hyperclub

パソコン教室アイラブハイパークラブです。
教室に流れるBGMなどを紹介します。

カナダからの手紙

2006-01-28 21:00:04 | 音楽

そんな冴えない表情をしていると、ライブドアの株を抱え込んだんや、と勘ぐられますよ

 ご心配、おおきんな。自慢ではないが、お金持ちという言葉とは縁遠く住んで来て久しい。したがって、投資とか利殖とかには無縁と来ている。まぁ、威張れんなぁ。

 参ったのは、今回の風邪である。2週間近くぐずついている。もっとも体調の異変に気づいたのは年末のことである。ヘルスメータの故障かと思うほどのオーバーウエイトだった。で、こんな時、必ず揺り戻しが来るのが常である。従って用心はしていたのだが、きっちり風邪に捕まった。症状は、微熱、寒気、咳、お腹の緩み、関節の痛み…、不思議に食欲だけは落ちない。であるのに、3日もしないうちに、オーバーウエイト分がチャラになるどころか、さらに目標体重にグーンと近づいている。インフルエンザではないとお墨付きをもらったのが、今日のこと。ただの風邪がこんなにしんどいのか? 諸君、今年の風邪は、ダイエットにいいかも。おまけに禁煙も継続中だ。

 投資といえば、やんちゃなVAIO姫、Y子ちゃんがカナダのトロントへ留学のため旅立った。自分への投資である。働いて、せっせと金を貯め、無駄遣いを廃し、オークションを積極的に活用したのは、言うまでもない。何より大切なのはモチベーションの持続である。会社を辞めるという報告と同時に渡航の件を知ったのであるが、密かな計画をよく持ちこたえたものである、と感心する。さらに期間を尋ねれば、
お金の続く限り
なんだと。のっけからハングリー精神だ。

 同じ時期、Tにも投資の勧めを説いたことがある。

  • 先ずは種銭(元手)を作れ
  • 欲望を肥大化させるな
  • アンテナを張り巡らせ
  • 情報は生命線だ

 

 どの口が言った? この口が、である。さらに、偉そうに、

投機と投資は違うんやんな

 ヘタレだって良いことを言っている。

 彼女を評価すれば、学業と生活に不可欠な英語を学び続けたことである。意欲だけでは留学は叶うまい。地味な学習の裏づけが必須である。英語が喋れなければ生きてはいけない。

 そんな彼女のカナダにおける生活の様子は、離日直前に発信したブログ、トロントより風の便り☆☆であからさまになると思う。ぜひとも「お気に入り」に追加し、励ましのコメントを送ってあげて欲しい。

 それにしても、VAIO姫はカナダがお好きのようだ。初代VAIO姫がバンクーバーに旅立ったのが、1999年4月のこと。ダイバーであり、海洋動物の飼育に挑戦しようとしていた。今年の年賀状では、しばらくネットから遠ざかっているとのこと。こんな時、先輩のアドバイスが欲しいのであるが…。

 で、ぼくも、英語でしゃべらナイトを昨年以上に入れあげている。今年から録画し始めた。毎回、集中力を要求される『パックン英検』であるが、つい釈由美子に見惚れてしまう阿呆な自分がいる。

 夢はナッシュビル。カントリー・ミュージックの殿堂を散策する自分の姿に憧れて止まない。その前に風邪治すわ。


笑う犬をめざして

2006-01-12 23:43:13 | 音楽

 一つの節目といおうか。200本目を目前にして、しばらくブログを更新できない状態が続いて来た。別に意識した訳ではない。諸般の事情でそうなっただけである。したがって本編が200本目である。三日坊主の自分にしてはよく続いたものだと他人事のように感心している。この距離感がよいのかも知れない。

 それでも皆さんにはご心配をおかけしたようだ。mogeさんが突然訪ねてくれたのも、口には出さなかったが、

何かあったか

と気づかってくれたのだと思う。4日の初釣りでは、年末の不振を払拭するかのような釣果をあげ、教室に届けてくれようとしたのであるが、あいにくと不在で伊勢にいたため叶わなかった。もらい損ねた魚は大きい気がしてならず、残念な思いを抱いている。

 その頃、ぼくは高校時代の下宿付近を散策していた。勢田川のほとり、鉄橋を蒸気機関車がモクモクと煙を撒き散らし渡っていく姿はもはや幻でしかなく、味気ないディーゼル車が通り過ぎるだけだが、その汽車のボォーという汽笛が目覚まし時計だったこと懐かしんでいた。川辺はことのほか寒いことに気づく。風は身を切るようである。だが当時のぼくは犬ころのように跳ね回っていた。無神経なほどタフで、無邪気だったと思う。今とても信じられないのであるが、それが「加齢」なのだ。それを認め、折り合いをつけようとする自分がいる。

 年が変わって、よく歩くようになった。身体の切れを意識している。別にメジャーリーグを目指そうというのではない。歳末のショッピングの最中、ショーウィンドウ越しにコチラに向かってくる初老の男性の姿を見て、

アアは成りたくないなぁ

 と心底、思ったのである。ところが、何のことはない、反射するガラスに映る己が姿であることに気づき愕然とした。見栄っ張りが人生を変える。そう信じたい。


きっといい年!

2006-01-01 23:58:00 | 音楽

 大晦日の午後から好きな音楽を流して、自室の大掃除を始めるのが例年の年越し儀式。過ぎ行く年の大きな残骸は前日までに焼却場に送ってあるから、細々した物品に目を通しながらゴミ袋に捨てる。一つ一つに丹念に眼差しを注ぐのは趣味のようなもので、いささかオタクがかっているかも知れない。自分では時の流れを追い、総括をしているつもりなのである。納得の行く片づけができあがる頃には除夜の鐘が鳴りそうな時分で、どうにか間に合わせた感じだ。そこで、ようやくエミルー・ハリスのBlue Kentucky Girlをかける。中でも「Beneath Still Waters」はお気に入りで、エミルーの透き通り、さわやかなヴォーカルで部屋を充たすのが1979年からのしきたりになっている。ぼくなりのカタルシス。

 今年はどんな年になるのだろうか。期待を込め、Cimarronから「Tennessee Waltz」を流すのも慣わしである。

 とうとう読みさしのまま越年してしまった本は、ディック ロクティの「笑う犬」で、上巻の半ばにさしかかったところだろうか。昔のようにきっちり止めを刺すことができなくなっている。新しい年、一つ仕事を抱えたから、ペースはもっと落ちることだろう。歓ばなくてはいけない。

 苦心した割りに、ぼくらしくない仕上がりに戸惑うばかりの年賀状であるが、ワン公が背中を向けているのがミソである。

何~故~だっ?

 びっしり埋めつくした文字群は模様のつもりである。読むと目を悪くしますよ。

 で、こうして開けました。今年もよろしくお願いします。