百休庵便り

市井の民にて畏れ多くも百休と称せし者ここにありて稀に浮びくる些細浮薄なる思ひ浅学非才不届千万支離滅裂顧みず吐露するもの也

蕪村さんと 金谷(キンコク)さん 、、、、 そして 西方浄土

2019-05-17 21:19:07 | 日記
     春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
     菜の花や月は東に日は西に

     春雨や暮(くれ)なんとしてけふも有(あり)
     さみだれや大河を前に家二軒
     夏河(なつかは)を越すうれしさよ手に草履
     学問は尻から抜けるほたる哉
     離別(さら)れたる身を踏込(ふんごん)で田植哉
     恋さまざま願(ねがひ)の糸も白きより
     朝がほや一輪深き淵の色
     己(おの)が身の闇より吼(ほえ)て夜半(よわ)の月
     門(もん)を出(いづ)れ我も行人(ゆくひと)秋のくれ
     月天心(てんしん)貧しき町を通りけり
     去年より又さびしひぞ秋の暮
     酒を煮る家の女房ちよとほれた
     身にしむや亡(なき)妻の櫛を閨(ねや)に踏(ふむ)
     腰ぬけの妻うつくしき火燵(こたつ)哉
     我も死して碑に辺(ほとり)せむ枯尾花
     埋火(うづみび)や我かくれ家も雪の中
     水仙や寒き都のこヽかしこ

     しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり(遺作 68没)

 上記はオイラが大好きな 与謝蕪村さんの、我が好きな句 20撰 です だなんて、エラそうな書き出しをしてしまいましたが、中学時代から つい半年ほど前までというもの、上から二つの句しか知らなかったのです。

ただしこの2句の持つパワーは絶大!!!。もうこれだけで「蕪村さんは ええなぁ!!!」と、中学時代から60年ほども惹きつけられっ放しになってるのですから。そして、いつかは蕪村さんのこと もっと識らんといけんなぁ と思い続けてきたのですから。

日本のどこででも見られる のどかな風景が すぅっと目の前に浮かんでき、開放的で えも言われぬ い~い気分に誘ってくれる、この 2句は、オイラにとって、山頭火さんの句は別として、もう最高に特別な存在!!! 。

何より 明るさが好いです。さらに、おおらかで ゆったりしてて 色彩があって、その上 庶民の生活感覚や、作者の人間性が感じられるのです。現実を受け入れ、出来る限り 明るく楽しく肯定的に生きようとする、俺らァと何も違わない 生身の人間の存在が感じられるのです。

生涯 芭蕉さんは 1000句、蕪村さんは 3,000句 作ったと言われてますが、そういった数は関係無しに、この句は秀逸!!!、モノならば まさしく国宝級の逸品 であると思ってます。こんなオイラですから、次のような新聞記事を目にしますと、直ぐ様 飛び付いたは、言うまでもないことでしょう。



  小嵐九八郎さんの『蕪村』↑ と 追加で購入した 平凡社 別冊『太陽』『与謝蕪村』↑

布団から出している手が凍りそうになる 寒い時分、ちょっとづつちょっとづつ 4ヶ月かけ 読みました。著者の小嵐九八郎さんとは初対面です。まぁ何と凄まじい小説でしょう。表現がです。方言丸出し 地の言葉の 本音のつぶやき ぶっ通しの小説ですから 意味の解らないところも多分にござったですが・・・・

全350ページ、でえれぇ読み応えがあったです。手の冷たさと眠気には負けっちまうのですが、特別 面白いということでもないのですが、不思議なことに飽きることは とんとございませんで、これぞ 蕪村さんというお方の魅力 ということでしょうか。

師の代表的な絵画と俳句は、だいたい 散りばめられている感じです。今では 絵の神様のような存在の 円山応挙さん 池大雅さんも ふんだんに登場。面倒みたり みられたりの間柄だったようです。特に応挙さんとは 一時 男同士の・・・だったとか。

長部日出雄さんの『鬼が来た』 宮尾登美子さんの『序の舞』を読めば、志功さん 松園さんが少し解ったかな と思えますが、この本も同列、これで入門できたかなぁ といった、オイラの好きな 満足感に似た感触が得られました。今風の作家さんの、ちっぽけなことを ことさら大袈裟に言いふらす薄っぺらな内容の本と違い、十二分に重みが感じられる 読み応えのある 存在感のある 小説でござったです。

ご承知のように蕪村さんは、絵 書 俳句 の3本立てでご活躍、当時の京都画壇於 序列5位以内にはランキングされてたようですが、絵は 南画風でスッキリ感に乏しく、書は清潔感とは程遠い印象が拭えないため、オイラは 俳句以外は 好きでありません。ただ、現在 国宝に指定されている この『夜色楼台図(やしょくろうたいず)』は、成る程ォ~ いい絵ですねェ と感じます。



 ところで、蕪村さん(1716~1783)よか 45歳若いお人で、オイラなんか目じゃない めちゃめちゃ蕪村さんに傾倒し、自由奔放 旅と絵と書と女に生きた、現滋賀県草津市下笠生まれですから、”近江蕪村”と呼ばれた 横井金谷(きんこく1761~1831)さんという方がおられるのですが

30年以上前になりますか、キンコクさんという人を知ったその折、何故かこの名前に異様に反応、神坂次郎さん著『金谷上人行状記』なる本を取り寄せ 半分ほどは読んでみたものの、多くの絵路絵路(エロエロ)描写に耐え切れず、読むのを止めてしまってるのですが、

何とこの方の『旅する画僧 金谷 ~近江が生んだ奇才~』と題した展覧会が、草津市草津宿街道交流館さんで開催中ということで、H31.3.26のことですが、出掛けて来てるのであります。

      展覧会場の 草津市草津宿街道交流館さん ↑

       購入した キンコクさんピンバッチ ↑
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H23.4開催『横井金谷~近江蕪村と呼ばれた放浪の画僧』展図録と上記書籍『金谷上人行状記』
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            今展覧会のフライヤー


旅の絵が ほとんどだったような記憶が残ってます。上手な絵だと思います。特筆すべきことがあります。自ずと名所旧跡の絵が多くなるのですが、オイラなら 風景を描くにしても写真を撮るにしても、人は入れたくないし 入ってほしくないと願うのですが、ところがどっこい、きんこくさんは、いっぱいいっぱい溢れんばかり、人を描き込んでるのです。キンコクさんて よっぽど人がお好きなんやなぁ と、もう呆れるばかり。愛すべきお方であります。


帰り路、いつかは撮りたいと願ってた、『西方浄土』をイメージする写真が撮れました。
当庵は、新田山(しんでんやま)という永瀬清子さんの詩にも出てきたりする、夕陽のすぐ下の 小高い峰の袂に在りまして、春分と秋分の日あたりでしか見られないこの佇まいは、ここら辺りでは 最も趣ある美しい情景ではなかろうかと思ってます。











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