曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





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府中砂川新田道 立川方面へ

2006-01-11 | sketch/連載/道
数メートル北上してからすぐ左折し、北西へ。府中砂川新田道の
府中とは国立市の隣りの府中。砂川は立川市の北部地域の名称。
江戸から明治の頃、立川で人家があったのは多摩川流域の水利が
良かった場所、同じく砂川でも玉川上水付近の水の近くが生活の
場であった。その中間は森、空き地、畑だったので立川駅や飛行
場を造る事ができた。甲武鉄道開通時に改札口を北面につくった
のは、立川よりも砂川の方が鉄道(SL)に必要だった水の供給に
好意的だった為。
そのおかげで改札のあった北側地域は、飛行場が出来た事もあり
瞬く間に人口が増えて商店も増え続けた。対して、南側はあまり
人家が無く立川駅に青梅線、南武線、五日市線が接続され線路が
増えるたびに南へ拡張されていった。地図で見ると立川駅が南に
膨らんでいるのはこういう理由による。
やがて昭和38年、砂川町と立川市は合併して今の立川市になった。
撮影ポイント。

府中砂川新田道 分岐点

2006-01-11 | sketch/連載/道
シリーズ第三弾は府中砂川新田道。名前の通り、府中と
砂川間を結ぶ道です。スタート地点は国立の、江戸海道
からの分岐点。庚申塚が設置してある場所です。
この江戸海道は前回取り上げた江戸海道とは別の道で、
立川市内でも少し多摩川寄りを通っています。
全行程はこちらを参照。

江戸海道(終) 青梅線と五日市線

2006-01-11 | sketch/連載/道
途中、古道沿いには定番の庚申塚の前を通り、やが
て江戸海道は昭島の東小学校に突き当たってまた消
失する。このすぐ北を走る青梅線開通は明治27年。
南を走っていた五日市線が立川まで伸びたのが昭和
5年。立川~拝島間で青梅線の駅は中神だけだったの
に対して、五日市線は8駅もあったので地域住民に歓
迎され愛用されていたのは五日市線の方であった。
しかしせっかく立川まで延長された後、昭和15年に
南武線に吸収合併され、同19年には廃止されてしま
った。理由は不用・不急。現在二択で選べば逆に青
梅線が廃止されそうだが、背景には戦争という事情
があった。おそらく当時は青梅線は主に軍需、五日
市線は主に民需という使い分けがされていたのでは
ないだろうか。
江戸海道・拝島道はもう少したどれば、拝島まで行
っていると思うが、ここまでで既に立川を出て昭島
に入ってしまっている。切りが良いので終わりとし
たい。

おまけ。