ページをパラパラとめくってゆくと、秋川リサ、ローズマリー、ハニー・ レイヌ、結城アンナ、モニックとキュートなモデルたちがいっぱい。
彼女たち、レオンなんかでよくおしゃべりしてたけど、そんな時、店の前にバイクを止めてブーツの靴音をたてて入ってくるのはクールスのメンバーだった。革ジャン姿の舘ひろしさんや岩城滉一さんとモデルたちがおしゃべりをしている光景は超すてきだった。
原宿ミルク、鳥居ユキ、コム・ド・ギャルソン(表記はコムデではなかった)、ニコル、コシノジュンコ、花井幸子の服、クニエダヤスエの帽子が彩るグラビアページが終ったあたりに連載第二回目の私のページがある。
どういう経過か思い出せないけど、「服装」の編集長の二川昭子さんとお会いしたとたん「毎月4ページ書きなさい。何を書いても良いしどんなページにしてもいい」と言われた。
その頃、私はスタイリストとしてやっと食べていけるようになったばかり。
コピーライター志望だったが、生態からいったら、「コピーライターもどき」あるいは「コピーライターだまし」という段階で終了だったけど、とにかく、広告の文案を考えたり、書いたりすることから解放されて、快適で、うれしくてしかたがなかった。
そんな私は「えっ、また2Bの三菱鉛筆を持つの?」とつぶやきつつも、「なにを書いてもいい」という言葉に心がくすぐられて、けっこう素直に「はい」と答えていた。
それからが悪戦苦闘だったが、二川さんはとても辛抱強く原稿を待ってくれた。何でこんなことをひきうけてしまったんだろうと、時々悔やんだが、自分が選んだ写真とともに文章が載っているのをみると、幸せな気持ちになった。
今読んでみると、私のページはその頃愛していた人への精いっぱいのラブレターのようなものだ。信じられないことに、それに共感してくれる読者からいろいろな手紙を受け取った。
でも3回目か、4回目ぐらい、ちょっとだけエンジンがかかり始めた頃、突然「服装」が廃刊になった。
がくっとしているところに、大和書房の大石さんという青年編集者から連絡があり、「書く」という作業の監視役が二川さんから大石さんになった。
彼の叱咤激励のもと、2年間、ノロノロと書き続け、彼も二川さんと 同じくらい辛抱強くつきあってくれて、「表参道のアリスより」という本が生まれた。
人生にはいろんな出発がくりかえしやってくる。
この本を眺めていると、今がまた出発点なのだと教えられる。
写真 (表紙撮影・沢渡朔) 服装1973年11月号 モデル・秋川リサ ヘア・松村真佐子 メイク・マキシーン セーター・鳥居ユキ パンツ・ブティック寛斎 帽子・クニエダヤスエ
彼女たち、レオンなんかでよくおしゃべりしてたけど、そんな時、店の前にバイクを止めてブーツの靴音をたてて入ってくるのはクールスのメンバーだった。革ジャン姿の舘ひろしさんや岩城滉一さんとモデルたちがおしゃべりをしている光景は超すてきだった。
原宿ミルク、鳥居ユキ、コム・ド・ギャルソン(表記はコムデではなかった)、ニコル、コシノジュンコ、花井幸子の服、クニエダヤスエの帽子が彩るグラビアページが終ったあたりに連載第二回目の私のページがある。
どういう経過か思い出せないけど、「服装」の編集長の二川昭子さんとお会いしたとたん「毎月4ページ書きなさい。何を書いても良いしどんなページにしてもいい」と言われた。
その頃、私はスタイリストとしてやっと食べていけるようになったばかり。
コピーライター志望だったが、生態からいったら、「コピーライターもどき」あるいは「コピーライターだまし」という段階で終了だったけど、とにかく、広告の文案を考えたり、書いたりすることから解放されて、快適で、うれしくてしかたがなかった。
そんな私は「えっ、また2Bの三菱鉛筆を持つの?」とつぶやきつつも、「なにを書いてもいい」という言葉に心がくすぐられて、けっこう素直に「はい」と答えていた。
それからが悪戦苦闘だったが、二川さんはとても辛抱強く原稿を待ってくれた。何でこんなことをひきうけてしまったんだろうと、時々悔やんだが、自分が選んだ写真とともに文章が載っているのをみると、幸せな気持ちになった。
今読んでみると、私のページはその頃愛していた人への精いっぱいのラブレターのようなものだ。信じられないことに、それに共感してくれる読者からいろいろな手紙を受け取った。
でも3回目か、4回目ぐらい、ちょっとだけエンジンがかかり始めた頃、突然「服装」が廃刊になった。
がくっとしているところに、大和書房の大石さんという青年編集者から連絡があり、「書く」という作業の監視役が二川さんから大石さんになった。
彼の叱咤激励のもと、2年間、ノロノロと書き続け、彼も二川さんと 同じくらい辛抱強くつきあってくれて、「表参道のアリスより」という本が生まれた。
人生にはいろんな出発がくりかえしやってくる。
この本を眺めていると、今がまた出発点なのだと教えられる。
写真 (表紙撮影・沢渡朔) 服装1973年11月号 モデル・秋川リサ ヘア・松村真佐子 メイク・マキシーン セーター・鳥居ユキ パンツ・ブティック寛斎 帽子・クニエダヤスエ
プロがプロとして、お仕事をされている・・・
言葉としては至極当たり前のことですが、
なかなか、プロ中のプロという方に出逢えることは少ないです。blogを拝読して、こういう方がいらっしゃるということを知ることができ、素直に嬉しく感じます。私も意識を高く持って、頑張っていこうと元気をいただきました。ありがとうございます。これからも後に続く人たちのためにいつまでも輝いていらしてください。
田口ランディーさんのブログから飛んできました。
わたしが学生だったころ、雑誌でご活躍の様子を憧れて追っていました。そしたら、突然、物のほとんどを処分なさって、なにもない暮らしを始められた由。「お天気の良い日は、この屋根に布団と一緒に出てひなたぼっこするの」とおっしゃって笑ってらしたあの記事は、わたしの人生が大きく変わるアイデアを与えていただきました。50代にはいって、子どもも大きくなり、ますます、簡素になってきています。
再び、こういう出会いが持てて(あは、わたしからのですが)とても嬉しいです。たびたび、覗かせていただきます。楽しい日々を!
このブログは、70年代と、現在の千駄ヶ谷(2005年)を行ったりきたりしています。(今は70年代に引っぱられがちですが、、)
そういう意味でも、モモさんの世代と、恥ずかしながら70年代の「大家さんの屋根でひなたぼっこをしていた私」を記憶していてくれたまみまみさんからのコメントは、うれしかったです。
現在の私は、原宿からお隣の千駄ヶ谷に移っているけど、大家さんの屋根ではなく、庭が生活圏になっています。
これからも、よろしくお願いします。
ずいぶん前にMR.CHOWの記事にコメントさせていただいたじゅんです。
1996年頃、ロンドン滞在中に子供がモンスーンなどのモデルをしていました。まだ小さかったので、私が付き添ってスタジオに入り、メイクをしてくださってた方と話していると突然、
「クールスって・・・知ってる?日本の。」と聞かれました。
何の脈略もなくいきなりだったので、「へ?」って顔をすると、フッと笑って、「忘れて!今の、ちょっと思い出しただけだから、昔のこと。」と話題を変えました。すごくアグレッシブ的な感じの人なのにその時だけすこしだけはにかんだような表情が可愛いかったので、こちらから「さっきのクールスって、もしかして日本のバンドのこと?」と聞き返しました。
知識的には、キャロル。永ちゃん。クールス。舘ひろし。の4点セットしかなかったのですが(笑)彼女はびっくりして
「やっぱり、知ってる?」
そこからは、延々と彼女の思い出話が続きました。
当時(20年以上前と言っていました)東京でモデルをしていて、クールスの舘ひろしさんといつも出掛ける時は一緒だったこと。彼がどんなに紳士だったか・・・こんなこと、あんなこと。(笑)
高橋靖子さんが見てらした舘ひろしさんがモデルさんと話してる風景。時を経て、モデルさんから見た風景が私に伝えられ、靖子さんのBLOGで時間が繋がる。
確実に存在したその時を全然交わりようがない人を介して繋がってしまう時もあるのだなぁ。。とまた妙に面白く感じました。
いつも楽しく読ませていただいています。
また風景が繋がるときを楽しみにしています。
ではでは、
すごくカッコよくて好きでした。
私はマイケルのお店の仕事はしたことありません。お世話になるばかり(タダ食い)でした。
またお邪魔してしまいました。良いお話、サンキュであります。
私は、あの丸顔に惹かれました。
ある雑誌で、ダイエットに挑戦された
とき、頑張って真似して、私も体重
をおとしたことがありました。
結城アンナさんも、憧れでした。
フリルな服を着用されていたのが
イメージでいまも残っています。
表参道のアリスがまた再発行される
ことを夢みています。