曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

旧五鉄跡の風景 番外編(3)

2010-02-22 | sketch/連載/廃線跡
これといって、かつて鉄道が通っていた事を連想させる
ものは残っていない。
ただ独特にカーブして河原へ向かっていく。ゆるやかな
曲線具合が廃線跡であるニュアンスを伝えてくる。




段丘の坂を少し下ったところで奥多摩街道と交差。goo地図


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旧五鉄跡の風景 番外編(1)

2010-02-20 | sketch/連載/廃線跡
2007年の3月から4月にかけて、旧五日市鉄道の線路跡の
連載をした。その時には昭島市大神町で新奥多摩街道に
出てから西へ向かって、拝島駅まで行ってみた。

     
     今回、その新奥多摩街道で分岐して、南の多摩川方向へ
     向かっていた側線の跡を見に行った。おそらくこの支線
     も河原の砂利運搬に使われたものだろう。


写真は分岐点に設置されているモニュメント。goo地図


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多摩川側線跡 昭島市民プール

2008-04-10 | sketch/連載/廃線跡
多摩川沿いの遊歩道からそれて、入った脇道で最初に目につくのが
昭島市民プール。この季節は水が抜かれている。


goo地図


少し進むと、左手(南側)に多摩川上流水再生センターが見えてくる。
先ほどのプールもそうだが、ある程度のまとまった土地活用がされて
いるこの場所は、二股に分かれた線路にはさまれていた土地という事
になる。

多摩川側線跡 車止め

2008-04-08 | sketch/連載/廃線跡
堤防の上に上がったところ。車道と歩道を分ける金属製の車止めは
黄色い反射テープが巻いてあって、中神側線跡で見かけたものとよ
く似ている。偶然の一致とは思うが。<参考 中神側線跡(2)


だいぶ暖かくなって来て、天気の良い日は釣り人の数も増えいてるよう
に見える。
このあたりの砂利運搬に鉄道を利用するようになったのは、意外と早く
明治25年というから甲武鉄道の時代だ。
参考 多摩川流域リバーミュージアム>多摩川の魅力と人の動き>多摩川の見どころ




ちょうどこの辺が築地(ついじ)の渡し跡らしい。
goo地図

多摩川側線跡 河川敷

2008-04-07 | sketch/連載/廃線跡
河川敷へ降りて西方向を見る。左側が多摩川の流れ、右の建物は
日経新聞の多摩支局。このあたりはかなり広いが、水面と同じ高
さにレールを敷くのはリスクもあるので、やはり右側の土手の上
を側線は走っていたと思われる。


goo地図


右の一段高くなっている部分が遊歩道を兼ねた堤防。


南方向は日野市。多摩川の水流が見える。

多摩川側線跡 分岐地点

2008-04-06 | sketch/連載/廃線跡
中央線から分岐していた側線には多摩川沿いを走っていたものもあったようだ。
写真は多摩川鉄橋のすぐ近く、中央線と新奥多摩街道との交差地点。


同じ場所から南東方向の眺め。写っているのは、鉄橋を渡る直前の築堤部分。
このあたりで分岐していたようである。


分岐した側線が多摩川に向かって下って来る部分。右側の建物の向こう側に
中央線が走っている。goo地図


上の写真と同じ場所から西方向の眺め。この河原を西へ向かって側線は伸びて
いた。

国分寺市西町1 側線跡(2)

2008-04-04 | sketch/連載/廃線跡
昨日の写真とは逆に、分岐地点から北を向いた眺め。
リング状のモニュメントをくぐって北方向へ伸びる栄緑地。
じゃなくて、行政区分だと国立になるので地図上の表記だと、
「北緑地」。市境を越え国分寺へ入ると「西町緑地」。
ややこしい。
左の路地との間にある空き地が獣医資材廠へつながっていた
側線跡。


古い木製の電柱と住所表示。よくぞ今まで生き残っている。
goo地図


あと二枚おまけ写真。花曇りの空と満開の桜。