hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

レッスンはライブ

2006-04-28 22:12:54 | 音楽

 不遜な言い方が許されるなら、レッスンはライブだと思っている。主旋律があって、それをカリキュラムと呼ぶ。だから、教室に同じメロディが流れることはあっても、毎回、リズムが違うし、テンポだって異なる。その瞬間にしか生み出せないが、その分、生の音は新鮮なときめきと充足感に満たされる。譜面どおりに進行するときもあれば、コードのみ示し合わせて思い思いの終演に向かうときもある。プレーヤによって、楽器によって、演奏スタイルは多様でも、それでもたった一点に収束していく。

「ハモったね!」
「決まったね!」

 どんな音を出してもいい、きっちり合わすから。ソロはあなただ。この気負い、このスリルがたまらない。

 ジャズのよう? いえ、これぞブルーグラス! エッジの利いたドライブ感、瞬間、瞬間にかける音のセッション…。この醍醐味を思い出しに、連休の間、教室のドアをノックして欲しい。スペイン村の花火が望めるパソコン教室だ。

 大事にしているマンドリン、専用スタンドにかけたままなのに、突然、第一弦(E線)が切れた。もちろん指一本触れていない。湿度の加減なのか、摩訶不思議である。それとメトロノーム、ぼくのピッキングに合わせてくれないものだろうか…。


のどのつかえがとれた

2006-04-25 23:00:48 | 音楽

 喉に痞(つか)えていた魚の骨のごときCDプレーヤが無事復旧した。結局、穴があってそこに突起を勢いよく嵌(は)めればカチッと納まった。後は分解した手順の逆を、記憶をたどりつつ、慎重に進めて修理は終了となった。CDトレイはスムーズに引っ込むし、その後、イジェクトボタンを押さない限りは勝手に出てこない。モーツァルトが快く部屋を充たす。

「なぁーんだぁ…」

 要は、ぼくの臆病な性格が災いしただけ。赤ん坊を撫でるようなソフトタッチでは機械は受け入れてくれない。大胆に、ガバーッでよかったのだ。CPUクーラーを取り付けるより繊細になっていた。

 家人からUSB2.0対応の外付けハードディスクにデータをバックアップして欲しいと依頼があった。送る側と送り先の窓を並べ、ドラッグアンドドロップでコピーした訳だが、その最中に彼女が、

「へーっ、こんな小さなものに入って行くんだぁ」

とそのドライブを手に取り始めた。思わず、

「おい、おい、動かすなよ、転送中に!」

と悲鳴をあげてしまった。家人はキョトンとしている。

 知らないというのは強い。が、怖ろしくもある。ハードディスクはレコード・プレーヤと同じだ。1分間に5,400回転という高速で回っている。そのまっただ中に振動で傷がつけばどうなるか、と言いかけて言葉を呑んだ。彼女にしたら、このドライブはコンパクトでお洒落なパッケージ商品としか見えない。中の仕組みが見えないから当然だし、家電の感覚ではそうなる。それが普通の反応ではあるまいか。

 知識や経験を積めば、まして痛みをともなう体験をすれば、人は臆病になる。家人からしたら、ぼくは小心者にしか見えないだろう。パソコンなんて知らない方が健康にいいようだ。


帰り道は遠かった、来たときよりも

2006-04-24 22:03:11 | 音楽

 まったく大変な有様となった。Imageonkyo_s

 ことの起こりは、自宅のCDプレーヤーの不具合である。お気に入りのCDをセットしたところ、いったんトレイは引っ込むものの、直ぐに吐き出されてくる。再度セットし直しても、若干期待を持たせる間があるものの、やっぱり

お帰りなさい

なのである。

「ナンテコッタイ、オリーブ」

いや、オリーブは傍に居る訳ないのだが…。

 CDプレーヤーにまつわるトラブルはCDの排出が多い。そもそも教室のミニコンポだってよく似た状態だ。ONKYOの、「アンプ内臓CD・MD一体型」とはいえ音質は申し分なく、なかなかの優れものなのだが、CDトレイにCDを載せておかないとイジェクトしない欠点がある。もっともイジェクトボタンを押しながらトレイの中央付近を押したり、両端を押したりと、何度か繰り返すうちに間違って吐き出される訳だが、短気な人には不向きである。ぶち切れて、叩き壊した「考え無し」をひとり知っている。

 教室の技術者のアドバイスやネットをググってみると、どちらの症状も、CDトレーローディングベルトを交換すれば直るらしい。メーカーから取り寄せてもよいのだが、たまたまヤフオクに出品されていたので、勢いで落札した。もちろん価格は高くなるが、それでも500円以内に収まった。

 機械をばらす、分解するという行為はすこぶる快感である。ピックアップユニットを外し、トレイ先端の化粧カバーを外し、メカユニットを取り外し、さらにセンサースイッチのピンを抜きと、慎重に作業を進め、ローディングベルトの交換は無事終えた。それが写真の状態である。Imageonkyo

 さて戻そうとする段になって、ローディングベルトを覆っていたカバーが何としても取り付けられないのである。

「行きはよいよい、帰りは怖い」

という奴か。こんなとき駿がいればデジカメで記録してくれるはずで難なく解決するのだが、今となってはアフターパーティ(後の祭り)である。かれこれ3日ほど同じ作業を試みているのだが、まだぶち切れてはいない。むしろこの停滞を招いた自分のドジを面白がっている。このゆとり、いつまで持続できるやら、ハテ?


アリソン・クラウス

2006-04-23 22:11:28 | 音楽

 日曜日には決まってアリソン・クラウスのLonely Runs Both Waysが聴きたくなる。頭ん中を空っぽにして、静かに沁みてくるサウンドに聴き入る。アリソンの澄み切って透明感のある優しいヴォイスとダン・ティミンスキーのハイロンサム唱法がみごとにマッチして、

これぞブルーグラス

と絶賛するばかりである。

 ダンは、映画「オー・ブラザー!」のステージ・シーンに登場しているし、劇中、ジョージ・クルーニーが歌ってヒットさせたという設定の「マン・オブ・コンスタント・ソロウ」の吹き替えを担当している。力強いハイロンサムだ。

 赤ん坊にはミルクと決まっているが、ぼくはブルーグラスをミルクに育って来た気がする。エエ歳こいて未だにこのミルクは手放せないし、さらに指を吸う代わりにフラット・マンドリンを握りしめている。なかなか上達しない難しい楽器だが、それでも放り出してはいない。

 遠い昔、イギリスから、スコットランドから、アイルランドから、追われるように大西洋を渡った人々の荷物に忍ばせたバイオリンが、ギターが、マンドリンが、ブルーグラス・ミュージックに資する役割がいかに大きかったか。限られた移住の道具に楽器を忘れなかった彼らの心のゆとりを讃えたい。人間の営みの偉大さを思う。それがいつしか太平洋を越え、ぼくに届いている。音楽って強い。


魔法のじゅうたん

2006-04-19 22:59:19 | 音楽

 朝、お定まりの儀式ように、息子が「声に出して読む日本語」を朗読する声が聞こえる。出勤前の大切な日課のようで、一日たりとも欠かさない。彼が言うには、音読で脳が活性化され、仕事に入るや直ちに全開モードで取り掛かれるとのこと。お年寄りと接する仕事だから、安全面に対して集中力が要求される。本人にはとても有効なメソッドであるらしい。

 子ほめは慎むべきと思いつつ感心しているのだが、翻(ひるがえ)ってぼく、教室に入ってたちどころにスロット全開かと問われると、いささか心もとない。いえ、テンションは高いと思う。しかし、珈琲を呑むまでは何とも言えないなぁ。

 子どもたちに、

「本を読みなさい」

と口で言うだけで、読み聞かせなどしてあげただろうか。長男の一生懸命な声を聞くたび、苦い思いにとらわれる。父の童話と称しては、ええ加減なホラ話を枕元で語って聞かせたこともある。

「ボキャブラリーの貧困を自覚する…」

という子らの自省を聞くたび、忸怩たるものがある。

 今日はまた新しいブログの発信者を紹介する。それが、H夫人の魔法のじゅうたんである。小学生の息子さんとお嬢さんを持つお母さんが子どもたちに読み聞かせてきた絵本をとおして物語の世界に道先案内してくれる。優しい語り口にまったりと番茶を啜るときの安らぎめいたものを感じるのはぼくだけではあるまい。図書館で借りる本の、いや、買ってもいいか、きっと参考になるはず。お薦めである。

 今日のBGMは、60年代の懐メロポップスだ。スコット・マッケンジーの「花のサンフランシスコ」、これはぼくにとってベスト1ではなかろうかと改めて思った。楽曲のつくり、構成がユニークで優れ、ビートルズにさえ決してヒケをとらない。ママス&パパスのジョン・フィッリップス作曲。間奏にインド楽器のシタールが流れ、まさにヒッピー文化の象徴にも思える。歌い出しから飛びまくる高揚感と独特の哀切感から別の世界に誘われているかのようで、心地よいカタルシスが得られる。音楽はこうでなくてはならない。


ヴェル・ヴァーグ・ビアンフェ

2006-04-17 22:58:14 | 食・レシピ

 夕方、ヴェル・ヴァーグ・ビアンフェのシェフがお詫びに来てくれた。土曜日、満員で食事できなかった件である。いつもながら律儀で、丁寧な対応をしてくれて、こちらの方が恐縮してしまう。昨日、娘から、ケーブルテレビの10チャンネル、「志摩ステーション」でシェフのお店が放映していたことを聞かされていたので、その旨伝えると、どうやらシェフ自身もまだ観ていないらしい。

 娘が言うには、冒頭、教室の前で前説があって、教室のドアが映っているとのこと。

「そのためにガラスのドアに変えたんさ」

と、ぼく。まあ、これは嘘。

 シェフ、テレビカメラの前だといつもと違ってさすがにカタイ表情だったらしい。料理に関しては薀蓄が豊かで、語らせれば教授のような風情が漂う人であるが、ふだんは温厚な笑顔がよく似合う。さっそく、観てみようと思う。

 さらに連続2回も喰いッぱぐれている娘が言う。

「季節感漂うパスタのコースが目に毒」

だったらしい。

 ここで、トリビアである。店名の「ヴェル・ヴァーグ・ビアンフェ」であるが、どういう意味だぁ? 

 パスタが売り物であるが、基本的にフレンチ・レストランである。フランス語で書かれた看板には、「Belle Vague Bienfait」とある。これは以前教室でも話題になったことがある。一種の推理ゲームだ。ある会社の幹部研修の時で、ツワモノが揃っていた。

  • 映画で、昔、"ヌーベル・ヴァーグ"ってあったよね。アレ、「新しい」っていう意味じゃなかったっけ
  • "Bienfait"は英語の"Benefit(利益・恩恵)"じゃないかなぁ~
  • "Belle"はうちの奥さんの愛称だよ…

 喧々諤々の意見の後、「美しき波の恵み」と衆議一決したのである。これが教室の公式見解。シェフに確認を求めたところ、

「さぁ~」

と言ってニヤッと微笑んだ。自由にイメージして欲しいということだろう。

 で、livedoor 翻訳のフランス語に行ってみた。原文欄に「Belle Vague Bienfait」と入力し、「翻訳」ボタンをクリックしてみる。すると、「訳文」欄に、「beautiful wave kindness」と表示された。美しく、奥行きの深い豊かな言葉ではなかろうか…と、しみじみ感じ入る春の宵である。


アマランタインとは、永遠の意?

2006-04-15 22:40:05 | 音楽

 Tが言う。

「人にはそれぞれ自分のペースがあるんすよ」

そりゃそうだ。否定はしない。ぼくだって言ったはずだ。

背伸びせず、焦らず自分の歩幅を大切にして進みましょう

 一括りにパソコンの初心者といっても十人十色であり、"キーボードは初めて"という人、"メールはしてます"という人…と、様々である。

 それにしたって、大概、時間が経てば途中で肩を並べそうなもので、たとえ低空飛行がどれだけ長かろうが、それでも急上昇でブレークする瞬間がある。

 わずか一科目に2年もかけて、それを自分のペースと言われてもなぁ。

「終わりよければすべてヨシじゃないすか」

そりゃそうだが、それでも3年はナイぞと釘を刺しておく。その人のレベルを診るには、費やす時間と成績とのバランスだ。社会では、満点を穫らなければならないだろう。でも、それがひとの3倍も時間を喰っていたら、評価はいかがなもんだろう。惜しいことに満点を逃しても、要した時間が遥かに短時間なら、評価が高くなるのではなかろうか。

 検定をナメルな。家でもパソコンを開けよ。毎日半時間でも学習を続けたら成果が顕われる。

「資格を取得してからが勝負なのだから」と、先輩たちは頑張ったのである。合格がゴールではない。キャリアのためのスタートに過ぎない。

 今宵は、娘とお隣のヴェル・ヴァーグ・ヴィアンフェで食事の約束をしていたが、グループでの食事が何組かあるようで、満員のため断念した。娘の"パスタ食べたい症候群"がしばらく止みそうにない。長男に面倒をみてもらおう。

 ところで、今かかっているエンヤの「アマランタイン」のアルバムには日本語歌詞の曲があるようなのだが、うまく聞き取れない。何度も聞き返すのだが、耳が老化したのか。長生きはしそうだ。


純情きらりとジャズ

2006-04-12 22:41:00 | 音楽

 ここんとこのお気に入りは、朝の連続ドラマ「純情きらり」である。昨日などは妖しい天気ながら裏庭(と呼べるかどうか…)には鶯の鳴き音が聞こえ、茶をすすりながらまったりと春の朝の風情を楽しみながら、眠気の残るマナコを画面に向けていた。

 昨日の見どころは、ヒロインの桜子が新入生歓迎会の合唱で、当時の風潮からしたらもっての外の、ジャズ調のピアノ伴奏するところではなかったか。とりわけ瀧廉太郎の「花」をジャズ風にアレンジしたピアノの伴奏はノリもよく思わず身体を揺らしたくなるほどでオメザには最高だった。

 このドラマの舞台は愛知県の岡崎市で、ピアノが大好きという主人公は周囲の反対を押し切って、東京の音楽学校を受験する。東京でジャズの生演奏にふれ、将来、ジャズピアニストになることを夢見るが…。と、番組紹介にあるように、ジャズが大きな要素を占めている。

 で、ここでハタと気がついた。実は、岡崎市、ジャズには深い縁がある町なのである。

 岡崎市には、「ドクター・ジャズ」と呼ばれる内田修さんというお医者様がみえるのだが、氏はもうただのジャズ好きを通り越して、ジャズクラブを設立されるなど、日本のジャズシーンにも多大な影響を与えておられる。そして、氏のコレクションとなる、万を越えるジャズのレコードや貴重なオリジナルテープなどを、岡崎市に寄贈された。市では、それを期に「岡崎市シビックセンター」を設立し、ジャズ・レコードのデータベース化やオリジナルテープのデジタル化している。また、、全国的にもめずらしいジャズ試聴ができる資料室があるという。

 ホームページを訪れると一目瞭然だが、素晴らしいページである。ジャズ初心者にもジャズの愉しさが伝わってくる。ここのデータベースにはぼくもずいぶんお世話になっているし、2003年10月からは同センターが発行するメールマガジンを購読させてもらっている(最新号は23号)。月に一度ほどのペースで届けてくれるのだが、着信するやただちにジャズの匂いで教室が包まれる気がして、待ち遠しいのである。

LINK: 内田修ジャズコレクション
LINK: 岡崎市シビックセンター


その後のオダギリ…

2006-04-07 22:56:33 | 音楽

 ぼくがオダギリジョーでないのは、実に残念なことである。

「女優にとって、いま一番のターゲットはオダギリさんでしょう。」

 情報通(週刊誌フリークね)によると、オダギリの元には次から次へと女優やタレントが寄ってきているという。実に羨ましい…。無念ですらある。

 で、火曜サスペンス淑女コンビから、面白いサイトを教えてもらった。ぼくだって知っているCM、あのライフカードのには続編があるのだ、と。

「続きはWebで…」

ってあったっけ。それがここ。「その後のオダギリ」をクリックしてから、お好きなカードを選んでみよう。最近のCMでは最高に面白い試みである。出色だ。

 でも、とるにたりない些細なことかもしれないけれど、ネットの環境を備えてない人って段々不利になっている。また、環境が整っていても、まるっきり知らないというのも、「ナンダカナァ…」。

 ブロークバック・マウンテンのサウンド・トラックに聴きほれている週末。


ラザニア?

2006-04-06 23:17:25 | 音楽

 両親が共働きのため、子どもの頃から、我が家の料理はもっぱら祖母の役目だった。家族のために、特に孫のためには、骨身を惜しまず、四六時中働きっぱなしの、根っからの明治の女性だ。

 高校生の頃、テレビで習ったといって、挽き肉料理をこしらえてくれた。蓋付きの耐熱皿にバターを敷き、その上にハンバーグの下ごしらえに近いミンチを乗せ、さらに茹でたマカロニを敷き、ケチャップをかけ、パン粉で蓋をし、さらにミンチを…、といった具合に何層にも盛り上げられたものは、ぼくたち兄妹には、生まれて初めてのご馳走に思え、絶賛したものだ。その料理が何という名前なのか、未だに分からない。祖母は、

「イタリアの料理とか言うとったなぁ」

それだけである。魅せられたのは、ぼくたちだけではない。友人たちはただこの料理のためだけに我が家を頻繁に訪れたほどである。いつしか我が家の名物料理になっていた。

 白内障で目がそれほど自由でなく、それ故、石油コンロしか使えない人だったが、友人たちの歓ぶ顔が見たいと、いそいそと台所に向かっていた。

 果たして何という料理だったのか、今でも時々気になることがある。教室には料理の達人がたくさんいるので伺ってみるのだが、

「ラザニアではないか知らん」

というヒントをもらった。

 当時、1960年代半ば、ラザニアという食材が手に入る術などなかったし、ましてパスタの一種であることなど知る人の方が少なかったのではあるまいか。

知ラザニア、言って聞かせやしょう

 もっともぼくにはラザニアそのものも分からない。ラザニアなんぞ売ってないからマカロニで代用は分かる。オーブンなんて洒落たものは、あるところにはあっただろうが、裕福ではない我が家になんぞある訳ない。祖母は

「蒸し器で長いこと蒸したわさ」

と涼しい顔をしていたっけ。とにかくずっと気がかりなレシピなのである。

 昨日、娘がぼくのためにそのラザニアを作ってくれた。ぼくがしばしば話題にするので閉口したものと見える。だが、食材のすべてが本格的なイタリア風で、味も悪くない。ブロッコリー、菜の花など季節の野菜を忍ばせたところに娘なりの工夫が見られ、それはそれで感動ものであった。

 娘のおかげで明らかになったのは、祖母の料理が「ラザニア」ではないということ。それでは一体何だったのか。後に引っ張る謎である。陽気のせいか、天候のせいか、ジリオラ・チンクェッティの「雨」が流れる教室、60年代は遠い。