し派閥争いに明け暮れ、部下は上司の顔色を伺うことばかり。銀行として本当に銀行を必要としている庶民の人たちに手を差し伸べず・・・本来の銀行の姿じゃない、そんなことでいいのか!”というようなセリフがあったような気がします。そこにお父さんたちはそうだそうだ!と思うのですね。銀行だけじゃなくて普通の企業もみんなそうだからです。

それと違う番組の特集で黒澤明さんの「生きものの記録」「夢」を取り上げていました。ご存知の方はもうお分かりですよね。これらは水爆・原発をテーマにしたお話が織り込まれている映画で、監督が原発・核への警鐘を鳴らしていた作品です。夢、の中でのシーン、セリフはゾッとするほど今の日本の現状を映し出しています。月に一回ぐらい公共の放送でこの映画を流したほうがいいんじゃないかと思うぐらい衝撃的な内容です。原発が爆発し、人々が逃げ惑い放射能物質が溢れ出し、小さい子供を連れた母親が絶壁で「原発は安全だ、とぬかしたやつらは許せない!」と絶叫するシーンは今の日本にあって怖いぐらい当てはまります。(どっかの国だったら閲覧禁止になってもおかしくないかも)

人の目に触れるドラマや映画は楽しかったりほのぼのさせられるキュートな作品、かっこいい映像を集めた作品ももちろん娯楽としては大事なものですがその中にあっても何かしら人間として大事な部分(倫理とか哲学とか?)に触れるような物が今求められているのかなあという気がします。

ポールストレッチ

2013-09-21 09:53:17 | Weblog
私がここ1年半やっている健康法でポールストレッチがあります。これは私が通っている整体の先生に教えてもらったんですが、とても良いです。今やホームセンターなどでも売っているんですがエクササイズ用品の所に流さ120cmくらいの長いクッションのような棒売ってませんか?あれがポールです。あれを床に置いて、その上に寝っ転がる訳です。最初はバランスをとるのがすごく難しい!スポーツなどで鍛えてる人でも乗れない人がいるというぐらいですので、体の芯を鍛えるのにとても良いみたいです。鍛えるというのは体幹のトレーニング。バランスを取り身を引き締めるのに役立ちます。少しなれると、ポールに乗っかった状態で手を床から離して動かしたり、足を離して(これが難しい)腹筋をしたりするんです。全然ジムの機械で鍛えてなくても自然と腹筋が割れてきます。先生曰くトレーニングと言っても長時間筋トレしたり機械を使わなくったって自分の体重を使えば本来は十分、なんだそうです。その言葉どおり、トレーニング後はなんか体の芯がしっかり使い込まれた感じでものすごく疲れるのにどこが疲れているのか分からない不思議な感じです。そしてランニングをしたり運動したりすると体の動きが全然違う!これは本当に驚きです。

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過重労働とうつ病などの精神疾患についての記事を読んでいました。うつ病と言うとひと昔前は「なまけ病」と言われ体はどこも悪くないのにやる気が出ないとかだるけに襲われて仕事を始め日常生活がうまく機能しなくなることで批判されたり理解されることが困難であったと言います。ただ、今は病名の周知が多くなされていることやメディアで取り上げられることも頻繁なため人々の理解がある程度はすすんだと思います。
でも、働き過ぎによってうつ病などになることはあまり認識されていませんし、当の病気の本人であってもそれを自覚することがあまりなかったりすることでどんどん病状が進行することもあります。

日本はよく働き過ぎの国と言われ、国連からも警告を受けているなんてよく聞きますが実際に私は働きすぎだと思います。それをおかしいと思わないところに原因があると思います。今はデフレで物が安すぎるような気がします。そんなに安くなくても良いような物まで最初から安い。ということはそれを売って儲かる利益が少なく、働く人には全然還元されないということです。その上今は景気が悪く、会社側に利益があっても内部保留にして従業員などの給料アップにはつながりません。

過度に働かされることが当たり前になり、その割に報酬が低く、でも高度なサービスを提供することが当たり前になり、それに対応できないことで責められ、それによって不調に追い込まれて働けなくなるのは従業員自身の能力が低いからだと周りも本人も思い込まされる。病気になるのも当たり前というものです。

私も若い頃そういう所に身を置いていた経験があるので気持ちはよく分かります。私の場合は元々そういう過重労働が体に合わない人間だったということと(笑)根っからの反発心があったこと、周りに助言してくれたり話を聞いてくれる友人が多く自分を見失わなかったことで危険な状態を回避できたのがありがたい点ではありました。
後から思うとそういう場ででしか得られない経験や技術が今も生かされているしそういう場所で働いたことは決してマイナスではなかったのですがあまり長いあいだ働くところではないということは言えます。

でも人間不思議なもので、そういった中で働くのに慣れてしまうと「自分はブラック企業になんて引っかからないぜ」と思っていてもいつの間にかそういう環境で働いていることがあるものです。巧妙な蜘蛛の糸でいつのまにかがんじがらめになってしまい、気がついたら廃人、(むしろ自殺に追い込まれる)なんて例が後を立たないのですから。

精神的に追い詰められることが当たり前になりすぎて麻痺しているんではないでしょうか。

若い時の苦労は買ってでもしろ、なんて言葉がありますが間違っていると思います。あるいは間違って使われているのだと思います。苦労というのは人から与えられるのではなく自分が苦労してでもやりたい、と思う何かに挑戦したりすることが大切だということです。たとえ結果として失敗に終わるにしても「やってみたい」ということに敢えてチャレンジすることで将来その経験が何かに役にたつことがあるということで、やりたくもない苦労をやらされても良いということでは決してない訳です。

日本人はよく我慢が美徳とかって言いますが、全然美しくも徳を積んでいるわけでもありません。たんなる自己満足です。仏教からくるこの言葉のもともとの意味は「我意を張る」で、己の傲慢な心(煩悩)・強い自己意識から起こす慢心です。いつからそうなったかと言えばやはり戦争からじゃないでしょうか。自己犠牲を強烈に刷り込まれてしまい「辛い思いをすることは良いことだ」と教えられてきた世代がいつしかこう言うようになってしまったように思います。それを自分の子供の世代にまで刷り込み、新たな自己犠牲とそれによって精神的・肉体的な摩擦によって新たな病気を引き起こしているように思えてなりません。「我慢して辛抱してきているのになんで幸せになれないんだろう」という悩みと「我慢が足りないからだ」と思い込んで更に自分を追い詰める環境を選んでしまう負の連鎖です。

でも元々我慢なんかしたって幸せになれないと日本人にとって最も密接な宗教である仏教でも言っているのに誰もそのことに気づかないんですね。

私は仏教徒ではないし仏教について全然勉強してないので詳しくは分かりませんが、基本的な知識はあると思います。ようするにそういう我慢する気持ちも煩悩の一つで、それを手放せば楽になれるのに固執するから苦しいわけですよね。

なんで固執するかって言えば、「他人に認められたい」とか「もっと出世したい」とか「経済的に豊かになりたい」とかっていう欲があるわけです。そして上司などから叱責されるとその刺激が心理的には気持ちいいと思ってしまったりもするわけです。だから辞められない。どんなに自分の体調や精神が追い詰められていてもその叱責に応えようとするのはそれが嬉しいからです。

そしてそれを利用して企業あるいは色々な団体がそういう使い捨て人材を斡旋している状態、それを良しとする社会がある限り過重労働と職場結合性うつ病はなくならないように思います。

好きなものを食べるしあわせ

2013-09-20 18:44:30 | Weblog
昔から好きな食べ物があります。川魚、牡蠣、ドーナツ、アップルパイ。アップルパイは昔図書館で読んだ「わかったさんのお菓子作り」シリーズの本を読んで「アップルパイ作り」に憧れがありました。あと、「夢色クッキング」というお料理漫画でもパイを作るシーンや話が度々出てきて、私の中でパイというものが可愛いものイメージと結びついていました。ただ、パイは湿度などに影響を受けやすく、なかなか綺麗に作ることが難しい気がします(作り慣れてる方にはそうでもないかもしれませんが)
今はオーブンも家に無いので買ってくることが多いのですが、美味しいアップルパイに出会えるとしあわせな気持ちになります。ケーキ屋さんのアップルパイと、パン屋さんに並んでいるアップルパイはまた領域が違う気がします。ケーキ屋さんのは重厚感たっぷりで高級な感じ。パン屋さんのはもっと家庭的な感じがします。ちょっと温めて食べるのも好きですし、冷たくして食べるのも好きです。
これから秋に差し掛かると、色々なパイがお店で作られるようになり(もとは湿気がなくなりちょっと乾燥してくるとパイがよく膨らみ、作りやすい時期というのもあると思うのですが)私にとっては嬉しい時期となります。(私のオススメはらぽっぽのおいもアップルパイであったり、ポンパドウルのアップルパイも好きです。)

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現在高齢者の位置づけがおおよそ65歳からなのをどう考えるか、という記事を読みました。若い世代からするとうむを言わさず高齢者だと思うのですが(個人的には還暦がやはり一つの高齢の証だと思うので、60歳以上は高齢者の範囲だと思います。映画館などのシニア特典も60歳以上のところが多いですし。)当の65歳以上の方々はご自分のことを高齢者だとは思っていない人が多いらしいです。そうは言っても・・・。誰しも歳はとりたくないしお年寄りになるのは否定したいところではありますが生きている以上、人間は生き続ける限り死に向かって歩んでいるわけですから認めようが認めまいがお年寄りはお年寄りなのです。

先日ダライ・ラマ法王のインタビュー記事を拝見していてとても興味深かったです。仏教では無知・無明といってこの世の習わしを知らないでいる事で苦しみが生まれるという考えがあり、この世の習わしというのは「諸行無常」「諸法無我」といったようなこと(この世のすべての事、物は留まることなく常に変わり続けているという儚さ。所有しようとしても無理な世の常)で、それを理解していないから苦しむという理論ですね。

私は常々、仏教についてのこの論理的な考え方が大好きで、べつに仏教徒になりたいとか尼さんになりたいとか仏に遣えたいとかは思っていないんですが、人間の感情や心理を頭で理解しようとするその作業が面白いなと思います。

インタビューの中でこんなやりとりがあります。
東日本大震災でとてつもない被害を受けた日本、とりわけ東北。仏教の概念に「因果応報」というものがあるけれども、この震災は日本・日本人への因果応報なのか?何の罪も無い子供や多くの人々が家族や家や財産、故郷さえも失ったのはその人たちに原因があるのか、という痛烈な質問です。仏教の考え方としてどう答える?ということですね。
ダライ・ラマ法王は自然界が起こす大なり小なりの様々な現象、また自然災害はその多くが人間の行いとは全く無関係に発生する、人の行為とは直接的に関係ないと言います。ただ、人が「悲しい」「辛い」とか「嬉しい」「楽しい」など感情が発生するのには原因がある。それは様々な条件に依存して起因するものだといいます。このような大災害に直面し大きなショックを受けた場合に出る大きな違いは私たち人間のものの考え方だと。

それを読んで思ったことがあります。
これから超高齢化社会になっていく日本で高齢者のあり方を考えたとき、今のお年寄り(特に都会、都心のお年寄りたち)はとても脆弱で強さや逞しさがあまり感じられないと思います。地震の時もスーパーやコンビニで水を買い占めたり生鮮食品を買う列に横入りしたりする姿を幾度も見かけました。もちろんお年寄り以外の若い人でもそういう人は多くいましたが、そういう時こそ年長者として助け合いの精神を教えてくれても良さそうですが。

逆に見た目がギャルっぽいチャラチャラした女の子達がディズニーランドで地震に遭いました。多くの人が帰宅できずにいる時に周辺のお土産屋がお菓子を振舞ったとき真っ先にそのお菓子をたくさん受け取りに行ったのを周りの人が怪訝そうに見ていたところ、そのギャル達がお菓子を持って修学旅行などで来ていた子供たちの所へ配りに行ったとか。

「老い先が短いから」などの理由でまわりに気を使えない老人が増えている一方、若者は若者なりのポジティブな考えと行動を示しているような気がします。

その違いはなんなのか。今現在老人の方々だってきっと昔は若者で、上記のようなフレッシュでポジティブな考えと行動力を見せていた時期もあるんだと思います。でもどんどん内向きになってしまった、それとも昔から内向きだっただけでしょうか?
先日も友人と話していてちょっと気づいたのは、人間誰しも「寄りかかりたい」「依存したい」「甘えたい」という感情を持っているんだと思います。でも若い時はそういう感情を表に出しているお年寄りを見て「自分はああはなりたくない」と人の振り見て我がふり直していたんですね。マイナスな感情を押さえ込んでいた。それがいつしか自分が一番の年長者になり、どんどんそういう感情が溢れ出てきたのではないでしょうか。
仏教では老いることは苦しみの一つだと言いますが、それはなにも体の衰えからくる痛みだけではなく、負の感情(煩悩)をコントロールできない苦しみも入ってくるのかもしれません。「どうして自分だけが歳を取らなくちゃならないのか」という被害妄想、つまり「煩悩」。若くて元気があり、余裕のあるときはその煩悩を理性でもって抑えられるけど、そのコントロールが効かなくなってくるのが老いなんでしょう。

国もそうで、経済でも成長し、物や情報もたくさんあり人口も増えある一定のところまで発展してしまった。それがいつしか国として「老い」てしまう。停滞してしまう。
「もっと経済成長したい」「豊かになりたい」、昔みたいに。
「もっと健康でいたい」「若々しくありたい」、昔みたいに。
これってすごく似てませんか?

「足りるを知る」という言葉があります。自分の身の丈に合った幸せを見つけられたらそれ以上は必要なくなり、いつまでも幸せで事足りる満足を感じられます。「もっと、もっと」と欲することで向上するという考えもありますし、一部私もその考えには賛同しますが自分の進む道を突き進むようなやる気に満ち溢れる積極性と、ないものねだりで他人の物まで強欲に奪おうとする飢餓心を一様に「向上」とは呼びたくないですね。

地震で今もなお避難生活を続ける方の苦しみは私などでは全然分からないかもしれません。でも人生においての辛いことや悲しいことを経験することは人間誰しもあると思うんです。その経験をした際のものの考え方で苦しみを軽減したりポジティブな方向に考えられたりすることってあると思います。

どうしたら良い方に考えられるのかは、やっぱり勉強するしかないと思います。頭が悪ければ一生苦しむんだと思います。ここでいう勉強は学校でやる勉強ではなく「人生の勉強」です。それは個人個人でやるしかほかなく、とある勉強が違う人にも当てはまるということは決してないと思います。
その人なりに苦しんで、もがいて、勉強し進歩していくしかない。それで出家する人もいるとは思いますが出家は本当に最後の一手というか、人生のドロップアウトですから。釈迦だって俗世にいながらにして悟ことはできないと言ってなるべく俗世にはいたくないと言って転々としていたぐらいですから、俗世でポジティブにしている方が辛いし苦しい訳です。
お年寄りは自分が高齢者だということを悲観せず、むしろ自信を持って老いて行って欲しいと思います。歳を取ることで得られる楽しみや、達観できることってたくさんあるはずです。それには勉強する必要があるしもっと貪欲に「楽しく生きたい」という積極性を持って良いと思います。それはお金を稼ぐとか地位や名誉を得ることではなくて、自分が幸せを感じる事を行うとか楽しめる環境を探すとか。お金をかけなくても自分の趣味に没頭したり友達を話したりすることが楽しければそれをすれば良いのです。そうすれば若者を妬んだりひがんだりしなくて済みます。きっと楽だと思います。

今から高齢者になろうとする世代、あるいはこれから中高年に近づく世代がそうしてくれると多分日本はもっと魅力的に生まれ変われると思うのです。防衛軍を持たなくったって自由に、核を持たなくても平和に、体罰をしなくても子供から慕われる大人にきっとなれます。勉強しましょう。

徹夜できない

2013-09-19 09:11:32 | Weblog
最近徹夜が出来なくなってきました。元々夜型ではないので、夜作業すると次の日は全然効率が悪くなってしまうのであまり徹夜できないタチでしたが、ここ数年はそれが顕著です。これも年齢なのか・・・。でも徹夜は良い仕事の敵だ、という言葉もありますし、人それぞれだとは思いますが・・・。あと、私の場合水彩の仕事なので夜だと色合いが暗くなってしまいがちなのも昼間仕事したい理由のひとつです。夜蛍光灯などの灯りの下で書くのと、昼間太陽の光が部屋に入っている状態で書くのとでは色合いが断然違ってきます。色使いの問題ではなく、色を調整する際のコントラストの問題ですが絵をパソコンに取り込んでみるとそれが明らかです。なので最近は徹夜しなければならないぐらい切羽詰った状態になると一旦寝て、早朝に目覚ましをガンガン鳴らして無理やり起きて朝やっています・・・。

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先の台風18号による豪雨の中、川に落ちた子供を中国人留学生が救助し、表彰状が授与された事がニュースになりましたね。上海の親御さんは聞いてゾッとしたかもしれませんが、こういうニュースを聞くと色々な事を思います。まず、そういう温かい心を持った青年というのは国籍に関係なく存在していること。そういう青年が日本を選んで留学しに来てくれていること、それそのものも日本にとっては財産だと思います。加えて逆の事が起きたら中国国内では大きなニュースにはならないかもしれない、そう言う意味で日本はまだまだ捨てたものではないのかなとも思います。このニュースを中国のメディアが取材しに来ていて、その取材陣が「日本の皆さんにこういう良い中国人もいることを知ってほしい」と言っていましたが、私は逆に中国国内の人にこそ多く伝えるべきではないかと思います。人命救助だったこと、公式な表彰状が授与されたことでニュースになりましたが、もっと小さな規模でこういうことっていっぱいあると思います。私たちが知らないだけで。中国の人は元々とても情に厚くて優しい人が多いです。私の周りの中国人で仕事をしている人たちは皆真面目で頭が良くてとても温かい人ばかりです。政府同士の摩擦があるだけで、対人間として見たとき、日本に滞在するごく一般の中国の方は本当に紳士的だし常識を兼ね備えています。

この前テレビで言っていたのですが、心理学的に見ると「非難・中傷」は報酬なのだと専門家が言っていました。つまり、SNSなどでとある訴えや投げかけを発信したとき褒められたり賛同されたりすることは発信者にとって「報酬」であると捉えられます。一方でその投げかけに対して非難したりけなしたりする場合、それも「報酬」だと受け取るのが心理なんだそうです。そこで最初の投げかけに対して何の反応も無ければそこで発信は終わります。賛同があればその発信は続きます。でも、中傷があるというのは賛同と同じ「リアクション」なのだと。要するに中傷が「嬉しい」のです。反応してもらえた、だからもっと反応して欲しい、を繰り返し、それがやがて「炎上」するのだと。

これは小学生の男子が気になる女の子にわざと嫌がらせしたりスカートめくりしたりするのと同じですね。

国同士でもそうなんだと思います。わざと相手の国を怒らせたり感に触るようなことをして注意を引きたい。交渉の場に就いてほしいから中傷したり攻撃したりあるいは領土の近くまで船を走らせたり飛行機を飛ばしたりする。まあ領土に関しては占拠したモン勝ちというのが国際法上あるので無視するのは難しいところではありますが、どっかの国はそれでしょっちゅうだだをこねているようですし、怒らせてもいいからかまって欲しいというのが心理なのかもしれません。身近にもそういう人いますよね。

私は、意見を衝突させることがコミュニケーションだとは思いません。会話はキャッチボールという言葉もありますが、話をするのであれば相手の事を考えて発言するべきだし、それには上下の関係など無いと思うのです。それが対等ということです。対等でなければ話も出来ません。
最近本屋で作法とかマナー講座的教則本がはやっているように思います。習い事でも茶道やビジネスマナーの教室が流行っているそうです。私は行儀作法を身につけるのは別に良いと思いますが、ちょっと間違うとそのマナーをやっている=常識人、やってない人=非常識人と思い上がる人が多々出てくるんではないかと思います。この世界には色々な考え方があり、それぞれの人がそれぞれの常識の中で生きています。それを正しい、正しくないで分けようとすること自体が間違っているのです。
マナーに執着する人は、自分の一挙手一投足に「正しい」というお墨付きをもらいたいが為に固執する人も中にはいると思います。だから資格も取りたくなるのです。「あなたがやってきたことは正しい」という許可を第三者から与えてもらえる安心感。これを資格の勉強をする「労力」を払い、受験料を払うことで買っているのです。

個人的にそれで満足する分には大いに結構ですが、たまにそれをひけらかして満足しようとする人もいます。本当に思慮深くて常識のある行儀の良い人というのは、自分の中に持っている自分なりのマナーやものさしをおくびにも出さない人、それでいてそういう確固とした美的意識というものが物言わずににじみ出ている人だと思います。要するにベラベラ喋らない人、うんちくを垂れ流さないってことです(笑)

自分に自信のある人は流行に流されないのと一緒で、第三者からお墨付きをもらわなくったって基本的に「自分」というものをしっかり持っているものです。国と国同士であっても自分の国に誇りと名誉を感じているのであれば声高に他国を非難したり中傷したりする必要はありません。「自分の方が偉いんだぜ、ほらこんなに武器も持ってるんだぜ」と言ったり、ちょっかい出したりましてやそれにいちいち反応して「こっちはお前より偉いんだぜ、こんなに金持ってるんだぜ」と言わなくて良いはずです。要するに小さい頃の陣取り合戦が大人になってもまだ続いているという。なんとも恥ずかしい話だと思いますが、大人になるというのは意外と難しいものなのでしょうか。

リストとショパンが似合う季節

2013-09-18 20:16:21 | Weblog
最近はまっているCDが、「Slow Time Piano Songs-The Vintage Collection OF Classics And Jazz」というのなのですが、往年のクラシックとジャズの名曲を著名な演奏家が演奏している一枚です。クラシックの方がまた私好みの選曲でかなりおすすめです。ショパンとラベルが多いのですが、やはりこの季節はリストが最高です。中央線に乗りながら夕暮れの薄あおい景色を見つつ幻想即興曲やため息などを聞いているとものすごくリッチな気分になります。

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先日本屋さんを見ていて気になる本がいくつかありました。その中で野球界の生きる伝説・王貞治さんのインタビュー記事がかかれている本があり心惹かれました。最近、王さんのホームラン記録をバレンティン選手が塗り替えたのが話題になりましたね。まあそれに関してはもっと前に塗り替えられていたであろうことは想像に難くなく今更・・・という気がしますし、今までその記録を塗り替えさせないようにしていた事実は明白ですのであえてどうのこうのと言う気はしません。ただ、王さんが現役時代から近年までの事を考えるとやはり当時はすごい記録だというのはわかります。王さんの努力と才能は記すまでもありません。

でも、そんな子供たちの憧れであったスター選手も、数々の「挫折」を味わってきたそうなのです。まず最初の挫折は志望する高校に受験するも失敗したことだそうです。ただ志望校ではない早稲田実業に入学して野球部に入り、高校野球では大活躍。人生って分からないものです。
でも高校3年の夏、甲子園に出場することができません。ここでも挫折を味わう訳です。そして進学よりプロ野球の世界へ。しかもプロ入りしてからそれまでピッチャーとして活躍していたのに、バッターへ転向させられるわけですね。それまでに何度もチームを優勝に導いてきた自分のピッチングをプロの世界では否定された訳です。でも、だからこそ一本足打法による数々の伝説や55号ホームランの記録が生まれたと思うと、「挫折」や「失敗」は必ずしもマイナスではない、と思わせてくれます。

そんな王さんが今の教育に関して話している文章がありました。コーチや監督は嫌われてなんぼだと。仲良しこよしで好かれようと思ってはいけない、とおっしゃいます。多分公私に渡って厳しい方なんだと思いますが、でもそれって選手側と王さんとの間に強力な信頼関係があるからだと思います。
きっとそういう信頼関係にある選手は心の底から監督を嫌ってはいないと思います。「自分のことを思って言ってくれてるんだな」とわかっているからこそその選手は伸びていくのです。頭では(厳しいなあ・・・)と愚痴ることもあるかもしれませんが、何故そう王さんが言うのか選手には伝わる。何故選手が分かるかというと、王さんは選手の一挙手一投足をとてもよく見ています。
若手のバッター選手が、対戦投手によってバットのグリップの握る高さを変えて打つようになった、その進歩も見てすぐ分かる。素人からしたらその違いは数センチか数ミリだと思います。
選手は「ここぞ」というときに監督の顔を見るそうです。フリーバッティングで外野席まで球を飛ばしたとき、試合で三振を取ったとき・・・。「どう?見てた?」という事です。その時に監督と目が合わないと選手はすごくがっかりするそうなんですね(笑)ちょっと気持ちわかります。

そういう時に王さんは「見てる」訳です。選手の気持ちを掴みますよね。そういう人に注意されたら効きます。

最近、「嫌われ役になる」という意味を履き違えてる人が多いと思います。学校の体罰のこともそうです。もちろんある程度の権限を先生に与えてあげないと教師ががんじがらめになってしまい、子供の顔、父兄の顔、学校の顔を伺ってばかりいるようになってしまいます。でも、本当に嫌われ役になるというのは感情で怒鳴りつけたり虫の居所が悪くて暴言を吐いたり、更年期的ヒステリックで個人的な考えを強制したりすることではありません。それを権限とは言いません。きちんと自分の教育理念を持っていないから上手くいかないストレスを吐き出してるだけの傲慢です。

本当に「嫌われている」教師・先生は技術が無いんだと思います。そして、幼稚園の子供や小学校低学年ぐらいだったら高圧的な、傲慢な態度でも言うことを聞かせられると思いますが、子供が大きくなってきたりましてや大人など言うこと聞く訳ありません。ただ「本当に嫌われて」おしまいです。

私は子供の頃から、「最初は嫌いだったけど後から考えてみると自分の事を考えてくれていた事を知ってありがたかった人」というのはいません。なぜなら、子供の時から「自分の事を思って敢えて厳しいことを言う人」の事が分かっていました。だからその当時もありがたい存在だし今でも大好きな人であり続けます。そして「最初嫌いな人」は後から考えてもやっぱり嫌いな人だったんです(笑)

だから、「嫌われ役」というのは存在しないと思います。「嫌われると思われそうなほど一生懸命接してくれる思いやりのある人」か、「嫌いな人」しかいないのです。それをごっちゃにしているから体罰がなくならないのです。その違いはやはり「技術」だと思います。
人に苦言を言う時に何故その苦言を言うのか、敢えてそれを言うのはその人にどういうふうに成長して欲しいからなのか、それを「悟らせる」技術です。それが無いのは言葉の暴力です。
そういう「教える」「導く」ということに長けた人の話や本を少しは教育に携わる人は読んでも損は無いと思うのですが・・・。


カルフォルニアを思い出す空

2013-09-17 09:41:04 | Weblog
台風一過!晴れ晴れとして気持ちのいい午前です。日差しが強いけどからっとしていて風は涼しく、空はどこまでも住んでいて雲一つない。こんな日は以前行ったサンディエゴの空を思い出します。周りを砂漠に囲まれているので空気は年中乾燥しています。なので晴れていて日差しが強烈でも暑いのは日向。日陰に入ったり夜になると上着や毛布がいるぐらい寒い。なので体は冷えてるのに日焼けする、という妙な感じでしたがアメリカの空気を感じました。帰国して成田空港に降り立った瞬間の湿気の多さに体が1kgぐらい重くなったような気がしたものです(笑)

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秋は台風の季節。これからまだいくつか台風が来ることでしょう。おうちの台風対策などもしっかりしていきたいものです。
でも、この前気になるニュースが。震災から2年半も経つというのに、東北の被災した自治体での一番の問題は「住宅」。仮説住宅から公営住宅に引っ越せる人と引っ越せない人がいる。そのために人口がどんどん流出しているようです。また、原発事故で避難している方への復興住宅も計画が3700戸あるのに着工が未だに0。そのほかにも被災地での住宅の建設・着工の遅れが多々取り上げられています。人間が快適にするために必要な衣・食・住と言いますが、住むところが安定しなければ何も始まりません。まだ始まろうともしていない。入札の問題もありますけど、そういう時にこそ柔軟に規制を解いたり、時と場合に応じて対応する必要があるのではないでしょうか。自分のことじゃないからって対応が遅すぎるような気がするのですが・・・。

今の世の中、受身でいたり「待ち」の姿勢では誰も助けてくれません。自分から行動したり発言したりしなければ何も変わりません。誰かに頼ったり依存しているだけでは自分の希望ややりたいことはできません。誰もやらないなら自分がやるしかありませんし、望むものがどこにも無ければ自分で作るしかないのです。

私は小さい頃から親もそうだし、友人や周りの大人たちもそういう人がいっぱいいました。それが当たり前だったのです。だから自分で何かを作り出すとか切り開くということが全然大変だとも思わないし、その楽しさや醍醐味をよく知っています。

自分で作り出して初めて分かることもあります。意外と簡単に作れるもの、思ったより大変な事、既製品がいかに質が良いか、あるいは悪いか。すべての判断につながります。情報だってそうだと思うのです。自分で調べたり探したりしてみて意外なことに気づいたり、世間一般で言われていることと反対の事に気づいたりその重要さに気づいたり。自分の視野が広がります。ただ口を開けていれば正しい情報と質の良いものが舞い込んでくると思ったら大間違い。ただ、一人で何もかもはできませんから、出来ない所はお願いしてやってもらえば良いのです。でも最初から最後まで全部誰かを利用しておんぶにだっこでは自分の思うようには行きません。ようするに自らやってみよう、という気持ちが重要なのです。

何が言いたいかというと、世の中のありとあらゆる問題の多くは自分が思うようにたち行かない場合「他者が悪い」と言って立ち往生している事が多すぎると思うのです。その多くは自分で自立して物事を進める事を知らない人が多いから。そして多くは自分でやろうと思えば出来る事です。よく「サラリーマン(OL)気質」という言葉を聞きます。上からの指示待ちしかできない、自分で積極的に考えて動けない。もちろんサラリーマンやOLの中には積極的に動ける人もいますが、多くはその会社組織の中で与えられた仕事をこなしていく業務が大半なはずです。企画者や営業のように、発想力や独自性が求められる部署はあることはあります。

自ら考えることが出来ない人は同じ失敗を何度でも繰り返します。それは自分がその会社なり組織のリーダーではなく歯車だから。失敗してもその尻拭いは組織か自分の上司がかぶれば良いと思っているから。責任を問われたらその責任の所在は明確にせず、誰か第三者のせいにして雲隠れ。

でもそれでは物事はいい方向に進むわけないし、発展もありませんし、第一楽しくありませんね(笑)

「言われた事だけやって、あとは上司のご機嫌さえ伺ってればいい。」というのでは、変化に富んだ世の中になりつつある現代では取り残されていく一方だと思うのは私だけでしょうか。

だって自分の人生は楽しみたいし、であれば楽しく仕事をし、生きがいをその仕事に感じていたいし、あわよくば自分の仕事によって誰かに喜んでもらうとか何か働く中にもモチベーションを上げて生活したいと思います。自分の信念に基づいて行動したいし、常に向上心を持って生きていきたい。そのためにはリテラシーを持って物事を見ていきたいし挑戦と変化を続けていきたいからです。そしてそれを誰かにやってもらうのを待つぐらいならちゃっちゃと自分でやってしまいたい・・・。それってやっぱり自営業のなせる業なんですよね。

もちろんサラリーマンの人を悪く言うつもりはありませんのであしからず。でも私はこの先も一生OLだけはできそうもないなあーと思ってしまいます(笑)