5月の大型連休もあっという間に、過ぎてゆきます。
ぼくは、この連休中もあいも変わらぬ生活を送っています。
今週は、この3冊。
アイ・コレクター/深い森の灯台/完本 信長私記
■アイ・コレクターセバスチャン・フィツェック 2016.5.7
セバスチャン・フィツェック『アイ・コレクター』を読みました。
わたしは今ただちに忠告したい。このあとを読んではいけない。
あなたが、どうやってこの本に出くわしたのかは知らないが、あなたに読ませようとしたものでないことだけは確かだ。
決して、振り返ってはいけない。
絶対にのぞいてはいけない。
と言われると、ますますのぞきたくなるのが人情です。
不思議な要素もありますが、あまり後味の良いミステリーでは、ありませんでした。
『 アイ・コレクター/セバスチャン・フィツェック/小津薫訳/ハヤカワ・ミステリ 』
■深い森の灯台/マイクル・コリータ 2016.5.7
マイクル・コリータさんの小説は、初めて読みます。
最近は、初めて読む作家さんの小説によく出会います。
題名にもある「深い森の灯台」
ソーヤー郡を出たときにはたえまなく雨が降っていたが、ケンタッキー東部の山々を抜けて州の北中央部の野原へ入ると、雨はしだいにやんで濃い霧に変わり、世界は灰色の巻きひげにすっぽりつつまれた。不吉な予感がしたが、平穏で静かだった。
なぜ、「深い森の中に灯台が?」 と思ってしまう。
この謎がなぞを謎呼び.........
面白かった、なぞ追いの部分が特に、おもしろく感じました。
ご一読下さい。
『 深い森の灯台/マイクル・コリータ/青木悦子訳/創元推理文庫 』
■完本 信長私記/花村萬月 2016.5.7
花村萬月氏の『完本 信長私記(しんちょうしき)』を読みました。
テンポのよい文章で読みやすい。
時代小説は、人名など読みが難しく、読書中覚えているのに難儀しますが、この『信長私記』は人名、地名、随所に多数、しかも、繰り返しルビがふってあるので大変読みやすくおもしろい。
物語のなかのいくつかの逸話は、もうすでに知ったものでした。
どの本で知った話か、どのテレビ番組でみたものかと想いをはせるのも楽しかった。
読み終わってみれば、随分の数の話を知っていた。
ということは、信長公の話はいろいろのところで、意外に多数取りあげられているのだと感じました。
文章のテンポ、ルビの様子を次の文でお感じ下さい。
恨みであれなんであれ揺れをもたらす心の有り様は、その者を奈落に突き落とす。
「人があれこれするときは、一律でないと不公平だと吐かす輩が必ずでます。けれども神仏は気まぐれなもんですわ。それでも皆は離反(りはん)もせずに従います」
願望というものは、常に己に都合良く抱かれるものだ。だからこその願望なのだが、願いが叶うということ、じつは棚から牡丹餅(ぼたもち)はありえぬ。
願いを叶えたいならば、多大なる犠牲を払うしかない。
この世には、こういった男が腐るほどあふれかえっている。衆人から抽んでる何ごとかを為すには絶望的に能力が足らず、けれども自分を諦めて人の下につくには頭がよすぎる。批判はできるが、創りだすことはできぬ。理解はできるが、それだけである。先がない。すなわち小利巧にして、自己を省みるだけの知力がない小人物である。
『完本 信長私記/花村萬月/講談社』
ぼくは、この連休中もあいも変わらぬ生活を送っています。
今週は、この3冊。
アイ・コレクター/深い森の灯台/完本 信長私記
■アイ・コレクターセバスチャン・フィツェック 2016.5.7
セバスチャン・フィツェック『アイ・コレクター』を読みました。
わたしは今ただちに忠告したい。このあとを読んではいけない。
あなたが、どうやってこの本に出くわしたのかは知らないが、あなたに読ませようとしたものでないことだけは確かだ。
決して、振り返ってはいけない。
絶対にのぞいてはいけない。
と言われると、ますますのぞきたくなるのが人情です。
不思議な要素もありますが、あまり後味の良いミステリーでは、ありませんでした。
『 アイ・コレクター/セバスチャン・フィツェック/小津薫訳/ハヤカワ・ミステリ 』
■深い森の灯台/マイクル・コリータ 2016.5.7
マイクル・コリータさんの小説は、初めて読みます。
最近は、初めて読む作家さんの小説によく出会います。
題名にもある「深い森の灯台」
ソーヤー郡を出たときにはたえまなく雨が降っていたが、ケンタッキー東部の山々を抜けて州の北中央部の野原へ入ると、雨はしだいにやんで濃い霧に変わり、世界は灰色の巻きひげにすっぽりつつまれた。不吉な予感がしたが、平穏で静かだった。
なぜ、「深い森の中に灯台が?」 と思ってしまう。
この謎がなぞを謎呼び.........
面白かった、なぞ追いの部分が特に、おもしろく感じました。
ご一読下さい。
『 深い森の灯台/マイクル・コリータ/青木悦子訳/創元推理文庫 』
■完本 信長私記/花村萬月 2016.5.7
花村萬月氏の『完本 信長私記(しんちょうしき)』を読みました。
テンポのよい文章で読みやすい。
時代小説は、人名など読みが難しく、読書中覚えているのに難儀しますが、この『信長私記』は人名、地名、随所に多数、しかも、繰り返しルビがふってあるので大変読みやすくおもしろい。
物語のなかのいくつかの逸話は、もうすでに知ったものでした。
どの本で知った話か、どのテレビ番組でみたものかと想いをはせるのも楽しかった。
読み終わってみれば、随分の数の話を知っていた。
ということは、信長公の話はいろいろのところで、意外に多数取りあげられているのだと感じました。
文章のテンポ、ルビの様子を次の文でお感じ下さい。
恨みであれなんであれ揺れをもたらす心の有り様は、その者を奈落に突き落とす。
「人があれこれするときは、一律でないと不公平だと吐かす輩が必ずでます。けれども神仏は気まぐれなもんですわ。それでも皆は離反(りはん)もせずに従います」
願望というものは、常に己に都合良く抱かれるものだ。だからこその願望なのだが、願いが叶うということ、じつは棚から牡丹餅(ぼたもち)はありえぬ。
願いを叶えたいならば、多大なる犠牲を払うしかない。
この世には、こういった男が腐るほどあふれかえっている。衆人から抽んでる何ごとかを為すには絶望的に能力が足らず、けれども自分を諦めて人の下につくには頭がよすぎる。批判はできるが、創りだすことはできぬ。理解はできるが、それだけである。先がない。すなわち小利巧にして、自己を省みるだけの知力がない小人物である。
『完本 信長私記/花村萬月/講談社』
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