hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

ガソリン満タン

2008-04-30 22:59:52 | 音楽

 午後から突然体調不良。そのまま横になった。気が焦るのはもろもろの決済。月末なのに。

 テレビをつけると、

租税特別措置法改正案が衆院で再可決

なんじゃ、こりゃ!

 ライブラリへ図書の返却を思い出した途端、正気を取り戻す。

ガス欠寸前だぁ。というより、3月5日以来給油していない。

今日と明日の給油では出費は段違い。

 これがモチベーションとなり立ち上がった。しょぼい?

 それにしても車に乗らなくなった。春になって暖かくなり自転車の利用が増えている。春休みと年度当初とあって学校へ行かなくなったこともある。ガス欠と思っていたのに25リットルで済んだのは意外だった。燃料計の不具合?。

 今後ぼくの脚は自転車だな。坂道苦にならなくなっている。凄い成長だと思う。

Salad01


連休突入

2008-04-30 00:00:11 | 音楽

Soto2_400

 今日が祝日なのは理解していたが、「昭和の日」であるとは教えられるまで知らなかった。脳内では「緑の日」だ。昭和モードで進行している模様。

 ラ・ミア・ヴィータのブログとホームページが消えてること。多くの人が心配してメールをいただいている。どうやら連休に家族でという計画らしい。ブログが復旧した。

伊勢ラ・ミア・ヴィータ

 伊勢市でイタリアンといえば真っ先に飛び出す名前だ。若手シェフから重厚な中堅シェフに成長し、地域の食材を活かしきったシンプルなイタリアンを目指している。


久闊(きゅうかつ)を叙(じょ)す

2008-04-20 23:59:00 | 音楽

Nanpei

 俳優の原田芳雄に似てなくもない。高校時代の友人、ナンペイである。名ではなく苗字だ。職業は大工。彼の方から年に何度か教室に逢いに来てくれる。ぼくが彼の伊勢にある家に行ったのは「昭和」の時代と記憶する。教室に来て授業中であれば黙々とタッチタイピングの練習をする。寡黙で、一人遊びの上手な男なのだ。

 高校時代の彼はそれなりにモテた。スタイリストで、絵描き志望で、男性ファッション雑誌「メンズクラブ」を教科書にしていたぐらいの男だ。元祖読者モデルと言えば言い過ぎだろうが、見せ方を知っていた。オトコマエ度でいえば当然のように2番目になるが…。

 似てなくもない、という表現、便利だ。この伝でいけば、

ぼくはアンディ・ガルシアに似てなくもない

のだ。ハハハ。

 彼がキュートな瓶入りコカコーラを初めて呑んだ瞬間を知っているし、登校直後に下駄箱で好きだった子に振られた瞬間に立ち会ってもいる。生徒会の役員選挙でぼくの応援演説を買って出てくれたが、「オレ、ナンペー」とだけ言って、候補者のぼくの名を一言も告げずに降壇したのにはたまげた。豪傑なのか、ずぼらな奴なのか、未だによく分かっていない。

 プレスリーとビーチボーイズが下火になって、ボブ・ディランがエレキギターに換えて罵声と怒号にさらされ、皆がビートルズに憧れた頃。そして、ぼくのお尻にはニキビができていた。

 ぼくの人生の節目というか、ターニングポイントという時にフラリ現われて背中を押してくれる。本人は何も言わない、口下手だから。あたかも彼を通してぼくに啓示が降りるようだ。

 今回顔を見せたのは一年ぶりどころではない。二人とも忘れてしまうぐらい昔のことだ。コーヒーを呑みつつ久闊を叙し、近況を語り合った。で、ぼくは久々にポートレートを撮った。写真家志望のぼくは彼をモデルに習作を何枚となく撮ったものだ。画家志望の彼はぼくをモデルに油絵を描く…なんてことは一枚たりともなかったことに、今、気づいた。

 デジカメの使い方には未だに慣れてなくてもどかしいが、それでも黒縁の額にリボンをかけるにふさわしいのが一枚だけ撮れたように思う。こうしておけば彼も長生きしてくれるだろう。


ナレノハテ

2008-04-12 23:57:00 | 食・レシピ

Vegetable

 この一年で体重計に乗ったのは市民検診の折の一回だけである。そもそもヘルス・メーターってのがなかったのだ。いつも生徒さんのパソコンを購入している通販ショップからの案内で、こんなんを2,999円(しかも送料無料)で販売というメールに飛びついた。

体脂肪計 ボディプランナー DF800

 長男の体脂肪率、10%を切っている、と自慢しているのだが、ぼくには体脂肪率そのものが分かってない。第一、こんな器械に乗るだけで、体脂肪率のみならず内臓脂肪断面積までもが測定できるなんてこと自体信じられない。

 節制し常に鍛え抜いている息子を横目に父は思うのだが、かって父もそのようであったのだ。つまり君の成れの果てがこれなのだよ、と呟いてた。聞こえないように。

 さて、今日の昼はこれである。というか最近こればっかりである。油を使わず野菜をしっかり摂っている。ハーブをしっかり振りかけた野菜蒸しだ。


悠久のインド

2008-04-11 23:59:00 | 音楽
サーカスの息子〈上〉 (John Irving collection 1989-1998) サーカスの息子〈上〉 (John Irving collection 1989-1998)
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:1999-10

 ここんとこジョン・アーヴィングの「サーカスの息子」にもたついている。なかなか読み進めない。かれこれ半年というもの最初から読み直すという作業が5回ほど続いている。その分ページめくりが余計に遅くなる。悪循環。

 舞台はボンペイ。そこで気づいた。現在、ボンペイという街が存在しないことを。

1995年に英語での公式名称がボンベイ(Bombay)から、現地語(マラーティー語)での名称にもとづくムンバイへと変更された。

 小説でも映画とサーカスの世界が描かれるが、インド随一の商業及び娯楽の中心都市である。

 そして、思い出したのが、旧友の忘れ形見のこと。今、インドへ赴きヨガで研鑽に励んでいる。若者がインドに憧れるのは普遍的な流れのようだ。ぼくたちの頃からだろう。60年代後半、ヨガの持つ高い精神性に惹きつけられ多くの青年たちがインドへ旅立った。

 彼女たちのブログを読ませてもらっている。なんとパートナーの女性はペルーへ行ってるらしい。あの空中都市、「マチュピチュ」だ。

waライフ

 悠久の、という形容詞にふさわしいインドでの生活は、かなりドラマチックで、スリリングであり、かつエキサイティングだ。目的の達成と無事帰国を祈るばかりである。

サーカスの息子〈下〉 (John Irving collection 1989-1998) サーカスの息子〈下〉 (John Irving collection 1989-1998)
価格:¥ 2,625(税込)
発売日:1999-10


IE7にしたら強制終了

2008-04-10 23:59:00 | 音楽

 インターネット・エクスプローラをバージョン7にアップグレードしてから、新しい窓を開くと途端に落ちてしまう。メッセージがでることも、そのまま沈黙することもあって、なかなか複雑だ。設定を変更し、レジストリも弄ってみたが、いっこうに改善しない。それでアンインストールすることにした。

コントロールパネルから「プログラムの削除」と行き、「Microsoft Internet Explorer 7」を削除

 結局、ビンゴ! 6に戻ってくれた。VISTAのためのIE7であって,XPには不向きなものだったんだ。ホームページを保存すると、「完全ページ」で保存できるようになったのがありがたい。同病の方は試して見られては?


りんごは何にも言わないけれど

2008-04-06 22:14:22 | 音楽

りんごは何にも言わないけれど
りんごの気持ちはよく分かる

 「リトル・ブッダ」、「セブンイヤーズインチベット」、ぼくのチベット観はこの二本の映画を観て生まれた拙いものかも知れない。しかし、それだけに中国政府のチベットに対する弾圧がいかに過酷なものだかは想像がつく。外国のメディアを遠ざけておいて流すニュースが白々しい分、逆に怖い。裏に潜み、闇で蠢く拷問や殺戮がリアルに迫ってくるようだ。

 「セブンイヤーズインチベット」の頃から変わっていないどころか、悲惨になっていないか。

 日本政府は安易にカードを切らないで欲しい。

「声高に批判したり、今から北京五輪と関連付けることは、今の段階で適当かどうかよく考えないといけない」…福田総理3月29日

 ではなくて、日本政府の不気味なまでの沈黙がチベットでの流血を減らすぐらいの外交術を見せて欲しかった。私たちの政府がチベット文明を守れるはずだと信じさせてくれ。

 ブッダの魂を受け継ぐと告げられた子供たち、「リトル・ブッダ」のストーリーである。輪廻転生がテーマだった。最近、ダライ・ラマ法王がこう宣言された。

「自分は共産党の下では生まれ変わらない」

 裏にある画策、それに対する布石。

 中国共産党が選ぶ如何なる人物もダライ・ラマではありえない。

 猊下の凄みを物語る宣言である。

 友だちとして(友だちなら)こうありたい。近所の看板にこう書いてある。外交だって違わないさ。真の友情を育むために。20050420


オオシマザクラ

2008-04-02 20:17:10 | 音楽

Ohshima_zakura

 昨夏、油照りのなかを自転車漕いで天の岩戸を目指していたときに大きな樹を見つけた。その時だって木陰が素敵に思えたが、こうして満開の頃に来ると感動が異なる。車がひっきりなしにやって来る。ひとが絶えない。ふだんは密やかな場所なのに。

 オオシマザクラ

 桜の花びらはそれだけでメロディだ。脳内に音楽が響くよう。


四月一日

2008-04-01 23:11:48 | 音楽

 今夜は「求愛」の話である。そう聞けば何かときめくものがあるのだが、実は、恋愛の相談にのった。プロポーズをすると言うのである。普通、

「勝手にすればぁ」

という問題であり、今どき考えられない天然記念物的存在の男いたものだ。まぁ、これも春?

 そこで思い出したのが、「錦木の千束」のことである。

 昔々にも彼のようなシャイな男性がいたかどうかは知らないが、平安頃の恋模様は随分儀式ばっておったようだ。思う人を得ようと思えば手順を踏まなければならない。実に面倒な気もするが、その代わり、そのしきたりに則ってさえいれば、周りから認知されるという訳である。親といえども反対はできない。その小道具として錦木が登場する。

想う女の門に男は錦木を立てる。女性から見て逢いたい男の立てたものは七日のう ちに取り入れ、逢いたくない男の立てたものはそのままさし置く。

 ある意味、極めて分かりやすい。

 7日が過ぎても諦められない男がいた。百夜立てても取り入れられず、なおも3年近く立てたが叶わなかった。そこまで思われた娘、男の心を哀れと思うものの父母の許しがないので朝夕憂いに沈むばかり。さらに男は毎夜通ったが逢うことが出来ず、やがて若い男女二人とも思い煩い、恋焦がれて、ともに果ててしまった。こうなって初めて両親は深く悲しみ、二人とともに錦木を同じ塚に埋め、錦木塚とした…。3年だから千の束、千束(ちづか)という訳である。

 今の時代がいかに開かれていることか。それでもぼくが学生の頃だって、もどかしいカップル(未満)が少なからずいたものだ。

 友人の話である。好きになった女性がまことに古風な美女で、おまけに神官の娘、母親は教師、さらに女性自身も度が過ぎるほどの文学少女。家の玄関さえ跨がせない難攻不落の物々しさだ。

 彼女は彼に申し渡した。つまり、錦木の由来から語り、彼に百夜通って欲しい、と。

 乙女のロマンかも知れんが、恐るべき教条主義者、形式主義者だから止めとけと熱く語ったのは、ぼく。そりゃあ、彼女の綺麗さといったらぼくだってうっとりするぐらいだが、心からの忠告だった。

 男って哀しいものだ。彼は決意した。

「やる」

と。この件(くだり)、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の三時間バージョンを観た時、アルフレードが青年トトに語るシーン、ほら兵士の話、あそこでオーバーラップしてタマラン気持ちになった。

 通い通って九十九夜目のこと。いつものように錦木を所定の場所に置き立ち去ろうとした男に、母親と思しき女性が声を掛けた。

「娘の言付でございます。

『今宵で九十九夜。あなたさまの心根の深さ、わたくしの心に沁み入りました。一夜はおまけいたします。 どうぞお部屋に…』

 こんなことってあるのだ。かくして幸いなるかな一対のカップルが誕生した…と続けばめでたしめでたし。

 実は、その時その場にいた男は彼ではなく。なんと彼、前々夜の嵐の折の無理がたたって熱を出してしまい床に伏した。そして、その代打を買って出たのが、このぼくだった。

 あなたならどうするだろうか。

  • 素直に事情を打ち明け、彼のために弁舌を奮う
  • 彼に成りすまして部屋に上がる粛々と自分の思いを打ち明ける

 友情厚く、情けある男なら当然すべきことを当然のごとく果たして帰ってきた訳だが、自分の持つ運の強さのようなものを感じたといっても大げさでもあるまい。