砂川町 マイマイズ井戸跡 2007-11-30 | sketch/単発記事・短期連載/その他 砂川三番交差点の数メートル程東にある。こういう古い工法の井戸跡が 在る事から見ても、やはり砂川の新田開発がこのあたりから始まったと いう説の裏付けになるのではないだろうか。 goo地図 東方向の眺め。五日市街道と窪方街道の合流地点が目の前にある。
小平市中島町 石橋供養塔(2) 2007-11-29 | sketch/単発記事・短期連載/その他 右面(東側) 東 武州多摩郡小川村世話人 小川 砂川村中 右ハ江戸みち 左面(西側) 西 天保十三寅年六月 左ハ所沢 山口みち 小川橋は1653~1656年頃に架けられた長さ4間(7.2m)、幅5尺(1.6m)の 板橋だった。 1842年に、石橋に架け替えられた時に設置されたのがこの石橋供養塔。 現在の橋に架け替えられたのは、1954年。 すぐ後ろには、玉川上水と平行して流れる新堀用水が見られる。
若葉町 地蔵堂 2007-11-27 | sketch/単発記事・短期連載/その他 昨日紹介した、出羽三山供養塔の隣りに並べられている。 お地蔵様の由来 建立寛保元年(1741年) このお地蔵様は、この砂川十番組が 砂川前新田として享保年間武蔵 野の新田開発によって拓かれた頃 全国を行脚する旅の修行僧の遺言 で建立され以来今日まで村の守り 神として大切に祀られて来ました 始めは道路南側の府中道の角にあ り台座に右ハ府中、左ハ江戸と刻 まれてあり道しるべにもなってい ました。 現在の地蔵様は昭和二十年代に 盗難に遭いやむを得ず再建したも ので現在の場所には昭和六十一年 十月尾崎玄三氏のご好意により 安置したものです。 十番組地蔵講
若葉町 出羽三山供養塔 2007-11-26 | sketch/単発記事・短期連載/その他 若葉町3、五日市街道沿い。goo地図 出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)の山岳信仰に関するものらしいが、 詳細(何故ここにあるのか等)は解らず。
国分寺 うど 2007-11-25 | sketch/単発記事・短期連載/その他 goo地図 立川の特産品を紹介する時には、いつも名前の挙がる「うど」だが、 国分寺でも栽培されているらしい。 新田開発が玉川上水と五日市街道を軸に広がっていった事を考えれば、 近隣同士で作物が似通っているのは不思議でもないのだが。 国分寺のうどに関しては、なかなか情報が得られなかった。立川だと 次のリンクの様な検索結果がすぐ見つかる。 立川うどマップ
残堀川旧路(終) 矢川緑地 2007-11-23 | sketch/連載/川 昨日の写真の道を南下して来るとこの段丘上の道へ出る。 段丘下に広がる森は矢川緑地。11/10に紹介した市教育委 員会の史跡掲示板によると、「~青柳方面に流れていまし た」という表現を用いているが、このあたりで矢川に合流 していた可能性もある。 goo地図
残堀川旧路 立川病院駐車場 2007-11-21 | sketch/連載/川 西国立駅ホームの西側に建っているマンション裏手のあたり。 北方向の眺め。goo地図 同じ場所から南方向の眺め。突き当たりが立川病院になる。
残堀川旧路 高木の池跡 2007-11-20 | sketch/連載/川 中央線と南武線が分岐している場所。立川駅を出た中央線(上り)は 右(東)へ、南武線は手前方向へ向かって来る。 同じ場所から南方向の眺め。右に写っている金網の向うが南武線の線路。 goo地図 羽衣町一丁目第3アパート。昔はこの場所に高木の池があったようだ。 かつて曙町2交差点を流れていた芋久保新田用水はここへ流れ込んでい た。残堀川のコースが変わったり、芋久保新田用水が無くなって現在の 立川駅北口にあたる一帯は、何度も洪水の被害に悩まされたようだが、 その対策が緑川を掘って雨水を逃がす事だった。 明治時代の、八店という飯やと芋久保新田用水。 八店があった場所。goo地図
残堀川旧路 東橋交差点 2007-11-19 | sketch/連載/川 東橋交差点から南東方向の眺め。 カクニ第2ビルとNTTの間の路地、北西方向の眺め。奥の車が 写っている場所が交差点。 同じ場所から南東方向。goo地図
残堀川旧路 すずかけ三兄弟 2007-11-17 | sketch/連載/川 戦後、立川飛行場が接収されて米軍が進駐して来た時に、 日米友好のシンボルとして植樹された。goo地図 同じ場所から北西方向の眺め。 高松町3交差点から見たすずかけの木。 同交差点の前にある新立川航空機のゲート。立川五小近くの 熊野神社は元々この辺りに建っていた。火災で焼失し、現在 の場所へ移転したようだ。
残堀川旧路 飛行場跡 2007-11-16 | sketch/連載/川 写真は中央南北線と呼ばれる、防災基地前を通る大通り。 南を向いて撮影した。写真では解りづらいが、北から南へ 心持ち下り坂になっている。実際ここを歩いたりジョギン グした経験がある人には心当たりがあると思う。 もし河川が流れていたら南下するはずだ。 消防庁合同庁舎。流泉寺から立川女子高校へ向かって南東 へ残堀川が流れていたとすると、このあたりを通っていた はず。 同じ場所から南東方向の眺め。左の建物はトミンハイム立川 泉町と言う都民住宅。周りは建築ラッシュの状態で、空き地 が次々と減っている。goo地図 手前の空き地にも新しい市庁舎が建つ予定になっている。