曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

謎のモノリス

2005-09-27 | sketch/単発記事・短期連載/その他
曙町2、東橋交差点
空き缶入れの左に写ってる塊。周りのコン
クリート製のものと比べて、明らかに時代
が違って見える。昭和33年の写真にも写っ
ている。建物、電柱、看板等あらゆるもの
が47年で新しく変わっている中でこれだけ
が昔のまま残っている。
最初は建物を解体した時に残ったものかと
思っていた。しかし、これだけ残す意味が
ない。塚や地蔵なら残すのだろうが、どう
見ても宗教的な意味もないだたの塊だ。

井上理容館

2005-09-26 | sketch/単発記事・短期連載/その他
富士見町2、新青梅街道踏切近く。
以前紹介した竹村商店の向かい。隣が空き地で、
その隣が踏切を横断している通りになっている。
昭和37年の写真だと、空き地から通りにかけて
立川ベニア商会の建物が建っていて、当時はま
だこの位置に踏切が移って来ていない。

高松町のケヤキ

2005-09-24 | sketch/単発記事・短期連載/その他
高松町1、第五小学校近く。

高木紀男著「戦後の立川 カーウォッチング」
けやき出版発行の車の写真集です。
車にあまり興味は無いのですが、背景の町並み
に惹かれて何度もページをめくりました。

昭和37年のこの十字路が写っています。道路
の中の大木が目印で、場所はピンときました。
行ってみると、周りはがらりと43年分変化し
ていました。青いトラックを駐車してある場
所は当時砂利置き場になっていて、おそらく
建築会社の土地でしょうから所有者は同じで
はないかと思われます。

神明社

2005-09-23 | sketch/単発記事・短期連載/その他
柴崎町2、保健所近く。
駐車場の角にあります。しかも後ろ向き。由来を
知らない人は首をひねるでしょうね。普通は神社
でもお寺でも通りを向いて建っています。この神
明社も出来た当時は当然そうでした。宅地開発・
区画整理で昔からの道は無くなり、建物に囲まれ
てしまったわけです。何故新しくできた通りに向
きを変えなかったのかと言う謎は残りますけど。

話は変わりますが、立川も隣の国立も概ね道路は
碁盤の目状にして利便を計っています。まあ、世
界中大抵そうです。
ところが、立川と国立では碁盤の起点が違ってい
ます。国立の東西方向の道は中央線と平行になっ
ていて、立川は少し角度がずれています。
これは国立が比較的新しい町で、中央線を基準に
して道をつくったのに対して、立川は多摩川を基
準にしたかららしいです。

竹村商店

2005-09-23 | sketch/単発記事・短期連載/その他
富士見町2、新青梅街道踏切近く
立川の路面店(古いもの)は二階建て、ボクシーな
デザイン、石の化粧板飾りと言ったパターンが多い
のですが、ここは例外的に純和風です。
軒先の看板からみると酒屋さんのようです。どの位
の歴史かは解りませんが目前の踏切よりはだいぶ古
いでしょう。
現在踏切の位置は店から見て左前方になります。店
の前の通りは立川駅方向へ行くと行き止まりになっ
ていますが、以前踏切はそのあたりにあったらしい
ので西銀座通りとつながっていたのではないでしょ
うか。