百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

『国立文楽劇場』4月公演に行ってきてます。

2023-05-07 11:19:09 | 日記
 少し前の NHKニュースに、文楽の後継者育成のため、昭和47年から2年毎 行ってきた研修生募集(研修期間が2年のため)ですが、初めて 応募 (令和5年度生) がないことから、締め切りを延長する旨の アナウンスがありました。

足遣い10年 左遣い15年、それでやっと黒子衣装から抜け出せ 顔と右手を操る主遣い (おもづかい) という 長い行程(ぎょうてい)が、あたかもブラック企業を連想され、敬遠させてるのかもしれません。ならば、

「決してそうではないですよ」「こんな夢と希望と楽しいことがありますよ」といった広報が求められてると思いますが、文楽は日本を日本たらしめている文化の 大切な大切なアイテムです。如何に守り発展させてゆくか、今こそ更なる知恵が必要かと存じます。

 さてと、オイラは『歌舞伎』には 足が向かわないですが、『文楽』は好きでありまして、

         (上はそれぞれ 館内の宙吊りパネルを撮影させていただいたものです)
ことに『国立文楽劇場』4月公演は、『妹背山婦女庭訓』と『曽根崎心中』という 2大人気演目が組まれましたので、「待ってました !!! 」とばかり、泊り掛けで行ってきてます。


「こんなん、つらすぎる~~」、やるせないほどに切ない幕切れの『妹背山婦女庭訓』ですが、その舞台というものは、この世のものかと思わんばかり?の、特に 吉野川の流れる様子 および 両岸の 妹山・背山の満開の桜の見事な表現には、目を見張りましたし

これは、撮影OKの『資料室』掲示のパネルを撮らせていただいたものですが、実際は、もっともっと華やかで動きもあって綺麗でした。なお、物語の舞台であります現実の 妹山と背山 は、『ぐるりん関西』さんのホームページ掲示写真を拝借させていただきますと、
    
                               こんな具合であります。

 一方『曽根崎心中』は、何たって 心中場面である『天神森の段』。”死” をこんなに美化していいのだろうかと心配になるほどの 美しさ。もう、うっとりさ 募るばかりであります。
    
        (本公演パンフレット P22 を撮影させていただきました)
特に 桐竹勘十郎さんの お初の、心中直前の ひらひらひらと舞いまわる動きは、はかなさ満開。まっこと見事でございました。写真の無いのが、大層 辛く感じられます。


 以下は『資料室』の展示品をいくつか撮ってきていますので、アルバム代わりに掲載です。
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                                 ↑ 三味線の譜

                        ↑ 太夫さんの 床本 ほか 小道具


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当日購入の 吉田玉男さん『文楽藝話』はまだ読んでませんが、ブックオフで求めた 人間国宝を務められた竹本住大夫さん『人間、やっぱり情でんなぁ』は、たいへん面白く読了してまして、以下 オイラが付箋を付けた部分の要約をメモ書きするとします。

 P49 住大夫さんの師匠の代から、名前を表すときは点ナシの ”大夫”、仕事や職分を表すときは点アリの ”太夫”と区別するようになった
 P50 ”文楽” と呼ばれるようになった由来は、江戸寛政年間、淡路島出身の植村文楽軒さんが、人形浄瑠璃の芝居小屋を今の国立文楽劇場近くに建て、評判を取り、いつしかそれを文楽と呼ぶようになった
 P70 太夫は体のいろんなところから声を出すんやけど、眉間から声をだせたら楽でんねん
 P120 人形は動かすより、じっとしているほうが数倍しんどいでっせ。あれは重労働です
 P150 大勢の女性を知ったからと言うて、芸に色気が出るということはありまへんな
 P181 浄瑠璃には『ことば』:役者でいうセリフ
          『地(地合い』:情景描写や説明
          『色』:上の二つの中間  という 3つの部分がある
 P208,9 どうして浄瑠璃と呼ぶようになったか
源平時代のこと。子宝に恵まれなかった矢作の長者夫婦は、鳳来寺の薬師瑠璃光如来に祈願。そうして授かった娘は、その仏様にあやかり 浄瑠璃姫と名付けられ、大切に育てられ、然る後、平泉へ下向途中 その長者宅に宿を取った牛若丸は、 美しく成長した浄瑠璃姫および姫の奏でる筝に たちまち魅了され、自身の笛の音を重ねるとともに契りを結ぶのであるが、その名笛『薄墨』を形見に再会を約し旅立ったそうな。されど再び逢うは叶わぬ夢と絶望した姫は、川に身を投じてしまったと。で この悲恋物語が、琵琶法師の『平家物語』が流行った後の世に語られ始めると、たいへんな人気を博すこととなり、いつしかその独特の抑揚をつけて語られる物語は ”浄瑠璃” と呼ばれるようになったと
 P212 近松門左衛門の演目は好きでない。本で読んでる分にはいいが、芝居にするのは難しい。七五調なら語りよいが、字余り字足らずが多い。人形も遣いづらいし、近松はんに会うたら言いたいことは仰山ある
 P228 舞台で間が抜けるのは、あきまへん。大夫はあれだけたくさんの言葉を口から出していながら、何もゆうてない。息を詰めてる時間、すなわち『間』でいちばん多く語ってまんねんで



 


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