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「カササギ殺人事件」  こっちのほうがよかった

2019年03月04日 | もう一冊読んでみた
カササギ殺人事件(上・下)/アンソニー・ホロヴィッツ  2019.3.4  

  2019年版 このミステリーがすごい!
  海外篇 第1位 カササギ殺人事件


アンソニー・ホロヴィッツ 『カササギ殺人事件(上・下)』 を読みました。

 magpieには、“カササギ”以外に“おしゃべりな人”“なんでも集めたがる人”“白黒斑模様の”という意味もありなかなか興味深い原題だと思う。 (巻末解説 川出正樹)

magpie  意味のごとく面白かった。
どのように面白いのかは、「巻末解説 川出正樹」をお読み下さい。よく分かります。

  「 一読唖然、二読感嘆。
    精緻かつ隙のないダブル・フーダニット 」


【カササギ殺人事件】 とは

 この本は、わたしの人生を変えた。

 何を読んだかでそんな決定的なちがいが生まれるかどうか、わたしはあやしいものだと思っている。わたしたちの人生は、もともと決められた直線上を進んでいくだけなのだ。そんなわたしたちに、小説は別の可能性をちらりと垣間見せてくれるにすぎない。わたしたちが小説を楽しむのは、それが理由のひとつではないだろうか。

 ホームズのあの有名な金言----“こういう明るく楽しい田園のほうが、ロンドンの最低、最悪の裏町なんかより、よほどおそるべき悪の巣窟だというべきなんだよ”----から着想を得ているかもしれない。

 実際に行ってみると、......新しい友人をひとり作るたび、敵を三人は作ることになるし、車の駐めかた、教会の鐘、犬の糞、吊した花かごといった些細なことが、いつも険悪な大論争に発展する。結局は、こういうことなのだ。都会なら、あたりの喧噪や混乱にまぎれてすぐに忘れてしまうような感情でも、田舎ではいつまでもくすぶったあげく、人々を心の病や暴力に追いこんでいく。だが、ミステリ作家にとって、これほど格好の舞台はない。さらに、人間関係の点でも、田舎はより優れた舞台となりうる。都会の人間は、顔のない匿名の存在にすぎない。だが、田舎では誰もがお互いを知っており、容疑者を挙げるのも、疑いの目を向け合うのも、都会よりはるかにたやすいことなのだ。

 「このサクスピー・オン・エイヴォンという村には、わたしを不安にさせる何かがある。人間の邪悪さの本質について、わたしは以前きみに話したことがあったね。誰も目をとめない、気づくこともない、ほんの小さな嘘やごまかしが積もり積もったあげく、やがては火事であがる煙のように、人を包み込んで息の根を止めてしまうのだ」

 ミステリとは、真実をめぐる物語である----それ以上のものでもないし、それ以下のものでもない。
 確実なことなど何もないこの世界で、きっちりとすべてのiに点が打たれ、すべてのtに横棒の入っている本の最後のページにたどりつくのは、誰にとっても心の満たされる瞬間ではないだろうか。わたしたちの周囲には、つねに曖昧さ、どちらとも断じきれない危うさがあふれている。真実をはっきりと見きわめようと努力するうち、人生の半分はすぎていってしまうのだ。ようやくすべてが腑に落ちたと思えるのは、おそらくはもう死の床についているときだろう。そんな満ち足りた喜びを、ほとんどすべてのミステリは読者に与えてくれるのだ。それこそが存在意義といってもいい。だからこそ『カササギ殺人事件』はこんなにも、わたしの苛立ちをつのらせる。

本を出版するとは

 わたしは世界のために善行を積んだつもりだよ。物語の世界で活躍する英雄たちが、この世界には必要なんだ。人生は暗く複雑怪奇だが、そうした英雄たちがわれわれを照らしてくれるんだからな。われわれを導いてくれる標識のようなものだ。

 鏡で自分の顔を見て、いったい何度、こんなふうに問いかけたことか----こんなことを続けて何になるの? わたしはいったい何をやっているのかしら? いったい何のために、この先もがんばりつづけなくてはいけないの?

 読者から偉大な芸術家としての評価を受けられる作家だと。でも、実際に自分がしていることは、金のための作品を書くことでしかなかった。ミステリのおかげで大金持ちにはなれたけれど、そういった作品をアランは軽蔑していたんです。

犯罪について

 そこから自宅までは、タクシーを使う。ピュントは地下鉄を使ったことがない。大勢の人々と狭いところに押し込められ、さまざまな夢、恐怖、恨みをいっしょくたに揺さぶられながら闇の中を走るのが苦手なのだ。いまにも押しつぶされてしまいそうな感覚。黒タクシーのほうがはるかに無感覚な乗りものであり、繭となって現実世界から隔ててくれる。

 ピュントはうなずいた。「何かを失ってしまったとき、どうやってその悲しみを乗りこえようとするかは、人によってさまざま形がありますからね。それに、悲しみはけっして理性で押しとどめられないものですから」

 フレイザーにはわかっていた----犯罪そのものの記憶、事件の超自然的な名残のようなものが、悲しみや暴力的な死によってその場に刻みつけられているのだと、かつて何度も聞かされたことがあったからだ。ピュントの執筆している著作にも、わざわざそのために一章が割かれている。たしか、「情報と直感」という項だっただろうか。」

 畢生の著作『犯罪捜査の風景』に、アティカス・ピュントはこう書いている。“真実とは、深い谷のようなものと考えることもできる----遠くからは見えないが、あるとき突然、、目の前にふっと現れるのだ。そこに到達するためには、さまざまな方法がある。一見して何のかかわりもないように思える質問を重ねていくことも、実はめざす地点へ近づく有効な方法である。犯罪の捜査に、無意味な回り道というものは存在しない”

 人はなぜ殺しあうのか、きみにはわかるかね? 理性を失っているからだ。殺人の動機は、たった三つしか存在しない。セックス、怒り、金、それだけだ。......わたしが見てきたかぎり、殺人犯はみな愚鈍なくそったればかりさ。頭の切れる人間など、ひとりもいない。お上品な人間も、上流階級の人間もいない。ただの愚鈍なくそったれだ。そんな連中をわれわれはどうやってつかまえると思うね?気の利いた質問をぶつけたり、アリバイの嘘を暴いたりしない。まず、監視カメラの画像から探す。犯人が自分のDNAを現場にばらまいていることもしょっちゅうだ。犯人が自白することもある。こうした真実を、いつか本に出してもいいが、きっと誰も読みたがらんだろうな。

ミステリのファンとして、たまらなく魅力的な話が満載でした。
この話を読んだだけでも、カササギ殺人事件を読んだ甲斐がありました。

 エルキュール・ポワロのシリーズを締めくくるころ、アガサがどれだけ自分の生み出した名探偵を嫌っていたか、この話を聞くたびに、わたしはおかしくてたまらない。アガサはポワロを、おおぴらにどう呼んでいたか? 「あの憎ったらしい、仰々しい、退屈で、自己中心的な、いけ好かないちび男」とまでののしっていたのだ。たしか、悪魔祓いでもして、とりついたポワロを落としてもらいたいとまで言っていたのでは? マシューは声をあげて笑った。......思いつくかぎりありとあらゆる種類の作品を書きたいのに、一時期は出版社がポワロものしか書かせてくれなくてね、本当に頭にきていたんだよ。こうしろと指図されるのが、本当にきらいな人だったからね」

 いわば、自分の世界観を渾身の力で指示した作品だったんですよ。だからこそ、あれがけっして出版されないこと、誰にも読んでもらえない駄作だということが理解できなかった。ああいう作品書くためにこそ自分は生まれてきたのだと思っていたから、自分の人生がこうなってしまったのはアティカス・ピュントのせいだ、あいつのせいで何もかもがだめになってしまったと、ずっと恨んでいたんです。

 名前というものは、わたしたちの意識に強い印象を刻みつける。
 こうした名から、いまさら別の人物など思いうかぶはずもない。
 つまり、名前とその登場人物とは、こんなにも密接にかかわりあっているものなのだ。名は体を、体は名を表す。


誰が犯人なのか、想像する楽しさ。
謎解き
出版業界の話
ミステリの様々な話題
ミステリの楽しさを心から満喫した一冊でした。

        『 カササギ殺人事件(上・下)/アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭訳/創元推理文庫 』



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