hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

シャナイア・トウェイン UP!

2006-05-31 21:32:19 | 音楽

 遥か昔の話だが、つくり話ではない。

 ミス・キャンパスだったA美がある男と初めて出逢った瞬間、

「この人だわ!」

と、閃きがあったそうだ。予感は的中した。それが今のご主人である。同じ頃、ぼくも彼女と知り合っているはずだが、ぼくについての印象は、

「この人だれ?」

だったと聞く。

 一字違いで大きく異なる人生があるものだ。

毛が付いてるものをハケと呼ぶし、
毛が無いとハゲになる。

「ぼくのことを真っ先(まっさき)に考えてください」

と伝えたつもりなのに、

「うん、分かったぁ、末席(まっせき)ね」

 コミュニケーションとは難しい。 言葉はよく選びたいし、滑舌(かつぜつ)も大切だ。

「末席に加えてあげるね」
「ありがとう、真っ先だね」

これが、本家さっとん流だ。

 5月最後の日、教室にはシャナイア・トウェインの「UP!」が快調に響き渡る。明日から夏服である。浮き立つものがある。


ErrorSafeをインストールしますか?(推奨)

2006-05-30 23:21:55 | 音楽

 カントリーミュージックの歌詞が載っている海外サイトを開いた途端に、警告が出てきた。画像をクリックして欲しい。Errorsafescan

 Microsoft Internet Explorerのダイアログボックスなので、即、「OK」ボタンをクリックしようとしたのだが…。少し躊躇うものがあって、その警告をキャプチャーしてみた(「ALT」+「Prt Sc」…教室のキーボード)。そして、じっくり読んだ。

注意:レジストリデータベース、システムファイルにあるエラーによってコンピュータは機能が正しくなくて、フリーズ、クラッシュの恐れもあります。
エラーを修復するとコンピュータパフォーマンスが向上してデータ損失ができなくなります。

無料でコンピュータをスキャンするようにErrorSafeをインストールしますか?(推奨)

 レジストリデータベース、システムファイルにあるエラーとは怖いぞぉ、と思う。しかもご丁寧に(推奨)とある。普通なら、

「行ってきます」

なのだが、しかし、この文章、どこか違和感を覚える。

  • コンピュータは機能が正しくなくて…
  • クラッシュの恐れもあります
  • データ損失ができなくなります

 Microsoftらしくない文体ではあるまいか。あの会社のメッセージは皆が苦しむほどの重い独特の表現で、こちらは少し軽そうに思える。そこで、

"ErrorSafeをインストールしますか"

で、Googleで検索をかけてみた。

「ビンゴ!」

 案の定、「偽装アンチスパイウェア」であるらしい。

 危ういところである。キャンセル、キャンセルで逃れたのだが、思いの外しつこぐらいに窓が出ていたなぁ。

 迂闊(うかつ)になんでも受け入れるのは考えものだ。皆も注意しよう。例によって、既にインストールしてしまったという教室関係者は連絡して欲しい。外す手はある。

 探しに行っていたという歌詞は、レイ・プライスが歌った、"I Won't Mention It Again"という素晴らしいバラードだ。海外サイトは気をつけたい。


青春のわかれ道

2006-05-29 23:07:00 | 音楽

 人妻にして、あるときは、MCも洒脱なミュージシャン、またあるときは、ブライダル・コーディネーターとして数々のウェディングをとり仕切り、またときに、ただの酔っぱらい。そして華麗にミシンを踏み、多忙な傍ら、ブログ「Ohgi」を書きなぐるという、Ohgi嬢の最近の肩書きは、女子大生である。"Mrs.タフ"と呼びたい女性だ。絶対音感の持ち主であり、どんな些細な会話も、サウンドも聴き落とさないが、自分に不利なことだけは聴こえない器用さもある。だからこんなことも書ける訳。

 その彼女が苦闘しているのが、「和声2のWeb授業」だそうで(詳細は彼女のブログで)、他の学問も手につかないという。だが、聡明で、とんでもない度胸の持ち主だから、土壇場になればすっきり解決するだろう。

 で、その人妻大学生に必修科目である「情報処理概論」を見せてもらった。コンピュータのもっともベーシックな学問である。

8ビットが1バイトであり、半角文字1字(アスキー文字と呼ぶ)に該当する。2の10乗バイト(1,024バイト)が1KBで…。

と、眺めているだけで頭がクラーっとしそうだ。でも、ぼくだって気分は大学生に戻っていくようだ。

 1970年代初頭、ぼくが痩せたソクラテスだった頃、パソコンなんて言葉はなく、彼女が使っている教科書だって、ぼくの大学では、「サイバネティックス」と呼んでいた。この学問を究極まで突き詰めたのが、おとやの大将夫妻である。二人とも莫大な給料を手にしていたのではなかろうか。今は、マウスを握らず、絶品の鮨を握っているが、その遺伝子は娘ふたりにしっかり受け継がれている。

 その頃の痩せたソクラテスは、端正な顔立ちには不似合いな、祖母手作りの藁草履と越中ふんどしを愛用し、リーバイスのオーバーホールで、裾を目一杯折り返して、キャンバスを闊歩していた。

 青春のわかれ道と格好よくいうが、真っ先に受け入れた言葉が、

「常識への挑戦」、「疎外」、「反体制」

ではなかったか。確かにひとつのジャンクションだったような気がしてならない。団塊の世代の末尾にくっつき、いつも背伸びして見えない彼方を覗こうと躍起になっていた。狭い池を海のように感じ、瑣末も一大事と測っていた世間知らずだった。持って生まれた楽天性と天真爛漫さが救いだったように思う。

 今、多くの人に接し、多くを学んでいる。あの頃の自分がここに居れば、もっと違う自分になれたかも知れない。こんなこと書けば、akne姫に

「新たな、今さらシリーズですか?」

と、笑われそうだ。

 蛇足ながら、さっとんに。団塊の第一陣が定年を迎える。このあたりにビジネス・モデルがころがってないかい?


君は総天然色

2006-05-28 19:53:16 | 音楽

 MOGEさんちのTVのノイズが、この度の「インドネシア・ジョグ・ジャカルタ沖での地震発生」の予兆だったか、今後この地方を見舞うであろう地震の前兆なのかは不明である。昨年のスマトラ沖地震と同じく確かに、

「ノイズは走った」

のである。対岸の火事と油断することなく以後も、

「あってはならないが、いつかはあること」

と、注意深く備えたいものである。

 体調の不具合に見舞われた5月も最後の週を迎える。ご迷惑をおかけしたにもかかわらず、メール、メッセージ、電話、ブログへのコメントなどで、ご忠告やご提案、また叱咤激励を多くの方からいただいており恐縮するばかりなのだが、直喩、暗喩と皆さんのレトリックは多彩で、個性豊かな表現のひとつひとつが胸に沁み、ジーンとしたり、びびったりしている。教室は今日も平穏に稼動中である。

高血圧には

  1. タマネギを刻んで、生で、一日に二分の一個以上食べるとよいというので、私は毎日食べています。
  2. タバコを嫌いになるとよいことがあるぞ
    血圧が下がるし、六十過ぎだって朝○○するぞ。

 高血圧の先輩であるオジキから5年も前に頂戴したメールでのアドバイスだ。ぼくは親身の忠告から何も学ばなかった訳で、「継続すること」の大切さを実感した。ひたすら反省の日々である。

ポイントは、

  • 運動不足
  • 喫煙

ということか

 さっそく歩くことを始めたが、後者が問題である。毎年十数回は「禁煙する」という記録保持者なのだ。

「要はお口が寂しいのですやろ」

 耳に優しい京言葉でささやくように喋る、O嬢の言である。彼女は和服がよく似合うも、ギリシャ神話に登場するアフロディーテ(英語読みがヴィーナス)とはかくやと思わせる彫りの深い顔立ちで辺りに光彩を放つ。

「ガムでも噛まはったらぁ」

とは、タイトなスーツをまといモンロー・ウォークで男どもを惑わす、妹のS嬢である。ふたりとも成人式は一昔前に済ませたというバチェラーガールズ、いわゆる自立した独身女性たちである。

 O嬢は悪戯っぽく、

「何やったらウチの口、お貸ししましょか?」

と、唇をツンと尖らす。

「そ、そんなぁ~」

と思わず叫ぶ、ぼく。それは…、倫理上の拒絶ではなく、こんな真昼間に~、という受け入れを前提とした含羞(はにか)みである。と、したらぼくって情けない…。

「そんなのより、ホラ、こ・れ・やん」

と、すかさずS嬢、近ごろとみに膨らみを増した胸を突き出すではないか。しかも、こちらの期待を遥かに上回り、真剣な表情である。ヤバイぐらいに二人ともマジだ。ひょっとして、もしかしてぇ、

これって何かのトラップぅ?

 つづきはWEBへ…、なんぞという、「その後のオダギリ」なんてモンじゃない。妖しい姉妹の誘う微笑みはますますぼくに迫る来る。

 こんな展開、誰も信じてはくれないだろうが、本当の
つくり話だ。


雨は壊れたピアノさあ

2006-05-27 21:19:46 | 音楽

 この雨は続くのだろうか? 運転中、自棄になって、atelier05

あめはこわれたピアノさぁ

と、歌いだしている。"バチェラーガール"は大滝さんのもよいが、ぼくは稲垣潤一風に歌う。それにしてもである。"Mr.ファルセット"と呼ばれ、多くの女性を虜にした裏声に冴えがない。声帯が弱ったのか。

 磯部町下之郷にある「清崎博文楽アトリエ」を訪れた。Atelier06 「清崎博油彩画個展」が開催中である。玄関脇のフェンスに「マジックの館」の看板を発見する。

 個展会場に入るやご挨拶もそこそこにのっけから新ネタを披露してもらった。先生が弾くバイオリンに反応して踊る人形がある。それはそれで唸るのだが、その前段、楽譜をパラパラめくると、

「ほら、雨のせいでしょうかねぇ」

と、すべてのページが白紙である。

「これでは演奏できませんよねぇ」

 おもむろにページを開くと、今度はきちんと五線譜が現れた。

「?」

でも、音符は入ってない。

「困りましたねぇ…」

と、もう一度パラパラめくり始めた。何と今度はぎっしり音符が埋まったページばかりなのである。

「???!」

Atelier02 そして、音楽に合わせてお人形が回りだす。これですっかり清崎ワールドにのめり込んでしまった。

「アッハ~!!」

 会場の雰囲気は写真でご紹介しよう。パリで、バルセロナで、安乗文楽人形が舞う不思議さ。ブロンドのクールビューティと居並んでも、我らのでこさんは負けていない。固有の文化も突き抜ければボーダーレスなのだ、と実感する。

Atelier01  絵画にも文楽にも素人だから書けるが、特に「くどき」の人形に魅せられた。くどきとは

女主人公が、思慕の念や恨みといった心情を綿々切々とかきくどく場面であり、哀切を帯びた女心を“浄瑠璃”にのせて演じる、いわゆるさわりの場面である。客席からは、すかさず、

「どうするどうする」

と声がかかる聞かせどころ、見せどころである。

 「どうするどうする」のかけ声については、ぼくが落語の「寝床」から得た知識だから当てにならない。さしづめ

「待ってましたぁ!」

が適切だろう。

 先生が描く、くどきの人形は、まさにその所作の前後を連続して見せる。ここが今回の見どころではないかなぁ。

Atelier03_1  最終日は明日28日である。家族そろってお出かけいただきたい。もちろん木戸銭はいらない、入場無料だ。Atelier04


ノスタルジックなハーモニー

2006-05-25 22:55:25 | 音楽

 以前からこだわっている、ラザニア問題であるが、元栄養士、今や育児のエキスパートとしてブログ、バアバのエプロンを発信しておられるバアバさんが、

「こんなではなかったですか?」

と、わざわざ調理して持って来てくださった。Dscf0003 少し撮り方が乱暴だが、これがその写真である。いえ、カメラのせいではない、照明がショボかった(For MOGEさん)。

 まさに祖母が作ってくれたのがこんなのである。匂いまで同じだ。思わず懐かしい気分にひたってしまう。もちろん、40年も前のことなので、挽肉がこんなにふんだんに使われるなんてことはなかったし、蒸し器を使っていたためかもっと湿っていたような気がする。

「塩を入れ忘れたかも…」

と、仰ったが、いえきちんと思いやりは伝わっております。

体調を慮(おもんばか)っての減塩ですよね

 さっそく娘といただいたが、素直に感動している。

「ケチャップって何故か懐かしい気持ちにさせてくれるね」

 バアバさんは熱心にネットを探しまくってくれて、合挽きミンチとマカロニの重ね焼きというページを見つけてくれた。なんかまたひとつ喉のつかえがとれた。

 ちょうど授業の合間に、お隣(ヴェル・ヴァーグ・ヴィアンフェ)のシェフが

「身体にいいですよ~」

と、トマトのシャーベットを差し入れてくれた。トマトがスィーツになる不思議。それは予想を裏切って軽やかな甘みが口中に沁みわたり、さわやかな余韻を残してくれた。とろけるようで、軽やかな、甘いハーモニー。カタルシスとはこういうことなのだろう。Dscf0010


All-Star Bluegrass Celebration

2006-05-23 22:11:48 | 音楽

久しぶりに強いノイズが入ったのでお知らせします

 MOGEさんからMSNメッセンジャーにメッセージが入った。教室関係者には何のことか分かってもらえると思う。杞憂であるよう願って止まないが、それにしても妖しい天候が続くものだ。

 今日は、小学2年生の授業だった。ぼくも今年度、この学校で5年生になった。授業のネタは毎回吟味し、工夫を凝らしているが、昨年度の後半からタイプ・レッスンに力を入れている。小学生のうちにブラインド・タッチをマスターすれば、そして、打鍵スピードを上げることができれば、将来、薔薇色のパソコン・ライフが待っている。鬼に金棒ではないか。それでも子どもにはつらい修行である。2年生といえども飽きずに熱心に取り組んでくれているのが何より嬉しい。ついこの間まで、1年生だったのだから。

 講師なりたての頃は、キーボード練習なんか怖くてじっくり取り入れる勇気がなかった。授業が崩壊するのでは、と危惧したからだ。だから、毎回、児童がびっくりするような、感動するような、面白がるようなネタを用意したものだ。イベント型の授業だった。しかし、ぼくの慣れと子らとの良好な関係が苦しいと思えるレッスンを可能にした。もちろん担任の先生にうまくサポートしてもらっているからなのだが。

 翻れば、5年もかかった訳だ。ぼくの講師の成長がもっと早ければ、と悔やまれてならない。

「先生、5分しか縮まらない!」と、悔しそうに訴える子がいる。
「その5分やけど、それだけでも君は成長(進歩)したんやんな」

 ひたむきで、熱心な子をそう言って励ます。さっとん流のポジティブ・シンキングはこんなところにも活きている。

 帰り道、師匠宅にお邪魔した。演奏活動を休止して一年になるとか。その分、仕事に励んでいる訳だが、何とももったいない気がしてならない。一朝一夕で培ったテクニックではないのだ。年季が入った師匠の腕前が錆びていく…。年月をかけても一向に上達しないぼくのマンドリンの技量を考えても、それはとてつもない損失だ。

 二人で見やるモニタには、ヴィンス・ギルがギターを弾き、フラット・マンドリンをかき鳴らし、挙句はウッド・ベースまで流暢にこなしている。師匠がぽつんと言った。

「このひと、達者やなぁ」

 ぼくにとっては師匠こそヴィンス・ギルなのだ。


奪還

2006-05-20 23:22:13 | 音楽

 たとえオウムがアレフと名を変えたとして、ぼくは君らがしたことは忘れない。正しく言うと、"ぼくたちは"か。まして、幾多の事実に煙幕を張るどころか煙に巻いた男が別団体の長に納まろうと、疑いのまなざしを注ぎ続ける。犠牲者およびその家族のすべての原状復帰、長い長い時間が戻り、元通り健康回復が叶った、としても、である。

 罪のない女子中学生を下校時に拉致するという悪行に加担した疑惑の拭えない団体が、別団体と合併しても、真実を晒せと訴え続ける。よりにもよって、その発表の日を、拉致被害者の家族同士が会見しマスメディアの注目を集めるべき時におっ被せるなんぞ、悪意以外ありえない。憤怒は新組織に受け継がれるものとする。差別なんぞと呼ばせない。

 あれからぼくたちは随分待ち続けたことになる。「レジューム・チェンジ」を待つという悠長さなどとっくに失効させるほどの。自分を良民とは呼ばぬがこれでも常民のハシクレだ。こんなヘタレにだって出来ることはある。

 教室に流れるブルーグラス・ミュージックは素朴な家族の愛と、神への敬虔な思いを奏でる。静穏な空気に包まれるからこそ、沸き立つ強い感情に揺さぶられる週末である。

「いつか」ではない
もはや「きっと」である


LOVE ME TENDER

2006-05-18 22:40:50 | 音楽

 空腹も度を越すと腰が痛くなる。文字通りお腹と背中がくっ付くと寝ているのさえ苦痛になる。

 ことの起こりは土曜日の午後、突然目が回りだし、そのままダウン。どうやって帰宅したのかも記憶にないほどだった。

 シグナルはあった。ウエイトオーバーである。秤がある線を越えると、天候と不摂生の度合いによって、見事にクロスカウンターが決まる。風邪につかまるとか、乗り物酔いの類だ。

 ところが目が回るなんてのは産まれて初めてだ。驚いた。本当に周りがぐる~っと回転したのだから。それから、3日間安静である。水分以外喉を通らない。長男が用意してくれたお粥が辛うじて口にできた。それも何倍もの時間をかけて。

 多くの方に迷惑をかけながら、お世話をかけた。皆さんの支えで娑婆に戻ってこられた気分である。

末っ子がメールをくれた。

父さんは周りの方に支えてもらっとんやね。

 ぼくも実感している。で、食欲のないまま教室に復帰したのだが…。

 お隣のシェフ、ヴェルヴァーグヴィアンフェさん、ぼくの顔を見てびっくりされたようだ。あまりにもぼくの顔が優麗で、役者のように透き通って見えたからかも知れない。一流の職人は透徹して真理を見抜くまなざしを有するものだ。

 で、すぐさま差し入れが届いた。Meunire 身体に優しい有機野菜がふんだんにトッピングされたムニエルである。どころかお皿の下にも温かい野菜が敷き詰められている。絶品の病人食である。さらにフレッシュなサラダが別のお皿に山盛り。しかも身体を労わるように、繊細で薄味のオリーブオイル仕立ての特製のドレッシングが塩梅よく利いている。

 心配をおかけした皆さんには顰蹙(ひんしゅく)をかうこと間違いなしで、いささか躊躇するのだが、写真をご覧あれ。画像をクリックするとさらに詳細で大きな画像になる。

0517_02

頼むからボコボコにするのはもっと回復してからにして欲しい。


Grand Ole Opry at Carnegie Hall

2006-05-12 23:13:46 | 音楽

 髭を剃ってからかれこれ一月が経つ。

 男ぶりが上がったかどうかは定かでない。毎日、剃刀負けと闘いながら、それでも髭剃りの習慣を止めていない。面倒くせーッ。

 そもそも娘の一言がきっかけだ。

「私とハグしたかったら髭剃りない」

 娘の肌はガラス細工のように繊細なんだそうで異物を嫌うらしい。親父の、ごく当たり前の生活反応だって無用の刺激となるらしい。ゲッブだって慎まなければならないし、屁だってそうだ。娘の論理では、逆はよいらしいのだそうだが、ハテ…。

 で、一日24時間のうちの、ほんのわずかな瞬間の法悦のために、大切に育んできた髭を落とすオヤジなんてのは、一体何なのだ。節操がないというより、娘の前ではからきし歯が立たない。もともと強いと自慢するものなどない訳だが。

 そのうち、トイレで煙草を吸うべからず、風呂で本を読んではいけない、なんて要求が矢継ぎ早な気がしてならない。防衛線をどこに引くか、思案の最中である。

 最近、Grand Ole Opry at Carnegie Hallを購入した。リージョン 1 (米国、カナダ向け)だから、日本国内(リージョン 2)用のDVDプレーヤーでは再生できないが、価格を見て驚いた。税込で1,742円である。日本のDVDの相場がいかに高いか、腹立たしくなるほどだ。

 "Grand Ole Opry" とは、テネシー州ナッシュビルにある音楽ショウ番組で、かれこれ80年の歴史を有する。この盤は、カントリーとブルーグラスの主だったメンバーがニューヨークのカーネギーホールで公演した模様を最良の画質と音響で楽しめる。ブルーグラス界からはアリソン・クラウスとユニオンステーション(with ジェリー・ダグラス…ドブロ)、リッキー・スキャッグス、そして出身者でありながら今やカントリー界の大スター、ヴィンス・ギルが出演しており、連休中、楽しませてもらった。皆に知って欲しい音楽であるのだが、リージョン違いが惜しまれる。