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忘備録の泉

思いついたら吉日。O/PすることでI/Pできる。

フォーカシングとは何か④

2018-12-08 16:30:22 | 心理
フォーカシングでは、おだやかな、開かれた質問を用いる。
このような問いかけは、フェルトセンスが語り、展開するのを促す。
それによって、最終的にはシフト(変化)が起こり、よりよい感じと、より一致した内的な場所が生まれる。
・これは私にとって、いったい何についてのことだろうか。
・この○○(たとえば、オエッ)という感じは何からきているのだろう。
・いったい何のことでこんなふうに感じるのだろう。
・このこと全体の私の感覚はどんなものだろう。

何が悪いのかを指し示すための質問もある。
・この中で最低なのは、本当のところ何だろう。
・このことの核心について、本当のところ私はどう感じているのだろう。
・何のことで、これほど○○(感じられた言葉:落ち着かない、気づまりな、落ちこむなどが入る)と感じているのだろう。
・本当にいい気分だと感じることを今邪魔しているのは、何だろう。

どうなったら正しいかを指し示す質問もある。
・これ(フェルトセンス)に必要なのは何だろう。
・新鮮な空気の方向に一歩進むと、どんなふうに感じるだろう。
・何があればほっと一息つけるだろう。
・このこと(問題)全体が声を出して話すとしたら、何を言いたがっているのだろう。

フェルトシフトが起こると、その問題への関わり方が変化する。
問題は完全には解決していなくても、「新鮮な空気」「ホッとする感じ」が起こり、「生を前進させるエネルギー」が見つかるという。

フォーカシング体験を終える前には、少し余分の時間をとって、内側に出てきたものを歓迎し、うけとり、内側で「ありがとう」と言う時間をとる。
これはとても大切なやさしい瞬間であり、私たちはそこで、これまでの変化のプロセスに感謝する。
またこの時間は、その場所に内側で印をつける時間でもある。
印は、その場所にまた後で帰ってきたい時のためのものである。
(つづく)


「広告コピー秀作集」

私は雑草。

心ある雑草。


フォーカシングとは何か③

2018-12-06 14:03:50 | 心理
大事なこととして理解しておかなければならないことは、フェルトセンスが単なる情動ではなく、それ「以上」のものであるということだ。
それぞれのフェルトセンスには、(すでにわかっているものであれ、これから気づいていくものであれ)問題の全体が含まれている。
それ全部が含まれているのである。
情動は、フェルトセンスよりも小さく鋭いものである。
たとえば「気分が悪い」といいながら、胃に差し込むような苦痛を感じているとしよう。
しかし、(この「気分の悪さ」は私の生活の何とつながっているのだろう)というフェルトセンスにとどまっていると、「より以上」のものが浮かんでくる。
たとえば、こんな風にである。
(私は気にかけてもらっていないというか、大事にされていると感じられない…うーん、何かそんな感じなんだけれど…自分が…何の意味もないような感じ…そうです、それだ。私は自分が「何の意味もない」と感じているんだ…この「気分の悪さ」全部のフェルトセンスは、何も入っていない空っぽの穴のような感じなんです―――そうです―――それが、その正体なんです)
内側に注意を向けず、そのあいまいではっきりしない気持ちとともにいてみなければ、この最初の「気分の悪さ」が、実はからだの内側の「何も入っていない空っぽの穴」のような感じだとはわからない。
この表現こそが、フェルトセンスを描写しているものである。

問題や課題は、それを抱えているだけでも十分に難しいものである。
問題や課題とのつき合い方(ともにいる方法)を学ぶことはさらに複雑である。
「自分が嫌いだ」とか「今度は本当に失敗だ」とか「私は絶対うまくやれない」といった自己批判的要素がある場合には、よけい難しい。
セルフフォーカシングでは、あなた自身がクライアントであり、あなた自身がセラピストである。
いいセラピストは常に親切で共感的で理解があり、何よりもあなたの話を優しさと思いやりをもって聴いてくれる。
クライアントは、このセラピストには何を話しても大丈夫だと感じるだろう。
そしてあなたは、セラピストがあなたの話を評価や批判なしに聴いてくれること、何を話してもそれを許し、受け入れ、安全に抱えてくれること、何を言ってもしっぺ返しをくらうことはないことを知っているのである。
これがフォーカシング的態度である。
(つづく)


「広告コピー秀作集」

私より、

私たちで、

生きよう。


フォーカシングとは何か②

2018-12-05 10:57:51 | 心理
フォーカシングでは、フェルトセンスが(頭での考えとは別に)それ自身の生命をもっていると考える。
その(問題や状況や感情や人についての)はっきりしないからだで感じられるフェルトセンスに注意を向け、それにとどまることによって、前向きの動きやステップが起こり、それが変化を生み出す。
その変化は必ずしも問題や課題自体の変化とは限らず、「それ」への関わり方の変化かもしれない。

フェルトセンスは生きており、それ自身のリズムがあり、それ自身の波長があり、それ自身の独自な性質があり、(私たちの人生の)問題や状況、人、場所、ものごとと直接結びついている。
フェルトセンスには楽しいものもある。
あのすばらしい気持ちについてのすべても、フェルトセンスである。
フォーカシングの実践は、どんな対象にも応じて行えるものであり、少し時間を費やしたいことやさらに展開させたいものであれば、対象は何でもかまわない。
たとえば、創作や、成長や発展の次のステップとして感じられるところや、何かが芽生えそうなところなどに使うことができる。

困ったフェルトセンスもある。
重い、沈んでいく、ぼろぼろ、落ちこむ気持ち、固くもつれたしこり、抵抗したい気持ち、圧倒される感じ、などなどである。
フェルトセンスにはいろいろな種類があり、それぞれが特殊な形で、何かについての私たちの特徴的な気持とつながっている。
フェルトセンスには本物の言葉(正式な通常の言語表現)が当てはまらないことが多い。
フェルトセンスの表現は、ゲェー、ウェッ、ねばねば、ぐたっ、などの不安定な語になりがちである。
これらの語は、フェルトセンスを正確に描写するという意味では完璧な言葉(あるいは内なる表象)である。

(つづく)


「広告コピー秀作集」

今日も、

電話をかける。

手をつなぐように。

フォーカシングとは何か①

2018-12-04 15:52:34 | 心理
フォーカシングとは…内側に注意を向けることである。
まだはっきりしないものの“からだ”で確かに感じられる、あるいは体験されている何か…自分の生活の何かとはっきりつながっている何か、に注意を向けることで「何か」が姿を見せ、形を成しはじめる。
じっと眺めていると「…についての感覚」という類のものが浮かんでくる。
ここで生まれつつある内的理解あるいは感じられる知が「フェルトセンス」である。
フェルトセンスの形成には少し時間がかかる。
だから、ゆっくりと「それとともにいる」ことが必要になる。
内側にあるものが育つのを待つことで、内なる意味感覚は形を成しはじめ、徐々に完全な形に育っていく。

フォーカシングの最初のステップは、からだの中に意識を向けることである。
フォーカシングで「からだの中」という場合に意味しているのは、のどから胸や胃や下腹部までの範囲のことである。
なぜなら、そこが一般的に感情が住まうところだと考えられているからだ。
感情描写の際に用いられる表現にも、のどがつまって…感情に胸が締めつけられる…はらわたが煮えくり返る…心臓が胸から飛び出しそう、などとある。
静かに、やさしくからだの中に注意を向け、のどから胸や胃や下腹部までの間の部分を感じていく。
そして、ただ眺めながら待つ。
すると何かが感じられはじめる。
これが、フォーカシングのプロセスの始まりである。
(つづく)


「広告コピー秀作集」

人は、

同じ相手に二度、恋をする。

出あったときと別れたあと。


自分自身をガイドする②

2018-12-03 22:15:25 | 心理
友だちのようにいること
「私はこれと仲良くできるかな?」
「ともかくこれと一緒に居られるかな?」
「これに親しさを感じていない私の一部分と一緒に居られるかしら?」

その感じと一緒にいる
「私はこれと一緒に居ても大丈夫かどうか自分自身に尋ねています」
「ただこれと一緒にしばらく過ごさせてください」
「私はこれについてただ興味と好奇心をもっていたいだけなんです」
「私は、そこに[今以上の何か]という感覚を感じているかどうか気をつけています」

問いかけ
「この場所が何か情動的な特質かムードをもっていないか、感じています」
「私はこの場所が私の人生や生活とどんな風に関係しているか、感じています」
「私はこのこと全体について、何がそんなに〇〇的(取っ手)なのかを感じています」
「私はこの場所に、それには何が必要なんだろうと、尋ねています」

共鳴させる
「それを私のからだにずーっと取り込んでいって、ピッタリ感じるかどうか見てみましょう」
「これは私のからだの感じとピッタリするかな?」
「その場所は、これにわかってもらえたと感じているかしら?」

受け取る
「ちょっとの間ただそれと一緒にとどまっていることにしましょう」
「私は、そのいい感じとただ一緒に居たいのです」
「私は、この[肯定積極的なあるいは新しい]感じを、ここで居たいだけ十分居させてあげるつもりです」

からだに戻ること
「私は、今からだの内側でチェックしてみるつもりです」
「それ全体がからだの内側でどんな感じか見させてください」

終わりにする
「終了する前に、何かもっと出てきて知っておいてもらう必要がないかどうかを感じています」
「出てきたものを覚えておこうと思います」
「私が今居るところに印をつけておきます」
「私のからだのプロセスに感謝しています」