曙 町 か ら

一立川市民の
ご近所・町内
観察日記





since 2005

玉川上水第三部 美堀橋

2008-09-30 | sketch/連載/川



玉川上水上流方向の眺め goo地図


今回の連載で起点とした羽村堰から流れに沿って、最初の橋を羽村橋と
すると、この美堀橋で27番目となる。


下流方向の眺め。上水の右側(南側)一帯は昭和の森となっている。


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玉川上水第三部 こはけ橋

2008-09-27 | sketch/連載/川
ここまで来ると、既に福生市を出て昭島市へ入っている。


橋の名前の由来は?・・・調べても解らなかった。
「崖=はけ」である事から「こはけ=小崖」とも考えられる。
付近に段丘があったのかも知れない。


goo地図 玉川上水上流方向の眺め




下流方向


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玉川上水第三部 平和橋

2008-09-26 | sketch/連載/川
9/11掲載、横田基地引込み線(1)の二枚目の写真にも写っている踏切。


>もともとこの地は、拝島駅裏にあり、かつては300m上流の日光橋
>からJR線踏切を越え、通勤通学の駅利用や駅前商店街への買い
>物などをしていた。また、あかずの踏切問題なども生まれた。が、
>武蔵野橋の竣工により踏切は閉鎖された。
> 昭和43年5月15日、西武線の拝島駅への乗り入れによる北口の開
>設によって乗降利用者は激増する。たまたま、旧陸軍の「熊川倉庫」
>への引き込線鉄橋があり(現在米軍施設)、これを無断利用して駅
>に出入りする人たちが続出した。危険この上なく、しかも「違法だ
>!橋を作れ!」との請願運動も起きた。しかし、当分予算化はでき
>そうもなかった。このとき、製綿業の平林翁と建設会社社長の武田
>氏は、代償なしで長さ12.7m、幅4.0mの永久橋を建設した。そして、
>同翁は、戦死された息子二人をしのんで「平和橋」と名づけたので
>ある。同翁は、昭和55年11月23日に御死去された。享年90歳である。
福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用




goo地図


玉川上水下流方向の眺め


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玉川上水第三部 日光橋(2)

2008-09-25 | sketch/連載/川

玉川上水上流方向


下流方向の眺め
> 明治24年7月、日光橋の煉瓦橋への架替工事が完成
>しました。これより前、明治10年に川上の牛浜橋を太
>鼓型の石橋に架け替えるに際し、中心的役割を果たし
>た石川彌八郎氏の配慮のもと、今度は煉瓦積みアーチ
>型として見事に竣工したのでした。総工費1,281円68銭
> 8厘。総幅13尺4寸、橋長42尺でした。
> 牛浜橋とともに万年不朽とうたわれ羨望されていまし
>たが、昭和25年3月、現状のように改装、架け替えされ
>ました。橋長14.70m、橋幅9.20mです。
> 時は移り、交通事情は変化し、JR踏切問題等々も、
>武蔵野橋開通によって解消し、「日光橋公園」の静かな
>たたずまいがうれしい。
福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用


goo地図


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玉川上水第三部 日光橋(1)

2008-09-24 | sketch/連載/川
> 日光往還(国道16号線)に架けられたための命名ですが、
>「熊川下ノ橋、日光橋トモ云」との記録もあります。日光
>往還は、古来は相州大山参りの「道者道」でした。
> 「八王子千人同心」が、慶安5(1652)年6月「日光火の
>番」役を命じられました。初めは、江戸経由で「日光道中」
>というコースでしたが、同年9月からは江戸へ向かわず八王
>子から直ちに拝島に入り、松山、佐野を通って日光に至る
>経路(日光往還)となりました。五街道(東海道・中山道・
>奥州道中・甲州道中)の「日光道中」とは別個の日光街道で
>した。
> 大山詣もあわせて往来もにぎわい、日光橋は村持ちの橋と
>いうことで維持管理は大変でした。架替の度ごとに最寄りの
>村々や大山詣の道者にも喜捨を仰いだといわれます。
福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用


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玉川上水第三部 どんぐり橋

2008-09-23 | sketch/連載/川
隣りに架かっているのは武蔵野橋。国道16号=東京環状=日光街道が通っている。


> 豊かな自然が残る武蔵野の雑木林と、それに沿って流れる歴史的価値の高い
>玉川上水とを、自然と市民とのふれあいの場として利用していただくために建
>設したのが「日光橋公園」でした。「五丁橋」際の「みずくらいど公園」から
>玉川上水沿いに設けられた散歩道で結ばれた約1万6000平方メートルの敷地内
>にはその3分の2の雑木林はそのまま残し、静かに野鳥をみるために観察室で保
>全地域を区切りました。残りはピクニックや植物観察ができる「わんぱくたち
>のとりで」のある林、幼児用の遊び場、大きな木製ゲートのそびえるレンガ敷
>の憩いの広場、さらに橋を渡ると素手でも登れる巨大な岩山のある広場などが
>設けられて、一日中楽しめる素晴らしい公園ができました。
福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用


玉川上水上流方向の眺め。


goo地図


下流方向の眺め


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玉川上水第三部 五丁橋(1)

2008-09-20 | sketch/連載/川
goo地図


> 福生院の山門から奥多摩街道を越えて東に向かい、
>五日市線・青梅線の踏切を過ぎると玉川上水で、ここ
>に架けられたのが五丁橋である。橋を渡ってハケ上の
>武蔵野台地の一角に「五丁山」と呼ばれた山林があっ
>たようで、これが橋名の由来ではなかろうか?
福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用


上流には、玉川上水を渡るJR青梅線の鉄橋が見えている。


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玉川上水第三部 山王橋(2)

2008-09-19 | sketch/連載/川
別に設けられた歩行者用の橋。


> かつては、熊川村村有の「作場橋(農作業等で通行
>するための橋)」で素朴な木橋でした。以後、改修を
>重ね、昭和 37年3月の架替前までは、橋長10m、幅員
>2.7mでした。その後、さらに橋長16.5m、幅員6mに拡
>張されました。しかし、接続する道路は、約7m の幅
>員があるため1mほど橋が狭く、そのうえ橋に接して交
>差点があり、自動車の通行量も多く、歩行者の安全を
>確保してほしいとの市民の声に応えて、平成 12年度
>に山王橋下流側に、歩道(幅2m)部分を新設されました。
福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用


goo地図


玉川上水下流方向の眺め。


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玉川上水第三部 山王橋(1)

2008-09-18 | sketch/連載/川
goo地図
川沿いに道の無い部分では、住宅街の中を進み、玉川上水を探しながら次の橋へ。




goo地図 熊川駅のすぐ北側にあたる。


> かつて、「山王塚(熊川1307)」と呼ばれる地(「わらつけ街道」東方向)
>に「山王大権現」の石塔がありました。「寛政六甲寅(1794)年」「現住融
>峯代造之」と刻まれていました。融峯とは、福生院第14世の住職です。寺と
>塚を結ぶ里道に架けられたので橋名となったものと思われます。
参考 福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用


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玉川上水第三部 福生橋(1)

2008-09-16 | sketch/連載/川
> 昭和33年1月号の「福生町広報」に「橋の名称
>を募集」の記事が掲載されていました。玉川上水
>に架けられる都市計画道路1・2・3号線(栄通り
>及びその延長)の橋梁で、540万円の工費で進捗
>中とのことでした。その後、3月末に完成したの
>が幅15mの「福生橋」で、玉川上水に架けられた
>橋としては最大です。
福生市ホームページ>ふっさの橋 より引用


goo地図


玉川上水上流方向の眺め。


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