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少年時代を

2020年09月02日 | 日記

2日
今朝の新聞に奥州市で3名感染者が出たと載っていた。
県外居住者男性3名が勤務地奥州市で陽性確認された様で、いよいよ見えない魔の手が近づいてきた。
https://www.iwate-np.co.jp/article/2020/9/1/84231

昨夜、巨人は打撃の神様川上哲治さんの生誕100年記念試合をサヨナラの白星で飾った。
コロナ禍が無ければ春先に出身地熊本での開催計画が変更になり昨夜行われ、選手・スタッフ全員が永久欠番16を背にしプレイしたが、初めて見る光景に感動した。
川上さんは先頃の水害で大被害に遭った人吉の出身でもあり見舞金御贈呈に人吉市長のビデオメッセージが場内に映された。
 エース菅野は好調な立ち上がりだったが終盤ピンチに後輩中川にマウンドを託したが、今季4番に定着、打率首位と好調な佐野に同点打を浴びて開幕10連勝はならず。
最終回満塁から劇的な今季二度目のサヨナラには、常に厳しかった川上さんもきっと微笑んでくれたであろう。https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/09/01/kiji/20200901s00001173310000c.html
https://hochi.news/articles/20200901-OHT1T50283.html
今から60数年前、中1年の夏休みに初めて上京、後楽園球場で初めてのプロ野球観戦に大興奮、一塁側の内野寄りの席でファールボールがよく飛んできて怖かったのが忘れれない。
 当時は当たり前だったダブルヘッダー第一試合は国鉄と横浜の前身とで、あの金田さんがリリーフで登場、二塁辺りから投げ出してだんだんマウンドに近づき最後の一球が剛速球を投げ込むウオームアップを見て度肝を抜かれた。打者を打ち取り『どうだ参ったかとばかり』意気揚々とベンチに戻る時の姿が実に勇ましく大きく見えた。後年テレビで金田さんを見ると、あの時と同じだーっ!と。
 生まれて初めてホットドックをほおばって美味しかった事や、グラウンドばかり見つめていてふと空を見たら暗い夜空と照明塔が実にきれいだった事、今の様な楽器を使った応援は無く、拍手と歓声に時には大声の野次にびっくりした事等が。
 子供の頃の遊具ぱったの絵柄で野球選手を知り、川上選手や藤村・別当・大下・青田・千葉さんが記憶に残る。
試合経過は自作の鉱石ラジオのイヤホンで聞いたり、翌日の新聞で知るだけだったが、目の前で選手の躍動を初めて見た興奮が巨人馬鹿になったきっかけに。
その日は阪神戦だったが、当時はダッグアウトの屋根に応援団長が出てきて三々七拍子を指揮し、それに合わせて球場の殆どが拍手をしたり、何となくコロナ対策の現在の応援に似ている。
 試合は新人坂崎選手のサヨナラ安打で勝ったのだが今ほど派手なシーンではなかったが、川上さんが打席に立った時の拍手も大きさが凄かったのと、一塁守備に就いた時の背番号が忘れられず、残念ながら川上さんが打ったかどうかは記憶に・・・
その翌年辺りに長嶋さんが入団したのでは。

今夜も早めに入浴・夕食を済ませ自室で野球観戦、解説は元祖絶好調中畑さん。横浜の監督も務めてるので情報量が豊富だし、何よりも軽妙な会話がたのしみに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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