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「天才と狂人の間」 島田清次郎

2018年01月29日 | もう一冊読んでみた
 ■ 天才と狂人の間/杉森久英  2018.1.29

風野春樹氏は 『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』 のなかで杉森久英の 『天才と狂人の間』 に少し触れられています。

『天才と狂人の間』を早速、読んでみました。

杉森久英の小説。
小説家島田清次郎の波乱の生涯を描いた伝記小説。昭和37年(1962)刊行。同年、第47回直木賞受賞。
杉森久英は、さまざまな分野で活躍した人々の伝記小説を書き、昭和史の発掘にも尽力した。 (コトバンク)


若い時には、誰でも偉くなりたい、有名になりたいとの上昇志向をもつものです。
それが本人の成長の糧となり、ゆくゆくは豊かな人生を送る原動力となります。
結果、経験豊富な大人として成長する、とぼくは考えます。

しかし、島田清次郎の場合は、精神の揺籃期となる、「少年時代が余りに短すぎた」。
心が豊かに育たなかった。

 「彼はいつも征服という言葉を好み、勝利という言葉を愛した。

ぼくには、島田清次郎の人生は、余りにも息苦しい。

そんな島田清次郎の人となりをこの小説の中から追ってみました。

 結局清次郎を創作に駆りたてる根本の動機は、それによって有名になり、これまでの自分を見下していた連中に復讐しようという高慢心、あるいは功名心だということを、一番よく知っていたのは、ほかならぬ本人であった。だから彼は、何とかして偉くならなければならない。

 そして、ある朝気がついてみると、島田清次郎は時代の寵児になっていた

 大冊ではないけれど、一日に一冊の読書力である。怠惰を看板にしてノンシャランを気取る大正の作家気質の中では、毛色の変わった勉強家といわねばならない。それが文壇で嫌われた一つの理由でもあったが。

 しかしいずれにしろ彼は、文士には珍しい一風変わった勉強家にはちがいなかった。その神も宇宙も、人類の運命も民族の将来も丸呑みにしたような、誇大な予言者気取りは、そのころの社会革命家、人道主義者にも共通するもので、なにも島田清次郎だけの独得のものではなかったが、彼の文体にはなお、その少年のころ明治学院で聞き覚えたキリスト教の牧師の説教調と、北安田の聖者と呼ばれた暁烏敏の真宗の説教調が混合した奇妙な詠嘆調が流れていて、若い読者を感激させるだけの迫力を持っていた。

 島田清次郎は、人前ではどこまでも尊大に、倨傲に振る舞っていたけれど、内心は決して自分に満足せず、いつも不安と焦燥に駆られていた。彼は余りにも年少で世間へ出たので、一方では早熟の才能を誇る気持ちにもなったけれど、他方、基礎的な教養と、人生経験の不足を痛感しないではいられなかった。
 私は少年時代が少し短すぎた


 「天才で変わってるだけなら、いいんだけど、あたしはそれ以上に、どこかおかしいと思うよ。あの人の書いたもの、あたしもいくつか読んだけれど、ただ天才というだけじゃなくて、すこし病的だと思うよ。はっきり言えば気違いだね」

 まもなく彼は血と泥にまみれた姿で、人力車に乗り、池袋の通りを通行中、挙動不審のかどで交番の巡査に逮捕された。精神鑑定の結果、早発性痴呆症の中破爪病と決定して、東京府下西巣鴨庚申塚の保養院に収容された。

この小説は、冒頭、このような文章で始まる。

 島田清次郎が自分自身を天才だと信ずるようになったのは、彼があまりに貧しくて、父親もなく、家もない身の上だったからにちがいない。

      『 天才と狂人の間/杉森久英/河出書房新社 』

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